17回目 夏の日は転び続ける


「なぁ伊織、もし今日死ぬとわかってたら、お前は何をしたい?」

「どうしたのお父さん急に」

「いや、ちょっとな。で、何がしたい?」

「んー、お父さんとキャッチボールがしたい!」

 その時、泣きそうになりながら「そうか」と言った親父の顔は、今でも忘れない。

「じゃあ、今からするか!」

「うん!」

 あの日の親父は、いつになく優しかった。

 今思えば、親父はわかっていたのかもしれない。


「…………夢、か」

 今は夕方ぐらいだろうか。

 日が少し傾いている。

 いつの間にか寝てしまっていたようだ。

 座ったまま寝ていたので、身体が痛い。

 俺は身体を伸ばすために床に横たわった。

 なんでこんな夢を見たのだろうか。

 いや、なんとなくわかる。

 俺が今、そのやりたいことに悩まされているからだ。

 好きな食べ物は思いつく限り食べた。

 ハンバーグ、オムライス、カレー、焼きそば、からあげ、とんかつ、餃子、ラーメン、麻婆豆腐、焼き肉、てんぷら、寿司、その他思いつく限りの好きなもの。

 お腹がはちきれるほど食べた。

 でもダメだった。

 そして俺は気づてしまった。

 同じ日を繰り返すということは、お金も元に戻るのだと。

 それに気づいてからは、貯金をすべて使い切るかの如く、豪遊した。

 高級料理を食べに行った。

 柄にもなくキャバクラに行ってみたりもした。

 ブランド物も買ってみた。

 確かにそれらも一度はやってみたいことだった。

 ――でも。

 どうにもならなかった。

 また同じ日を繰り返すだけだった。

 毎日同じ時間に目が覚めて。

 毎朝明日香と同じ会話をして。

 毎回違うところに出かけ。

 何度も死を繰り返す。

 一番多かったのは、車に轢かれること。

 電車を使った時には、電車に轢かれることもあった。

 普通に道を歩いていたら、上から植木鉢が降ってきたこともあった。

 似てるけど、違う死に方。

 俺の行動によって出来事に差は生じるが、結果は同じ。

「どうしたらいいんだよ……」

 何を試しても、心が満たされていかないことは、自分でもわかっていた。

 どうせうまくいかなくても、またやり直すだけだ、と投げやりになっていく自分もいた。

 死にはするけど、逆に言えば同じ日を繰り返すだけで生きることもできる。

 でもそれはもう生きているのか死んでいるのかもわからない。

 繰り返せば繰り返すほど、やりたいことがわからなくなって、そしてどんどん心がボロボロになっていく。

 もうどうでもよくなってくる。

 今日はもう、このまま死ぬのかもしれない。

 明日も明後日も、こうやって何もせずに死んでいくのかもしれない。

 それならもういっそ……。


「ただいま~」


 聞きなれた声のはずなのに、どこか懐かしかった。

 毎朝聞いているはずなのに。

 毎回会話しているはずなのに。

 今までだって何度も聞いてきたはずなのに。

 その声に、安心してる自分がいた。

「……どうしたの?」

「…………いや、別に」

 心に開いた穴に、何かが埋まっていくような感覚だった。

「そう? ならいいけど」

 明日香は荷物を置いて部屋着に着替える。

「あ、そうそう。今日朱莉たちと話してたんだけどさ、明日海に行かない?」

 そういえばそんな話もあったな。

 俺はすっかり忘れていた。俺が大学に行かなくても、海の話は進むようだ。もしかしたら今までも連絡が来ていたのかもしれないが、最近はスマホもろくに見ずに、ただ思いつく限りのことをしていただけだから、なんだか海の話でさえ懐かしい。

「おー、いいな」

 じゃあ行くか、と俺は二つ返事でオーケーした。

 本当は無理なのに。

 今日死ぬ俺に、明日なんてないのに。

 でも、明日香たちは今日俺が死ぬことなんて知らない。知るわけもないし、知らせることもできない。もし俺が明日生きてるとしたら、断る理由なんてない。

 そういえば、しばらくあいつらにも会ってない。

 大学に行ってないから当然と言えば当然だが、久しぶりに(祥吾や朱莉ちゃんにとっては違うが)会いたくなってきた。

 思い返せば、今までは一人でずっとやってきた。もしかしたら、誰かと何かをすることがやりたいことかもしれないのに。人間、予想外のことが起こると、視野が狭まるらしい。

「明日香」

「ん? なに?」

 俺はこっちに来てと手を振る。明日香はなんだろうという顔をして、俺の方に歩いてくる。

「えっ」

 ――俺は明日香をギュッと抱きしめた。

「ちょっ、どうしたのよ」

 急なことに戸惑っていたが、俺は構わず抱きしめ続けた。

 しかし、そのうち明日香も俺を受け入れるかのように脱力し、抱き返してくれた。

 どれくらいこうしていただろう。

 たった数十秒かもしれない。

 何時間かもしれない。

 そんなものはどうでもいい。

 時間なんて関係ない。

 今こうして明日香といられることに幸せを感じていた。

 俺たちは、どちらからというわけでもなく少しずつ離れ。

 そして。

 口づけをした。

 ゆっくりと。

 何度も。

「明日香」

「伊織」

 ずっとこうしていたい。

 もっとずっと、明日香と一緒にいたい。


「なぁ明日香、もし今日死ぬとわかってたら、明日香は何したい?」

 俺は水を飲みながら、それとなく今思いついたかのように聞いた。

「どうしたの急に」

「いや、なんかふと思って。でさ、何したい?」

「うーん、家族に会いたいかなぁ」

「…………」

 そういえば、と思ってしまった。どれだけ己の視野が狭まっていたのか、改めて実感した気がした。というか、なんだか恥ずかしかった。自分を恥じた。

「もちろん、伊織とも一緒にいたいけどね」

「そりゃどうも」

「なに、照れてんの?」

「照れてない」

 むしろ俺もそう思っている、とは恥ずかしくて言えないが。でも、同じことを考えているのは、なんだか嬉しいものだな。「このこの~」と頬をつついてくるのは少しうざったいが。

「ん? どこいくの?」

「ちょっと風に当たってくる」

 俺は立ち上がり、無造作に投げ捨てられた服を拾い上げる。

「ついでにコンビニ行ってくるけど、何かいる?」

「ん~、お酒」

「りょうかい」

 服を着て、財布と携帯をポケットに詰め込み、俺は家を出た。

 いつのまにか外は暗くなっていた。

 随分と長い間のんびりしていたようだ。

 夜と言っても夏だとまだ少し暑いが、どこか心地いい。

 足取りも軽くなっている気がする。

 別に晴れやかな気持ちというわけではない。

 どうせこの後死ぬことはわかっている。

 おそらく今回はもう家に戻れないだろう。

 それなら、と、次の今日のことを考える。

 何をしようか、と。

 自分は何をしたいのか、と。

 もちろん、今日このまま死んでそれで終わり、という可能性もなくはないが、たぶんまた繰り返すだろう。もしそうじゃなくても、その時はその時だ。普通は死んでしまったら、もうどうしようもないのだから。

 とりあえず、次の今日の行動は決まった。

 明日香に言われて気付かされた。

 楽しみというと変だし、死を絶対的に受け入れているわけでもないが、地獄の中に閉じ込めらているような状況なのだ。少しくらい気が変になっても許してくれ。

 自分で死のうとするよりはましだろう。

 そういえば、自殺するとどうなるのだろうか。

 自分で命を絶った場合も、繰り返すことになるのだろうか。

 まぁ、考えても仕方がない。

 さすがにここで自殺するほど、まだ落ちぶれちゃいない。

 必死に生きてやる。

 足掻いてやる。

 まだまだやり残したことがたくさんあるんだ。

 全部は叶えられないかもしれない。

 やりたいことをやったら、やってしまったら、本当に死んでしまうらしいからな。

 でも今はそんなことを考えていても仕方がない。

 死ぬまで、生きるだけだ。

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