第20話 見え始める真実

「やっぱり……ないですね」


 そう言いながら、三彩希が図書室の宗教・倫理コーナーにあった本を一つ棚から取り出す。ペラペラとめくってはみるが、やはりそれは日本の神道の本で、それらしいワードは引っかからなかった。


「ねぇいいじゃん」

「ちょっとやばいってぇ」


 近くから、小さく会話する声が聞こえる。

 そのいやらしさを孕んだ声に、三彩希は目の前の棚に並んだ本をごっそりと抜き取った。そしてその隙間から奥を覗くと、図書室の死角になるところで、男女のカップルがほとんどベッドの上で絡み合うかのような様子で顔を近づけているのが見えた。

 ごくりと生唾を飲み込みつつ、わずかな隙間から視線を送る。

 二人はキスをしながら、男の手がするすると女の股間へとのびていく。女はそれに抵抗するように男の手を掴んでいた。

 とその時、三彩希は持っていた本を床へと落としてしまう。


「しまっ――」


 片目を強く瞑り、ゴトゴトと本が床に叩きつけられる音を聞き遂げる。おそるおそる本棚の隙間から男女を見ると、既にそこにはいなかった。


「はぁ」


 ほっと胸をなでおろしつつ、落とした本を拾い上げる。

 なんて破廉恥な。学校という神聖な場でよくもまぁ。などとおばさんのような言葉を心の中で吐き出す。すると、床に広がった本の一冊には、男女がまぐわう宗教画が大きく載せられていた。


「こにゃちくしょう!」


 まるで自分をそちらの方向に誘導されているかのように感じ、三彩希は本を勢いよく閉じた。


「カラーバス効果というやつか」


 そう自分の状況を科学的に分析してみる。


「こんなことしてる場合じゃないの」


 繰り返し苛まれる煩悩に何度も打ち勝ち、三彩希は本を適当な棚へとしまいなおした。


「その本をそこにしまうな」


 背後からかけられた声。少しかすれ気味の、しかしそれでいて高圧的なその声。

 三彩希が恐る恐る振り返ると、そこには白いスーツを身に纏った橙堂だいだいどうがポッケに手を突っ込んだまま三彩希を見下ろしていた。気づかなかったが黎に負けず劣らず、背が高い。


「えっと」

「その本は上の棚だ。間違えるな」

「す、すみません……」


 三彩希は勢いに圧されるように、今しがた適当にしまいなおした本を数冊持ち上げる。


「全く。最近の子供は物をあった場所に戻すことすらできんのか」


 背後からそんな言葉が浴びせられる。その後も、聞こえないレベルの愚痴を、ねちねちと喋っているのがわかった。授業中だけでなく、こういった時も性格が悪いらしい。


「あのー先生は、どうしてここに?」

「いいから手を動かせ。私は図書室の管理を任されている。ああもう、こっちもまた適当に置きやがって」


 そう苛立ちながら橙堂が離れていく。橙堂は棚の一番下にある本をしゃがんで取り、それを一冊一冊正しい棚へと戻していった。


「……神経質? というか、潔癖症?」


 律儀に本を整えなおす橙堂を見てそうつぶやく。確かにいつも真っ白な衣服に身を包み、眼鏡もことあるごとに拭いている。他人を許容できないのも潔癖症のよくある末路だと聞く。


「貴様こそ、ここで何をしている」


 生徒を貴様呼ばわり。いちいち三彩希は目くじらを立てはしないが。


「少し調べ物を」

「調べ物? どうせまたくだらないものだろう」


 言って橙堂は鼻で笑う。


「聞いているぞ? ネットかなにかで醜態を晒しているそうだな?」

「醜態……」


 黎にだったら言い返したが、なにぶん相手は教師でいつ切れだすかわからない偏屈ものだ。言い返したい気持ちをぐっとこらえる。


「稼げるかなにか知らんが、少し人ととしての矜持プライドを見失っているんじゃないか? 将来自分の子供になんと伝える気だ。一生残るんだぞ」


 その言い方には腹が立ったが、よくよく考えれば橙堂はまっとうなことを言っていると気付く。あながち、彼が教師だというのも間違ってはいないのだろう。


「まぁいい。貴様の人生がどうなろうと知ったことではないが、うちの生徒に余計なことを吹き込むんじゃないぞ。学業がおろそかにされては困る」


 そこまで言われて、ふと気づく。


「そういえば橙堂先生は、日本史の先生でしたよね?」

「そうだが? なんだ、質問か? 次のテストについては何も答えんぞ」

「それは大丈夫です。えっと、先生は心道と言うものをご存知ですか?」


 視線を別に向けていた橙堂の瞳が、やっと三彩希を向いた。


「心道? もちろん知っている」

「本当ですかっ?」


 さも当然のように返され、三彩希は少し驚いて聞き返した。


「当り前だ。地域史は私が推奨して教科書に取り入れさせたからな」

「じゃ、じゃあ詳しいんですか?」

「……何のために調べている?」


 おそらくそのことに興味を持つ人間はほとんどいないのだろう。三彩希が興味を示したことに、橙堂は訝し気な視線を向ける。


「ちょっと今取り扱っている事件で、そのことが出てきたので……」

「黄泉路の事件か」

「えっと……」

「何をいまさら隠す。貴様が初日に教室で大々的に宣言したことは周知の事実だ」


 あっちゃーと三彩希は心の中で頭を抱えた。周りにのせられて勢いで宣言してしまったことをいまさら後悔する。


「まぁいい。なんであれ、この地に引っ越してきてこの地のことを学ぼうとするのは良いことだ。心道であれば、地域史で何か文献があるやもしれん。日本史のコーナーに少しだけあるから、そちらを探してみるがいい」


 ツンデレなのだろうか。なんだかんだと、教えてくれる橙堂にすこしだけほっこりする。橙堂が歩き出したので、導かれるように後ろを追いかける。


「心道という宗教は知れば知るほど面白い。世界各地にはそれぞれマイナーな宗教や文化があるが、心道はその中でも消された歴史として有名だ」

「消された歴史?」

「そうだ。おかしいと思わないか? 確かに存在したはずなのに、どこにもそれを扱った情報がない。この地域の歴史にごくわずか登場するだけだ」

「確かに……」

「地域史はそのあたりだ。気が済むまで探せばいい。調べれば、多少はわかる」

「ありがとうございます」


 いちいち尖った者の言い方しかできないのだろうか。とはいえここで橙堂といさかいを起こしても何の得もない。三彩希は愛想笑顔で橙堂をやり過ごし、地域史のコーナーを物色し始める。


「神様にいてほしいか?」


 まだいたのか。背後から橙堂が話しかけてくる。突然何の話だ、と三彩希は困惑する。


「どういう意味ですか? 宗教は肯定しますが、神仏は否定します。まぁネタになるので利用はしますが」

「そうか。ならいいんだが、私には貴様が神の存在を必死に追い求めているように見えてな」

「はい? どういう意味ですか?」

「そうでなければ、父親の死に納得できないんだろう?」

「っ」


 どうして、その話を。

 三彩希は、おそるおそる橙堂を振り向いた。


「知っているぞ。親の都合というのは嘘だ。沖縄くんだりからわざわざこんな田舎まで引っ越してきたのは何か理由があるからだ。しかも一人暮らしをしてまで。そこまでしてこの事件の真相を追う理由はなんだ? それは黄泉路蜜への興味は同情か? それとも――」

「関係、ありませんっ!」


 叫んだ。叫んでいた。静かな図書室に、きぃん、と三彩希の声が響き渡った。


「なんなんですかあなた……教師としてあるまじき発言ですよ」

「貴様のような子供が、教師を語るか? 実におもしろいな。今度の動画とやらで講義をしてくれ」


 ぎりり、と唇の端を噛んだ三彩希。橙堂は少し満足したように小さく笑い、


「図書室で大声を出すなよ。次やったら、内申点に響くぞ」


 そう捨てセリフを残して去っていった。

 おそらく以前赤っ恥をかかされた仕返しをしに来たのだろう。黎へやり返すには骨が折れると踏んで、三彩希を狙い撃ちにしたのだ。だったら感情を逆なでても相手の思うつぼだ。三彩希は振り切るように頭を振り、再度地域史のコーナーを探し始める。


「お」


 そこに、地域の宗教史という少し黄ばんだ白い本を見つけた。手に取り中をめくると、


「ビンゴ」


 心道という文字があちこちに散見される。これだと確信して、本を持って読書スペースへと向かった。

 目次を見ると、求めていた通りそれは『心道』について研究した本だった。

 ペラペラと捲っていく。読み進めていくと、写真やイラストなども載せられていて、かなり深いところまで研究されているようだ。その写真の中に、見覚えのあるものを見つけた。壁に設置された神棚のようなものに、天井に貼り付けられた紙に書かれた「白」という文字。


「やっぱり、黄泉路家にあったのは心道の神棚だったんだ」


 食い入るように読み漁る。本によれば、神棚では太陽を崇めることで光をもらい、死者に明かりを灯すことを絶やさないようにする必要があるらしい。そうしなければ死者が黒い心を持った化物になって夜に生者を襲いあの世に連れて行ってしまうという。そして生きている人間もまた、光を絶やすと理性無き獣に戻ってしまう。「白」という文字は太陽のことで、天井にそれを書くことで疑似太陽としているのだそうだ。そういう意味では「天」や「空」と同じ役割があった。向日葵は、常に太陽の方を向くと言う意味で、供花として多用されていたようで、かつて心道の信者が寄り集まった村々では、壮大なひまわり畑を栽培していたようだ。

 さらに、白や黒と色で表現するのがこの心道の特徴的な部分のようだ。白と黒はイコール光と闇と置き換えていいだろう。しかしこの宗教であえて色で表現するのかはわかっていない。


 だがしかし、心道ではすべての人の心には色がついていると信じられていた。


 白に近ければ善で、黒に近ければ悪。

 信徒はみなその見えもしない心の色に思いを馳せ、より白く美しく、つまり神に近くあろうと日々太陽に向かって祈っていたようだ。


「心に色ねぇ。そもそも心なんて物理的に存在しないんですがそれは」


 心の中であざけ笑いながらさらにページをまくっていくと、それは次第に狂気を帯びてくる。

 大昔の白黒写真が載っており、そこには当時の心道の信徒が寄り集まった村の様子や祭壇の様子などが映し出されていた。が、明らかに見目好ましいものではなかった。心道はいわゆるカルト集団的な扱いを受けており、忌み嫌われていたようだ。生贄として子供の身を捧げたり、時には身内同士で殺し合いなどもしていた。


「あっ、これ……!」


 目を瞑りたくなるような用語や写真の中に、首や手足が裂かれた無残な遺体の写真があった。黄泉路夫妻の殺され方と同じだ。写真には「村の儀式で使用された供物=戒」とキャプションが併記されている。

 信徒たちは、いましめと呼ばれる供物を対価として、神との対話を試みていたようだ。しかしそれに至る人材は数少なく、ごく限られた神と対話できたものは、神の力をその身に宿すことができたという。


「よそで言うところの預言者的な感じかな。モーセが海を割ったみたいな」


 その信徒の村は閉鎖的で、村に入った者はそのほとんどが生きては戻ってこなかったと言う。時には調査員がそのまま供物に捧げられていたようだ。しかし結局、旧時代的な村は近代化を迎える日本の中で存在を維持することができず、時代の流れに飲み込まれる形で消え去った。その時代は明治の終わりから昭和の戦時中頃で、その理由はダムの下に沈んだだとか、戦時中のいざこざで近隣の町の人たちに滅ぼされただとか、秘密裏に政府から消されただとか、尾ひれがついた噂ばかりで何が真実かはわからないという。筆者もまた、その真実を追っているとのことで、その本は締めくくられていた。


「消された歴史、か。カルト集団ってのはどの時代にでもあるものだしそれはさほどおかしくはないんだけど……」


 心に色がついているだとか、ほとんど情報が残っていないことだとか、気になる点は多い。


「でもなんとなく繋がってきた……バラバラの遺体に、供物……そして黄泉路家にあった心道の仏壇……」


 三彩希はその本を手に持ち、図書室をあとにした。

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