きーちゃんシリーズ
なとり
第1話(モラトリアムスイート)
大学生は罪深い生き物である。
貧弱な知識を有していたばかりにモラトリアムをダラダラと伸ばし、親の金で飯を食い、性欲に任せて異性と交尾などするという。ここが米国なら私は散弾銃で大学生を片っ端から肉塊にしていたところである。私が日本人でここが日本であることに諸兄は感謝したほうがよい。
最近は大学生の中にも更にタチの悪い、「わんちゃんうぇーい」などという輩が跋扈しているそうだ。全くいけすかない。けしからぬ。
私はベッドから立ち上がった。
隣ではすやすやと安らかな寝息を立てて、私の恋人が眠っていた。それをちらりと横目にみやり、ラッキーストライクの箱に手を伸ばす。
腕時計を確認すると、時間はすでに午前11時を回っていた。一限はとうに終わり、二限が既に始まっている。やんぬる哉。一抹の悲哀が心に去来した。欠席が既に三回を超えていた。合掌。どうやら己の単位を散弾銃で撃ち落としてしまったようだ。
「加奈、起きて。二限が」
私は煙草を挟んでいる手とは反対の手で我が恋人を揺すった。恋人はうーん、と身を捩らせて、しかし返事をしなかった。何時もの通り、低血圧で寝起きが悪い。煙草を吸い終わった私はベッドの中からパンツとズボンを掘り起こし、それを身につけた。窓から光が差し込んでいた。
「……おはよ」
まだ脳味噌の七割ぐらいは働いていないであろう我が恋人が、目をゆっくりと瞬いた。私はこの、意識の半分無いような、人間と動物の間のような恋人の表情が非常に好きである。
「ごめんね。寝るの遅くなっちゃったもんね」
何の気なしに言った言葉だったが、ぼーっとした恋人の表情がみるみる色を取り戻し、頬を染めた恋人は布団に潜ってしまった。
「…きーちゃんのせいで遅刻した」
くぐもった声が布団の中から聞こえてくる。
「ごめんってば。私も単位落としたからあいこにしてよ」
「それはきーちゃんが悪い」
「えー」
結局なんやかんやのやりとりの後我が恋人はやっと布団から抜け出してくれたので、彼女と一緒に支度をし、家を出た。
大学は人で賑わっていた。男も女もみんな同じような服を来て、同じような化粧をして、楽しげに喋りながら歩いている。
ここに散弾銃があったら。私は一人呻くように呟いた。今日は季節の割には暖かく日差しがある。空が高くて、人間の精神を高揚させる一助となっていた。我が大学にも類型的に存在している「わんちゃんうぇーい」な輩もきっと浮ついているに違いない。無個性のコピーペースト達め。嘆かわしい。鬱々とした思考が白い吐息に漏れたのか、恋人に見つめられた。
「きーちゃんまた眉間にシワ寄ってる。何考えてたの」
「散弾銃を持ってたらなあと思ってさ」
「それで人を撃つの」
「うん。あいつら全員ぶっ殺してやりたい」
「物騒だね」
恋人は私の物々しい発言を肯定も否定もせずに実にのんびりした感想を述べた。それで私も攻撃的な気分が殺がれ、教室の扉を潜った。学科で最凶の催眠効果を齎すと名高い教授の講義である(しかも内容が哲学なのだから笑えるほどお誂え向きだ)。
なんとか眠気を振り切った私は無事に三限を終わらせ、恋人と食堂で合流していた。喧騒が私の頭に靄をかける。
人、人、人。この中の何人が無事に卒業し、就職し、まともな人生を送るのだろう。
大学生は大学生という立場でなくなるとき、自らが大学生であったことを忘れてしまう。そうしてさも自分は社会の中の立派な大人であるような顔をして、社会に紛れて生きていく。お前らサークルとかインターンとかバイトとか言ってるけどどうせ家に帰れば彼女とセックスしてんだろ。まともぶりやがって。
「くそくらえだ。大学生なんか」
私は恋人にこの鬱々とした靄を吐き出した。恋人は何も言わずしばし私を見つめた。
「…きーちゃんも大学生じゃん」誠に正論すぎる返答だ。
「だから私も自分の頭を撃ち抜こうと思う。大学生なんか社会のゴミなんだよ。無生産だし、品はないし、どいつもこいつも無脳ばかりだ」
「なるほど。そのばかみたいな大学生と同じ自分が嫌いで、もっと言うと自分がバカな大学生そのものだから、きーちゃんは嫌気がさしているんだね」
「その通り。ご明察。私はこのまま無個性に成り果てて完全に社会に同化してしまう前に終わりにしたい」
我が恋人は視線を落とすと、手元の菓子パンを齧りながらまるで次の授業の課題の話をするような口ぶりで一言、
「なんでもいいけど、それなら私も連れてってね」
ああ読者諸賢、私は大学生が嫌いだ。その大学生たる自分が大嫌いだ。
けれども、大学生の身の上の今時分が、本当は反吐が出るほど愛おしい。
「…いいよ」
恋人は視線を上げて、ゆっくりと満面に笑んだ。
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