第6話 軟禁
書庫から立ち去るアッシュを目で追いながら、アリサは呆然として立ったまま動けずにいた。お茶の支度をしていたグランがティーカップを二つテーブルに用意する。
「まずは、お座りなさい」
随分とくだけた口調で言うと、自分も椅子を引いて足を組んで座った。
「アリサだっけ。あなたも随分な世間知らずね。まんまと騙されて」
「騙された。私が、誰に」
「枢機卿よ。まだ分からないの、かなりの鈍感ね」
それにしても初対面の人間にくだけ過ぎである。
「いい、よく聞いて。貴方が何をしたかしらないけど、あなたはね軟禁されたの」
なんきんとわざわざ一語一語を区切るように喋る。
発した言葉の意味をアリサの頭に刷り込んでいるようだ。
「私が軟禁なんてどうして」
「そんなこと知らないわよ。貴方が"してはいけないこと”を”してしまった”ってことなんじゃない」
してはいけないこと。密告について調べたことだろうか。
それとも教皇に直接請願書を出そうとしたことだろうか。
それにしたって、と思う。
特別な部屋を準備して世話係までつけ、嘘をついてまで軟禁するとはどういうことだろう。直接叱責するか、教会を追放するか、必要なら牢にいれて処罰することだって枢機卿ならば出来るはずだ。
わざわざラグ隊長であるアッシュに案内させるというのも、何時でもラグが見張っているという目に見えぬ圧力なのか。逆に推量すれば教会は公にできない秘密を隠しているということになりはしないか。
「グランは私の見張り役ってことなの」
「いいえ、お金で雇われたただの世話係よ。知り合いから教会で割りのいい仕事があるからって紹介されて。報酬もかなり良心的な割りに仕事は楽なほうだし。ところで、夜は私は家に帰るからあなた一人になるけど、決して逃げようとか助けを呼ぼうとか余計なことしないでね。少なくとも一週間はね。一週間分の前金は受け取っちゃったから、後になって返せとか言われても困るの。よろしく頼むわね」
人が軟禁されているというのになんとも素っ気ない。言い分は理解できるが、どこまでも身勝手じゃないか。騙されて急に知りもしない場所で暮らせと言われた年若い女性を前に、可愛そうだとか助けてあげたいとか思わないのだろうか。アリサは不満に思ったが、それとて臨時雇いのグランにしてみればアリサの身勝手な言い分にしかならなとも言え、アリサはただ落胆するしかなかった。
唯一グランの明け透けのない口振りだけがアリサの気持ちを落ち着かせた。
アリサはグランの入れてくれたお茶を飲み干すと、ひとまず書庫を見て回ることにした。念のため建物の入り口まで行き扉が開かないか確認してみたが、外側で南京錠がガタガタする音が聞こるのみで、自分が置かれた現実を再認識させられただけだった。魔法を使えば鍵など壊すことはできるが、教会の敷地の中である、直ぐに捕まるだけで無駄な行為でしかない。
アリサは諦めて書庫から目についた写本を一冊手に取ると、それを持って部屋に戻った。グランがお茶のお代わりはと聞くので遠慮なくお願いし、自分は執務机に向かって『魔道教典』と書かれた写本を読み始めた。数百年前の終戦直後ぐらいに書かれた本の写しらしく、教会の魔導士が全土に魔法を正しく教え広めるために作成されたもののようだった。
教典は「魔法とは」という章から始まっている。
自然の中には「マナ」と呼ばれる目に見えない力の源が存在する。マナは風を起こし雨を降らす力となり、光の中にあるマナは周囲を温める。草木はマナを取り込んで成長し花を咲かせて実をなす。鳥はマナの力で翼を動かして空を飛び、魚はマナの力で水の中を泳ぐ。すべての事象の根源なる力であり魔力の源でもある。人の体内にもマナが存在し、血脈のように常に体内を循環している。
修道院の基礎課程で学ぶようなことだ。子供でも知っている。ただ、アリサが知らないことも書かれていた。
元々人は体内に流れるマナの存在を知らず、使い方も分からなかったため、魔法を使うことができなかった。体内のマナを集めて魔法とし、火や水、土など具現化して利用するためには、集めたマナを体外へ放出するための、蛇口のようなものを開ける必要がある。人はその蛇口が開いていなかったのである。
聖イブルスの導きにより蛇口を開いた人々は魔法が使えるようになったが、欲のままに使用すれば、たちまち悪道の闇に落ちてしまうため、聖イブルスの声に耳を傾け正しく魔法を使用することが重要である。
そう書かれている。
最近の魔道修習ではこのようなことは教えられない。
魔法の使用に関する善悪はこのような教典よりも厳格に法典として整備されており、悪道の闇になどという抽象的な表現はされない。また、魔法の獲得から数百年後の現在では既に蛇口という概念はなく、元々人に備わっているものだという前提のため、多くが割愛されているようである。
アリサは幼少より周りの同年代の子より魔法を上手に使え、威力も比較にならなかった。そのため、魔道教会の修道院に入るにも特段苦労することなく、決められた道の上を進むかのように自然と魔導士を志した。アリサは、私はこの蛇口というものが他の人と比較して大きく開いているのかもしれない、そう思った。
この章にはそれ以上目新しことは書かれておらず適当に流し読みしていき、途中にある個別の魔法に関する技術的な解説は大きく飛ばした。アリサは次章の「魔族」というところで頁を捲る手を止めた。
魔族とは、姿形は人と似ているが、体は貧弱で頭髪や体毛は薄く見るからに醜悪である。種族によ、角があったり、尾があったり、目が赤かったりと、人と明らかに判別できる特徴を持つ。精神は強欲で卑劣であり、人を騙し、いたずらに悪事を働き、厄災を引き起こし疫病を流行らせる。人の男は躊躇なく殺し、女は凌辱し、子供の血肉を食らう。集団でいても秩序や規律がなく、魔族同士でも常に争い、殺し合い憎しみあう。戦で負けた種族は奴隷として従属させられ、売り買いもされる。人を悪道に引きずり込むことを望み、闇に落ちた人は魔族になるともいわれる。
魔族は高等な魔法を使うことができ、魔力は人を上回る。魔族により放たれた魔法は容易く人を傷つけ、また、人により放たれた魔法で魔族は傷つく。但し、魔力の強い魔族の中には、魔法で出来た目に見えぬ法衣を纏い体を防御する者もいる。そのような魔族に対しては、近接して刺突すべし。
既に人により死滅させられたとされる魔族に関し、詳細に記載した書物も昨今では珍しい。書かれた時代が古いからか表現も少し生々しい。
中央の円形テーブルで同様に写本を呼んでいたグランが、蝋燭に火をともしアリスの執務机と自分の机の上に置く。読書に集中して気付かなかったが、日はだいぶ傾いてきているようだった。建物入り口の扉を叩く音がする。グランが部屋を出て応対し、手に籠と吊り下げ鍋をもって戻ってくる。
「修道院から食事が届いたわ。スープは冷めてしまっているようだから温め直すから待ってて」
グランは暖炉の上に鍋を置き、薪棚から新しい薪を取り出して火にくべる。籠にはパンとチーズの切れ端が二人分入っていた。グランは棚から皿を出しテーブルに並べる。アリサは読んでいた頁の角を折り返して本を閉じた。結局、その後は誰からの連絡も無かった。本当にこのままこの部屋での生活を続けるのだろうか。それもいつまで。アリサは軟禁という自身が置かれた立場に一層不安が増していった。
準備が出来たので二人で円形テーブルに向かい合って食事をとる。世話係のグランも食事は部屋でアリサと共にするようだ。
「かなり熱中していたようだけど、アリサは何を読んでいたの」
グランが食事をとりながら聞いてくる。夕食は修道院寄宿舎で出されているものと同じようだ。アリサにとっては食べ慣れた味で、不味とまでは言えないが調理に工夫もなく味気ない。
「『魔道教典』という本。魔道教会が出来たかなり初期の頃に書かれた教典の写本みたい。魔法に関する基礎的な説明と、魔法の技術体系、他に魔族についても書いてあったわ」
「何か目新しいものはあったの」
「そうねぇ。古い本だから、今の時代では余り教えてい無い話が幾つかあったかな」
アリサはそう言うと、写本から得た新たな知識をグランに語って聞かせた。
「へぇ、なるほどね。蛇口というのは私も初めて聞いた。魔族についての部分は、少し大げさでお伽噺みたい。魔族って本当に角や尾があるのかしら。それに魔族に対する辛辣な評価は悪意すら感じるわね。まるで嫉妬に狂った女みたい」
あまりに滑稽すぎて逆に不愉快だといった口ぶりだ。
「確かにね。まだ魔法に接して間もない人間に向けての教典だから、寓話のようなどこか戒めを意図した内容になっているのかもね」
「ただ、人の魔法が通じないというのは聞いたことがある」
「通じないというのではなく、人の魔法が通用しない魔族がいるという書き方ね」
「本当にそういう人に出会ったら、その人は魔族ということなの」
「かもしれない。そんな人は居ないと思うけど」
「その人に角や尾があるか確認するしかないわね」
どうやらグランは角や尾が大層お気に召したようだ。
食事はほぼ終わりかけていたが、興が乗ってきてアリサが話を続ける。
「グランはどんな本を読んでいたの」
「イブルスの伝説。まさにファンタジーだったわ。それまで空を覆っていた雲が晴れ天が神々しく輝き偉大なる神の声が届く、みたいな」
芝居でもするように身振りを手振りを加えて演じる。それを見てアリサは苦笑する。アリサも少し皮肉っぽく批評家ぶってみる。
「きっと物語めいた話のほうが大衆にはうけるのよ」
「神託を受けたときのイブルスの誓約みたいな文もあったわ」
グランはそう言って中空を見つめながら諳んじる。
我イブルスは
神の導きにより青き聖杯に光を集め
その光を人々に分け与えると誓う
我イブルスは
光が闇に包まれしときは聖杯を砕き
与えられし力を神に返すと誓う
エデンの丘を下りし聖なる地にて
半日ほど本を読んだだけで暗唱できるとは、言うほど退屈だったわけでもないらしい。それにしても短時間で丸暗記できるのだからグランは相当に優秀なのだろう。
外はすっかり日が暮れて夜になっていた。室内の明かりも蝋燭二本の明かりでは心もとない。グランは炊事場で食器を洗い布巾で丁寧に水滴を拭うと、もとあった棚に戻す。窓を開けて空気の入れ替えをすると、冷気とともに新鮮な空気が部屋に入りみ、息苦しさから解放された魚のように暖炉の薪がはぜる。しばらくしてから鎧戸を閉め、窓に真鍮製の留め具を掛ける。
「今日はこれで私は帰るわね。夜更かししないで早く寝るのよ」
母親のように諭すと、すっかり空っぽになった籠と鍋とも持って部屋を出ていった。戸口で声をかけ扉が開く音がする。衛兵と何か話しているかと思うとバタンと扉が閉まり、施錠する音が聞こえる。
アリサはそこまで耳で確認すると、一人取り残された部屋をあらためて見回す。
やれやれ、どうしたものか。現状を打開する策など思いつかず、何をしたところで無駄な抵抗であることは分かっている。受け入れるしかない。問題はこの状態がいつまで続くのかということだ。グランは世話係の契約は とりあえず一週間と言っていた。その程度の期間で解放されるのだろうか。とりあえずなのだからもっと長い期間もあり得るのだろう。
グランの言う通り、約束の囚人との面会などは嘘なのだ。救いがあるとすれば隣の書庫にある大量の写本だ。善意で解釈すれば一日中好きなだけ魔道関連の本を読める滅多にない機会ではある。食事も届けられ世話係までいるのだから、まるで貴族のような生活ではないか。元来、外で体を動かすより部屋の中で本を読んでいるほうが好きなアリサにとっては、この環境も言うほど苦痛ではなかった。アリサは本の続きでも読もうかと思ったが、さすがに一日にしてはいろいろ起こりすぎて疲れもしていたので、大人しく寝ることにし祭服を脱ぎ下着姿でベッドに向かった。
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