【自称】シャーロック・ホームズの事件簿
榊 八千代
序章 【自称】シャーロック・ホームズという人物
「ふっ、初歩的なことだよ、ワトソン君」
「だれがワトソン君だ、ホム子」
「……その呼び方はやめてくれと何度も言っているだろう、和田進一君。気軽にかつ親愛をこめてホームズ様、もしくは名探偵とでも呼んでくれたら喜んであげるよ」
開口一番。そう、偉く上からな言葉が降り注いだ。
前を見れば金髪の、偉くでかい虫メガネ越しにこちらを睨みつける女がいる。
制服と古めかしい茶帽子のミスマッチ。そんないつも通りの格好が彼女の持つ残念感を増長してるなあ、という考えが頭をふとよぎった。
そうこう考えている間にも先ほどまで得意気な顔をしていた彼女がとても不機嫌そうに顔を尖らせる。どうやらホム子と言われるのは気に障ったようだ。知っていたことだが随分と感情の波が激しい女である。
「はいはい。どうぞ続けろ、名探偵」
うむ、と満足そうに頷いてからホム子は目を瞑って部室内を闊歩し始めた。
この程度で機嫌を直す扱いやすさは多少ながらも心配になってしまうが……よく考えれば心配する義理も義務もないな、うん。思う存分馬鹿にすることとしよう。
スタッスタッ、という足音が放課後の静かな教室に響いた。
そんな彼女……シャーロック・ホームズを名乗る彼女が語り歩くのを横目に俺は小説をめくる。小説の内容は丁度主人公である名探偵が謎解きをする場面だ。ゆっくりクライマックスを楽しみたい。
「ポイントは三つだ。第一に……」
なにか講釈を垂れてるようだがその言葉は右から左へと流れていく。
厄介なのはこの女、毎度毎度こうして行う推理の感想を俺に求めてくる点だ。
そこで無視をしたり見当はずれなことを言ってしまうと……面倒この上ない。延々と嫌味を言い放って俺という人間の人格否定までしてくる始末だ。人の話を聞かない、というのは確かに良くないことではあるが、人の話を聞かない人間の話を聞かなければいけないのは納得いかないものがある。
とはいえ最後の結論さえ聞いとけばいくらでもアドリブ対応ができる。なのでこうして読書でもしながら聞き流しているのが日常だ。
「……むっ、本を読みながら私の崇高なる推理を聞くとは。君は注意力が散漫だね。私の類まれなる観察力や集中力を見習いたまえ」
が、残念。今回は目ざとく注意を受けてしまった。
第一、散漫も何も最初から耳を傾けてないわ、という喉元まで出かかった言葉を呑み込む。
ここに居を移してから一か月、今となってはそんな挑発的なことを敢えてすることはない。一度でもそうやってホム子のプライドを刺激するようなことを口にしてはそれが最後だ。
待っているのはこの女の長く理屈っぽい、自慢の入った小言。そうなる未来が訪れると骨身に染みて理解した。
改めて考えればこの女、ヒドイ人間である。口を開けば嫌味か小言か、偉そうな講釈しか垂れない。
人の神経を逆なですることに関しては俺の交友関係の中で紛うことのないナンバーワンだ。
「しょうがない。ここは私の美しいバイオリンの調を聞いてもらうとしようか。知っているかね? 上質なクラシックには集中力を高める効果が「やめろ」……何故だい?」
俺は諦めてパタンと読んでいた本を閉じた。どうやら適当に流すのには限界のようだ。先ほど彼女のプライドを刺激しないように心に誓ったばかりだが、しかし俺も仏じゃない。
誰だって一つや二つどうやったって許容できないことがあるだろう?
俺にとってのそれがこれ(演奏会)だ。
意を決して溜め込んできた想いを俺は吐露する。
「知らないようなら教えてやろう。はっきり言ってやろう。お前のバイオリンは下手なんだよ。聴くだけで頭が痛くなる雑音、怪音だ。だから演奏しないでくれ」
「……ほぉ? 面白いことを言うね、君は。自慢ではないが私の演奏技術は推理技能の次に誇れる私の特技だよ? 面白い冗談だと言っておこう。……笑えないけどね」
いつも冷静なホム子の顔に青筋が浮かんでピキピキと怒りが溢れた。それだけホム子にとってこの言葉はタブーなのだ。この女は自分を音楽の天才だと勘違いしているようで、いつもいつも事あるごとにその演奏を披露してこようとする。それだけプライドが高いのだ。
それを真正面から否定すれば……まあ不機嫌にもなるだろう。
「冗談なものか。いいか? お前のバイオリンの腕前は非常に低レベルだ。初めて聞いた時はとうとう世界の終わりが来たのかと勘違いした程に聞くに堪えない代物だ」
「はぁ……。これだから芸術に覚えの無い人間は困る。今すぐにでも世界の楽団が欲しがるであろう私の腕前を、言うに事欠いて低レベルだと? ……気分が悪い。もう怒ったよ、私は。覚悟したまえ。もし君が心を改めて私の演奏を聞きたいと願ったとしよう。だが私は決してその要望に応えないとここに宣言するよ。ああ、残念だね。謝るなら今の内だよ?」
チラチラとこちらの謝罪を要求するホム子。こんな奴小学生の時いたな、と思う程に未熟な拗ね方だ。
まずもって宣言するが、ホム子に音楽的才能が無いのは世界中の人間誰に聞かせても認めるであろう紛うことない事実だ。
俺は特別音楽に秀でた技量も知識もあるわけではないが、そんな俺でも分かる。この女は相当な音痴である。……当の本人はまったく自覚がないようだが。
事実、聞けば不調をきたすと言われるこの学校に伝わる七不思議『旧校舎に響く鬼の鳴き声』の正体こそがホム子の生み出す快音ならぬ怪音なのだ。
初めてこいつの演奏を聴いたとき、俺は思わず学校の近くに鶏の屠畜場でも建築されたのかと疑ったほどだ。
果たしていつになったらホム子は自身に音楽の才が無いという真実に気付くのか。
そしてその時一体どんな顔を見せるのか。俺はその未来を非常に楽しみとしている。
「……そもそも急に何の話題だよ」
取り敢えず今の段階では幾ら訴えたところで無駄だと判断し、話を戻そうと俺は問いかけた。
「まったく、君も素直じゃないね。しょうがない。謝罪の件は次回まで延期してあげるとしよう。そして話を戻すが、さっきも言った通りなぜこの部室に誰も来ないのか、ということについてさ」
そんな話をしていたのか。まったく耳を貸していなかったので分からなかった。
しかし一体それの何が疑問なのか。
「そりゃあ今はもう六月だ。こんな中途半端な時期に入部希望者なんぞ来るわけがないだろ」
季節は梅雨。窓の隙間から見える薄暗い曇り空はこちらの気分までも陰気にする。
「君は本当に私の話を聞いていないね。しまいには怒るぞ」
はぁ、というため息が漏れる。
「入部希望者も確かに大切だ。しかし私たちの本分をなにか忘れてはいまいか?」
ふむ。とその言葉に一考してみた。俺たちの本分、と言われて脳裏に思い浮かぶ要素はこの教室の扉にかけられた表札と呼ぶべきか、つまりはこの部屋の名称を表すプ
レートが真っ先だった。
それが示している我々の本分とはつまり、
「文芸部の本分は読書か執筆だな」
バン‼
机をたたく音が響いた。
それだけ強く叩いてよいものか、と思う。
「────⁉」
案の定、痛みから涙目になっているホム子。
数秒手を抑えてから、彼女は顔を上げキッとこちらに目を向けた。
その目ははっきりと俺の言葉にノーを告げている……涙とともに。
「ここは文芸部じゃなく『探偵部』ではないか。そして探偵に必要なのは依頼人。そうだろ?」
「……俺がいつそのへんてこな名前の部活に入部したんだよ……」
「ここは私の立てた探偵部だ。その部室にいる君は私の部下で助手である。当然のロジックだろ?」
「お前の所属はミス研で、俺は文芸部。部員数の関係で部室を共用してるだけだろうが……。勝手に人を助手扱いするな」
そう。俺たちはこうして同じ部室で共に放課後を過ごしているが、彼女と俺は同じクラブに所属しているわけではない。言ってしまえば部室のルームシェアだろうか。
なので彼女と俺は本来交友する必要もなければ義務もないのだが……ホント、どうしてこうなった……。
「……はぁ」
これまでの苦難とこれからの憂鬱に思わず溜め息が漏れるが、俺は必死にそこから目を背けて、応える。……これ以上そこを論じても正解は出ないだろうし。
「なぜ依頼人がこないかだって?」
「その通りだよ。それに関して私なりの推測を今……」
また長々とした講釈が始まる前に俺は口を開いた。
「お前がさっきから言っている小難しい理屈はわからんが、そんな俺にも一つだけわかることがある」
「ほう、それは面白い。言ってみたまえワトソン君」
そう言い、彼女は授業で手を挙げた生徒を指名する教師のような態度で俺に指を向けた。
……次ワトソン君と呼んだらこいつの大事にしている紅茶の茶葉を勝手に使ってやる。そう俺は心に誓った。
「それはだな……」
一息吸って、推理など不要な明確かつ簡潔なその答えを口にする。
「誰がお前のような変人に相談などするか」
ここに記すのはこの俺、和田進一と自称シャーロック・ホームズな名探偵との奇妙な物語。
時は一月前。ゴールデンウィーク明けの五月初め頃に遡る。
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