ぐちゃぐちゃの空

 悪夢みたいな空だった。ぼくはかつての青空を覚えているから、それがよくわかる。

 白い雲ではなく、どす黒い臓物が浮かんでいる。ひくひく小刻みに痙攣している。巨人のばらばら死体を花火代わりに打ち上げたみたいだ。

 抜けるような青空ではなく、暗澹たる紫色の空。自殺志願者の内面みたいな色彩。どこまでも果てしなく憂鬱が広がって、出口がない。

 そんな空を背景に飛ぶ鳥たちには、頭がない。首なしの鳥が、どこから出ている声なのか、げろげろ囀りながら地上を見下すように遊覧している。群れをなしたときは、その囀りの大音声だいおんじょうが、不快な断末魔の矯声みたいに、特大の不協和音として耳をつんざく。げろげろ、げろげろ、げろげろ、げろげろ。

 雲のように浮かぶどす黒い臓物が、激しく痙攣し、そこから形容しがたい色の雨が降ってきた。胆汁みたいな醜い雨。

 ぼくたちは、特殊なスーツと特殊なマスクで全身を覆い、特殊な傘をさして、集団下校の列をなして歩く。臓物から滴る雨で、みるかげもなく腐蝕してしまわないように。

 通学路の途中で、バス停の屋根で雨宿りしながら紙芝居をやっているおじさんがいた。特殊なスーツは着ているが、特殊なマスクは外してしまって、紙芝居をめくりながら、唾を飛ばして演説している。

「子どもたちよ! 騙されるな! 外に出て、新鮮な空気を吸い、無邪気にめいっぱい遊ぶのだ! この美しい自然を愛するのだ! きみたちに政治は似合わない! なにも考えなくていいんだ! 感じるままに行動するんだ!」

 紙芝居の絵は、塗料を無秩序にぶちまけたような典型的なアクション・ペインティングで、ぼくたちにはわからない物語を語っているようだった。

 特殊なスーツと特殊なマスクで身を覆い、特殊な傘の陰で目を伏せて、閉じたこころで殻を築いて、ぼくたちは紙芝居おじさんを無視した。

 胆汁のような雨でできた水たまりを避けながら、ぼくたちは歩く。規格されたルートを集団で無言で歩く。

 通りがかった路地裏では、スーツもマスクも着けていない老人と子どもが、ふたりして諦めたような顔で空を見上げて、胆汁のような醜い雨に無防備に晒されていた。

 つられるようにしてぼくたちは空を見上げた。雲のように浮かぶどす黒い臓物が、視線に喜ぶ露出症患者のように、ひときわ激しく痙攣した。降りそそぐ胆汁が雨脚を強めた。

 ぼくたちは慣れなくちゃならない。終末でも生きなくちゃならない。綺麗なものがなにもなくても。

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