第6話 おてんば娘

ワラとの春の山登りが終わり三日過ぎた。

 今日も同じく前日にスズカ先輩から「明日部活だから遅れないでね♡」と書かれたメールが送られる。

 これは先週の火曜日にチヒロさんが教えてくれたけど部活は大体月曜日と火曜日の二回だけみたい。思っていた以上に私生活への負担は小さい。

 部活の内容自体もそこまでも厳しいものはなく、むしろ楽しいぐらい。


 さて、私は今放課後の図書室に来ている。

 図書室の中は娯楽の本もそうだけど研究に仕える論文やら資料が勢ぞろいしている。図書室のはそこまで広いものではなく、言ってしまえば普通にどこにでもある図書館と同じぐらいの広さだ。

 そして私はこの図書室でスズカ先輩から「持ってきて」と頼まれた論文を探しているところ。その本、論文の題名は「放線菌論文集」という名前みたいだけどそれらしきものはまだ見つかっていない。

 こんなに苦労するならチヒロさんにでも手伝ってもらえばよかった。


 いくら探しても埒が明かないから司書の先生に聞いてみよう。

 私は受付で貸し借りの管理をしている先生の所へ向かった。

 「あの、すみません。少し聞きたいことがあるのですが……」

 「はい、何ですか?」

 「今部活で必要な放線菌論文集を探しているのですが、論文集が置いてあるところを見ても見つからないんです」

 「あー放線菌論文集ね。ちょっと待ってね」

先生はパソコンで貸し借りの中で調べてくれた。


 放課後の静寂の図書膣の中には先生が打つパソコンのキーボードの音だけが聞こえる。

 それから少しして先生は「あー」と口を漏らした。

 「えっと放線菌論文集は貸し出されてるわねー」

 「あ、そうですか……」

 これはしまったな。後で先輩に電話しよう。

 「でも、返却今日だからもうじき来ると思うわよ。どうする?」

 「あーそのー……聞いてきます」

 「はいはーい」


 私はいったん図書室から出て、スズカ先輩に電話を掛けた。スズカ先輩はすぐに応答してくれた。

 『はいはいウズメちゃんどうしたの? 論文集見つけた?』

 「いえ、今はないんですが今日が返却予定日みたいで―――」

  私は先輩に今起きている状況を人工知能以上の正確さで伝える。

 スズカ先輩はそれを聞くと。

 『なるほどねー』と言って少し間を開けて。

 『うーん……そうだねー。待つ? けど帰ってくるのはいつか分からないなら戻ってきてもいいよ』

 「あーはい。分かりました。では無理そうでしたら戻ってきます」

 『はいほーい』

 私は電話を切り、図書室の中に戻っていった。


 先生はこちらに気づき、「どうする?」と聞いてきたため、私は「少し待ってみます」と答えた。

 私はずっと待機では暇すぎるため、図書室を回り色々と本を見て回った。棚に並べられた本はとても面白いものが集まり、逆に言えば生徒の娯楽は流行りものを一気に揃えたりと評価に値するぐらい。

 この書物の中で私は「妖怪大全」と題される書物を読んでみた。

 この中に書かれる妖怪たちは前書き曰く、私が今住んでいるウガヤ皇国が加盟している、吉備皇国きびこうこく日田神皇国ひたかみこうこく安雲皇国あくもこうこく筑紫皇国つくしこうこく隼人皇国はやとこうこく壹岐皇国いきこうこくを中心として結成している大ユダンダベア連邦。ユダンダベアの名称自体不明だけど、一説によれば超古代の人類が話していた 言葉が現世人類に伝わったと言う話。

 知らないけど。

 で、この書物はそんな連邦内の著名な考古学者と文学者たちが編纂した書物。

 これはとても凄いはずなのにあらすじの最後に書かれている「注意:所々遊んでおります」があるせいで全て台無しにしている気がする。


 私は一回書物を一気にめくる。その時一瞬だけ「破廉恥――――――」と、書かれた一文が見えた気がした。

 ま、これは遊び半分て書いてあるし教授が子供向けにふざけたんでしょ。と、思いながら読み進めた。

 けど、何か気になる。

 私は先ほどのページをめくって見てみた。


 そこに書かれていたのは――――――。

 「『破廉恥妖怪チトセ』……え?」

 そこに書いてあったのは確実につい十年前に撮影されたであろう校長先生の写真。さらには、

 「……えーと何々、『この妖怪は治国駅周辺に現れて、近くの共学の高校の生徒に対して問答無用にセクハラします』……あぁ、うん。これ普通に合ってる。ていうか何でこんなのここにあるんだろう」

 私はそんな疑問を少々感じたが校長先生だから仕方ないと思って続きのページをめくる。

 

 次のページに書かれていた妖怪は。

 「堕落妖怪検便」。

 「この妖怪は今までは真面目に悪さをしてきたが、堕落して悪いことをしなくなった妖怪。 ――――――あれ……? これ勤勉の間違い?」

 えっと普通勤勉と検便間違えるかな……。

 まぁ、これほど分厚い本だし。間違えるのはしょうがないかもね。

 私は次のページをめくる。


 「うーと。糞食い妖怪勤勉……」

 あ、絶対これだ。これと間違えてる。……いやでもこれ普通間違えるかな。これ書いた人絶対アホだと思う。

 そしてページの下に目をやると編纂者紹介が書いてあった。

 見た感じ検便と勤勉についての情報をまとめた人だろう。

 「……これをまとめた人は『人生で今まで誤字脱字の経験がない文学者中文乃御保猛なかふみのおほたける』」

 これ絶対嘘でしょ!!

 しかし良くこれで文学者を名乗れると思ったけど……今回疲れて間違えていたのかもしれない。だから多少は理解しよう。それにこの書物自体所々遊んでいると書いてあるからただ遊んだのかもしれないしね。もしそうだとしたらこの教授さんにとても失礼だもん。

 私はそのまま続きを読み上げる。

 「で、続きは……『この学者は偏差値二十の安保やすやすこえみみえき大学教授。務めて六十年、送り出した卒業生は0人』」

 訂正……無能過ぎない?

 それに大学名も読み方おかしくないかな。


 その時誰かがしっぽを撫でる感触がした。

 「ひぁわん! ひぃや…‥ぐ……」

 私は口を押えてこれ以上声が漏れないようにする。

 は、恥ずかしい……尻尾触ってるの誰?

 私は後ろを振り向く。そこにいたのは黄金色の衣を上に着て、男袴を穿いて黒い髪を総髪にまとめた綺麗な女の人だった。

 女の人は問答無用に触り続ける。

 「はうぅ……」


 何々!?

 私何かしたっけ?

 と、とりあえず対話できるか試そう。

 「あ、あの……尻尾、やめてくださいぃ……」

 「ん? あぁーごめんごめん」

 女の人は尻尾から手を離してくれた。

 「えっとごめんね。ちょっと久々の再会だからついやっちゃったよ!! まぁ、とりあえず久しぶり! 覚えてるかな?」

 

 女の人は眼を輝かせて聞いてくる。

 ん? 私この人と会ったことあった? 私は初対面なんだけど。まず問題なのはこの女の人が私の尻尾を触ったことで、これは明らか痴漢だよね。でもこの人どう見ても先輩だから怖いんだろうな。うん。多分無駄口叩いたら問答無用で殺されそう。

 えーまだ死にたくないなー。

 あ、そうだ。この時純粋に知らないと言えば許されるのでは。だってそうでしょ? 忘れているのは決して悪意があったわけでもなんでもなく、むしろ本当に分からないからだ。よし!

 「えっと、どなたですか?」

 「あ、やっぱり忘れちゃったか~」

 女の人は少し悲しそうに笑う。

 いや、本当に誰ですか?


 怖い。


 ちょっと今の状況整理してみよう。私は本を探してなかったから待っている間に読書で暇をつぶしていた。で、この女の人は突然私の尻尾に触れた。

 うん、不審者過ぎる。

 「まぁ、私は貴女のこと覚えてるわよ。だってこんなに子犬みたいに――――」

 「人狼です」

 「え、あぁごめんごめん。つい可愛かったから。で、学校公開の時赤髪のかわいらしい格好をしたお兄さんと一緒にいたでしょ。こんな奇抜な人の傍にいたなら忘れるはずがないよ」

 「学校公開? お兄さん?」

 確かに私はここの学校公開に参加して農業体験やらそばを食べたりした。その時いたのは確か縫お姉ちゃんだったはずなんだけどなー。

 で、それと確か生物芸術展に女子生徒の人に案内してもらって……ん?


 私は眼の前にいる女の人を一回よく見る。

 あれー? 何か既視感が。

 「あの、もしかしてですが学校公開の時に生物芸術展の案内をしてくれた人ですか?」

 すると女の人は嬉しそうな顔をして、

 「そうそう! 思い出してくれた?」と、言って抱き着いてきた。

 私は少し女の人、先輩を手で押して離れさせた。

 「でも……私の知ってる先輩はもっとおしとやかだった気がします。こんなにさばさばした感じではなかったと記憶しているのに」

 「え、そう? 私普段どおりだったんだけど」

 だったらさっきの私への痴漢はなに。

 「それはそれ。これはこれよ」

 まって痴漢行為はそのまま放置ですか!?

 先輩は楽しそうに近づいた。


 「で、今日ここに来たのは……何か探してた?」

 「あ、はい。放線菌の論文集を。部活に使うので」

 「あー論文集か。これよね?」

 先輩はカバンから一冊の分厚い本を出した。その厚さはもう辞書と言っても過言ではない。

 「あ、それです!」

 「そうか。ならちょうど――――――」

 「あなたたち……さっきから何を騒いでるの?」

 後ろから殺気を感じた。

 私と先輩はゆっくり後ろに振り向くとそこには鬼の顔をした先生がいた。

 その顔の恐ろしさは死んでも見られないものだとすぐに分かった。


 ――――――――――――。

 ――――――。

 ――――。


 「もう! 先輩が騒いだせいで私まで怒られたじゃないですか!!」

 「ははは、ごめんごめん。反省してるよ」

 私は放線菌論文集を先輩と交換する感じで受け取り、スズカ先輩たちが待つ部室に戻っているところだ。

 で、その先輩の名前はこの間オホウエ先生が言ってたキクさんで間違いがないだけど私は学校公開で初めて会った時に読んだ「先輩」と呼ぶ方が安心するからそう呼ぶ。


 「でもウズメちゃんまさか本当に部活に入ってくれるとはね。てっきり

この高校すら受けないかとひやひやしてたもんだよ」

 「そ、そんなことないですよ。私は学力的に……ここ受けるの厳しいて言われてたぐらい何で……」

 「でも、受かったんでしょ? ここに。なら良いじゃない現に受かってるんだから」

 「は、あはは……」

 先輩は顔を近づけながら笑う。

 ちなみに私は本当にここを受ける際、縫お姉ちゃんに多分受からないかもと言われて通常の人とは違う受験方法を使ったけどこの話はまた今度にしよう。

 「でも、本当に成長したね。二年前はまだ小さくて子犬みたいだったのに」

 「子犬じゃなくて狼です」

 「子狼?」

 「子狼じゃなくてもう大人の狼です」

 「本当に?」

 「本当です」

 「ふふふ、そう。なるほどねー。ならさならさ、ちょっと遠吠えしてみて?」

 と、先輩は耳打ちしていた。

 「えっと遠吠えですか?」


 いやまってそれは冗談でも笑えないんだけど!?

 しかもここは学校だからそんなことすれば噂が広まって普段の日常が生きづらいものに変貌しそうなんですけど。

 「大丈夫大丈夫!! ウズメちゃんは可愛いからむしろ野郎どもの心をズッキューンって掴んじゃうかも!」

 でも、私可愛くないから……。そんなことしたらただ気持ち悪がられるだけだと思いますし……。

 それを言うなら先輩の方が可愛いと思いますので先輩の方がいいんじゃないかな? と、薄々感じたけど今の先輩の眼はまさに太陽のように輝いているから拒否したくてもできないし……。

 まぁ? 確かに周りにいないからしても平気だと思いますけど?


 「どうする? ねぇどうするウズメちゃん?」

 あーもう!

 「分かりました、やりますやりますよ!!」

 「おぉー流石ウズメちゃん!!」

 「うー……」


 先輩は嬉しそうに横に揺れる。

本当に覚えといてくださいよ。

 私は大きく息を吸って、

 「わ、わー……」

 「ダメ! 声が小さい!!」

 「えぇ! わ、わーん!」

 「もっと!」

 「わおーん!」

 「恥ずかしがらずに!!」

 「わおーん!」

 「脇を閉めてお尻を後ろに突き出しながら尻尾を振り回す!」

 「わ。わおーん!」

 「それを五回!!」

 「わおーん!」

 「いいねいいね!」

 「わおーん!」

 「可愛いよ!」

 「わ―――――」

 「何をしているんです?」

 「わおー……ん?」


 「ウズメさん……。何をしているんですか?」

 そこにいたのは怖い生徒指導の先生でも野次馬でもなんでもない。むしろそのほうが良かった状況だったと思う。

 何故なら私の目の前には顔を引きつりながら反応に困っているチヒロさんの姿があるからだ。

 うん、私もそう思う。もし普段おとなしい友人がカラオケで激しい歌を熱唱していたら反応に困るように、まさしくチヒロさんはその反応に困っている感じになっている。

 まず、弁明しておこう。うん、それしかない。


 「えっとチヒロさんこれは……そのね」

 「あ! もしかして君がスズッチが言ってたご令嬢!? かーわいい!」

 「うぶっ!」 「先輩!?」

 先輩はチヒロさんを見るや否や飛びつく。

 「もーこんなにかわいい子がたくさんいると私部活復帰しても死んじゃいそうだよー」

 「あ、あのウズメさん、この方どなたで?」

 「えっと、部活の先輩……?」


 「もーウズメちゃん違うでしょ?」

 先輩はチヒロさんから離れ、今度は私に抱き着く。

 「私たちはね……切っても切れない関係なの」

 「誤解生むような言い方やめてもらえます?」

 「なるほど……」

 「チヒロさん?」


 チヒロさんは何を勘違いしたのか顔を桃色のような頬に染め、恥ずかしそうな顔を浮かべる。

 本当にチヒロさん何をお考えで?

 「お二人方は……そのようなご関係で」

 「いや、違うからね」


 それから私は色々とチヒロさんの誤解を解きながら部室に向かった。

 しかし私は先輩にされたあの行為を撮られているとは気づかず、それはまだ良かったけどまさかチヒロさんに一部始終を公開されるとは思ってもいなかった。この時チヒロさんに「お可愛いですね」と言われた。

 うん。嬉しいけど恥ずかしすぎる。

 もう穴に入りたい。


 で、今は部室に戻った後休憩中だったみたいで先輩やチヒロさんは喋ったりしてくつろいでいるけど私はその訳にはいかず、ただ今絶賛机に俯いているところです。

 その私を気遣ってかワラはさっきから私の目の前で猫じゃらしを揺らしてる。いや、まずそれどこで買ってきたの? で、なんでそれを私の前で動かしてるの? 

 「――――――」

 しかも心なしか規律に乗せて楽しそうに動かしてるし。本当にこれはどういう状況なのよ。


 「ねぇ、ちょっと突っ込んでいい?」

 「―――――?」

 「何で猫じゃらしを動かしてるか追及していい?」

 「―――――犬じゃらし」

 「いやそこ!? ……いやいやだから何でそれを動かしてるの」

 「―――――尻尾」

 「尻尾?」

 「これを揺らすと君の尻尾が同じように揺れるから」

 「ふぇ? え、ええとそれほんと!?」

 ワラは縦に頷く。


 いや…‥待って。これはワラが私を焦らしているだけかもしれない。現にワラはこんな子供じみたことなんてしない……多分。

 「――――――」

 「あのーだから動かすのやめて。なんか動物扱いされてる感じがするんだけど」

 するとワラは携帯を取り出してこちらに向ける。

 「もう、だからな―――――」

 「右」

 「うん」

 「左」

 「うん……いや、何よこれ」

 「――――――」

 ワラは携帯を少し触り、私に画面を見せた。

 携帯に映し出されていた画面には私がワラの持っている猫じゃらしの動きに合わせて尻尾を動かしている映像。

 いや、マジで恥ずかしいんだけど。


 まず、そもそもワラ何勝手に撮ってるのよ。

 「犬みたいだから?」

 「何で疑問形……もう、消しといてね」

 「分かった」

 ワラはそういってあっさり消した。何故か悲しい気分になる。

 うん、そんなにあっさり消さなくてもね……うん。

 そう私が哀愁な気持ちになっているとスズカ先輩が手を大きく叩いた。

 「じゃっ! 実験開始しようか!!」

 スズカ先輩は太陽よりも元気な声を上げる。

 「じゃまずは先輩の自己紹介から!」

 「へぇーだいぶ久しぶりだけどしっかり研究してるねぇー。よし! 私の名前は伊予大甘霙菊いよおほかんみのきくって言うんだ。よろしくね! そうだスズカッち。今実験どこまで進んでる?」

 「え、はい。今は先輩が去年出してきた五十年前の放線菌うがい薬化計画を続けてますよ」

 「おぉ! うちがたまたま先生の棚を物色している時に見つけて押し付けたのに続けてくれてるんだ!?」

 「はい、何回か中止になりかけたりしましたけどね」

 「――――――」


 どうしよう。先輩たちの話についていけない。

 「あ、オホウエ君は生物芸術の大丈夫?」

 「はい。問題なく進んでます」

 「ふふふ。いいよいいよー。部長権限乱用してできないの押し付けてるのにやってくれるなんて私泣いちゃうぞっ!」

 

 「あ、先輩が部長さんなのですか?」

 「おぉーチヒロちゃん良いこと聞いたね。そう! うちが部長だよ。部活自体は入試関連で行けないけどね」

 「なるほど」

 チヒロさんは満足したのか「ありがとうございます」と言って、一年組のお通夜の空気に帰った。この会話いつ終わるんだろう。


 「よし! もうこんなもんで良い?」

 「はい、では実験に入っちゃいましょう!」

 「おう!!」

 「――――――」

 そんな空気の中オホウエ先生は私たちの近くに来た。


 「なんか……乗るに乗れないけどがんばろか」

 「は、はい……」

 その時のオホウエ先輩の眼は私たちに同情を向けた視線だった。

 あぁ、オホウエ先輩も同じ空気になった経験があるのかな?


 ――――――――――――。

 ――――――。

 ――――。


 「よし! まずは唾液採取!!」

 「ちょっと待ってくださいどういう状況ですか!」

 先輩の活発の声を遮るように私は静止の声を出した。初めて出した大声だから喉が痛い。

 今の状況を確認すると私とチヒロさんはシャーレを持ってクリーンベンチ前に立たされ、目の前には一眼レフカメラを持った先輩に私たちと同じくシャーレを持ったスズカ先輩が先輩の後ろに立っていた。

 ワラとオホウエ先輩はシャーレを持ってとなりの電気顕微鏡室にいる。

 「どうしたのウズメちゃん?」

 「あの……唾液採取って直接培地につけるんですか?」

 「そうよ? そのほうがしっかりとれるし」

 「えっと……そうですよね。なら、そのカメラは何ですか?」

 「可愛い少女が唾液を採取してる画編隊たちの性癖掴めるでしょ? そしたら来る人が増えてたくさん採取出来て実験試料増えるじゃない」

 「唾液……唾液…‥」

 「いや、それは分かるんですが……ほら、チヒロさんを見てください。混乱してるんですが」


 そう、今私の隣には機械のように同じことを繰り返し、恥ずかしさの余り袖で顔を隠してるチヒロさんがいるのだ。チヒロさんはご令嬢なだけあって下品なことは耐性が無いのかずっと顔を真っ赤にしている。

 何だろう……今まで頼れるお姉さんみたいなチヒロさんがこんなに恥ずかしがってるの可愛い……。

 「ふふーん。うぶな子も結構画になるからねー。ほーら唾液出してー」

 「ええっと」

 「ふぇっ! ああいいやそのーああっとえ、ええええ?」

 「チ、チヒロさん!?」


 「あり? やっぱり恥ずかしすぎたのかなぁー?」

 「そら綿棒でも行けるのに敢えてやらないからじゃないですか」

 「ス、スズカ先輩―」

 私が嘆きの目線をスズカ先輩に送ると「ははは」と笑うだけ。

 で、おてんぱ娘こと先輩は諦めたのか、綿棒を私とチヒロさんに渡した。よ、ようやく普通の採取が出来るのか――――――。

 「なら、唾液直接は止めて綿棒とシャーレを持って可愛いポーズをしてもらって撮ろう!」

 「先輩終わりましたけどそちらは―――――」

 その時オホウエ先輩は待ちくたびれたのか教室に入ってきた。ワラはその後ろに続いて入ってくる。

 「あーこっちはまだだよー」

 「これ予想ですが先輩唾液募集の広告作成しようとしてません?」

 え、そうなんですか?

 先輩は図星だったのか汗をだらだら流す。で、それを聞いたチヒロさんは――――「唾液、唾液……ふぇー……」と、まだショート状態だった。

 もしこれだけのために時間を費やしたのなら本当に返して欲しい。


 それから何だかんだあって唾液採取が完了した。ちなみにあの広告の件は先輩が採取中盗撮して勝手に広告にしたみたいだけどこれはまた別の話。


 「よーし唾液きちんと培地に塗ってインキュベーターにいれたね。今日はこんなもんかな」

 先輩がそういうとスズカ先輩は腕を伸ばしながら――――――。

 「じゃー今日の部活はこれでお終いだねー。うん。じゃ解散!!」

 その声を合図に私たちは荷物をまとめ、部室から出た。

 

                 *


 それから一日が過ぎ火曜日。

 火曜日は今週最後の部活で色々と力がみなぎるかもしれないが、部活の実験自体検鏡しかしていない気がする。

 そんなのが毎日続いていたら同じ献立を毎日食べ続けるがごとく飽きてしまう。でも、

私は自分でもいうのもあれだけど単純な性格をしているのか何も苦労は感じていない。けどそういって私でも面倒くさいと思う作業がある。

 私は一回ため息をついた。

 「ねぇ……チヒロさん」

 「……どうしましたか?」

 「なんで私たち昼休みなのに部室で綿棒とシャーレ持って待機しているんだろ」


 そう、普段ならのんびりできる昼休みは始まった瞬間先輩が「ちょっとウズメちゃんとチヒロちゃん白衣着て今すぐ実験室に来て!!」と、興奮しながらやってきた。

 私とチヒロさんは何かあったのかと実験室もとい部室に来てみれば綿棒がたくさん入った袋と新聞紙に包まれたシャーレを私とチヒロさんに渡し、にやにやと笑いながら―――――。

 「今日唾液大量採取予定だからこれ持って待機しててね!」

 と告げて嵐のように去っていった。


 で、言われてから数十分過ぎているけど誰も来ない。ていうか昼ご飯食べた後の口に中純粋に汚いんだけど。

 もしそんなものが採取の時に出てきたら多分本当に怒りそう。

 「本当になんなのよ……」

 「あらら。口に出てますよ」

 「むー」

 そのあと、やはり誰も来ず、昼休みが終わり放課後となった。

 本当に何だったんだろうこの時間は。


 今日の放課後の部室には先輩を囲むように私とチヒロさん、とそしてスズカ先輩とオホウエ先輩が座っていた。

 先輩はしばらく紙に何かを書いているようだった。何だろうこの空気。スズカ先輩はスズカ先輩で表立ったことをせずオホウエ先輩もスズカ先輩と同じく黙っている。

 とても気になるんだけど。


 先輩は紙を書き終えたのか立ち上がる。

 「えっと今日の実験は……と言ってもうちがこれるのは今日と明日だけなんだけどね」

 「今日と明日ですか?」

 私が聞こうとしていたことをチヒロさんは先に先輩に聞いた。

 先輩は少し寂しそうに笑う。

 「そうだねー。うちはもう受験生だしね。それに受ける大学の試験は夏試験、秋試験、冬試験の三つの選考を合格しないといけないから来れる日ももしかしたら今年最後かもしれないんだよ」

 先輩は言い終えると「はーい重くなった空気はうちの元気で追い払うよ!!」と大声で言う。

 そして続けて。

 「では改めて今日の実験! 今日は昼休みにやった唾液採取はうまいこと行かなかったみたいだから一年生の諸君に抗菌試験の方法を伝授しよう!!」

 先輩は机の下に置いていたのか紙袋からストローを取り出す。

 スズカ先輩は少し驚きの顔を浮かべる。


 「え、昨日電話でしてた唾液採取本当にしたんですか!?」

 「うん。でもやっぱり無理だったよ」

 「で、ですよねー……」

 スズカ先輩は憐みの顔をこちらに向けた。

 先輩は大きく息を吸って――――――。


 

 「では、今から説明するからよく聞いてね!!」

 先輩はそういって説明を始めた。

 まず、抗菌試験の手順はシャーレに細菌培養液0.0005合(100㎕)を細菌用培地と酵母用培地二つに滴下し、コンラージ棒で塗抹する。

 そして放線菌を培養している培地をストローでくり抜いて検定シャーレ上に三か所置床するの。

 で、置くところは正三角形で十分に間をあけながら置き、計測はその三か所の抗菌作用円の直径の平均で換算する。

 用意するものは標準株の大腸菌など三株を用意。

 そして検定シャーレ三枚と放線菌を培養しているシャーレ一枚。

 最後はコンラージ棒とマイクロピペット。



 今回の実験は何かと難しそう。

 「ではでは! 始めようか!! 組は……ふむふむ。ちょうど先輩後輩三人ずついるからさらっと私が勝手に決めちゃうね!」


 で、決まった組は私と先輩。オホウエ先輩とワラ。最後にスズカ先輩とチヒロさん。

 あれ? シャーレは一枚ですよね?


 「ふふーん。一年生は何で三枚と思っているよね? それは簡単。実験はすればするほど信用度が上がるからよ!!」

 先輩は意気揚々と語る。

 しかしスズカ先輩とオホウエ先輩は何か言いたげな顔をしていたが何も言わなかった。

 先輩はそんな二人に気づいていないのかどや顔を浮かべる。

 なんだろう。これは信用してもいいのか?


 「では、時間勿体ないしパパっと済ませて終わりましょ」

 「あーうちがしたかったのに!!」

 悔しそうな声を上げる先輩を裏腹に、スズカ先輩の号令と同時に器具を用意して実験に取り掛かった。


 ――――――――――。

 ――――――。

 ――――。


 

 えーと…………。

 ピンセットでくり抜いた培地の寒天を取ろうとして言えるところだけどなかなかうまくいかない。

 これは決してクリーンベンチの風やガスバーナーのせいでも何でもなく、私が不器用なだけ。

 先輩はと言うと培地に細菌用培養液をシャーレに塗抹し、ストローで寒天をくり抜き私はそれを検定シャーレに乗せるだけの簡単な仕事をいただいたけど上手いこと取れない。

 「ゆっくりゆっくり……あ」

 また失敗した。


 「だ、大丈夫ウズメちゃん?」

 さすがの先輩も心配してくれる。

 「は、はい。大丈夫……大丈夫です……」

 「目が、目が死んでるよー……」

 「は、ははは。あ、また失敗した」

 「ウズメちゃーん……私がやろうか?」

 「……お願いします」


 先輩は何度も失敗する私を見て慈悲の心でお手本を見せてくれることになった。

 先輩は高尚にピンセットを使い、寒天を綺麗に掴み、培地に菌体が浮いている表面に反転させて置いた。

 凄い!

 先輩はそうしてまたもう一つ持ち上げてまた培地に置く。

 最後の一個を残して先輩は私に「ほら、やってみ?」と言った。

 出来るかな?

 私は先輩と同じようにピンセットを放線菌を培養している培地に持っていき、先輩がくり抜いた部分の外側の分け目から培地片を持ち上げ、粉砕してしまった。

 わぁ……何度培地片を真っ二つに分ければいいんだろう。

 先輩は若干から笑いしながら。

 「まぁ最初は慣れないからね。どんどんやっちゃいなよ!!」

 先輩は次々に培地にストローを突き刺していく。

 「えっ!? そんなにですか!?」

 「うん! さぁー! 失敗を恐れずにさぁー行こう!!」

 

 私は情けない声を出しながらもピンセットでつまんでは崩してつまんでは崩してを何度も何度も繰り返し。

 そして持ち上げれたと思ったらポロリと落として検定用培地を台無しにしたり散々な物だったけど、何とか無事に終えることが出来た。

 ちなみに先輩は最初元気いっぱいだったけど私の失敗具合を見てとても焦っていた顔は到底忘れられないだろう。

 


そして――――――。



 「良かった、良かったよー! 私てっきりウズメちゃんはピンセットを持てない呪いにかかってるのかと心配だったよー!!」

 先輩はとても喜んでいた。

 ん? 今ピンセットが持てない呪いって言いませんでした? さすがの私はピンセット持てたはず……持てた……。


 いや、そもそも小学校の高学年から、中学校全部通ってなかったから持ったことない。

 うん、私はピンセットも持ったことが無いからだと思ういやそうに違いない。

 「まぁーでも良かったよ」

 先輩は安堵の声を漏らし、腰を上げる。

「そっちはもう終わった?」

「はい、もう終わってクリーンベンチ内掃除しておきましたよ」

隣のクリーンベンチで作業しているスズカ先輩とオホウエ先輩は先輩にそう返す。

よしよしと先輩は頷くと私の袖を引っ張る。


「なら、私たちも終わろう!」

「はい」

「私がクリーンベンチ内の点検するからウズメちゃんは検定シャーレをラップにくるんでインキュベーターに入れておいて」

「はーい」

 私は先輩から検定シャーレを受け取ってラップでくるむ。そしてそれをインキュベーターに保存する。

 先輩が言うには抗菌作用があったら抗菌円と言う菌が繁殖しない場所がくっきり残るみたい。

 結果はどうなるかなー。


 「ウズメちゃんこっちに来てー!」

 「……? はいただ今」

 私はスズカ先輩に呼ばれ、近くいく。

 するとスズカ先輩は先輩目掛けて。

 「えっとここだとあれだからあの教室で話すから。先輩! ちょっとお花摘みに行きます!」

 「はーい! いっトイレー」

 そうして私はスズカ先輩に引っ張られトイレに来た。

 連れていかれた場所のトイレは古臭く、幽霊がだてもおかしくもない空気。

 そんな場所に連れてきて先輩は一体何がしたいんだろ?

 「えっとウズメちゃん」

 先輩はお淑やかにしゃべり始める。

 「明日なんだけど本当は部活無くて。先輩の入試を応援する会をするの。ワラくんとチヒロちゃんには言ってあるから」

 「そうなんですか?」

 「うん。だから明日の放課後なるべく早く来れる?」

 「えーと」

 私は懐から手帳を取り出して時間割表を見る。

 時間割では明日は数学。

 んーなら大丈夫か。


「はい、明日は数学なので大丈夫です」

「そうかそれは良かった。なら明日はあたし一緒に先輩を呼びに行って、実験室ではチヒロちゃんとワラくんが囲碁とか一万人一首を持ってきてくれるから」

「……あ、ゲーム大会みたいな感じなんですね」

「そうそう。料理は怒られちゃうからね。それに先輩はこういった遊びが大好きだから楽しんでくれると思うし」

 「なるほど……分かりました。では明日の放課後は一回実験室でいいですか?」

「ううん、それでお願いね! じゃっ、早く戻ろうか」


明日は先輩の入試合格祈願みたいな感じか。

そして明日は先輩が部活に来れる最後の日。そういえば思い返してみると先輩は私が中学二年生の時と同じ感じがしなくもない。

 もしあの場に先輩がいなかったら私はずっと引きこもりになっていたのかもしれないし、チヒロさんに会えなかったのかもしれない。


 本当に、私って先輩に助けられてばかりだな。

 明日、最後の日は精一杯先輩を楽しく遅れるように頑張ろう。


 そう私は心から思った――――――。



 ―――――――――――。

 ――――――。

 ――――。


 そして先輩が部活に来れる最後の日。

 空は既に日が暮れ時間は十八時過ぎになっている。

 教室の中は燃え尽きたチヒロさんと先輩が机に俯せになっている。どうしてこうなった。

 これが起きた原因は一万人一首とかいう国内で最も長い遊びの一つで、すべてしてしまうと長時間になるため二番目に枚数が多い人から二十枚差を付ければ勝利になるんだけど今回は最も珍しい決着がつかないまま一万枚やり切った。

 私自身ももう行動する気力何て残ってもいない。


 で、勝負の行方は先輩の勝利で獲得枚数は五千六百枚。二位のチヒロさんの獲得枚数五千三百九十枚。三位はスズカ先輩の七枚、ワラが三枚の私が0枚の結果だ。

 いや、ワラと言いスズカ先輩はあのチヒロさんと先輩の剣幕からどうとったのか聞きたい。

 オホウエ先輩に関しては先にこうなることを察していたのか読み手で参加しなかった。


 私はスズカ先輩の傍に行く。

 「あの、スズカ先輩。この後どうしますか?」

 「この後……ねぇ……」

 スズカ先輩は一息つく。

 「本当ならお菓子とか食べようと思っていたけどこんな時間だしもう帰らなくちゃね」

 「そうですか……」

 「でも、今日はこんなに盛り上がるとは思わなかったし企画して良かったわ」

 「スズカ先輩……」

 「まさか全然決着つかないで一万枚するとは思わなかったけど」

 

 スズカ先輩は明日を見る。

 一万一首は名前だけ聞いたことあるけどやったことは無い。それに歌もどんなのかも知らないし逆にどうやって暗記しているのかが気になる。

 オホウエ先輩は板をまとめれたのかそれを箱に納めた。

 それを境にワラは机に置いていた未使用の囲碁版をカバンに入れ、未だ頭から湯気を上らせているチヒロさんと先輩は私とスズカ先輩が無理やり起こす。

 チヒロさんの顔は人生をやり遂げた顔になっている。

 いや、まだ十代だから諦めたらだめでしょ。


 チヒロさんは一回大きなあくびをすると目を擦って辺りを見渡した。

 「あれ? あぁー……終わったのですね」

 同時に先輩も目を覚ます。

 「ん、んー久々に騒いで疲れちゃったねー」

 腕を伸ばしながら気持ちのよさそうな声を上げる。

 そして先輩は「そうそうちひろっち!」と言ってチヒロさんの方を向く。

 「凄いね! 私に対抗したのはチヒロちゃんが初めてだよ!!」

 そういったとたんスズカ先輩とオホウエ先輩が目を背けた。

 そうしたんだろ?


 「だってさー。スズカとオホウエ君とで一回部活内でしたんだけどすぐ終わっちゃうからねー。それに懐かしいのはスズカがサボりたい余りに毎回私に勝負を挑んできたのは面白かったよ」

 「ぶー! ちょっと先輩何言ってるんすか!?」

 スズカ先輩は口に含んで飲もうとしていたお茶を吹き出す。

 それは全てオホウエ先輩にぶっかかった。

 「おやおやー違うのー?」

 「ちーがーいーまーす!! てっ、それを言ったら先輩はあたしに『この実験どうよ? するのなら手助けしちゃうよ!!』とか言って次の日『ごめん、入試で行けないから頑張って!』とか言ったの忘れたとか言わせないっす!! それで一人にする羽目になってオホウエ誘ったんですから!! だから多少の安らぎは許されるべきだと思います!!」

 「あ、あー……。よし、さらば!!」

 「あ、逃げた!!」

 先輩は荷物を過ぎに整えると私の腕を掴んだ。

 「ちょっとウズメちゃん付き合って!!」

 「うぇ、えちょっと!!」

 私はそのまま先輩に引っ張られ、学校中を引きまわされ、最終的に庭園の池まで連れていかれた。


 日が暮れ、真っ暗になった庭園は虫たちの大合唱が始まっていた。


 リンリンリン。

 シャンシャンシャン。


 それぞれが個性を持った美しい調べは聞いてて癖になりそう。

 これは春にしか聞けない目覚めの歌だから希少な感じがする。

 それよりもどうして先輩はここに連れてきたんだろう?

 先輩はと言うと目を閉じてのんびり虫たちの歌を聴いていた。


 それから少しして先輩は満足そうに眼を開ける。

 そして少し間を開けて先輩は話し始めた。

 「ねぇ、ウズメちゃん」

 「はい?」

 「学校楽しい?」

 「まぁ、それなりには」

 「それは良かったよ」

 「あ……」

 先輩は私に後ろに回って優しく抱きしめた。

 「うちはさ、心配だったんだ。ウズメちゃんのことが」

 「どうしてですか?」

 「ほら、学校紹介の時うちと話している時、ずっとさ、今すぐ死んでもおかしくないような顔をしていたから心配だったんだ」

 「―――先輩……」

 「――――だから、うちに……もし良かったらだけど……話せるのなら話して欲しいな。うちはもう入試で貴女の相談にもう乗れそうにないから」

 「……相談です……か」


 私は自身の過去を振り返った。

 私の過去は余りも黒く、血なまぐさいものばかりだから封印したかったけど、それは永遠に頭の中に残って時折私を苦しめる。

 それは簡単に打ち明けたくても……。

 いや、まぁ……先輩なら良いのかもしれない。でも、私はあの時とは全く違う。


 「ありがたいですが大丈夫です」

 「……そうなの?」

 「はい。もう過去の出来事ですし……それにもうそれは遠い過去の話なので大丈夫です」

 「そう……か」

 「それに。あの時先輩がたくさんこの高校の楽しいところを説明してくれたからこそ今の私がいるので。むしろ感謝したりないぐらいですよ」

 「そ、そう。なんだろう。すごく恥ずかしい」

 先輩は顔を真っ赤にして私から離れる。


 私は先輩が言っていた通り中学生の時は今すぐにでも死にたかった。けど、縫お姉ちゃんや様々な人のおかげで今がある。

 そう、先輩もその人の一人。

 あの日先輩が私が興味を持つものを紹介してくれなかったら今が無かっただろう。

 もしも先輩がいなかったらと考えるとこんなにも破天荒な出来事やチヒロさんやワラなどの知り合い、部活動なんかも参加しなかったと思う。だから私は先輩に感謝しようにも仕切れない。


 「ウズメさーん!!」

 「あ、チヒロさんの声だ」

 庭園の奥からチヒロさんの声がする。

 そういえば私は先輩に連れていかれたんだった。

 「あの、先輩戻りましょ……ん?」

 先輩がいた場所にはものひとつも落ちていなかった。

 一体どこに?

 

 「あ、ウズメさん! スズカ先輩! オホウエ先輩! ここにいました!!」

  チヒロさんは先輩にそう声をかけると私の腕を優しくつかむ。

 「あれ? そう言えば先輩はどこに行かれたのですか?」

 チヒロさんは頭を傾ける。


 「あーそれは……その。気づいたらどこにもいなかったの」

 私はそう言いながら下に目をやると紙が落ちていた。

 そこに書かれていたのは。

 「『ごめんウズメちゃん! 入試に必要な資料まだ仕上げてなかったから先におさらばさせてもらうね!!』……は?」

 「どうしたので……え……」

 チヒロさんは私の手から紙を取り、見る。

 そして反応は予想通りの物だった。


 まさかの先輩との最後の話がこんなに暗いものなのは……ううん。そうでもないか。

 私はただ先輩にあの時のお礼を言ったまで。けど、これだけは言いたい。



 「結局先輩が受ける大学はどこなんだろ?」



                   *


 

 それから一日が過ぎ、今のんびりと今日最後の授業である国語の開始を待っている。

 チヒロさんはと言うと昨日のが体に堪えて居るのか普段より筆が走っていない。

 「はぁ、昨日は本当に疲れて……夜も眠れず寝不足です」

 「チヒロさん本当に疲れてるんだ」

 「はいぃ……。授業始まったら起こしてください」

 「後二分だけだよ……」

 「――――――」

 「あ、寝ちゃった」

 私はチヒロさんの体を揺さぶって起こす。

 しかしチヒロさんは深い眠りから中々目覚めず、むしろより気持ちよさそうに眠っている。

 うわぁーどうしよう。

 これどっちにしても私が起こさないといけないよね。

 

 ―――――――もしこの高校に入るんならいくらでも私に頼ってね!


 「――――あ」

 突然私の耳に先輩が中二の学校紹介の時に行ってくれた言葉が再生された。

 ……そういえば私は先輩にそう言われてたなー。

 「はーい皆さん授業ですよー」

 ちょうど国語の先生が教室に入ってきた。

 私はチヒロさんを何度も揺さぶる。

 「今日は外部講師が来ているんですよー。どうぞ入ってきてください。」


 「ん?」

 その時教室の扉が開き、中に老人が入ってくる。

 老人は山吹色の着物を身にまとっており、頭のてっぺんが綺麗に輪っかに禿げてる。

 そして特徴的なのはそれではない。

 顎髭がマフラーみたいに首に巻かれてる。


 老人は一回教室を見渡すと。


 「どうも私は中文乃御保猛なかふみのおほたける。この学校の図書室にも置いてある妖怪大全の編纂に参加した者です。今まで迎えた卒業生はもう数えきれないほどいますよ」

 あれ、このおじいさんの名前……。


 妖怪大全?


 まさかあれ編纂した人?

 いや、まさか。同姓同名の可能性があるのかもしれないですし、あまり深読みは良くないですね。

 だって卒業生だって迎えていますので――――――。

 その時一人の生徒が「先生妖怪大全のやつ誤植してません?」と言った。

 で、その教授は「あ」と腑抜けた言葉を漏らす。

 まって、もしかしてだけど……。

 本当に本人?


 「さすがだな君。そう、この私こそあの人生で一度も失敗していな有名でモテモテの文学者――――――」

「「「嘘こけ!!」」」

 教授の自慢話を遮って多分妖怪大全を読んだであろう男女複数人の生徒が突っ込みを入れた。



 ……今日もまた騒がしい一日か。


 この農業高校は何がしたい?

 そんなものは私には分からない。

 でも、もしこの質問を中学生などにされたらどう答えようかな?

 あの時……私が先輩に聞いた時の答えと同じように――――――。

 『え、えーと。なんだろうかな。詳しいことは分からないけどみんながみんな夢を目指して学べる高校だと思うよ』


 そう答えようかな。

 

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