妻(さい)

緋糸 椎

第1話 内助の功

「吉永さん、何度も同じこと言わせないで下さいよ!」

 若き店長が口角泡を飛ばす。僕はただ平謝りするしかない。「僕だって、何も父親みたいな年齢のオッサンに向かって小言を言いたくはないですよ。だけどね……」

 こんこんと説教は続く。店長は僕を父親のような年齢と言ったが、せいぜい10歳ほどしか離れていない。

(また、ここもダメか……)

 店長の雷が止んだ後、僕はふうとため息をついた。



 僕の名前は吉永直よしながあたる。半年前に会社でリストラされ、バイト先を転々としている。不器用な僕はどこでも足手まといで、これまでよくサラリーマンが勤まったものだと思う。

 仕事から帰って自宅の呼び鈴を鳴らすと、バタバタ足音が聞こえてきた。そしてドアが開き、さいが顔を出した。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 僕が玄関に入り、靴を脱ごうとするとあきらけいが足元に纏わり付く。

「パパ、だっこー!」

「やだ、ボクがだっこー!」

 はしゃぐ子どもたちを、さいがたしなめる。

「おやめなさい、パパはお疲れなのよ」

 でもその声がどこか優しげなのは、僕が嫌がるよりむしろ喜んでいるからだ。

「ようし、じゃあダブルだっこだぞお!」

 僕は右脇に輝、左脇に恵を抱えて持ち上げ、ダダダダと家の中に入って行った。足をバタバタさせながキャアキャアわめきたてる。僕はホッとする。仕事で嫌なことがあっても、こうして癒やされていくのだ。やがてパパとのスキンシップに子どもたちが飽きたタイミングで、さいは夕食を提供する。

 ところで、僕が彼女をさいと呼ぶのは、明治文学にかぶれているわけでも、気取っているわけでもない。さい……それが彼女の、実の名前だからである。

「今日はカラハナソウの新芽の天ぷらですわ」

「それはいいですね」

 僕の大好物カラハナソウは、近所に沢山生えている。さいには食べられる野草とそうでないものを見分ける特技がある。彼女曰く、道端の雑草には、高級食材に引けを取らない逸材が少なくないそうだ。

「あまりみなさんがお採りになると、すぐになくなってしまいますけど、町の人は見向きもしないんですもの、私たちは採り放題ですわね」

 さも自分たちが特権を得ているように、さいは誇らしげに言う。それを聞いていると、我が家の貧しさなど忘れて裕福になった気になるから不思議だ。


 子どもたちが寝てから、僕はすまなそうに話した。

「今のコンビニのバイト、またダメかもしれません」

 ところがさいは顔色一つ変えない。

「気長にまいりましょう。きっとあなたに合った仕事がありますわ」

「そう言ってもらえるのはありがたいですが、かえって恐縮です。不甲斐ない自分で申し訳ない」

「人には歴史があります。どんな経験もかけがえのない財産ですわ」

 さいはどこまでも前向きで屈託がない。そんな彼女のおかげで、僕はどれほどドン底に突き落とされてもいつだって這い上がれるし、自分が幸福だと信じられる。

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