第5話:三枝守恵1

 徳川家光は衆道の相手を務めた者には手厚い褒美を与える。

 気に入り方や元の家柄によって差はあるが、やり捨てにはしない。

 時に妄執ともいえる愛情に困る場合もあるが、それも小姓側近の役目ではある。

 三枝守恵もそんな衆道に相手、愛人の一人だった。


 前話でも書いたが、三枝守恵は一六一六年に二十一歳で出仕し、一六一八年に家光に見初められ小姓二〇〇石に取立てられ、家光が将軍となった一六二三年には小十人組として四〇〇石に加増された。


「公方様、私のような者で宜しいのでございますか?」


「何を申しておる、守恵、そなたはとても可愛いぞ」


 家光は柳生宗矩に仕込まれた馬後背位が大のお気に入りだった。

 全ての小姓を馬にして支配しないと、荒れ狂う心の欲望を満たせなかった。

 その激しさは、相手をした小姓が正座に苦労するほどだったが、その痛々しい姿を見る事もまた、家光の嗜虐心を満たしてくれた。

 今日もまた九歳年上の三枝守恵を激しく責め苛むことで、心の隙間を埋めていた。


 家光は毎日二人三人の小姓を相手にして心の隙間を埋めていた。

 柳生宗矩と柳生三厳の親子丼で激しく支配された日にも、交渉をネコにして逆に支配するという倒錯的な毎日を送った。

 家光にとっては一夜の遊びでも、中には心から家光を愛する者もいた。 

 その一人が三枝守恵であり、家光もその愛には誠意をもって応えた。


 一六二五年、三枝守恵は一〇〇〇石に加増された、大出世だった。


 一六二六年、小姓組組頭に抜擢されたが、これで家光の衆道相手からは外されてしまったが、それでも三枝守恵の心は変わらなかった。

 本丸の警備に邁進し、常に家光を護る気構えを失わなかった。


 同じ一六二六年に、従五位下土佐守に叙せられた。

 

 一六二八年には三〇〇〇石加増された。


 一六三三年には書院番頭に大抜擢され、六〇〇〇石に大加増された。

 酒井重澄や堀田正盛、阿部重次や中根正盛から見れば少ない加増だが、他の衆道相手に比べれば手厚いモノだった。

 ただ一心に家光を想う心が、家光にも伝わっていたからだ。


 一六四二年、役目を辞して隠居した。

 もう家光を護りきれないと思ったからだった。

 

 一六五一年、家光が亡くなり殉死した。

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