赤く染まる教室と、黒く染まる机と

さーしゅー

赤く染まる教室と、黒く染まる机と


「私は三井君のことが大好きです!」


 夕陽に赤く染まる教室で、私は三井君に告白した。


 黒板の横にかかる時計は、五時過ぎを指していて、ふたりっきりの教室は張り詰めたように静かだ。


 私の目の前にいる三井君は、いつも元気で明るくて、少し不器用だけど優しい私のクラスメイトだ。


 恋したきっかけなんてほんと単純で、居残りで宿題をしていた私に、勉強を優しく教えてくれたことだけ。


 でも、それだけだったとしても、今は彼が友達と話す姿を遠くから目で追ってしまうし、その時ふと目があってしまうだけで心臓がドクンと跳ね上がり、すぐに目を逸らしてしまう。


 私は三井君に恋をしていた。



 でもその時は、遠くから彼を目を追っているだけで十分だと思っていたし、告白なんて考えもしなかった。



 だけど一ヶ月経った今日、迫られて気持ちを伝えることにした。もっと惨めになってしまう前に、私を見て欲しかったからだ。

 


 私は真っ赤な教室で、ひとことを口にして思いを伝えると、俯きながら彼の返事を待つ。


 下を向いた私の目には、彼の少し泥のついた靴が映り、そこから横に向かって影が長く伸びている。真っ赤な夕陽は、その影をより黒へと染めていく。


 私の心臓はこれまで経験したことないほど早く脈を打ち、待っているだけでも心が苦しくなる。


 だけど……


 待っても待っても返事は聞こえなかった。


 彼は下を向いたまま何も言わず、教室から逃げるように去ってしまった。返事さえまともに無かった失恋に、私はその場で立ち尽くす。


 「付き合って下さい」までおこがましい事は言わないから、せめて想いだけでも受け取って欲しかったのに……


 やっぱいじめを受けているみじめな私とは関わりたくないのかもしれない。


 

 * * *


 事が起こったのは四週間前。それは三井君を好きになった後のこと。


 学校に行って靴箱を開けると、昨日まであったはずの上履きが姿を消していた。私は空の靴箱を見て強い不安と恐怖を感じた。


 それは、つい最近までクラスでいじめらていた田中さんが、一週間前に不登校になっていたからだ。


 そして私の悪い予感は見事に的中し、次の日から上履きや教科書が無くなったことから始まり、友達から無視されるようになり、ある日には机の中がゴミだらけになった。


 初めていじめを受けた私は、クラスメイトの皆から受ける悪意に怯え、心が張り裂けそうなほどつらかった。


 だけど、二週間も経つといじめに慣れてきて、すごく下らないことに思えてきて、気にならなくなった。


 だから、私はこれくらいなら大丈夫。


 もちろんその言葉には多少の強がりを含んでいたけど、それでもに本心違いなかった。


 でもたった今、私は大丈夫じゃなくなった。


 午後の体育を終えて、私が教室に戻ったとき、三井君はいじめの主犯格のふたり、磯長君と村田君と一緒に私の机を囲って、机を黒く塗りつぶしていた。


 そんなに告白が嫌だったら、直接言えばいいよかったはずなのに、三井君ははもっとも周りくどくて、陰湿で、最低な方法で告白が嫌だったと伝えてくる。


 私は目の前の現実を信じられなかったし、信じたくなかった。



 磯長君は教室の入り口にいた私に気づくなり「ブスがきたよおい」と笑いながら言うと、それを聞いた村田君は「やべえな」と笑う。


 少し前までは、隠れて嫌がらせをしていたのに、今では隠すこともしなくなった。間違いなくいじめはエスカレートしている。


 そしてただ一人何も喋らない三井君は、私と一向に目を合わせずにずっと俯きっぱなしだった。


 三人が去った後の机は、案の定黒で染まっていた。


 ただ鉛筆で真っ黒に塗りつぶされたなら、マシだったかもしれないけど、もちろん書き殴られたそれぞれは、悪意を含んだ言葉達だ。


 バカだったり、シネだったり、ブスだったりの言葉が乱雑に重ねて書き殴られている。


 たぶん明日は、もっとひどいことをされるのだろう。


 今の私にとって、クラスメイトは全員敵だった。明るくて不器用な三井君でさえ、裏にはちゃんと悪意を持つ人間なんだから。


 私は地獄みたいなこの世に絶望し、目を腫らしながら学校を後にした。



* * *


 泣きっ面に蜂というのはこのことだと思う。

 

 目を腫らしながらの帰り道、通学路の三分の二くらい帰っていた時、私は体操服が手元にないことに気づいた。泣くことに夢中で身のまわりに疎かになっていたのだと思う。


 普通なら明日体育があるわけでもないから、その次の日にでも持って帰ればいい。


 だけど、体操服を失くしたのが今月三回目ともなると、さすがに親にどう言えばいいかわからない。


 これまで「どこかに落としてしまった」「川に落としてしまった」と言い訳してきたけど、もうそれ以上の言い訳が思いつかない。


 だから私は学校へと引き返した。体操服があることを祈って……



 私は昇降口から校舎に入り、カバンから取り出した上履に履き替えると、教室へと向かった。


 教室の前までたどり着くと、ドアの横から顔だけ出して中を覗き込んだ。その教室はあの日と同じように、夕陽に照らされ赤く染まっていて、そこでは……


 私の机の前で、三井君が手を動かしていた。その手の動きは、何かを塗り潰すように反復している。


 さらに、少し視線を動かした先には、真新しい体操服が三井君のカバンと一緒に置いてある。


 私はすぐにドアの裏に隠れると、ショックのあまりにへたり込んでしまった。そして私の目からは枯れたはずの涙が再び溢れてくる……


 三井君は私の体操服をどうするの? また捨てるの?


 でも、それは両親が二度も失くした私に文句一つ言わずに買ってくれた大切な体操服だ。だからどうしても取り返したい。


 私はなんとか返してもらえないか、ドアから教室を覗き込み三井君の隙を伺う。


 彼は相変わらず私の机で手を動かしている。その目は真剣そのもので、一つの濁りもない。


 そんな真っ直ぐ私に向かう悪意に、心は悲鳴をあげ、今にも吐いてしまいそうなほど胸のあたりが痛くて、悲しかった。

 

 それでも体操服だけはと思い、私はもっと体を前のめりにして彼の手元を見ると、三井君が何をしていたかがわかった。



 三井君は……



 私の机のラクガキを消しゴムで必死に消していた。


 額に汗を浮かべ、ぶかぶかのスリーブをボロボロにしつつも消しゴムで私の机を擦る。


 な、なんで?


 状況について行けずに私の頭はクラクラした。そんな私をお構いなく彼は独り言の様に呟いた。


「あいつらえげつないな……これで油性ペンでやろうっていってたんだから、まだ消せる鉛筆に変えといて良かったよ……」


 えっ? 何を言ってるの? 三井君の言っている事が私にはわからない。そして、もっともっと意味がわからないことを、私の机に向かって口にした。


「好きだよ、橋本さん。いや、雪奈ちゃん。その優しいところとか、たまに見せる笑顔とか大好きだよ」


 そこまで言うと彼は俯き、今度は悔しそうな顔をする。


「でも、まだその気持ちを表に出せない。俺が付き合うのは、いじめがなくなってからだ」


「やり方が悪いのだってわかってるし、このままじゃあ、俺が想いを口にする頃には嫌われているかもしれない」


「でも俺はこのやり方しか知らない、だからごめん……」


 彼は私の机の前で拳を握り締めながら俯いた。

 

 そして彼は、机の上の消しカスを集めてゴミ箱に捨てもう一度私の席に戻ると、その真新しい体操服を眺める。


「でも、この体操服いつ渡そう……このまま置いといたらまた捨てられちゃうし、学校じゃ渡せないし……」


 彼は困った顔をした、だから……



「じゃあ今受け取るよ」


 私は教室へと一歩踏み出し、彼の視界に入り込む。ゆっくりと歩み寄る私に三井君はおどおどする。


「は、は、橋本さん!」


 三井君そう驚くいたように私を見ると、すぐに下を向いて「ごめん……」と一言つぶやいた。


「ありがとうね。机、こんなにキレイにして……」


 私が机に視線をやりながら呟くと……


「違う!」


 彼は私の言葉を大声で遮った。


「だって、書いたのは俺たちだから……お礼を言われるような筋合いはない」


「でも、嬉しかったよ」


 放課後の教室はやけに静かで、時計の針の音さえ、心地よく教室に響いた。

 

「ごめん、この間のこと……何も返事できなくて」


「ううん。たしかにショックだったけど、もう気にしてない」

 

 これは嘘だ。今の三井君にこれ以上の気を使わせる気はなかった。だけど、私がそう言うと、彼はとても悲しそうな顔をする。


「べ、べつに、俺は断っていないから……」


 彼の言い訳じみたその言葉に私は少しムッとしたから、少しいたずらっぽく嫌味を言った。


「でも、無言っていうのはそういうことだよ。特に人気者の三井君なら余計にそうだよ」


 すると三井君は手元で拳を握った。

 

 からかってしまったのが悪かったのか、怒りに震える彼に私は殴られると思いギュッと目をつぶった。


 だけど、目を瞑っていても拳は飛んでこずに、代わりに三井君の大きな声が聞こえてくる。


「俺は、橋本さんが好きだ!」


「だけど、いじめを見過ごしたまま付き合うなんてできない……だから、俺がいじめを解決するまで待ってくれ!」


 その彼の真剣な眼差しに、私の心臓は鼓動を早め、頬はだんだんと熱くなっていき頭はぼーっとし始める。


 そして、うまく頭が回らなくなった私は、自然と彼に抱きついて泣いていた。


「怖かった、つらかった、寂しかった…………」


 私は彼の胸元に顔を埋め、声を上げながら泣き喚いた。そんな惨めな私を彼は優しく包み、頭を撫でてくれる。


「絶対いじめは俺がなんとかするから、その代わりにいじめが終わったら付き合ってくれ!」


「わかった……ずっと待ってる……」


 彼の胸はとても温かくて、とても大きかった。

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