第2話 黒い髪の少年
白い楕円形の物体に入った亀裂から、黄色い艶玉がフライパンの上に零れ落ちた。
黄色い玉を包む半透明の液体が、激しい熱に熱せられ、あっという間に白く染まっていく。そこに白と黒の不均等な粉粒がシャワーのように浴びせられる。白い煙があふれ出るフライパンに蓋がかけられ、煙が閉じ込められる。それはアッと今に灼熱のサウナを作り出し、その中で黄と白の塊が形を平たく固めていく。
「やば、焦げる」
コンロの火を止めた少年は慌てて蓋を取り、フライパンの中で美味しく食べられるために形を成した玉子――もとい目玉焼きを茶色く焼けたパンの上に載せた。
ぷるん、と黄色い黄身が慣性を持って揺れ動く。
少し焦げ付いた目玉焼きの上から、白いマヨネーズを格子状にかけ、少年は満足気にそれをのせた決して綺麗とは言えないお皿を、テーブルの上に置いた。
「完成。ぷるぷるプレミアムエッグトースト。withお兄ちゃんの愛を添えて」
「んまそっ」
それをテーブルで待ち受けていたのは、その黒髪の少年の歳の離れた妹で、、見た目は小学生かそれ以下に見える。少女は届けられたその目玉焼きトーストにかぶりついた。彼女は満足気にそれを何度か咀嚼し、兄を見る。
「んまっ」
「鼻、ついてるぞ」
妹の鼻についたマヨネーズを指に取り、少年はそれをぺろりと舐めた。
「んっま。小春の味がする」
「コハの? おいしい?」
「今日の晩御飯は小春にしよ。うんそうだな」
「や~~~!」
「逃げるな! 鍋に入れ~!」
きゃっきゃと笑いながら椅子を降りて走り出した妹の小春を、少年は少し追いかけた後、彼女を抱き上げる。
『昨日神社でお百度まいりしてきたんです。本当に良かった』
不意にテレビから聞こえた声に視線を向ける。それは朝のニュース番組で、どうやら難病にかかった娘の手術が成功したそうだ。その喜びを、手にお守りをいくつも持った母親が涙ながらに伝えていた。
「あほらし」
しかしそんな感動的なシーンを、少年は「はっ」と乾いた笑いを込めて吐き捨てるように言う。少年はその番組が気に食わなかったのか、チャンネルを取りテレビを消した。
「じゃあ俺学校行ってくるから、いい子にな。いい子だけど。母さん起きて来たらおはようって言っといてくれ」
「や!」
「こいつ! 食っちゃうぞ!」
少年は抱き上げたまま小春の鼻にかぶりいた。
しばしの間そうやってきゃっきゃと戯れていた二人だったが、いよいよ時間になり少年は自室に戻って何も入っていなさそうな縮んだカバンを、案の定軽々しく持ち上げた。
「ん」
家を出ようとした黎に、小春が何かを差し出した。それは紙を切って作ったバッヂのようなもので、子供の作りの雑なものではあったが、黎はそれを慈しむように受け取る。
「嗚呼、これで5年は寿命が延びた」
黎はお礼にと小春の頭を優しく撫でた。
「じゃあ行ってきます」
「いってら!」
少年は紙バッヂをポケットに入れ、小さく微笑み返す。そして正面に向き直った黒髪の少年は、先程の笑顔がまるで嘘のように、サッと冷めたような冷たい表情になった。
まるで外の世界には、何も希望がないかのように。
まるでその日、彼は戦地に赴くかのように。
少年が扉を開けると、そこに陽の光が正面から突き刺さった。
「うざ」
そう迷惑そうに毒を吐き、
「さて、今日も楽しくなりそうだ」
黒髪の少年――
〇
学校までは自転車で約二十分。
黎はいろいろあって隣の市の高校を選んだわけだが、この距離は中々にめんどくさかった。近いわけでもなく、遠いわけでもない。
彼は経済的な理由も含め、自転車という方法を選ばざるを得なかった。しかし自転車は体力を使う。それが自転車が古くてペダルが重いとなればなおさらだ。やはり気分的には電車で行って、歩いた方がまだ楽な気がしていた。
そんなことを考えながら今彼が自転車で走っているのは、どこにでもありそうな田舎の土手道である。人は全くいない。会社員が通勤で使うような道でもないため、こんな時間に道を行くのは、彼と同じ様に自転車で学校に登校する人間か、朝の運動をする老人くらいなものだ。とかなんとか適当な事を考えていれば、土手を降りるところまできた。そこを降りれば、あとは三分くらいで学校へと着く。
「……ん?」
――と、坂道を下ろうとした瞬間、黎の目の端に何かが映った。坂道とは反対の、土手の下で川辺に佇む少女を見つけたのだ。黎はおもむろにそちらを振り返った。
その少女は黎と同じ
それは、まるで洗練された一枚の絵画のようだった。
題目――『川辺に佇む少女の後ろ姿』。無名の画家が、死ぬ直前にかつての想い人を忘れられず、最後にその唯一の後悔を描いた。そんな悲壮感を感じさせる光景。その光景に、黎は何故か見蕩れてしまう。何故か哀しいと思える、そんな光景。そんな後姿。
するとその時、強い風に吹かれてその女子のけして長いとは言えないスカートがはらりとまくれ上がった。
「白か」
黎が一人ぼそりとつぶやく。冷めた瞳を向けているが、ラッキースケベ万歳だった。
――と、その瞬間、その女生徒がこちらを振り返った。一瞬、黎は視線を逸らすべきか迷ったが、それはそれでわざとらしいかと辞めた。女生徒はゆっくりと川辺から黎の方へと近づいてきたかと思うと、しかしそのまま真っすぐに黎を一瞥することなく過ぎ去っていった。
まるでそこにいた黎になど全く気が付いていないかのように。
「なんだよ……つまんね」
なんて変わらない冷たい言葉でぼやいた。
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