第二話


 翼が酔っ払って寝たので、私は一人で酒を買い足しに行くつもりで外に出た。夜中の二時だった。虫が泣いていた。電灯には蛾が群がっていた。お金は母親から頂いたニ千円。ついでに煙草を買ってきて欲しい残りはミー君が好きにしてとのことだった。いつも働いていない母親。そのお金の出所は分からないが、特別金銭に困っている様子もなかった。

 玲夢ちゃんが住むこの集団住宅団地一階は角部屋で、隣の部屋とはエレベーターとエントランスを挟んでいる。また逆側には簡易的な砂場とその中央に小さな滑り台があって、花火や吸殻などのゴミが捨ててある。

 この家の鍵は、年中掛かっていないし誰も掛けない。だから私たちの同級生や、由愛や佑介兄ちゃんの連れまわりのまたその連れとか、とにかく誰でも、どんな時間だろうと関係なく入ってくる。ここはそういう家だ。過去にこの家に住み着いて、誰かの財布が無くなったとか、誰かが誰かと揉めて住むことが出来なくなったことがよくあった。私はまだ外側にいて、このような状態に陥った家を心の片隅で情けないと思っていた。ここの家に群がる奴も、それを受け入れる奴らも何故か、弱き者たちが集う墓場だと思っていた。

 だけど私もいつの間にか高校を辞めて、身内と喧嘩をして逃げるように今ここの家に世話になっている。気づけばもう弱き者たちの墓場だとは思わなくなっていた。むしろ突然の家出を受け入れてくれた暖かさとその懐の深さに感謝を覚えたほどだ。

 私は小学五年生のとき、一度だけここの家に寝泊まりしたことがあった。母親と父親と亮介兄ちゃんと佑介兄ちゃんと翼と由愛と玲夢ちゃんの皆で鍋を囲んだ。

 長男の亮介兄ちゃんと佑介兄ちゃんもまだ中高生で、由愛は小学生で玲夢ちゃんも幼児だった。部屋も比較的綺麗で、所謂普通の家庭だった。だけど玲夢ちゃんの家がこうなったのは、確か三年くらい前だったと思う。私が中学二年生のころ、翼が突然、学校に来なくなった。久しぶりに見た翼は金髪坊主になっていた。理由を聞いたらいつも厳格な父親が捕まったとのことだった。ちゃんとした経緯はよく分からないが、父親は裏社会関係との繋がりがあるのは、私も何となく感じていた。顔が強面で、声が大きくて、酒を飲んで真っ赤な顔をニコッとさせた顔がわざとらしくて逆に怖かった。

 翼も父親の喜怒哀楽に随分と振り回されているのをよく愚痴っていた。たしか門限は六時とかだったと思う。実際に私が寝泊まりした経った一日の夜中の三時頃に十人以上の警察官が家に入ってきたことがあった。その時は、父親の喧しい声と警察官の宥める声で目を覚まし、横で気楽に寝ていた翼を起こして訳を聞いたら、母親は暴力被害で何度も警察を呼ぶことがあって、いつものそれだと言ってまた普通に眠ったことがあった。

 そんな経緯もあってか、家族は父親の逮捕を待ち望んでいた折に、念願の刑務所行きが決まって極度な束縛生活から解放されたのだ。


 コンビニで頼まれた煙草と自分用の酒を買ってから近所の公園で煙草を吸ってから帰ることにした。ベンチに腰掛け、ビニール袋を慎重に置いた。スエットから煙草とライターを取り出して火をつけた。吸った。静かな夜だった。ぼんやりと電灯に照らされた花火禁止の看板を見ていたら遠くから鈍い音が夜を鳴らしていた。

 音は近くまでやってきて夜を割りながら公園を通り過ぎた。

「あ」

 私はそれが誰だか分かって、青い電飾が目立つ原付バイクを眺めていた。乗り手はヘルメット無しの由愛で、後ろには友達の銀髪女が乗っている。あれは翼の原付だった。そして私は身に覚えのない怒りとやるせなさを感じ、煙草を指で弾き飛ばして公園を去った。火種は消さなかった。


 駐輪場で煙草を吸って待っていたら音が帰ってきた。エンジンが切れて、女どもの声が私を呼んだ。

「ミー君どこ行っとったん。心配してコンビニ探しに行ったけどおらんしさ」

 銀髪女もバイクから降りてきて私に近づいた。知らない顔だった。そしてその後ろから更に小さな身体が現れて私に抱きついてきた。

「ミー君どこいってたんよう」

「玲夢ちゃん、もう原付なんか乗ったあかんで。分かった? 由愛も玲夢ちゃんにドラえもんなんかさせんな。事故ったらどないすんねん」

「玲夢が乗せろ乗せろうっさいから乗せただけやん。由愛にいちいちキレんといて。そういうとこ、ほんまに、キモいで。行こ」

 由愛は足裏を強く鳴らしながら銀髪女と家に帰って行った。

「ミー君おこってるん」

「別に。でも玲夢ちゃん、原付はほんまにあかんからな。死んだらどうするん。怪我したら痛いで」

「べつに玲夢しんでもええし」

 玲夢ちゃんはケッケッケッと笑いながらコンクリートに生えていた雑草を抜き始めた。その後ろ姿だけは相応のものに思えたが。

「じょうだんやん」と嫌ににやけて振り返った顔は、不相応なものに思えて私は何故か目を背けて夜を見ていた。零夢ちゃんの前歯がいつのまにか一本抜けていた。


 クリスマスのことである。家には総勢二十一人の人が集まっていた。私と翼の同級生や後輩たち、佑介兄ちゃんの連れ周りが集まってきて、その彼女とかもいた。室内は白い煙が終始絶えることなく充満していた。この日はクリスマスたこ焼きパーティーだった。

 リビングと子供部屋二つと和室に人が別れ、酒を飲んで騒いでいた。

 そしてこの日は玲夢ちゃんの誕生日でもあった。

 ケーキを買いに行った母親と佑介兄ちゃんの友達である兼続君たち二人を待っている間、先に前祝いが始まった。

 リビングの電気が落とされ、テレビの灯りと誰かのスマホライトが一つ天井に向けられていた。

 そして翼や私の同級生であるヨッシーの頭には、七本の爪楊枝が不安定に刺さっていて、その先端に翼がライターで火をつけていく。ヨッシーは生まれつき天然パーマが強く、よく皆からはパンチパーマとかチリチリボンバーヘッドとか言われていた。ヨッシーはそのことを酷く気にしていて一時、縮毛矯正をする為に熱心に美容室に通っていたが、それでもどうにもすることができないので最近は諦めてもいた。

「よっしゃ出来た。皆歌うで」

 何十人の声がハッピバースデートゥーユーと重なって玲夢ちゃんを祝った。歌い終わって玲夢ちゃんは嬉しそうにヨッシーの頭に刺さった七本の燃えた爪楊枝に息を吹きかけた。爪楊枝は三本だけ消えて、残りは中々消えなかった。玲夢ちゃんは懸命に息を吹き、すると二本の爪楊枝が横に倒れてヨッシーの髪の毛がチリチリと燃えて、ヨッシーがそれを慌てて腕で払って皆が笑った。

 電気がついても皆が笑っていて、玲夢ちゃんを祝ったり写真を撮ったりしていた。玲夢ちゃんはヨッシーと何度もジャンプしたり誰かが流した音楽のリズムに合わせて踊ったりして喜んでいた。

「ただいま」と母親と兼続君が帰って来て、皆が二人に道を開けた。茶テーブルの真ん中にケーキを広げた。プラチョコには「玲夢ちゃん7才のお誕生日おめでとう」と書いていた。

 私は冷蔵庫から酎ハイを適当に四本とって、和室に行った。友達と喋っていたヨッシーに声を掛けた。

「お疲れさん」

「どうも。俺らも乾杯しましょか」

 ヨッシーは寂しそうな細い目をしていた。リビングからは玲夢ちゃんのうまあという嬉しそうな声がよく聞こえてきた。

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