12. 話し声が止まない!


「ごめん。マジでごめん」

「いえ、全然気にしないんで、大丈夫ですよっ」


 ガックリと肩を落とした俺をカエデちゃんが申し訳なさそうに気遣う。その数メートル先をズカズカと大股で突き進むロリ。絵面がヤバすぎる。


 ほっそりした撫で肩が左右にふらふら揺れ動き、対面から来た軽自動車のドライバーが鬱陶しそうに反対車線へ寄せていくのが見えた。全世界へ、ごめんなさい。



「スバルちゃん、でしたっけ? 親戚の子が遊びに来ていたんですね。すみません、なんだかお邪魔しちゃってるみたいでっ。ちゃんと聞いておけば良かったです」

「いやもうアイツの身勝手が原因だし、カエデちゃんなんも悪くないし……」


 流石に「見ず知らずの追っかけロリJCと一週間暮らすことになりました」と馬鹿正直に伝えてはカエデちゃんの信頼度が0以下にカンストしてしまうので、このような設定でその場を凌ぐ羽目となる。


 すばるんも赤の他人に俺のファンであることを公言するのは憚れたのか、カエデちゃんへ露骨な敵意を向けるのみに留まった。


 或いは約束を守らず女と出掛けようとした俺へキレまくっていて、そこまで意識が回っていないのかもしれない。何も解決していないことだけが明らかだ。



「なぁすばるん。オレ、普通にメシ食いたいだけなんだけど。だめ?」

「……ダメですっ! ダメに決まってます! 曲作りも宣伝もせず女と遊ぶだけなんて、許さないのですっ! どうせなら活動に役立つことをしてもらいますっ!」


 プンプーン! と背中から効果音が溢れ出しているようだ。裏路地に入りすぐ目の前の階段を駆け足で我先にと降る。


 ご飯が食べられるならどこでも良いでしょう、とすばるんが連れて来たのは。

 やっぱりというかなんというか、どうしたって八宮waveであった。


 ボーっとメシを食うくらいなら他のアーティストからインスピレーションの一つでも受けろと。合理的なのか自棄なのか。



「なんだかスバルちゃん、篠崎さんのマネージャーさんみたいですねっ」

「ホントそれな」


 大正解カエデちゃん。

 プロデューサーではない。少なくとも。


 邪魔者扱いされ気まずそうにしていたカエデちゃんも「優しい親戚のお兄ちゃんを取られそうで嫉妬しているんだ」みたいな感じで都合よく受け取ってくれたみたいで。少しずつ表情に柔らかさを取り戻し、楽しそうにクスクスと笑っている。


 初対面で「誰ですかこのな女はっ!」とか吐き捨てられたら普通もっと怒って良いんだけどな。優しいカエデちゃん。カエデちゃん優しい。なんだよいかにもって。悪口の最上級じゃねえか。



「楽しみ取っておきたかったでしょ」

「いえいえっ。篠崎さんのライブも楽しみですけど、ライブハウスがどんなところかも気になるので……予習ってことにしておきますっ」


 音漏れがドンドン大きくなって来る。狭すぎる階段を抜けドアを叩くと喧しいベルが鳴り響くが、次の瞬間飛び込んで来たスリーピースの爆音によって掻き消された。



「ひゃあッ!?」

「狭いしうるさいし煙草臭いし堪らんと思うけど、なんとか慣れて」

「がっ、頑張りますぅっ……!」


 初手でダメージを食らってしまったのか、カエデちゃんは耳と頭を同時に抑え早くもフラフラとしている。


 なんでもライブというもの自体初めての経験らしい。最初は大きめのハコか大型フェスで耐性を付けるべきなのに、一発目から八宮waveはキツいだろうな。可哀想。



「なんだユーマ、今日は奥さんとガキ連れてどうしたんだよ。結婚式呼べよな」

「やめてくださいって」

「おう。早く払え」

「生とジンジャーエールとコーラを。あとポテトも」

「随分と豪勢じゃねえか」

「メシ食いに来ただけなんで、サーセン」

「贅沢してんじゃねえよ」


 お金を持っていないすばるんは既にカウンターで注文を済ませたのか。

 タプタプに注がれたコーラ片手に足踏みをして俺の到着を待ち侘びている。傍若な奴め。



「予約じゃないんで配分どうなるか分からんすけど、ナオヤの分ってことで」

「工藤と奈良崎は良いのかよ」

「嫌いなんでアイツら」

「ハッ! 相変わらずユーマとは気が合うモンだな。ちっとは仲良くしろや」

「日本語バグり過ぎでしょ」

「これぞロックンロールよ」

「意味分かんないっす」


 代金を渡しドリンクとポテトの入ったカゴを受け取る。カエデちゃんは俺たちのやり取りをそりゃもう分かりやすくビクビク怯えながら眺めていた。可愛い。



 八宮waveの支配人。神田カンダさんは見た目からしてもう怖い。


 並みの女より長い黒髪に筋肉隆々のガチムチ巨大ボディー。両腕にビッシリ詰まったタトゥー。バンドマンというよりプロレスラーの出で立ちだ。もっかい言おう。超怖い。


 生まれも育ちも八宮の神田さんはハードロックバンド『Gaston』で長いことドラマーとして活躍していて、5年前の解散を機に八宮waveの支配人となった。ここで活動するミュージシャンみんなのお父さんみたいな人だ。



「カエデちゃん、こっちのテーブルで見てな。すばるんの座ったところ。ちょっと話して来るから」

「だっ、大丈夫なんですか……っ!?」

「ああ見えて良い人だから。心配せんといて」


 だって『Gaston』って有名映画の登場人物が由来なんだぞ。なんだったら名前決めたの神田さんだぞ。あの感じで年に10回もディ○ニー行くんだぜ。超可愛いよ神田さん。



「もしかしたら入れないかと思ったんすけど、意外と余裕ありましたね」

「たかが自主制作でアルバム一枚出しただけのヒヨッコだぜ。お前が悩んでるほど差はねえよ」

「そんなもんっすかねえ」


 ステージから溢れ出すのは、音の軽い安定しないギターリフと特色の無い走りがちなドラミング。

 一方、ピックのガリガリという音がこちらまで聞こえて来る、心臓の奥まで抉り取られるような刺々しいベース。


 今日も馬鹿みたいに歪ませてるな。指引きと勘違いしてもおかしくない手数の多さだ。ベースが地味とか縁の下の力持ちとか誰が言ったんだよ、存在感あり過ぎてギター完全に食ってるじゃねえか。これを歌いながらとか。ヤバ過ぎ。



 ナオヤがフロントマンを務めるNew Portlandは、八宮waveを拠点に活動しているバンドとしては一番の有望株だ。スタンディングの客は……20人くらいか。


 相変わらずナオヤのベースと歌声だけ良くも悪くも意味で浮いている。というかギターとドラムもっと頑張れよな。実力差が分かりやす過ぎて居た堪れない。


 何が惜しいってライブのクオリティー。他の二人からは「もっとキャッチーでポップな曲がやりたい」という思いが演奏姿からも透けて見えてしまうし、エネルギーの欠落に直結してしまっているのだ。



(でも、良いわあ)


 心が。ボロイ床が。

 揺れる、揺れる。


 ナオヤの作る曲は最高だ。90年代グランジの面影漂う英詩の乗ったハイテンポな楽曲は現代社会とまるで折り合いが付かず、不合理性を残したまま完結している。疑いようの無い完璧なロックンロール。



「お前とナオヤの仲だろ。もう入っちまえば良いじゃねえか。お前くらい歪ませるギターの方がハマるぜ」

「だったらギターもう一人とドラム探して新しく始めますよ。何回目すかこの話」

「そうだっけなぁ……」


 ギターの工藤はそもそもあまりヤル気が無いらしく、ちょっと前まで俺がサポートで入る回数の方が多かったくらい。なのに曲作りに口を出す。ムカつく。嫌い。


 で、ドラムの奈良崎。粗暴な言動とおっかない風貌だけ一丁前のバンドマンだが、デブの癖に一番好きなアーティストは星野林檎とか抜かしやがる。デブの癖に。ムカつく。嫌い。



「こっち見てるぜ」

「分かってますよ」


 演奏を終えたナオヤと目が逢う。今日は観に行くと言っていなかったら、少し驚いているようだ。


 だが何か思うところがあったのか。すぐに鼻で笑い飛ばし、長い前髪の奥から鋭い眼光をフロアへと突き刺す。



『……なにゆっくり寛いでんだよ。休憩中じゃねえんだぞ……こっちは本気でやってんだよ、本気で飛んで来いやッッ!!』


 珍しくテンションの高い煽りに、オーディエンスも増し増しの熱量で声を返す。すぐさま次の曲が始まった。

 お休み気分だったのは工藤と奈良崎だったのか、ベースソロで始まる演奏に慌てて喰らい付いていく。ウケる。



 いやあ。分かってるよ。今の絶対にあの二人でも観客でもなく、俺に向けて言ったよね。ナオヤ。分かってるよ。


 無駄に意味込めなくて良いから。俺らに必要なのは感動的な歌詞でもメロディーでもなく、余りある情動だけってな。


 …………分かってるんだけどなぁ……。



「ユーマさん。これですよ。これ」


 誰かがそんな風に呟いたが、音がうるさすぎて聞こえなかった。聞こえないようにしていた。


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