10.Juke Box
都市伝説。
なにが出典なのか全くわからないのに、なぜか子供たちの間で広く信じられている類の。
どこの本にも雑誌にも、市民にアクセス可能な範囲のネットにも、どこにも書かれていないのに、その話はみんな知ってた。
「勉強も仕事もしないまま二十歳になると、政府に処分される」
「社会のお荷物を拉致するための秘密組織が存在する」
「強制的にドナーとして、心臓から角膜に至るまで、全ての臓器を抜かれる」
こんな噂が広く浸透しているのには、いくつか理由があるとされている。一つ。ほぼすべての仕事は中央政府が管理して各市民に割り当てるため、就職先が見つからないことも、いきなり失職することもほとんどないこと。二つ、進学を認可されたにもかかわらず学業を疎かにする市民には大きなペナルティが課せられること。支給品も行動の権限も大きく制限され、まともに生きていけないといわれている。そのため、この街の無職および未就学者の数は極めて少ない。
そして最後に三つ目。心身トラブルによる就業不能者へのケアが非常に手厚いこと。特に精神外科医療の発達が大きいといわれている。かつてはメンタルヘルスの不良による疾患が就業率を下げる一番の要因にすらなっていたが、現在では物理的処置によって神経伝達物質の直接操作が可能により、精神疾患は軒並み根治が実現したそうだ。この街では脳機能の劣化は許されない。これにより数少ない就業不能者や困難者はフォローされ、めでたく全ての人間が社会活動に参加できるようになるわけだ。この街の住民は一人残らず健康で健全だ。ここに狂気は存在しない。安心だね。
そういうわけで、仕事や勉強を全うしない怠け者が抹殺される、なんて都市伝説が伝わってるわけだ。
都市伝説。
そう思ってたさ。俺だって。
19歳の最後の朝に、実際に拉致されるまではね。
***
目隠しが外される。
担架に横たえられた俺の目に、蛍光灯の明かりが突き刺さる。思わず顔をしかめて身をよじろうとするが、しっかり担架に拘束されているおかげで手足はピクリとも動かない。
「ようこそ、無為徒食の行きつく先へ」
声が降ってきて、俺は恐る恐る薄目を空けた。女が俺の顔を覗き込んでいる。黒スーツにサングラスの、長身痩躯の女。俺の聖域たる部屋にズカズカ乗り込んできて、俺を拉致した張本人。アッと驚いている隙に気絶させられ、気付いたらここだ。正直なところ、何をされたのか分かっていない。
「何か質問はあるか」
「極秘機関のエージェントっぽい人が、そんなわかりやすく極秘機関っぽい服装なことある?」
女は鼻で笑う。俺の挑発など意に介さない感じ。確かに、四肢が拘束された奴に煽られたって、怒りよりも滑稽さが勝つか。
「随分余裕だな。たいていの場合、もっと怯えてひたすら謝ったり、あるいは怒りを露にしたりするんだが」
「この状態からなにしたって、助けてもらえるとも思えないね」
「大した度胸だ。こうなることを予測でもしていたか?」
「そんなわけないでしょ。俺より年上で働いていないやつたくさんいたよ? なんで俺だけ拉致られんのよ、ちゃんと職業訓練も通ってたよ」
「その職業訓練の審査結果が大いに問題でね」
女はため息をつく。
「君に悪いところは何もない。この意味が分かるな? お前には何一つ問題などなかった。それなのにお前は社会が差し伸べた手から逃げ、隠れ、欺き、騙しすかし、市民の義務たる就労から逃れつづけたわけだ。それがどういうことか、お前本人は分かっているな?」
「馬鹿につける薬はない」
「違う。馬鹿を馬鹿でなくすことはできるし、馬鹿にできる仕事もある。だが、問題のない奴を治療することはできない。お前のことだよ怠け者」
「治療」今度は俺が鼻で笑う。「脳いじくられて無理やり前向きにされて元気に楽しく社会活動しましょう、って洗脳が、あんたのいう治療?」
「そうだ」
「俺はごめんだ」
「じゃあ残念ながらお前はここまでだ。この街に穀潰しを生かしておく道理はないんでな」
女が手を振って合図を出す。俺を乗せた担架が沈んでいく。脚が縮まっているのか折りたたまれているのか。ゆっくり、ゆっくり。下がりゆく先には大きな黒い箱。俺と担架は箱の中に納まっていく。黒いコーティングをされた無骨な金属製の箱。ああつまりこれは。
「棺だ」と女は言う。沈みゆく俺の顔を見据えながら
「せめてもの情けで、安らかに。音楽くらいは流してやる。好きな曲に包まれながらゆっくり眠れ」
「えっと、俺もう、始末される感じ? テンポ速くない?」
「なんでいちいち処理にじっくり時間をかけねばならん。最後に一言くらいは言わせてやる。棺の蓋は閉じられるまでの間な」
俺は小声でぼそぼそ呟く。
「何か言ったか?」と女が顔を近づける。
俺はその顔に向けて唾を吐きつける。
「俺は働かない。こんな街を維持するためだけの歯車になるなんてまっぴらごめんだね」
棺の蓋が閉じていく。唾に濡れた女の表情はもう見えない。
蓋が閉じる。
暗闇。
未だかつて見たことのない暗闇。
静寂。
未だかつて聞いたことのない静寂。
ちゃっちい箱かと思ったら、意外や意外、しっかり密閉されているようだ。
縛られた手足が動かない。
肢体に走るピリピリとした軽いしびれの感覚が、拡散し、移動し、収縮して、身体の輪郭があやふやになる。
暗闇の中を膨張した俺の身体が満たしていくような。
暗闇の底に委縮した俺の身体が押しつぶされるような。
どうしようか、と俺は呟く。
無論、どうするつもりもない。
拉致されて目隠しを外された時点で「俺の命運は尽きた」と悟った。
意地でも働かない、それは大それたことを言えば編み込まれた」社会の布に一つ穴をあけてやるような試みで、小さいことを言えば俺はただただ理由なく働きたくなかった。
俺の小さな反抗期はここであえなく終わるらしい。俺の人生とともに。
眠気が訪れる。そういう作用の薬品を流しているのか。
かすかに曲が流れる。聞いたことのあるメロディー。
意識をそちらに向ける。優しいギターの音色。懐かしい歌声。
あれはなんだったけ。歌詞をたどる。小さい頃よく聞いていた。優しく語りかけてくる歌声が好きだった。
I can change the world.
いきなり明瞭に歌詞が飛び込んできて俺は思わず笑いそうになる。だけどもう筋肉は弛緩していてうまく笑えない。
そうだ、そんな唄だった。広大な唄だった。皮肉なことだ。
Baby, If I could change the world.
Baby, If I could...
僕には何も変えられない。
意識が落ちる。
***
「それで、俺はなんで生きてる?」
蓋が開いて、俺はまぶしい光に網膜をやられた。スタッフらしき人が近寄ってきて俺の拘束を解き、部屋の片隅にあるソファベンチまで運んでくれた。時間はどれくらい経っていたのだろうか。感覚が迷子になっている手足をもみ下していると、あの秘密機関の女が寄ってきた。
「施術は完了したみたいだな」
「俺の身体に何したの、臓器を一つ残らずぶち抜いたのか」
「何も取っていない。生憎君の臓器は需要なしだ。培養技術がもう確立しかかってるんでね」
「じゃあ何をしたっていうんだよ」
「目を瞑ってみろ。耳を澄ませ」
女の言葉に眉をひそめながらも、言われたとおりにする。何も聞こえない。ただ耳鳴りだけだ。かすかな耳鳴り。……耳鳴り? おいこれって。
「クラプトン」耳鳴りの奥で、クラプトンが愛をささやく。
「正解」女が笑う。
「どういうことだよ」
「新規施術方法の治験体ってことだね。脳の報酬系を直接いじるのは制御が聞かないことが多くてね。そこで間の制御を一つかました。君の脳の報酬系は君の耳の奥で歌うクラプトンと密接に紐づく。クラプトンが高らかに歌うたびに君の脳のドーパミンは分泌され、君は多幸感を感じる」
「……意味が分からない」
「そうだね、私にもよくわからない。こんな際物のロジックをよく採用する気になったもんだ。さて、それはさしおき、私たちは今から君を放逐せねばならならない」
「はあ?」
「生きて街に帰れ。それが君の社会復帰への宿題だ。では」
***
テンポが良すぎると思うんだけどな。
あの後、目にもつかない早業で再び気絶させられた俺は、どっかの山奥に置き去りにされていた。山なんで環境が再現されているのはどっか街の端部のほうに違いない。唾を吐く。べつにこのあたりで野人同然の生活を試みたっていいんだがな。まあ歩けばすぐ山は抜けられるだろうから、その方向で歩いていく。
そしてすぐ俺は気付く。
達成感。あらゆる動作にそれがある。困難な足場を歩き抜けた時、綺麗な水源を確保した時、小動物を罠にかけて捕らえ、火で焼いてかじりついた時。
得も言われぬ充足感、達成感、幸福感、それらが俺の身体を満たす。
これは果たして危機に面して生じている単なる高揚感か、それとも、俺の耳奥で歌い続けるクラプトンのせいか。
こいつは実に巧みで、普段は静かに、そして俺が何かをやり遂げようとするまさにその時、まさにクライマックスにあたる部分を高らかに歌い上げるのだ。それはまるで映画のワンシーンのように。俺の些末な作業の一つ一つが人生を華やかに彩る重大イベントであるかのように。
ああくそ。活動することが苦にならない。今のおれはニート生活の刺激のない毎日耐え切れないだろう。耳奥で歌うクラプトンが、俺の活動を逐一アップグレードし、多大な達成感を与えてくれ、そしてそれはエネルギーと化して次の活動へと向かう。クラプトンにより駆動される俺の活動サイクル。Claptonous-Engine。なるほど、やつらの狙いは怠惰な人間にエンジンを組み込むことだった。静止してはいられない燃焼を与えることだった。
俺は山を下りる。クラプトンは俺を駆動し俺は多大な加速度をもって街を目指す。有り余る意欲と達成感。過去のおれには存在しえなかった実感。莫大なそれらを抱えて俺は街を目指す。
俺のすべてをぶつけてやる。
俺のすべてを活用させてやる。
その結果、奴らが俺の施術の結果をどう解釈するかは知らない。俺は奴らが残した結果を見せてやるだけだ。クラプトンが駆動し加速させ続ける俺。俺を加速させ続けるクラプトン。それは失敗か? はたまた成功か。どちらでもいいっちゃいい。
ただ俺は歌う。耳奥のクラプトンも歌う。たとえそれが幻想だって。それが幻想であろうとも。
I can change the world.
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