カドカワBOOKS5周年記念・ショートストーリー集

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聖女の魔力は万能です/橘由華


  <もし現代日本でセイとアルベルトが出会っていたら>



 仕事が一段落し、一息つく。

 壁に掛けられた時計を見上げれば、午後六時半を指していた。

 夕食を取るには、丁度いい時間だ。

 手にスマホと財布だけを持って席を立ち、足早に事務所を出て、エレベータに乗り込んだ。


 ここは都内にある大型ビル。

 一階から五階まではお店が、六階より上はいくつもの企業のオフィスが入っている。

 入居しているのは名だたる企業ばかりで、私の勤め先は入居していない。

 ならば、何故こんなところにいるのか?

 それは、数ヶ月前から入居している企業の一つに派遣されているからだ。


 仕事は楽しい。

 人間関係も良好だ。

 けれども、いつも通りというかなんというか。

 派遣先のプロジェクトは燃えていた。

 お陰で、この数ヶ月は安定の終電帰りだ。


 ただ、いつも通りといっても、このプロジェクトはちょっと燃えているだけ。

 燃え盛っているというほどではない。

 だから、こうして時間を取って、一階のコーヒーショップに行くこともできる。

 偶に取る、この休憩時間は密かな楽しみの一つだ。


 目的のお店に入り、レジの隣の冷蔵ケースに並べられたサンドイッチを見回す。

 ピンと来たサンドイッチを手に取り、レジでカフェオレも注文した。

 カフェオレが出来上がったところで、丁度二人掛けのテーブル席が空いたので、そちらに移動する。


 目の前に食べる物があるからか、先程まで感じていなかった空腹を感じる。

 さっさと食べよう。

 そう思い、椅子に座った後、サンドイッチに掛けられたビニール包装を慌ただしく取り去った。



「セイ」

「あ、ホークさん」



 スマホ片手にサンドイッチを食べていると、斜め前から声を掛けられた。

 声がした方を見上げると、金髪にブルーグレーの瞳の男性が和かに微笑んでいるのが目に入る。

 声の主は、同じビルに入っている別の企業で働いているらしい、アルベルト・ホークさんだ。

 今日着ているのはライトグレーのスリーピーススーツで、生地には細いストライプが入っている。

 色彩や顔立ちと相まって、まるでパリコレに出てくるモデルのようだ。


 ただ、外見に反してホークさんは日本語が堪能だ。

 それが非常にありがたい。

 私は外国語が全く話せないからね。



「夕食か?」

「はい。ホークさんもですか?」

「あぁ、そうなんだ」



 ホークさんと知り合ったのは、このコーヒーショップで。

 切っ掛けは、ホークさんが落とした小銭を拾ったことだった。

 その日はレジが混んでいたのだけど、丁度ホークさんが私の前に並んでいて、支払いの際に小銭を落としてしまったのだ。

 小銭を渡した後、何となくお互いに顔を見合わせて笑ったのが、最初の出会いだ。


 会話するようになったのは、ホークさんが相席を進めてくれてからだ。

 次に会ったとき、お店はとても混んでいた。

 注文したコーヒーを片手に周りを見回したけど、席は見つからず。

 職場まで戻るかと思ったところに、ホークさんが声を掛けてくれた。

 それ以来、少しずつ話すようになったという訳だ。



「夕食ということは、ホークさんもこの後まだお仕事があるんですね」

「あぁ。会議のメンバーの都合で、夜に打ち合わせが入っているんだ」

「そうなんですね」



 ふと周りを見回すと、かつての再現のように目ぼしい席は埋まっていた。

 空いているのはカウンターくらいで、それも既に座っている人と人の間の席しかない。

 体格のいいホークさんがあの隙間に座るのは、少し狭いだろう。

 そこで、良かったらどうぞと、自分の正面の席を提供した。



「ありがとう」

「どうしたしまして」



 微笑むホークさんに、私も笑みを返す。

 ホークさんが持っているトレーを見ると、私と同じサンドイッチが載せられていた。

 偶然にもお揃いだ。

 それが何となく、面映ゆい。



「セイは明日も仕事?」

「いえ、明日はお休みです」



 サンドイッチを食べ終わった後も少し時間があるからと、カフェオレを飲みながら、ホークさんと取り止めもなく話をしていた。

 そろそろ仕事に戻らないといけないなと話を切り上げようとしたところ、不意に明日の予定を訊ねられた。

 問いに答えながら、明日が休みであることに、心の中でニンマリとしてしまう。


 そう、明日は休み。

 しかも、二連休。

 このところ土曜出勤が常態化していたので、続けて休めるのは久しぶりだった。


 せっかくのお休み。

 家で溜まっている家事を消化するのもいいけど、偶には何処かに出掛けようか。

 ホークさんが来るまで、そんな風に明日の予定を考えていた。

 スマホを眺めていたのも、外出先を選ぶための情報収集を行っていたからだ。


 ちなみに、土曜日も出勤していることは、ホークさんにも以前話したことがあった。

 だから、明日も出勤かなんて質問をしてきたのだろう。

 けれども、どうして訊ねてきたんだろうか?

 不思議に思って首を傾げると、思いがけない提案を受けた。



「そう。もし良かったら、明日一緒に出掛けないか?」

「……、ホークさんもお休みなんですか?」

「私はいつも土日は休みだよ」



 で、出掛ける?

 誰が?

 私とホークさんが?

 い、一緒に!?


 ホークさんが土日休みなのは知ってる。

 それにもかかわらず、心の中で驚き過ぎて、思わす答えの分かり切った質問をしてしまった。

 こんなことってあるのね。

 まさか、偶にコーヒーショップやエレベーターで会うだけの人から、お出かけのお誘いを受けることがあるとは思わなかった。


 表情には出していないつもりだったんだけど、出ていたのだろうか?

 私が考えていることを読んだかのように、ホークさんは小さく噴き出した後、休みだと答えてくれた。



「もしかして、何か予定が入ってた?」

「い、いいえ。特に予定はないんですけど……」



 未だ混乱中の頭では、取り繕うこともできず、質問されたことに素直に答えてしまう。

 ただ、予定はないと答えたものの、語尾を濁してしまったからか、微妙に誤解させてしまったようだ。

 どう受け取ったのか、ホークさんの眉が徐々にしょんぼりと垂れてしまった。


 何だが大型犬がしょげているようで、酷く罪悪感を感じる。

 慌てて「行きます」と返したら、その途端にホークさんはパッと笑顔になった。

 ホークさんの後ろに花が舞ったような気がしたのは、多分気のせいではない。

 そして、この後も仕事があるから、待ち合わせ場所や日時など諸々のことは別途話そうということになり、その流れでお互いの連絡先を交換するに至った。



 手元のスマホに視線を落とす。

 時刻は約束した時間の二十分前。

 遅刻しないようにと、少し早めに家を出たのだけど、電車の乗り継ぎが上手くいったからか、予定よりも早く着いてしまった。


 周りを見回したけど、ホークさんの姿は見つからない。

 流石に私より早く来ているなんてことはなかったようだ。

 まぁ、相手を待たせてしまうよりは、待つ方がいい。

 のんびりと待とう。


 ホークさんを待つ間、手持ち無沙汰だったので、近くのウィンドウで自分の格好を確認する。

 休日仕様ということで、職場にいるときよりもラフな格好で、カットソーにカーディガン、それにフレアスカートを合わせている。

 そんなにおかしな格好はしていないと思うのだけど、大丈夫だよね?


 格好を確認した後は、ぼんやりと行き交う人を眺めていた。

 十分位経っただろうか。

 駅の方から歩いてくる、金髪の男性の姿が目に入った。


 ま、眩しい……。

 何だか、ホークさんの後ろから後光が射しているように思える。

 それほど、今日のホークさんもかっこよかった。


 今日は休日ということもあり、ホークさんはデニムのシャツにジーンズというカジュアルな装いだ。

 多少色味が異なるとはいえ、デニムの上下はかなり難しいコーディネートであることは間違いない。

 それでも、様になっているのは、元の素材がいいせいだろう。

 また、スーツ姿しか見たことがなかったのだけど、カジュアルな格好でもすごいわね。

 いつものイケメンオーラは健在だった。



「ごめん、待たせてしまったな」

「いえ、まだ時間前だから大丈夫ですよ。私が早く来過ぎただけですし」



 私が既に来ていることに気付いたのか、ホークさんは途中から早歩きで来てくれた。

 申し訳なさそうな表情をするホークさんに、気にしていないと笑みを返す。

 ホークさんが気にする必要は全くない。

 だって、まだ約束の時間よりも前だもの。


 ほっとしたように微笑んだホークさんに促され、今日行く予定の場所へと向かった。

 歩きながら隣を見上げ、相変わらず背が高いなと思う。

 けれども、歩く速さはいつもよりも少しゆっくりめだ。

 ホークさんよりも背の低い私に配慮して、歩く速度を合わせてくれているようだ。

 さりげない気遣いに、ほっこりと胸が暖かくなった。

 

 そうして、まず向かったのは映画館だ。

 昨夜どこに行こうかと相談している際に、以前見て面白かった映画の続編が封切られていることに気付いた。

 ホークさんも前作を見たことがあったらしく、満場一致で一緒に続編を見に行こうという話になったのだ。

 この選択は間違っていなかったようで、今回の映画もとても面白かった。

 ホークさんも楽しめたようで、見終わった後に、お互いに映画の感想を熱く語り合ってしまった。


 その次に向かったのはランチだ。

 映画館の近くに、ホークさんお勧めの美味しいお店があるということで、そこに行くことになった。

 お店を提案されたとき、少し驚いた。

 男性のお勧めということで、ガッツリ系のお店を提案されるかと思いきや、実際に提案されたのはかなりお洒落なカジュアルフレンチのお店だったからだ。


 いや、ある意味、ホークさんらしいといえば、らしいのかもしれない。

 やることなすことスマートだ。

 混む時間帯にもかかわらず、お店に行ったらすぐに席に通してもらえたしね。

 どうも、昨日のうちに予約をしていてくれたようだ。


 料理の方もとても素晴らしかった。

 味が美味しいのは当たり前で、見た目も綺麗だったり、面白い料理ばかりだった。


 まず前菜として出てきたオムレツは、一見するとオムレツには見えなかった。

 白いクリームソースの上に、削られたチーズがふわふわと載っていて、どこにも見慣れた黄色はなかった。

 けれども、スプーンを入れると、クリームソースの下から黄色い卵の層が出てきたのよね。

 味ももちろん美味しかったけど、あれは面白かったわ。


 メインはお店のお勧めでもあるハンバーグだった。

 豚肉を使ったハンバーグだったからか、口に入れると肉汁が溢れて、とても幸せだった。

 スパイスも効いていたしね。

 更に、掛かっていたソースも美味しくて、思わずパンで全部拭ってしまいそうになったわ。

 一応、今日はホークさんがいたから自重したけど。


 そうして、物凄く口福な時間を過ごしたけど、最後にちょっと一悶着あったのよね。

 揉めたのは支払い。

 割り勘するつもりだったのだけど、いつの間にかホークさんが全部払ってくれてたのよね。

 お店を出るときに、ホークさんが何もせずに出口に案内するから、かなり驚いた。

 慌てて問い質すと、支払い済みだって言うのよ。

 お店を出てから、払う払わないで揉めたんだけど、最終的にご馳走になってしまった。

 その代わり、次回食事をするときには私が払うという約束をした。

 

 その後は、レストラン近くのお店でウィンドウショッピングを楽しんだ。

 途中、イベントで珍しい車が展示されているのを見付け、ホークさんの目が輝いた。

 ホークさんは車が好きらしい。

 側にいた車会社の社員さんにアレコレと質問をしていた。

 隣で聞いていたけど、さっぱり分からなかったから、かなり細かい話をしていたのだろう。

 けれども、嬉しそうに話をしているホークさんをみているのは、少し楽しかった。


 そうこうしているうちに、気付けば解散の時間となっていた。

 昨日の時点で夕飯はどうするかという話もしたのだけど、今日はここまでにしておいた。

 何故かというと、私の体力が尽きたからだ。

 このところの土曜出勤で、体力が減少していたみたいね。

 常日頃から土日が休日であれば、もう少し持ったのかしら?

 ちょっと残念だ。



「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

「こちらこそ、ありがとう。私も楽しかった」



 途中までは同じ電車だということで、車の話を聞きながら一緒に帰った。

 そろそろホークさんが乗り換える駅に到着するというところで、今日のお礼を伝える。

 ホークさんからも楽しかったと言ってもらえて、良かったと、ほっとしたところだった。

 最後の最後で、思わぬことを言われ、固まった。



「また次のデートを楽しみにしているよ」

「はい。って、えっ!?」

「それじゃあ」

「あ、はい。ありがとうございました!」



 え? デート?

 デートっ!?


 無情にも、混乱している間に駅に着いてしまい、ホークさんは片手を上げて降りて行く。

 慌てて、もう一度お礼を言ったけど、心の中では叫んでいた。


 呆然と窓の外を見ながら、ホークさんから言われたことを考える。

 言われてみれば、デートなのかもしれない。

 今日は二人きりで出掛けてしまったし……。

 うん、確かにデートだ。


 言われるまで気付かなかったのは、偏に私の経験不足のせいだろう。

 思い出せる限り、父親以外の男性と二人で出掛けた記憶はない。

 えっ、今日が私の初デート?


 いや、それよりも、次回って言った?

 次回があるの?

 いつの間に約束したの!?

 え? もしかして、次に食事する際にって話をしてたのが約束になるのかしら!?


 あれこれと考えているうちに、どんどんと顔が熱くなる。

 きっと顔は赤くなっているだろう。

 けれども、そんなことを気にする余裕もなく、私はデートをしてしまったという事実に悶え続けたのだった。

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