忘れやはする

「おばあちゃん、おばあちゃん」

 呼びかける声が、魂をノックする。控えめに、移り気に。だれの魂を? おそらくはわたしの魂。声を聞いている意識が、たしかにここにある。わたし。呼びかけられるもの。わたしは存在した。かつても、そしていまも。これからは? わからない。白無垢の闇。晦冥かいめいの未来。

「おばあちゃん、おばあちゃん」

 それでもいまは、声が響く。わたしの外側から。あるいは、わたしの内側から。この声は、他者の声? あるいはわたしの? あるいは記憶の? 声。わたしは数えきれない声を、一身に浴びた。それが生きるということだから。いま、わたしはわたしの記憶に刻まれたすべての声を、思い出すことができるだろうか? この声がだれによるものなのかも、わたしにはわからないというのに。

 そうだ、まずは生まれたときから始めてみよう。それが自然だと、わたしには思えた。だがこれは失敗だった。この世に存在するすべての人間は、生まれた瞬間を持つはずだが、それは記憶の源泉でありながら、記憶の空白でもあったのだ。絶対に埋まらない原初の穴。わたしが存在することをわたしが知ったのは、生まれたときではなかったのだ。不思議な話だ。とはいえ、いまのわたしは、ある意味では生誕の瞬間にかぎりなく近づいているのかもしれない。空白だらけのこの意識。二度と埋まることのない穴。

「こんな晴れた日に、おまえは生まれたんだよ」

 これはわたしの記憶の声。それははっきりしていることだ。たぶん。きっと。おそらくは。

 そう言ったのは、わたしの家族。家族と呼ばれる関係の相手。だれだったっけ? 母親? 父親? この声の性別は、女と呼ばれる性別だった気がする。女と呼ばれる性別の家族は、母親のことであった気がする。違ったかな? あるいは、姉? あるいは、祖母? おばあちゃん? わたしのおばあちゃん?

「おばあちゃん、おばあちゃん」

 これはたぶん、いまの声。いま? いまとはいつのことだろう。わたしが存在するいまだ。それはわたしの記憶ではなく、わたしの記憶へと移り行くはずの現在だ。わたしの存在するいま。それなら、記憶にわたしは存在しない? わたしはかつて存在した。それならば、記憶にもわたしは存在する。それは確かな論理に思えた。わたしのいまよりも、わたしの記憶の方が、確からしく思えるのと同じくらいに。

「ずりいよ、自分の近くにばかり置いてさあ」

 これもわたしの記憶の声。たぶん。きっと。おそらくは。そしてこの声は、男と呼ばれる性別の子ども。わたしの兄? わたしの弟? どっちだったっけ。

 その声はわたしを非難していた。和室の畳に散らばった、かるたの取り札。そこに記された詩歌しいか字面じづら。百人一首。そうそう、そんな遊びだった。わたしは気に入りの歌の取り札を、自分の手もとに寄せていたのだ。だから、遊び相手の兄だか弟だかの非難にも、一理はあったのだ。

「有馬山 猪名ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」

 それがわたしの気に入りの歌だったと、いまでも憶えている。取り札をつかんだときの、言葉を握りしめたような感触も。多くのことを忘れたのに、それは忘れてはいなかったのだ。子どものわたしは、その歌の意味をよくわかってはいなかった。いまでもよくわかっていない。ただ、忘れやはする、という言葉の響きが好きだった。風の音が、記憶に吹き込むような寂しさがあって。百人一首の読み札を読んでくれたのはだれだったか。歌は思い出せたのに、それは思い出せない。ただ、そのだれかは笑っていた気がする。わたしとわたしの兄だか弟だかが、口喧嘩しているのを見て微笑んでいた。百人一首で遊んでいる和室に、涼しい風と光と声が、笑いを含んで漂っていた。ひんやりとした畳の上で、わたしとわたしの世界が存在していた。微笑んでいるだれかに見守られながら。いまも、わたしの記憶にそれはある。かつて存在したように、いまも確かにそこにある。

「ピアノの才能は、ないみたいだなあ」

 これもまた、男と呼ばれる性別の声。子どものものではない。少しの失望と苦笑の響き。悪気がないのは伝わってきたけど、わたしはそう言われてショックだった。わたしはわたしなりに、音楽に愛されていると信じきっていたのだから。指の運びは、確かに少しばかり、ぎこちなかったかもしれないけれど。発表会の緊張と達成感、おざなりな拍手、バッハの尊顔いまいずこ。ショックを受けた言葉とはいえ、記憶に残るその声は、いまでは音楽のようにも響く。忘れがたい、惜しむべき音楽。記憶に残る、すべての声と同じように。

「引っ越しても、忘れないでね、わたしのこと」

 わたしと同性、同年代のその声は、涙を湛えてかすかに震えていた。わたしはといえば、まったく泣いていなかった。なんだか自分が薄情なようで、ちょっとばかり気が咎めた。驚くべきことに、いまでもその後ろめたさをありありと思い出せる。驚くべきことに? なぜ? それほどいまのわたしはかつてのわたしから隔たってしまったというのだろうか。わたしと同年代の声? それは、いつのわたしと同年代なのだろう。いまのわたしは、何歳だったか。でもそれはどうでもいいことに思えた。いまもわたしはわたしであり、かつてのわたしもわたしだった。それだけで十分だった。わたしとわたしの記憶にとっては。とはいえ、忘れないでね、と言われたのに、わたしはその子の顔も名前ももう思い出せない。それは空白のなかに消えてしまった。かつてのように、わたしはいまも気が咎める。でもその声の柔らかさは、かつて存在したように、いまも確かにそこにある。

「本当に、これっきりなのか」

 未練がましい声。愛の言葉よりも、別れの声の方が強く響く。わたしはありったけの冷たさを込めて、沈黙を相手に投げつけた。部屋から彼が去っていく。かつてのわたしから、わたしの記憶から、彼の重みが去っていく。彼の顔と名も、もう空白だ。でもその声に含まれた痛みは、かつて存在したように、いまも確かにそこにある。

「人って、本当に死ぬんだねえ」

 だれかの死を弔う席上で、ぽつりと発せられた年老いた声。わたしは身近な人間の死に慣れていなかったから、その言葉はわたし自身の言葉にさえ思えた。その人は、当時のわたしの眼にはずいぶん老いているように見えたから、初めて死に出会ったような初々しい言葉は、その人に似つかわしくないような気がした。いまは、まったくそうは思わない。死に慣れることなんてないのだ。慣れたと信じた瞬間、その土台から跡形もなく崩れ去ってしまうのが死なのだ。

「元気な女の子ですよ、火山のように泣いています」

 生まれた子どもを見て、なんだか珍妙な形容によって赤子の生命力を讃えた声。わたしはといえば、人って、本当に生まれるんだねえ、とでも言いたい気分だった。わたしもかつて、そのように生まれた。だれもがかつて、そのように生まれた。思い出せはしなくても、記憶の空白にそれはある。生まれたわたしはいつか死ぬ。生まれただれかもいつか死ぬ。

 死ぬ? それはいつのことだろう。わたしはいま、生きているのだろうか。わたしがいるということは、わたしは生きているということだ。記憶のわたしは、もう死んだのだろうか。それは過ぎ去り、もういない? 記憶に残る、すべての声も? でもそれはいまもある。かつて存在したように、いまも確かにそこにある。それならば、すべての声は、死んでいない。生きている。わたしには、そう信じるべき根拠があった。記憶に呼ばれたわたしの信仰。わたしに呼びかけるすべての声。空白だらけになってもなおも。

「こんな晴れた日に、おまえは生まれたんだよ」

 その声の持ち主は、慈しむようにわたしの頭を撫でた。その手は皺だらけで、老いていた。青空の下に影を含んでいた。だから、あれはやはり母ではなく祖母だ。わたしのおばあちゃんだ。

「おばあちゃん、おばあちゃん」

 それならば、いまも呼びかけるこの声は、わたしの記憶の声なのだろうか。わたしは記憶のなかで、向き合う鏡を覗くように、際限なく思い出される声を、逃げ去る蝶を追うように、捉えようとしているだけなのか。

 忘れやはする。あるいは、わたしはいまもだれかに見守られながら、畳の上の世界で、百人一首の取り札のように散らばった声を、いつかのだれかとの遊びのように、自らの手でつかもうと躍起になっているだけなのだろうか。だれにも奪われないように、どこかに消えてしまわないうちに。泣きたくなるような、寂しい風の音を聞きながら。

「おばあちゃん、おばあちゃん」

 呼びかける声が、魂をノックする。ここは病室だろうか、わたしの部屋だろうか。どうでもいいことかもしれない。記憶こそが、わたしの家であり、わたしの帰るべき故郷なのだから。わたしに呼びかける声が、わたしのものであっても、わたしではないだれかであっても、かまわない。声が聞こえるかぎり、そこには魂がある。わたしはかつて存在した。いまもわたしは存在する。

 さて、生まれたときを思い出すのには失敗したが、記憶の道のりは長く果てない。わたしの幼年期は無限の思い出に満ちているし、わたしの後半生は黄昏の淡さに輝いている。もういちど始めからやり直そうか。今度は現在までたどり着けるか。そういえば、わたしの記憶にわたしの声は存在しない。いつもだれかの声を、わたしは思い出す。

「おばあちゃん、おばあちゃん」

 これこそが、わたしが見つけたわたし自身の声なのだろうか。あるいはかつてのわたしによく似ただれかの。あるいはわたしの百人一首をいまも見守っているだれかの。まあ、どうでもいいさ。閉じた夢のなかで、また会いましょう。わたしの記憶への旅は、いま始まったばかりなのだから。

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