1章

第1話

 四月六日の朝。


 私、形川撫子かたがわなでしこは、境内に散った桜の花びらを竹ぼうきで掃除していた。


 ここは形川神社。私の実家だ。


 掃除しているそばから、境内に植えられた樹齢100年以上の桜が、その花びらをはらはらと参道や手水鉢の上へと降り注いでくる。


 おまけに少し風もあるものだから、あちこち散り散りになってしまう。


 自然の摂理だと頭では分かっているが、きりがない。


「撫子、ご飯よ~」


 私が長い髪をかき上げ、煩わしさで眉が少しだけつり上がったところで、社務所の奥から母、恵美えみの声が聞こえた。


「今行く~」


 私は大きな声で返事をして、竹ぼうきと塵取りを元の場所へと戻した。


 社務所の奥の自宅へ急いで戻り、居間の襖を開けると、味噌汁の匂いが充満していた。


 畳の上に大きなちゃぶ台が置かれた、今どき珍しい古風な居間に、シャケの塩焼きにご飯、お味噌汁に漬物といった、これまた古風すぎる朝ごはんが並ぶ。


 すでに父、龍典たつのりは食卓でスマホ片手に鮭をつついていた。


「撫子はパンがよかった?」


 奥のキッチンから母が焼きたての卵焼きを持ってきた。この甘~い卵焼きが私は大好きだ。


「ううん、私はご飯で大丈夫」


「本当に? 撫子はすぐ遠慮するし、表情には出さないから」


「遠慮なんかしてない」


「そう? 思ったことはちゃんと言うのよ。お母さん、新学年になるたびに、誤解されていじめられないか心配で……」


「小学生じゃないんだから大丈夫」


 小さいころから新学期になると、いつもこのやり取りが繰り広げられる。


 私はなぜか感情が表に出にくいようで、ぱっと見は無表情に見えるようだ。(私の中では、ちゃんと感情表現しているつもりなのだが……)


 昔からの付き合いのある人間なら、ちょっとした変化に気づいてくれるようだが、たいていの人間は気味悪がって近づかない。


 青白い肌とストレートすぎるロングヘアも相まって、まるで人形のようだとよく言われる。


 小学生のころは少し悩んだことはあったが、高校生ともなれば、もう諦めがつく。


 親しい人が分かってくれるならそれでいい。


 そんな風に思っていたところで、襖が乱暴に開けられた。


 弟の龍樹たつきだ。


 茶髪のボサボサの髪をかきながら、大きくあくびをしている。


 小麦色の肌に、しっかり筋肉が付いた身体は、サッカーに明け暮れているからだろう。


「確かに撫子は表情筋死んでるよな。俺はパン」


「あんたは少しぐらい遠慮しなさいよ!」


 この後も母の「寝るのが遅い」や「準備ができているのか」といった小言が続いたが、龍樹は眠そうに「はいはい」と言いながら大きく伸びをしただけで、どっかりとちゃぶ台の前に座り、テレビのニュース番組をぼんやりと眺める。


 母は諦めたように「パンね」といってキッチンへと立った。


 ふと龍樹の後頭部をみると、髪が盛大に跳ねている。


「寝ぐせついている」


 と、私が手を延ばそうとするが、今までの姿が嘘のように素早い動きで、私の手をブロックした。


「後で直すから!」


 とそっぽを向く。耳が赤くなっているところを見ると、よほど寝ぐせが恥ずかしかったのだろうか。


 最近は女子からモテているらしいから、オシャレを気にしているのかもしれない。


 昔はもっと素直に「お姉ちゃん」と甘えてきたのにと、少し寂しくなる。


「龍樹も撫子も今日から高校二年生なのね。時が経つのは早いわ」


 焼きたてのトーストを持って、母がやってきた。


 そう、今日は私たちの高校の始業式だ。ご飯を食べたら、行く準備をしないと。


「母さんのしわも増えたもんな」


 龍樹はニヤニヤしながらトーストに手を伸ばすが、その手は虚しく空を切った。


「あんた……パンいらないのね」


 母は差し出していたトーストをひっこめ、鋭い目つきで龍樹を睨んでいる。


 トーストを人質に取られてはひとたまりもない。


 龍樹は平謝りをし、食卓はいつもの朝の風景へと戻っていった。



「そろそろ、進路も考える歳だな」


 不意に父がスマホから目を話して言った。


「進路のことなんて、まだ考えてねぇって……」


 二枚目のトーストを待ちながら、龍樹は面倒くさそうにつぶやく。


「この神社はどうするんだ?」


 父がずいと龍樹に顔を寄せる。圧がすごいから。


 実はこの光景は昔から。父は当然龍樹に継いで欲しいようだが、当の本人ははぐらかしつつも、内心神社を継ぐ気はないようだ。


 まったく、この二人には世話が焼ける。ここは私が……。


「大丈夫よ、私が継ぐから。龍樹は気にせずに好きなことすればいいよ」


 そう言って私は大好きな卵焼きを頬張った。甘くてふわふわの食感が口いっぱいに広がる。


「お、俺は撫子と一緒なら継いでやっても……」


「え、何? 聞いてなかった」


 龍樹が何か言っていたようだが、卵焼きを堪能していたら聞きそびれてしまった。


「もういい……。俺、行く準備するわ」


 なぜか龍樹は深いため息をつき、自室へと戻っていった。

 

「撫子」


 三つ目の卵焼きをほおばっていたところで、母が私の前に座った。


「何? 改まって」


「撫子も私たちのことは気にしないで、好きな道に行っていいんだからね」


 母はそう言って笑った。母の優しさに胸が熱くなる。


「ありがとう。でも私、この神社に恩返しがしたいから」


 そう、私はこの形川神社に二つの恩がある。


 神社の賽銭箱の裏に捨てられていた私を拾って、十六年間育ててくれたこと。


 そしてもう一つは……。


 

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