第31話 私は何もやっていない
わからない。
どうして私が怒られて、どうしてこのオバサンは泣いているのだろうか。
私には何も、わからない。思考がすっきりとしない。
「橙堂先生。さすがにやりすぎです。この続きはせめて職員室で……」
「関係ないわ! 犯罪者に遠慮なんて必要ない! こいつは人を殺したのよ? うちの、うちの子をッ!!」
涙を流しながら、そのオバサンは私を指差してそう叫んだ。そしてそのまま膝から崩れ落ち、おんおんと、年甲斐も無く、子供のように泣き出してしまった。
「返してよ……うちの子を……返してよぉ……」
そう何度も何度も泣きながら彼女は呟いた。そんな彼女がいたたまれなく、周囲はその状況を静かにただ見守ることしかできなかった。それをしばらく見届けたあと、私の頭がようやく彼女の言葉を咀嚼し始める。
「金城くんを覚えていますよね? 先日の昼休み、一緒に黄泉路君に会いに行ったと聞いています」
そういって橙堂は後方で立ち尽くしていたオールバックの男子生徒を指した。その顔を見てようやく思い出す。金城とは、もう一人の短髪で金髪の先輩のことだ。
ほとんど睨むような私の目を見たそのオールバックの先輩は、私と視線が合うとすぐに、気まずそうに逸らした。それはまるで、目をつけられたくないかのように。本能的に、彼が私を恐れたかのように。
「黄泉路さん。覚えていますか?」
「……はい」
それは、覚えている。
「残念ながら昨晩、彼はご遺体で発見されました」
「え」
橙堂は本当に残念に思っているのか、わざとらしく首を振って悲しみを表現した。
「昨日、金城くんは黄泉路、君に会うために駅前で待っていたそうだ。それなのに君は会っていないと言う。おかしいな?」
まるで私が隠しているかのような言い草。完全に私を疑って掛かっているような言い方。周りを見渡しても、皆が私を奇異の目で見つめている。恐れている。
誰も味方はいない。皆、私が犯人だと思っている。
私は、何にもしていないのに。
私は……。
――『だったら大丈夫。あんたは誰よりも優しい人間になれるよ。絶対にだ』
駆け抜けるように、そんな言葉が走った。
昨日の、彼の言葉。あのあと寝るまで何度も何度も反芻させた言葉。
――『一人がいいなんて言うな。あんたには俺がいる』
何度も何度も噛み締めたその言葉が、私の心を、凛と強くしてくれる。
私を、護ってくれる。そうだ、もう私は一人じゃない。
だから、だから――
「私じゃ……ありません」
「ん?」
「私じゃ、ありません。私は誰も殺してないし、誰も傷つけていません!」
精一杯の抗議だった。
昨日あれだけ喋ったのに、やはりまだまだ人前で話すことに、慣れていないみたいだ。どれくらいの声をだせばいいかもわからず、少し怒鳴り気味になってしまった。 周囲の目が、少し気になる。
――でも、言った。私は、ちゃんと否定できた。変われたのかな。彼の言うとおり、強い人間になれたかな。この姿を彼に見て欲しい。そしたら彼は、私を褒めてくれるだろうか。あの強い眼差しで、私の味方をしてくれるだろうか。
「橙堂先生。これは少し酷いんじゃないですか? この件は、僕たちも親に話させてもらいます。武村先生、黙って見ている先生にも落胆しました」
そう、理路整然とした声が割って入る。それは教室の中心ですました表情で立つ衣笠美登里くん。彼の言葉に、武村先生が気まずそうに視線を下げる。
しかし彼の言葉に、橙堂はしばし考えるように黙り、
「勿論かまわんさ。でもね、君たち。こうやって金城くんのお母様が泣きながらここまで訴えていらっしゃるんだ。その気持ちを無下にすることは出来ないだろう。だからここではっきりさせようじゃないか。なあ、黄泉路。君が彼を殺していないということはわかった。勿論私もそう思っている。じゃあ、答えれるだろう。昨日、君は金城君に会っていないんだね?」
君の無実を証明するためだ。と、橙堂はわざとらしくそう付け加えた。
私は、やっていない。そんな記憶は無い。でも私は、何も覚えていなくて。金城という先輩にあったかどうかも……。
「――ッ?!」
……覚えてない。
この感覚、前にも経験したことがある。
どうしてか、ぽっかり記憶が抜けていた事。
それは私の両親が殺された時。病院で目を覚ました私は、両親が殺される直前から、目を覚ますまでの記憶を、失っていた。でもあれは両親の死を目にして、ショックで記憶を失ったのだと、そう説明された。そして私もそうだと思っていた。
でも――。
「君の身近で、二度も残酷な事件があったんだよ。殺人犯を君も捕まえたいだろう?
だから、教えてくれ。人をバラバラにしてしまうような凶悪犯だと、君も思われたくないだろう?」
「……バラバラの……遺体……」
そうだ、それも同じだ。私のお父さんとお母さんと、同じ殺され方。
両方とも同じ殺され方をして、そして両方とも私の記憶はその部分だけ、抜けている。
それはつまりどういう事? 私が、殺したってこと? 無意識に、私が……。
「わ、たし……違う……私は、何も……」
どうして、どうして思い出せないの? つい昨日の事じゃない! 会っていない、ただそう言えれば私の無実は証明されるのに、どうして思い出せないの?
「それは聞いたよ。で、会ったのか会っていないのか、どっちなんだ?」
「……覚えて……無い……」
頭が、痛い。
「では金城くんに、会ったんだね?」
「橙堂先生、それ以上は……!」
うるさい。
うるさいうるさいうるさいウルサイ!
私は、私は何もしていない!
彼だってそう言ってくれた!
信じてくれているんだ!
「いい加減にしてっ! いつまでも嘘ついて逃げてんじゃないわよ! うちの子を返してよ! この、人殺しッ!!」
やめて。そんな目で、私を見ないで。
皆、私をそんな目で見ないでよ!
「もういい。ここで話しにくいということなら、仕方が無いが職員室で話そう」
そう言って橙堂が私の腕を掴んだ。
――掴んだ。
「――ッ」
どくんどくん。
どくんどくん。
心臓が、大きく鼓動しだした。
さっきまで、彼のことを想って動いていたはずの私の心が。
何故か今、そしてさっきよりも強く、鼓動する。
「武村先生。生徒に気付かれないように警察を呼んでおいてください」
「しかし橙堂先生、それは……」
どくんどくん。
どくんどくん。
心臓が、痛い。
やめて。離して。離してよ!
私は、私は誰も――コロシテナンテイナイ!
「触るなッ!」
勢いよく橙堂の手を振り払った。
私の急な怒号に、橙堂だけでなく、全員が私を今度は恐怖に満ちた目で見つめる。
その眼差しが、酷く痛かった。私の心臓をえぐるような視線。
これが私がずっと目を逸らし続けて、逃げ続けていたもの。見ないフリをしてきたもの。それが、今私を取り囲んでいる。
「そんな目で、見ないで! 私は、何もやってない!」
それだけを叫び、走り出した。何処に行くわけでもない。何処に行きたいわけでもない。とにかく、走って逃げたかった。この場から。この視線から、逃れたかった。
「おい、待て!」
橙堂の呼び止めを振り切り、未だ奇異の目を向け続けるクラスメイトの横をすり抜け、後ろも見ずに走った。廊下に飛び出て、前を向いた。
そうだ。私は逃げたかったんじゃない。
探していたんだ。
彼を。
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