途絶えた信仰

 こちら側の世界に戻って来た井上は佐原一尉たちと共に中隊本部へ出頭。事のあらましを説明するも、当然だが中々信じて貰えなかった。

「井上一曹、正直に言うがどうにも信じられない。当事者以外に信じさせるだけの物証はないのか」

「我々の目の前に一曹は突然現れました。しかもその直後に植田三曹や宮下士長へ話し掛けています。これだけでも、彼らに何が起きたか証明するには十分ではないでしょうか」

「三佐、これは明らかに異常な事態です。一曹の言葉を信じるより他ないと思われます。それについさっき、現場に残して来た部下たちから社を発見したとの報告がありました。向こうの世界で一曹たちが見つけた物と同じである可能性は100%に近いと考えます」

 半信半疑な新岡に佐原一尉と山岸陸曹長が食って掛かる。あの言動から見れば仲間はまだ生きているだろうから、手遅れになる前に行動を起こしたいと言う気持ちが強かった。

「荒魂乃神は力を付け過ぎたせいで手が付けられない。山に入った村人や通り掛かりの旅人を襲って異世界に放り込み、そこで狩りを楽しんでいる。山に誰も寄り付かなくなった事で力が弱まり出した矢先、我々が偶然にもその場に居合わせたんです。荒魂乃神からすれば数百年ぶりの獲物、しかも40人近い数です。せいぜい足掻かせて楽しもうとしていると、天導乃神が教えてくれました」

 真顔でそう発言する井上に本部の隊員たちは奇異の目を向けた。とんでもない内容の言葉をスラスラと喋るせいで、嘘として聴こえない事もまたその要因だった。

「その天導乃神はどうして一曹だけを向こうの世界から戻してくれて、何故そんな事を教えてくれたんだ」

「自分が唯一、人の命を分け隔てなく救うのが仕事だからと言われました。事あらば相手の命を奪う戦闘部隊の人間では、荒魂乃神の力が強く働いてこちら側に戻せない可能性があると……」

 神の名前を出されると否応にでも信じてしまいそうな錯覚に陥る。しかし、中隊を束ねる責任者としては簡単に納得する事は出来なかった。

「それで、具体的にどうやって向こう側の世界から救い出すかについては教えてくれたのか」

「祭事をもう1度やって欲しいと言われました。自分もそれならと思いましたが、よくよく考えると詳細は何一つ聴けていないんです。天導乃神の声が聴こえていたのも、こっちに戻る最中だけで今現在は全く感じ取れません」

 ではどうやって、その祭事を進行させればいいかも分からないと言う事だ。これでは準備を進める事すら不可能である。

「三佐、例の噂話とは何か繋がりを感じます。それを調べれば、何かしら解決の糸口になるのではないでしょうか」

「自分も同感です。無関係とは思えません」

 新岡は机に身を乗り出して来る佐原と山岸に思わずたじろいだ。

「落ち着け。では例の噂を知る人間がどれぐらい居るか調べて欲しい。小田一尉たちが直面している事態がもしその伝承に類似しているなら、何か対策を講じる事ための切欠になるだろう」

「では直ちに行います」

 集計の結果、佐原一尉率いる第1小隊を始めとして第3小隊と第4小隊を合わせた70%がこの噂話の存在を知っていた。本管でも半数の人間が知っており、知らないのは別地域の出身者や遠方から異動して来た人間のみである。

 新岡はこの事実を受け止め、中隊全員に噂話の解析を指示。次いで何人かの隊員をヘリで駐屯地まで戻し、役所の資料庫やら図書館へ情報収集に向かわせていた。


 慌しくなる隊員たちを余所に、井上は1人で空を眺めている。向こうでは見る事のない青空だ。気持ちの良い日差しを浴びていると、中隊本部が設置されているこの開けた平野の一部に、草で覆われた不自然な物体がある事に気付いた。

「……もしかしてあれは」

 一目散に走り出してそこに辿り着く。よく見るとそれは、向こう側で見た集落の中にある井戸だった。滑車つきの屋根はほぼ朽ち果てて草に覆われているが、辛うじて原形を留めている。

「…………あの集落はここにあったのか」

 周囲を見渡す。向こうでは休耕地だった田畑の窪みが僅かに見て取れた。ふと、向こう側と話せるのではないかと思い付いて、一尉たちの名前を叫んだ。

「小田一尉! 石森二尉! 塚崎陸曹長!」

 当然、返事はない。しかし、向こう側に残して来た彼らが回りに居るような気がした。

「斉藤一曹! 五十嵐一曹!」

 急に叫び出した井上に異変を感じた何人かが走り寄って来た。落ち着くよう促されるが、それを振り払って名前を叫び続ける。

「遠藤二曹! 林二曹! 聴こえますか!」

 井上の声だけが空しく木霊している。只ならぬ何かを感じ取った佐原一尉が近付いて来た。

「感じるのか。第2小隊の気配か何かを」

「近くに居るような気がします。それにこの井戸は向こう側でも見ました。自分が居た集落はここにあるんです」

 その時、向こう側での会話を思い出した。死ぬ前の関口一士が、「あの井戸から何か出て来たら俺はそいつを全力で殺す」と物騒な会話をしていた事が脳裏を過ぎる。

「……井戸」

 急に草をむしり始めた井上を、その場に駆け付けた全員が手伝い出した。石造りの丸い古井戸が姿を現し、ピッタリと蓋をしている石板を押しのける。

 中を覗きこむと、まだ水が微かに残っていた。黴臭いその空間に向かってまた大声で叫ぶ。

「小田一尉! 石森二尉!」

 声は狭い井戸の中で反響し、水面へと吸い込まれていった。次いで拡声器を持った佐原一尉も井戸の中に向かって叫んだ。

「小田! 聴こえるか! 第1小隊の佐原だ!」

 他の隊員達も同様に井戸の中へ叫び始める。10分ばかりが経過した頃、井戸の奥底からついに返事が聴こえた。どうやら塚崎の声らしい。

【小隊陸曹の塚崎です! 佐原一尉でありますか!】

「そうだ! 井上一曹も居るぞ!」

 暫くの間、お互いの情報交換が続いた。声だけでも接触が図れたのは非常に大きな一歩だったが、彼らを助け出す祭事の段取りや方法がまだ分からないのがネックである。


 情報収集に向かった隊員たちから送られて来る資料や文献を照らし合わせた結果、井上が接触した天導乃神や荒魂乃神、土地神に関する物証が揃い始めた。向こう側でも民家の押入れから発見された書物に、それらしき内容が記されている事が判明。刷り合わせを行っていくと、例の伝承は本当に存在する事が分かり出す。

「役所や図書館の文献では三神伝説(さんじんでんせつ)、三神之伝承(さんじんのでんしょう)、山神信仰(やまがみしんこう)と言った名称がされており、どれが正式な名前と言う表記や情報はありませんでした」

「この周囲には平安時代から既に人が住んでいた痕跡が見つかっています。安土桃山の頃までは村に関する記述がありますので、少なくともそれぐらいまでは信仰が続いていたのでしょう」

 そうなると、この土着信仰は700年近くに渡って村人たちに信じられていた事になる。その間に蓄積された荒魂乃神のパワーも相当な物である事が窺えた。

「安土桃山から約500年が過ぎています。荒魂乃神の力が衰えるには十分な時間が過ぎたと言えるかも知れません」

「そこに運悪く我々がノコノコとやって来て、獲物を探していた荒魂乃神の前を横切ったのが全ての始まりです。この演習場自体も、戦後の混乱期に持ち主不明だったのをGHQが買い取って管理していた場所だそうです。そして意外な事に、警察予備隊時代からこれまでに掛けて夜間演習は一切行われていませんでした」

 全てに関して巡り合わせの悪さが重なった結果がこれなのだろう。誰が悪い訳でもないが、やりきれない思いが強いのは事実だった。

「背景については取りあえず分かった。問題は祭事に関する情報だが、こっちについてはどうだ」

 報告を聞き終わった新岡がそう言うと、全員の顔が渋くなった。まだ具体的にどうしたらいいか、どうするべきかまでは至っていないらしい。新岡はその様子にため息をつきながら紙コップのコーヒーを一口飲み込んだ。

「井上一曹、因みに例の三神を鎮めていた祭事はそのお社で行っていたのか?」

「天導乃神の話ではそのようです。最後に行われたのは約400年前とも聴いています」

「第2小隊から何かそれらしい情報は」

「確認してみます」

 また井戸の所まで行ってやり取りが始まった。その結果、1つの情報が齎されるに至る。

「第2小隊が発見した本に、祭事に関する画が描かれている事が分かりました。また、祭事を代々に渡って行って来た一族の名前も発見されています」

 その名前を井上がホワイトボードに書くと、何人かが顔を見合わせてザワつき始めた。新岡が彼らに尋ねる。

「何か知っているのか」

「あぁ……その、地元では子供の頃からある神社の名前でして、絶対にそうは読めないと誰もが言うほどには有名です」

「誰かその神社に行ってくれ。場合によっては連れて来て構わん」

 神社へは副中隊長の若柳一尉と他数名がヘリで向かう事になる。出発から3時間が経過し、戻って来たヘリから降りて来たのは一尉たちと1人の老人だった。

「こちら無量塔神社の神主さん、無量塔章吉さんです」

「第55普通科連隊、第1中隊長の新岡と申します。ご足労頂きありがとうございます」

 無量塔氏は既に80を越えているそうだが、年の割には若々しさを感じた。背中はしっかり伸びているし足腰も問題なさそうである。

「随分と因果な場所に連れて来られたモンだね。この辺は大昔、ウチも2つ3つほど山を持ってたそうだよ。色々あって手放したらしいがね」

「早速ですが、お聞きして欲しい事があります」

 まず新岡が事のあらましを説明。その後、井上が遭遇した事態や天導乃神の事を話すと、顔付きが段々と険しくなっていった。

 全ての説明が終わると無量塔氏は立ち上がり、中隊本部から出て目の前に聳える山を見つめた。そして静かに手を合わせ、何かを祈り始める。


 無量塔氏は10分近く祈り続け、深いため息を吐きながら喋り出した。

「ご先祖様が400年前に祭事を取り止めてからもまだ力を残していたとは。これはこの土地で生を受けた一族全てが背負う業のようなものですな」

 井上が無量塔氏の隣に近付いた。そして大きく頭を下げる。

「どうか、400年ぶりの祭事を行って頂けないでしょうか。今の我々が縋れるのはあなたしか居ないんです」

「勘違いをしないで欲しい。あの祭事は元々、神様たちに仲良くやって欲しいとの願いが込められたものだ。増長した荒魂乃神を鎮めるためではない。それに結果として、私たちの先祖はこの地から引き払った。祭事を行っても意味がなかったと言う答えだと私は思うがね」

「では何故、天導乃神は自分をこっちの世界に戻してくれただけでなく、色々な事を教えてくれたんでしょうか。これには何か意味があるのだと思えます」

 暫くの間、睨み合いが続いた。無量塔氏からすれば遠い昔の事を今さら掘り返されても困るだろう。しかし、井上を含む多くの自衛隊員たちは仲間を救い出せる唯一の可能性に縋りたかった。

 最終的に、無量塔氏が根負けする形で着地点が見出される。

「……やってもいいが、何が起きるか、どういう結果になるか責任は持てん。既にその信仰を捨てた我々を、土地神様が迎えてくれるかも分からない。それでも良いなら協力しよう」

 この言葉で状況が大きく動き出した。早速、無量塔氏と本管施設小隊を乗せたヘリが社まで飛んで祭事の準備が進められる。同時に第2小隊へもその情報が行き渡り、向こう側でも社の安全確保や調査のため人員が派遣されていた。

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