第11話 野営

 日は天頂にあった。ヴァンたちは簡単な昼食をとると、廃村を後にした。

 夜になれば気温はぐっと下がる、この先に別の館を見つけられるとは限らない。急ぐ旅ではないので今日はこのまま、という意見もあったが、あまりに進みが遅いといずれ追手に見つかってしまうという危惧もあり、先に進むことにした。


 寒さの中で野宿ともなれば命に係わるかもしれないという不安はあったが、街道を進めばいずれ街に着くことは分かっているので、適当な落ち着き場所が見つからないのであれば最悪は夜通し進み続ければいい。


 街道を進んでいくと、前方に森が見えてきた。この森を抜けるとルブニールから最も近い地方都市シェーブルがある。とはいえまだ距離はあるので、森の手前で野営するか、そのまま森を進むか悩んだ。森の手前で野営するなら、森を越えたところで野営しても同じだとコルヌが言うので、みな同意してとりあえず森を抜けることにした。


 ところが、近そうに見えた森にたどり着くのに予想外に時間がかかり、森に入った頃には日が大分傾いてきていた。それでもと一行は森を抜けるほうを選んだが、そもそも充分に日が当たらない森の中は薄暗く、いっそう不安にさせた。


 森は緩やかな上り坂で、荷物を載せた馬車の速度に合わせていると、どうしても時間が掛かる。ようやく坂が終わり尾根部分に到着したところで、遠眼鏡で周りを観察していたポシェが幸運にも近くに狩猟小屋があるのを発見した。今日のポシェの働きは素晴らしい。


 全員一致で今夜は狩猟小屋で野営することに決め、小屋へ向かった。小屋までは丁度馬車一台が通れるぐらいの幅の小道があり、労することなく到着できた。


 小屋の中は獣の臭いで充満しており慣れない者には不快であったが、アリサ以外は特に気にするふうでもなかった。ギルドの里は自力で開拓されたようなところで、森にも囲まれており、半ば野生で育ったようなヴァンやポシェはにとっては、懐かしさすら感じた。実際ヴァンもポシェも鹿や猪を捕まえてその場で解体することなど、子供の頃からやらされており、獣の臭いなどには気にもならない。


 誰が決めたというわけでもなく、自然と其々が分担して野営の準備を始めた。勝手が分からないアリサはしばらく皆の働く姿を眺めていたが、ふと思い立つと小屋の中と周辺で何やらゴソゴソとやり始めた。


 小屋の前で焚火の準備をしていたグランがそれに気づいて声をかける。


「アリサ、あなた何しているの」


「一応、結界を張る準備をしておこうと思って」


「そう。でも人の張る結界では、熊とか野犬とか野生の生き物には効果ないから意味ないわよ」


 野営や森のルールなど街育ちの子には分からないのだろう、馬鹿にするというよりは正しい知識を教えてあげようという親切心で分かりやすく説明する。


「それは分かっている。ただ、今作っているのは普通の結界じゃなくて、人の目には分からないのだけど、獣の目でみると炎で包まれているように見えるらしいの。炎の中に飛び込もうとする動物はいないでしょう。私も初めてだから効果のほどは分からないけど、無いよりはましかと思って」


「そうなの。なんかすごく高等な魔法じゃない。さすが魔導士様」


「ううん、違うの。本にね、書いてあったの」


 そういって、手元にある本をグランンに掲げて見せた。

 軟禁された部屋で読んでいた『魔法教典』である。


「あなた、その本持ってきちゃったの。それ古い時代の貴重な写本でしょう」


「持ってきたというよりも、本を持っていたところを、そのまま連れ去られたのよ。返す暇なんてなかった」


 泥棒呼ばわりされたのが癪にさわったのか口を尖らせ不満顔である。

 そんなアリサの子供のような可愛いしぐさに皆が笑ってしまう。


「何よみんな子供扱いして。これでもヴァンやポシェより少しだけ年上なのよ」


「あら。私から見れば三人とも子供だけどね」


 もう、知らない、とアリサはそっぽを向く。


 ヴァンとポシェにしてみれば飛んだとばっちりだ。態度が子供っぽいと言っているので実年齢は関係ないだろう。そんな様子をグランは面白がっている。


「それじゃ、結界ができたら、コルヌ、ちょっと試してみてよ」


 今度の矛先はコルヌの番だ。


「なんでだよ」


「あんたが一番獣に近いんだから、炎の結界が見えるかもしれないじゃない」


「うるさい。いい加減おしゃべりはやめにして、とっとと火を焚いてくれ」


 なにやら騒々しいが、ヴァンにしてみれば久しぶりの大所帯、悪い気はしなかった。


 完全に日が落ちてあたりがすっかり暗くなったころ、ようやく夕飯の準備ができ、焚火を囲んで食事をとる。食事中、アリサが教典に書かれていた様々な魔法について熱心に語っている。皆も興味ありそうに聞いていた。


 ギルドはどちらかという盗賊技術と近接戦闘に重きをおいており、魔法は補助程度にしか考えていない。ただし、例えば投げナイフを投じる際、指先で軽く風魔法を起こしてやると、うまくやれば通常の数倍の速度でナイフが飛んでいく。まずは避けられない。そういった戦闘補助となる魔法ついては、しっかり身に付くまで懸命に練習する。それでも精々その程度だ。戦闘において魔法に頼ることは良しとされていなかった。そのため、ギルドの面々は実は魔法に関しての知識をあまり持っていないのだ。


 本に書いてある話というので、ヴァンは少し緊張して聞いていたが、ついぞ魔族の話はでなかった。安心はしたが、正直、魔族についてもう少し詳しく聞きたいという気持ちも片隅にあり、どっちつかずの複雑な心境だった。


 コルヌは結界が張られている近くにいって本当に炎が見えるのかとまじまじと観察している。案外、興味があるらしい。

 戻ってきたコルヌにヴァンがどうだったと訊ねる。


「まあ、少なくとも俺が獣ではないことは確認できた」


 とコルヌは冗談めかして答えた。

 

 既にコルヌとヴァン以外は眠りについている。アリサ、グラン、ポシェの女性三人は念のため狩猟小屋の中で就寝している。アリサは臭いが嫌だと最初は渋っていたが、長い旅なのだからそんなことには早く慣れなさいとグランに説教されて、嫌々ながら部屋に入っていった。まだ眠れないでいるかもしれない。


 ヴァンとコルヌはそのまま外で野営し、交代で見張りをすることになっていた。先にコルヌが見張りをするというので、ヴァンは狩猟小屋に無造作においてあった熊皮を被って寝ることにする。被ってしまえばかなり暖かいが毛皮をじかに掛けるとさすがに臭いはきつい。でも直ぐになれるだろう。そんなことを考えながら、やがて眠りに落ちていた。


 体をゆする動きで目が覚めた。交代のようだ。

 ヴァンは被っていた熊皮をコルヌに渡し、焚火の前で薪をくべる。毛皮一枚剥いでしまっただけで、随分と寒い。焚火の上にかけてある吊るし鍋からお湯をカップに入れると、両手で包むようにして口に運ぶ。喉から胃にかけて温かい湯が流れていくのを感じる。コルヌはとうにいびきをかいて寝てしまっている。寝つきが良いのは何よりだ。


 上空に輝く月はやや西に傾いている、夜半を過ぎた頃だろうか。まわりを見回しても暗く何も見えないので、耳だけを周囲に集中させ、ぼんやりと考え事をしていた。



 背後で物音がする。狩猟小屋の扉が開きアリサが出てきた。


「どうした、眠れないのか」


「少しは眠った。でも、どうしても臭いに慣れなくて。一度目が覚めてしまうと、もう・・・」


 言いながらアリサはヴァンの隣に腰かける。

 ヴァンは鍋の湯をカップに入れて渡す。


「お茶のような上品なものは無い。ただの湯だ。でも温まる」


「ありがとう」


 カップを受け取ったアリサは火傷をしないよう少量ずつお湯を飲んだ。


「あの、少し気になっていたのだけど、昼間のことで」


 ヴァンはドキリとした。終わったと思っていた話がここでぶり返されるのか。


「なんのことだ」


「気に障るようんらごめんね。昼間に話した魔族の話なんだけど。ヴァンの様子が少しおかしかったから」


 ずっと気になっていたのだとアリサは言う。

 知り合ったばかりだというのに随分ずけずけと人の心に入り込む。それだけ世間知らずのお嬢様ということだろうか。黙っているのも居心地が悪い。それに、ヴァンがギルドに加わった頃から一緒のコルヌやグランは一通りのことは知っている。遅かれ早かれかもしれない。ヴァンは意を決して話を始めた。


「俺は、ここから随分と東にいった辺境のサルセという村で生まれたんだ」


 自分の生い立ちから話を始めた。そして子供の頃にサルセ村であったこと、牢にいれられブルーノに出会ったこと、その後ギルドの里で育ったこと、自分が魔法の影響を受けない体質であることなどを簡単に話した。


「だから、昼間の話にあった『魔法が効かない魔族』という言葉に少し動揺したんだ。俺には自分が何者なのかが分からない。ポシェが言っていたように特異体質だということなのか、本にあった魔族なのか。司祭が言っていた『魔族の子』というのにも繋がるのかもしれない」


「ごめんなさい。私・・・本当に聞いてはいけないことを聞いたのかも」


「もう話してしまったんだ。どうでもいい。嘘をつくことも出来た。だから、話をしたのは俺の意思だ。気にしなくていい」


「でも・・・」


「後悔するなら興味本位で質問したりしなければいい。申し訳ないという気持ちがあるのなら他のことで取り返せばいい」


「他のことって」


「そうだなぁ。この旅を通して、ちゃんと俺たちと仲間になる、とか」


 アリサは予想外のヴァンの言葉に一瞬固まる。実際、思いもよらず旅を楽しんでいる自分がいることにアリサも気付いていた。何人かの仲間と昼夜を共に過ごすというのもアリサにとっては初じめての体験である。


 仲間か。アリサは心の中が何かふわりとして温かくなるのを感じた。


「わかった、仲間と言ってもらえるように頑張る」


「そのためには、アリサも心を開かないといけない。出来れば秘密もいけない。嘘はもっといけない。それに俺たちと仲間になるためには、獣の臭いにも慣れないと」


「獣の臭いは・・・約束できないかも」


「糞尿の臭いにも」


「それは二度と嫌だ」


 そう言ってアリサは笑った。

 ふーん、笑った顔はなかなか可愛いんだとヴァンは思った。


 世間知らずのお嬢様は、言い換えれば純粋なのだ。純粋で正直であることは良いが、ギルドの仲間のように一人で生きていけるような力はまだ無いのだろう。ただ、そういった力や自分の中にゆるぎない信念のようなものが芽生えないと、ギルドの仲間とは認めてもらえない。思っているより大変だぞ、とヴァンは思った。


「俺の父さんと母さんは教会の司祭に殺された。その理由もまだ分かっていない。だから、アリサが考える教会の秘密には俺も興味がある。サルセ村の事件と関係があるかは分からないが、秘密があるのであれば俺も知りたい」


「そうね。私もヴァンの話を聞くまで教会がそんなことをしているとは思いもしなかった。きっと何か隠している事があるんだと思う」


「ブルーノはいつも言っていた。”自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えろ”って。だから俺は、今回の仕事は請負仕事ではあるけど個人的にもやるべき仕事だと思っているんだ。だから安心していい。最後までちゃんと協力する」


「ありがとう、ヴァン。そういって貰えると嬉しい、それに・・・」


「なんだ」


「ヴァンのことはもっと冷たい人だと思っていたから。話せて良かった」


「お、おう」


 なんだこれは。良く分からない感情が心の底から湧いてきた。恥ずかしいのか、照れてるのか。ヴァンは、いま自分がどんな顔をしているのか不安になって下を向いてしまった。


「付き合ってもらってありがとう。私、もう一度寝てくるね。獣の臭いにも慣れるように頑張る」


 アリサは小屋に戻っていった。

 そろそろ交代の時間だ。でも直ぐには眠れそうな気がしなかった。コルヌも熟睡しているようなので、交代を遅らせしばらく見張りを続けることにした。



 コルヌとはその後一度交代し、ヴァンが次に目を覚ました時には既に夜が明けていた。森で鳥がさえずる声が聞こえる。今日も天気は晴れ。晴れるのは良いが積もった雪が解け出して悪路になりそうだ。


 みんなも起きだしてくる。アリサがヴァンに近寄るとおはようと声をかける。ヴァンもおはようと返した。

 それを目ざとく見つけたポシェが二人に突っかかる。


「なによ、いつの間に二人はそんなに仲良くなったの。アリサ、いい機会だから言っとくけど、ヴァンにはちょっかい出さないでよ。あたしのものなんだから」


 アリサはそんなこと言われても、と困っている。


「ちょっと待てよ、俺はいつポシェのものになったんだよ」


「何よ、忘れたの。昔、約束したじゃない。二人は一生仲良しでいるって」


「それは子供の頃の話だろう。それにもう忘れたよ、そんなことは」


「あらいやだ照れちゃって。年頃の男子はこれだから嫌なのよ。もっと正直になればいいのに」


「お前いい加減いしろよ。妄言にもほどがあるぞ」


 そんなやり取りを横で聞いていたアリサは楽しそうに笑っている。

 そして、おもむろにポシェの両肩をつかむと正面からじっと目を見つめる。


「ポシェ聞いて。ポシェもおはよう。私、みんなと仲良くなることにしたの。だからポシェもよろしくね」


 これまた真正面からの突撃だ。ポシェは驚いて後ずさる。


「わ、わかったわよ。でもヴァンは私のものだからね。それだけは譲れない」


「だから、俺は誰のものでもないだろうに」


「はいはい。分かりましたよ、偉大なる魔王様」


 ちくしょう。最後までおちょくりやがって。一つぐらい言うこと聞いてやろうと思っていたが撤回だ。背後ではコルヌとグレンが腹を抱えて笑っている。


 ちょと俺、少し舐められてないか。

 

 納得いかない気分だったが、ともかく野営の片づけと旅支度を始めることにした。

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