錯綜する意志

 元の世界で第2小隊を救い出すための準備が進む中、こちら側でも迅速な撤退を実現すべくその算段が始まっていた。

 負傷者を例の社まで運び、彼らだけでも真っ先に逃げられるよう準備。武器弾薬も同様に移動し、社で鬼を迎え撃つべく簡易陣地の構築も進んでいる。既に半数の人員をそちらに差し向けて数時間が経過した頃、集落の防備に当たっていた4班長の林二曹が何かに気付いて小田に報告を行っていた。

「一尉、これを」

 林二曹が小田に腕時計を見せる。秒針の速度がどうにも速いように感じられた。自分の腕時計も合わせて見ると、明らかにどちらも同じく、通常より速く時間を刻んでいる事が分かる。背嚢に入れている私用の携帯を取り出すと、こちらは時間の表示が消えてしまっていた。

「……どうなっているんだ」

「分かりません。しかし、あれも見て下さい」

 指差す先には、別の家が作り出す影があった。その影をよく見ていると、目に見える速度で影が動いているのが分かった。どうやらこの世界における時間の流れが速まっているらしい。

「…………鬼に感付かれたか」

「可能性はあります。1回目も2回目も鬼の襲撃は26時頃、いわゆる丑三つ時に行われました。この時間帯は昔から幽霊の類と関わりがある事で有名です」

「鬼が実体化出来るのはそれぐらいの時間帯だけだから、我々が逃げ出す前に時間を進めようと言う事か。ならば26時になる前に全ての準備と、向こう側の用意が整う必要があるな」

 中央の家屋を飛び出して井戸に取り付いた。こちらの状況を伝えると、向こう側でも可能な限り早く準備を進めるとの返事が返って来る。同時にこの井戸を使用した交信はこれで最後にする事と、隊員と物資を社まで移動させる旨を伝えた。

 秒針の進み具合から、残された時間は10時間もない事が予想される。集落から引き払った第2小隊は、大急ぎで山を越えて社までの道のりを走破した。残念ではあるが、こちらの世界で死んで亡者として甦った部下3名はあの馬小屋に置いて来た。運ぶのも一苦労な上、あの姿のまま現世に帰還すれば混乱を招きかねない。小田自身の中でも、既に死んだ者として処理しそれ以上は考えないようにしていた。


 石森二尉たちが社の清掃と内部の調査をする間、塚崎陸曹長たちは周辺の陣地構築を急いでいた。まず社から前方200mの地点に警戒陣地を設営。これには各班の偵察・斥候を担当する隊員たちが張り付き、1人分のタコツボを等間隔に掘って草木で擬装を施し鬼の接近を感知する。

 その後方100m地点には主要陣地を構築し、各班の機関銃担当が取り付く。警戒陣地から後退する隊員たちもここで遅滞攻撃に加わり、可能な限りの足止めを実施。更にその両翼には火網陣地として各班の無反動砲担当が2名ずつ待機。並びに2名の選抜された隊員が小銃擲弾を持ち、間接火力を僅かながら増強させる。

 主要陣地後方50mに、小隊長である小田一尉の収まる本部陣地が作られた。ここには各班の小銃と医療担当が集結し、警戒・主要・火網陣地から後退して来た隊員たちを受け入れて最後の抵抗を試みる。これの真後ろには例の社があるので、向こうの世界で事が始まれば直ぐにでも中に飛び込めるようにと考えられていた。

 そしてこの本部陣地には、地面に埋められたC4爆薬が静かに出番を待っている。万一に間に合わなければ、これで鬼を吹き飛ばしてやるのだ。そうすれば時間稼ぎにもなるし、鬼が居なくなってからゆっくりと社へ負傷者を運ぶ事も出来る。何れにしろ、最後の戦いが迫りつつあった。


 彼らが希望を捨てずに足掻いている時、現世でもその彼らを救い出すための準備が進められていた。無量塔氏に率いられた20名近い隊員たちが、社の清掃と祭事の準備を行っている。社を中心にその四方へかがり火を設置し、山火事を起こさないよう周囲の草木を剪定した。無量塔氏の要請で神社から様々な祭具が運び込まれ、社を取り囲むように白い布が地面に敷かれていく。

 第3小隊長の松島三尉は、準備を進める中で拭えない疑問を無量塔氏に問い掛けた。

「無量塔さん、これで本当に仲間を救い出せるんでしょうか」

「その質問には答えられん。あんた方には悪いが、私もこの祭事を行うのは初めてだ。祖父と父から聴かされていた昔話が、この歳になってこんな形で遭遇する事になるとは思っても見なかった。重ね重ね言うが、どういう結果になっても怨まんでくれ」

「そんな」

「あんたも大昔の事を今さら穿り返されたら、堪らんモンがあるだろ。それと同じだ」

 更に何か言い掛けた松島を、第4小隊長の中村二尉が制した。誰も口論をしにここへ来たのではない。何も確証は無いが、僅かでも可能性があるこの方法に縋るしかないのだ。


 そのやり取りを後ろから見ていた井上は、この期に及んで凄まじい不安感に襲われていた。

(これでいいのか、これで本当に救い出せるのか)

 しかし、他に方法もアイディアも思い付かない。向こうでは時間が早く進む謎の現象によって、この祭事を含めた彼らの救出を鬼に感付かれた可能性があるらしかった。もし鬼が、空間だけでなく次元的な妨害手段に出たとしたら、この祭事自体も何らかの力で阻害される恐れがある。

(……悩んでても始まらんか)

 どっちにしろ、自分にはもう祈るしか出来なかった。こっちに戻る途中で耳にした天導乃神の声も今は完全に感じ取れない。もし近くに居るのだとしたら、一声あってもいいんじゃないか等と思いつつ、祭事が一分一秒でも早く始められるよう、他の隊員たちの中へと混じっていった。


 中隊長である新岡三佐も社の至近まで本部を進出させ、非常の事態に備えていた。例の鬼がもしこちら側へ現れた場合を想定し、社の前面に本管施設小隊が装備するM2重機関銃を設置。無反動砲が一定の効果を与えた事を考えれば、50口径弾の弾幕を浴びて無事でいられる筈がない。

 中隊本部が元々あった場所には迫撃砲小隊が射撃陣地を構築しており、社の一帯を射程範囲に収めていた。他にも無反動砲やパンツァーファウストⅢを持った隊員たちが擬装して周囲に潜んでおり、最悪の事態に備えている。

 可能なら航空支援も要請したかったが、それでは事が大きくなり過ぎて後々の処理に支障を来たす可能性が高いため断念した。取りあえず、未知の敵を相手に普通科中隊が投入可能な火力の全てを揃える事は出来たので御の字とする。後は全て、その場その場で対応していくしかないだろう。

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