短編出張糸織り乙女~スサーナちゃんの異世界ごはん~

渡来みずね

第1話 おばあちゃんのオレンジ入り揚げ菓子

【一章:6歳時点】


 ある日。スサーナが縫い物の練習をしていると、階下からおばあちゃんが呼ぶ声がした。


「スサーナ! 手伝っておくれ! おやつを作るよ!」

「はあいおばあちゃん! 今いきます!」


 スサーナは急いで針と糸をきちんと仕舞い、木靴を履きなおしてぱたぱたと階下に急ぐ。


「あらお嬢さん、階段は走っちゃ駄目ですよ!」


 階段ですれ違ったお針子のブリダが笑った。


 スサーナのおうちは島で五本の指に入る大きな仕立て屋だ。

 おうちには幾人ものお針子とスサーナのおばあちゃんと叔父さん、ご近所には結婚した叔母さん達が暮らしていて、みんなで服を仕立てたり売ったりして暮らしている。


「ごめんなさい、ブリダ!」

「奥様は中庭に行きましたよ! これからオレンジを採るんですって」


 スサーナは6歳半ば。小柄でほっそりした女の子だ。切り下げた癖のない黒い髪と黒い目。その色はスサーナの暮らしている「塔の諸島」ではとても珍しい。どうやらそれは「漂泊民カミナ」という民族の特徴で、もういないスサーナのお母さんから受け継いだものだという。他の家族はみんな紅茶色の髪と目をしていて、その色をしているのはスサーナだけだが、他の家族はみんなスサーナにやさしい。



 階段を降り、タイルで飾られた回廊を通って中庭に向かう。

 夏の日差しに照らされてレモンやオレンジが葉陰に鮮やかに輝いているそのさなか、おばあちゃんが踏み台に登ってオレンジの実をもいでいた。


「おばあちゃん、お手伝いに来ましたよ」

「ああスサーナ! じゃあオレンジを籠に入れておくれ。レモンもね、オレンジ4つにつき、レモンを一つ!」


 はあい、とお返事したスサーナはおばあちゃんが収穫したオレンジとレモンを籠に拾い集めた。すぐに籠は一杯になり、汗を拭ったおばあちゃんが背中をとんとんと叩いて踏み台を降りてくるのをスサーナは見上げる。


「このぐらいあればいいか。スサーナ、何を作るかわかるかい?」

「えっ、何を作るんでしょう。……氷菓子、とか?」


 首を傾げて思案したスサーナにおばあちゃんは愉快そうに笑った。幼い孫が突拍子もない事を言うのが可愛らしい、という目をして首を振る。


「ほほ、スサーナったら。夏に氷菓子を作れるのは魔術師だけさ。たんと氷を買ってあったら真似事は出来るけど、お祝いでもないとねえ」

「そ、そうでしたっけ!」


 ――あ、そうか。それはそうですね。冷凍庫がないんですもん。でも、やっぱり魔術師さん達便利なんだなあ。

 スサーナは内心ひとりごちた。彼女はいわゆる転生者だ。前世は日本人で享年は22。記憶は凹凸があるものの常識だとか習慣の部分は鮮やかなので、例えば夏にはアイスだとか、そういうパッとした印象はだいぶまだ引っ張られがちなのだった。


「ええと、じゃあなんでしょう。オレンジとレモン……」

「ふふふ、それじゃ、作ってみてのお楽しみだね。さあ、籠を持っておくれ。台所へ行くよ。」


 難しい顔で腕を組んで唸ったスサーナにおばあちゃんはもう一度笑い、籠を一つスサーナに渡し、自分も一つ持って台所へ向かう。


 台所へ着くとおばあちゃんはまず水桶に水を移し、スサーナに手伝わせてオレンジとレモンをきれいに洗った。それから一つずつはくるくると皮を剥き、残りは輪切りにするようだった。


「さて、何にしようかねえ。糖蜜、蜂蜜……今日は豪華に砂糖を半分入れようね。」


 鍋に砂糖と蜂蜜を入れ、柄杓で水をすこし注いでくるくると混ぜる。火を熾してあった火床にかけ、沸騰したところに香りの強い酒を少し。それに輪切りにしたオレンジとレモンを並べて入れた。


「あっ、わかりました! シロップ煮!」

「ふふふ、それだけじゃあないよ。楽しみはゆっくりと。」


 一旦、おばあちゃんとスサーナは台所を出る。甘い匂いに釣られたらしいお針子のお姉さんたちが台所を覗き込んでいたのでおばあちゃんはくすくす笑い、味見をしていい代わりにたまに火の様子をみておくれ、と彼女たちに話しかけた。

 快哉を叫ぶお針子たちに、スサーナは

 ――このぶんだと、シロップ煮、出来上がる前になくなっちゃうんじゃないでしょうか。

 ちょっと不安になったものである。


 さて、それから大体数時間。夏の長い日がいい具合に斜めに陰り、長くなった影が部屋を彩りだす時間になって、スサーナのお裁縫のテストをしていたおばあちゃんはさてそろそろだね、とまた台所に向かうようだった。

 おばあちゃんは粉箱を開けるとカップで二杯粉を掬いボウルにさらさら流し込んだ。そこに砂糖と卵、少しの塩を入れ、さっき剥いた皮を細かくしたものと、バラ水を加えてくるくると混ぜる。それから浅鍋サルテンにオリーブオイルを注ぎ、シロップ煮が煮えるかまどの横に載せた。

 油に細かい泡が立ちだすとおばあちゃんは生地をお玉で掬い、すうっと油の中に入れる。

 ――おお、つまり、ドーナツ!

 ドーナツという呼び名ではないので揚げ菓子と言うべきだろうか。おばあちゃんが作り出したのは名前のない甘いものの一種だ。


「スサーナもやってみるかい。油が熱いからね。気をつけて入れるんだよ」

「はいおばあちゃん。こう……ですか?」

「そうそう、うまいもんじゃないか」


 陶器の上げ皿に次々に上げられる揚げ菓子にスサーナは目を輝かせた。精神は22歳を自認しているが、なにせ舌は6歳であるし、普段そこまで甘いものを食べる生活ではないので、甘い揚げ菓子はそこそこ魅力なのだ。


「おばあちゃん、これ、お砂糖を掛けるんです?」


 わくわくした声を上げたスサーナにおばあちゃんは含み笑いをする。


「スサーナ。ここからが仕上げだよ。さあご覧。おばあちゃん特製のオレンジ菓子さ」


 おばあちゃんはシロップ煮にした果物を鍋から取り出し、味見に耐えてちゃんと残っていたシロップを陶器の蓋付き鉢に移す。そして揚がったばかりの揚げ菓子を次々にそこに浸していった。


 油が切れた揚げ菓子はすぐに濃いシロップを吸い込み、てらてら輝く。

 おばあちゃんはシロップ煮の果物を刻むと揚げ菓子の鉢に入れ、くるくる混ぜた。


「さて、これであとは夕ご飯のあとまで味を染みさせるんだけどね、スサーナ、一つ味見をしようじゃないか。」


 フリオは意地汚くって味見だってのにふたつもみっつも食べるんだから、教えちゃいけないよ、いっつも食べすぎるんだからね、と笑いながらおばあちゃんはスサーナに小さめの揚げ菓子を一つ渡してくれる。


 22にもなるりっぱな大人の叔父さんがそんなに甘いものに目の色を変えてがっつくんだろうか、とスサーナはそっと首を傾げつつ、まだ暖かい揚げ菓子を口に入れた。


 シロップに浸ってしっとりした揚げ菓子は、まず少しびっくりするぐらいに甘い。しかし、揚げ菓子に絡んだシロップ煮を噛むとほんのりした酸っぱさと爽やかさが口の中にじゅわっと広がり、噛むとまだ芯のほうにはシロップが染みておらず、穏やかな甘味とうっすらした塩気のある生地はねっちりした感触で、混ぜ込まれた皮がぷつぷつと爽やかな香気を発散させる。

 スサーナの前世に引っ張られた感覚は、流石にたくさんは食べられないな、とは思わせたが、それでもそれはなかなか素敵な美味しさのお菓子だった。


「おばあちゃん、美味しいです!」

「ふふ、今日のはなかなか良くできたねえ。さ、あとは夕ご飯まで涼しいところに置いておこう」


 自分も一つ取って味見したおばあちゃんも、満足の行く出来だったのだろう。にこにこと笑い、それから陶器鉢にしっかり蓋をして高い棚に載せた。



 それから無事迎えた夕ごはんの時間。揚げ菓子はお針子のみんなや、夕飯を一緒に取る習慣の叔母さん夫婦達に大歓迎された。


「まあ母さん、今日はなに? なにかのお祝い?」

「そうじゃないけどね、スサーナに揚げ菓子の作り方を見せようかと思ってね」

「あらまあ、お嬢さん、お手柄ですよ! 手間だって言って、偶にしか作ってくださらないんですから!」


 ところで、おばあちゃんの予言通り、揚げ菓子に大喜びした叔父さんはご飯のあとだと言うのに揚げ菓子を7本も食べ、食後は動けなくなって長椅子に平たくなっていた。


「叔父さん、大丈夫ですか」

「うん、うぐぐ、胸焼けが……」

「お嬢さん、フリオさんなんて放っておきましょうね。まったく情けない!」

「叔父さん、かっこいいのに、そんな情けないかっこう、女の人達には見せられませんね……」

「お嬢さん、いけませんよ調子づかせちゃ。まったく、お客様方もフリオさんのどこを見て格好いいだなんて言うんでしょうね!」


 長椅子から落ちて床の上に広がった叔父さんがブリダに蹴る真似をされて情けない声を上げている。

 確かにこれは叔父さんに与えちゃいけないものだった、とスサーナはそっと呆れたものだった。

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