神と人の離別

 暗闇に鬼の目が煌く。主要陣地で片目を負傷した事で1つとなったその輝きは、まるで地上に星があるかのように光っていた。次第に近付いて来るその存在が、自分たちの命を付け狙う地獄の使者である事を改めて実感させる。

 小田が思わず、言葉を零した。

「綺麗だな」

 鬼に対する憎しみも何もなく、自然と漏れた言葉だった。対するこちらは、塚崎が御守り代わりに懐へ忍ばせていたタバコを全員が銜え、仲間たちと共に最後の静かなひと時を味わっていた。

「しつこいヤツですね。まぁ、このまま見逃してくれるとは思っていませんでしたが」

「一泡吹かせるには十分過ぎる量が埋まってる。それに、ここで全員死んだとしても皆仲良くあの小屋で這い蹲って一緒だ。それなら寂しくないさ」

「そう考えると、関口や小倉たちが可哀想ですね。あんな所に置き去りにされて」

「既に1度死んでる存在だ。連れて帰ったとしても、途中で消え失せてしまう可能性が高い。あんな姿を人前に晒す方がよっぽど可哀想だ」

 吸い切ったタバコを土で揉み消した。数多くの隊員が同じ動作を行い、最後の瞬間へ向けた士気が高まっていく。

「射撃用意」

 弾倉を入れる音、初弾を装填する音、銃を構える音、全員の息遣い。この期に及んでも、小隊は最高の状態を保っていた。

「無反動砲、用意よし」

「機関銃、用意よし」

「各自の準備完了」

 全ては整った。歩いて来る鬼も肉眼で捉えられる距離にまで近付いている。引き金に掛けた指は、力が入り過ぎない自然体だ。この約2日間で一生分の体験をした事で、様々な感覚が麻痺しているせいでもあるだろう。

「撃っ」

 2丁のMINIMIが送り出す十字砲火が鬼に食らい付く。全身に5,56mm弾が集中豪雨の如く突き刺さるが、そこまで大きなダメージにはなっていないらしい。

「無反動砲も撃て!」

 8発の84mm榴弾が1発ずつ着弾。その爆発でよろけるが、足を進める事だけは絶対に止めなかった。

「急所を狙え! 射撃をそこに集中させろ!」

 とは言え、人間に見立てた場合の急所がヤツの急所とは限らない。取りあえず顔や心臓、わき腹や股間へ射撃が集中する。そのどれかが本当に急所だったらしく、鬼が思い切り仰け反ってから呻き声を挙げつつ膝を着いた。棍棒も手から滑り落ち、地面に突き刺さる。

「手榴弾! 今だ!」

 全員が手榴弾を1つずつ投擲。10回以上の爆発で鬼は動きを封じられるも、顔をこちらに向けて睨み付けて来た。初めて集落で遭遇した時の記憶が蘇る。

「ヤツの顔を見るな! 顔を伏せろ!」

 目が光りを増すと、けたたましく鳴っていた銃声がパタリと止んだ。鬼の目から発せられる殺気のような何かが全員の動きを止めてしまう。どれだけ力を入れても指が曲がらないのだ。

「くそ……指が動かねぇ」

「おい! 誰か動けるのは居ないか!」

 全員がもがき苦しむのを余所に、鬼は悠々と足を進めた。これでは埋設したC4も起爆させる事が出来ない。

「……笑ってやがるのかコイツ」

 鬼の口の両端が少しだけ釣り上がった。どうやら抵抗出来ない我々を見て楽しんでいるらしい。せめて銃剣を取り出せないかと腕に力を入れるが、全くの無駄だった。

「殺してみろ畜生! 只じゃ死なねぇぞ!」

「相手の動きを止めないと満足に殺せないのかクソ野郎!」

 空しい抵抗だった。口しか動かない。怒声で捲くし立てるが、3mの巨体が近付くに連れて収まっていった。


 鬼が目の前に立ちはだかる。銃弾なんて効きそうにない肉体には僅かながら傷が見られるが、大きな外傷は確認出来なかった。廃集落で行われた1回目の戦闘で我々の火器に対抗する何かを会得しているように思える。

 最後の瞬間を覚悟したその時、社の扉が勢いよく開いた。同時に中から飛び出して来る青白い稲妻が鬼に直撃し、後方数mへと吹き飛ばす。これに驚いた事で何人かの金縛りが解けると共に、社の中から井上が再びその姿を現した。

「あまり時間がありません! 早く中に!」

「井上一曹! 無事だったか!」

「向こうで皆待っています! 急いで下さい!」 

 小田と石森、塚崎が動けない隊員たちを社の中へ運び続けた。井上は次第に体の自由が利き始めた者に手を貸している。

 殆どの隊員を運び終わったと思ったが、まだ何人か抜け落ちていた。社の外に出て目を凝らすと、這い蹲ってこちらに近付く隊員を2名ばかり見つける。

「今行くぞ! 待ってろ!」

「一尉!」

 飛び出した小田を石森が制止しようとしたが間に合わなかった。吹っ飛んだ鬼が意識を取り戻して、その隊員たちに近付いているのが見えていないらしい。小田は隊員たちの元へ一直線に向かっていった。

「もう少しだ! しっかりしろ!」

「逃げて下さい! ヤツが直ぐそこに!」

「一尉! 鬼が来ます!」

 後ろに気配を感じる。ホルスターの9mm拳銃を掴んで撃鉄を起こしながら引き抜き、振り返りつつ構えるが鬼の強烈な横蹴りで吹き飛ばされた。ランヤードも千切れてしまい、拳銃は何処かへと姿を消す。鬼は地面に叩き付けられた小田へ上方から拳を突き落とした。

「ぐぁ!」

 防弾パネルが割れる音と、重たい衝撃が小田を貫いた。臓器を揺さぶられて胃液が逆流する。咳き込んで苦しむ小田へ鬼は追い縋るが、これを社の方から放たれる射撃が阻害した。

「一曹! 頼みます!」

 体が動くようになった岩樹と飯島が気を反らすために撃ち続ける。井上はその火線の下を走り、小田の救出へ向かった。這い蹲る隊員は塚崎が既に社まで引きずり込んでいる。小田さえ揃えば、生き残りは全員が脱出出来るのだ。

「一尉! 少しだけ我慢して下さい!」

 井上は回復仕切っていない小田を両肩に担いで運び始めた。不安定な足元に対して信じられないスピードで走り出す。さすがは特殊救難団のメディックだ。

「動ける者は一曹を援護! 手榴弾も使い切れ!」

 石森と塚崎、数名の隊員が外に出て2人の後退を援護する。無事に仲間の下へ辿り着いた2人と共に、全員が再び社の中へと収まった。

「全員居るな!?」

「点呼終わってます!」

 これを待っていたかのように、青白い光が彼らを包み始めた。小田は朦朧とする意識の中、腰の背嚢に仕舞ってあったC4の起爆装置を取り出した。近付いて来る鬼が薄っすらとした視界に見えている。

「……こいつで、吹き飛べ」

 ボタンを握り込もうとした瞬間に放電現象が発生。同時に、小田の手へ見知らぬ透明な白い手が被さる。


 大変な御迷惑、忝ありません 我の方で始末をつけます故、刃をお納め下さい


 頭の中で誰かがそう囁いた。ボタンは握り込まれる事なく、起爆装置が小田の手から滑り落ちていく。それが床に落ちる頃には、社の中にはもう誰も居なくなっていた。

 放電現象はその激しさを増し、幾重もの稲妻が飛び出して木々を薙ぎ払っていく。社を中心として電流が放射状に広がり、鬼が作り出したこの異世界を鬼諸共に何所までも消し去っていった。


 放電現象の止まない社から全員が距離を取っていた。様子を窺っていると、更に大きな稲妻が発生する。それと共に迷彩服を着た無数の男たちが社の中から放り出されて来た。井上がこちらの世界に戻って来た時と同じように、地面へ無造作に転がっていく。

「第2小隊です!」

「担架用意! まだ近付くな!」

 2度3度と隊員たちが飛び出して来る。そして、全員が帰還を果たしたのを見届けたかのように、3つの銅像が粉々に弾け飛んだ。同時に凄まじい突風が社を中心に広がっていく。風が止むと、それまで感じていた物とは別の空気が包み込んでいた。とても清涼感に溢れた、澄んだ空気である。

「医療班前へ! トリアージ急げ!」

「ヘリを呼んでくれ! 重傷者はそのまま病院に運ぶぞ!」

「中隊長! 一曹も無事です!」

 隊員たちがワラワラと群がる。その光景を眺める無量塔氏の脳内に、誰かも分からないが穏やかな音程の声が聴こえていた。


     無量塔の末裔よ、永きに渡り迷惑を掛けた これで勘弁願う


 その声が土地神である事を、無量塔氏は本能的に悟っていた。

「勿体のう御座います。土地神様の御声を聴けただけで、この地に生まれた神職を紡いで来た甲斐がありました。どうぞ、安らかに御休み下さい」

 無量塔氏がそう発言した事で、彼の息子は両手を合わせて深く頭を下げた。

 後日、無量塔氏は出来るだけこの儀式を続けて行く事を明言。神主を退いて息子に継承するまで、それは続いた。その後の余生は、かつてこの地で生まれた信仰を紐解くための研究を始めたとの事である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る