冥府

onyx

闇が襲う時

某県 陸上自衛隊演習場


時刻:26時付近


 暗く鬱蒼とした森の中を、武装した一団が歩く。陸上自衛隊の第55普通科連隊に所属する小隊がここで夜間の演習を行っていた。少々ばかり面倒な条件下を想定しているため、航空自衛隊特殊救難団のメディックも一名同行している。

 目的地は現在の地点から見て山のちょうど向こう側だ。そこに敵の輸送ヘリが墜落し、生き残った敵乗員が武装解除を前提にSOSを送って来たため、それを救出に向かうべく移動している。武装しているのは乗員の救出を目的に浸透して来る敵部隊との交戦を想定しているためだ。

 昨今珍しく、実弾を携行しての訓練である。誰もが張り切っている訳ではなかったが、持っている物が物なので全員が相応の緊張感で臨んでいた。

「一尉、どうもコースを反れています」

 小隊陸曹を務める勤続三十年のベテラン、塚崎陸曹長が小隊長にそう具申した。地図と方位磁石を照らし合わせると、確かに予定していたコースから反れ始めていた。しかしそこまで大きなコースアウトでもない。十分に修正が可能な範囲だ。

「……妙だな。修正しながら進もう、前進再開」

 この小隊を率いる小田一尉も二十年近く陸自に在籍している人間だ。この程度の事はたまにある。そう思いながら班長たちに指示をした。

 小隊は予定のコースへ進路を修正しながら再び前進。その中に混じっていた空自特殊救難団のメディックこと井上一曹も、隊列と同じ方向へ足を進めた。しかし彼だけがこの時、謎の違和感を覚えている。

(何だ……今、空間が捻じ曲がったような)

 前方の視界がグニャリと歪んだように見えた。しかし、自分以外の陸自隊員たちは誰もその事に関して声を挙げていないし、気付いてるような素振りもない。慣れない訓練に参加しているせいだと思い直し、頭の中から消し去る。

 それがやけに大きな仕草だったのを気にしたのが、真横を歩いていた四班の班長こと林二曹だった。井上に近付いて声を掛ける。

「どうしました。体調でも?」

「あ、いや……大丈夫です。これしき何ともありません」

「万一にでも怪我はさせるなと中隊長から厳命されています。コンディションに違和感があったらすぐ言って下さい」

「大丈夫です、ありがとうございます」

 正直、お荷物になっている自覚が井上にはあった。自分だけ武装していないし、背嚢も他の隊員に比べて小さく、装備品も少ない。その分で身軽な筈だ。にも関わらず、今日はどうもバテるのが早い気がする。普段から山の中や勾配の厳しい場所でトレーニングしているのに、妙な事だと思った。

「石森二尉」

「どうした、何だ」

 副小隊長を務める石森を、第一班長の斉藤一曹が小さい声で呼び寄せた。それにつられて石森自身も自然と小さい声になる。

 暗闇の中、斉藤が右手に乗っている方位磁石を見せられた。針が北と東の間をウロウロしている。同様に石森も方位磁石を取り出すと、こちらは真南を指していた。その異常さに驚き、最前列を歩いていた藤原一尉と塚崎陸曹長の下へ駆け寄った。

「一尉、塚崎さん。方位磁石が」

「二尉もですか」

「どういう事だこれは」

 全員の足が止まる。二人の方位磁石も原因不明の動きをしていた。塚崎陸曹長が全隊員に対し方位磁石を確認するよう触れて回る。取り出した隊員たちの殆どがその不思議な現象に唸り声や素っ頓狂な声を挙げた。すると、ニ班長の五十嵐一曹が動き回る塚崎を呼び止める。

「陸曹長、何者かが我々の周囲を取り囲んでいます」

 暗闇で顔色は分からないが、かなり焦りの混じった声だ。落ち着けようとする意味も含め凛とした態度で接する。

「馬鹿を言うな、ここは管理された場所だ。野生動物は居るだろうが我々の他に人間は居ないだろう」

「耳を澄まして下さい、何かボソボソ聴こえます」

 塚崎を始めとするニ班の隊員たちも周囲に耳を澄ませる。風の音ではなく確かに何か低い唸り声か、読経のようなものが聴こえた。こんな時間にこんな所で、我々以外の一体何者が居ると言うのだろうか。同様に藤原一尉もその唸り声を耳にしている。

 謎の圧迫感と地を這う低い声が、彼らを取り囲んでいった。塚崎が隊員たちに警戒を下命する。

「各班密集しろ、相互の距離は互いを認識出来る間隔を保て」

 四個班が暗闇でもお互いが分かる距離で等間隔に固まる。突然襲った異様な雰囲気に、入隊ニ年目ぐらいの若い陸士たちは、小銃を撃ちそうになるのを必死で堪えながらバレルを握り締めていた。彼らより隊暦の長い陸士長や三曹は、人差し指を安全装置に掛けていつでも単発へ送り込めるように準備している。


 そして、得体の知れない何かが暗闇からぶつけて来る殺気が、総勢四十名近い隊員を襲った。鳥肌や冷や汗が止まらなくなり、心拍数も自然と高くなっていく。それに負けじと立ち上がった塚崎が、暗闇に向かって大声を発した。レンジャー資格を持っているだけあって、腹の底に響く声量と気迫である。

「我々は陸上自衛隊である! 誰可!」

 塚崎の怒号が空しく響き渡る。答えは何も無かった。そして次に彼らが目にしたものは、暗闇の中に現れた金色に煌々と光るニつの目だった。見間違いではない。その証拠に瞳も見える。こちらを刺し殺すような視線だ。

 塚崎もその殺気を浴びてさすがに耐え切れなくなり、思わず叫んでしまう。全員に撤退を促した。

「逃げましょう! 早く!」

「総員撤退、直ちに下山する! 信号弾撃て! 中隊本部へ状況報告!」

 石森が信号拳銃を取り出し、空に向けて放った。眩い光が夜空に登っていく。同時に本部へ通信を入れるが雑音ばかりで何も聞き取れなかった。

 誰もが後方より迫って来る殺気から必死で逃れようとする。だが次の瞬間、山の下から逃げるのを阻止するかの如く強烈な風が吹き付けて来た。息も出来ないぐらいの風速によって彼らは動きを封じられ、その場に蹲っていく。全員が意識を失うまで数分と掛からなかった。


 夜空に輝いていた満天の星々と月が漆黒の闇に侵食され、黒煙にも見える濃密な霧が山の一帯を覆い始める。


26時30分頃 小隊は山中にて消息を絶った

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