「オレンジジュースばかり飲んでいる」

なとり

第1話

 コーヒーばかり飲むんだね。

 彼女の持つグラスを見ながら、僕は何気なくつぶやいた。

「そう。好きなの。でも胃に悪いよね」

 それならやめたほうがいいんじゃない?と僕が言うと、わかってるんだけどね、とかすかに苦笑した。

「でも、美味しいものってどうしてもやめられないじゃない?」

「確かにね。でも最近ずっと胃が痛いって言ってるよ。コーヒーを飲む前に何か胃に入れたら?」

「まあね。でもそれもいちいちめんどくさいから」

 めんどくさいのは君では?と僕は内心思った。こちらが提案しても文句ばかりだ。どうして女性ってこうなのかな。そんな事言っても怒られるに決まっているのでもちろん言わないけれど。

 彼女は飲み終わったアイスコーヒーのグラスをテーブルに置いて、

「行こう。会計どうする?」

「じゃああとの水族館代払うから、ここは持ってもらってもいい?」

「わかった」

 こういうところは好きなんだよな。

 僕たちはSNSで知り合って3ヶ月前に付き合った。彼女は生き物が好きで、水族館もお気に入りのデートスポットだ(東京は水族館がたくさんある)。僕は正直生き物には詳しくないし暗い場所で魚が泳いでいても特になにか思うこともないのだが、彼女が楽しそうに解説してくるのでそれならいいかと思って付き合っている。お互い初めての恋人ではないけれども、女性の考えていることはいまだによくわからない。

「この間上長にお前は一人で頑張りすぎ、もっと周りを頼れって言われたんだよね」

「そうなんだ」

 水族館までの道すがら、たまたま思い出した悩みを彼女に言ってみる。特に話題もなかったので。

「ゆうくん的にはどうなの?一人で抱え込んでるっていう自覚はあるの?」

「いや、特にないつもりなんだけど。でも同じチームににめちゃめちゃ仕事のできない同僚がいて、そいつに任せると普通に間違えて返ってくるからそこは一人でやっちゃう」

「へえ。そういうところなんじゃないの。同僚に指摘してみた?」

「いやそういうところっていうか」

 彼女の物言いにカチンと来てしまった僕はホコ天になっている池袋サンシャイン60通りの真ん中で思わず立ち止まった。

「もう言ったよ。言っても聞かないし。何なら俺のこと嫌いだと思ってるよあいつ」

「そんなのわかんないじゃん。本人に聞いてみたの?」

「聞いてないけど……」

「聞いてみなきゃわかんないよそんなの。ミスだって向こうはまだ何がいけないのか分かってないかもしれないよ」

 頭に血が上った。

「見てもないのに知ったような口利かないでよ。あやちゃんになにがわかるの」

 言ってしまったあと、しまった、と思った。なんでよりによってデートのときにこんな喧嘩してるんだろう。

 ごめんね、の口を開きかけたとき、彼女は硬直した表情でゆっくりと言った。

「そういうところだよ」


 結局その日は解散になった。大変気分が悪く、そして自分の話題のせいでデートがおじゃんになってしまったのはとても悲しかった。でも僕は別に悪くない、とも思った。職場でもそうだし、間違ったこと自体は言っていないつもりだ。そう思って悶々としていた。謝るべきか、いや。もし仮に謝るとして、何を。そうこうしていたら彼女からLINEが飛んできた。短すぎて開かなくても分かった。

《ごめんなさい。別れましょう》

 あまりにも理不尽なその通告に僕は再び頭に血が上りかけるのを感じながら、なるべく冷静に、理性的に返事をする。

《どうして?確かにデートのときにあんな話題を出すべきじゃなかった。それは謝る。ごめんね》

 なんで僕が謝っているんだろう。でも堪える。別に別れたいわけじゃないし、僕が我慢すれば済む話だから。

 既読は早かった。

《そこじゃない》

《ゆうくんは何でもかんでも自分の言うことが正しいと思ってるよね。見てもないのに知ったような口きくなって言ったけど、君だっておんなじことしてる。私の事情を知りもしないでいつも正論ばっかり押し付けてくるところが本当に無理。話も愚痴っぽくてつまらないし、趣味だってないし、私の話もいつもつまらなそうに聞いてる》

《本当に私のこと、好きだったの》

 手と心と脳みそ、全部が止まったような気がした。冷たい血がどくどくと血管を流れて心臓を打つ。好き「だった」って。何それ。なんでここまで言われなきゃいけないんだよ。お前だって同じだよ。愚痴っぽくて、つまんなくて、何言ってるのかよくわからない。

 お前だって、と打っていると、追撃の文が来た。

《ああ、あともう一つ。君もオレンジジュースばかり飲んでいるからね。30手前にもなって何それ?ダッサ》

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