第9話 閑話 脇に潜む思惑
電話を切った鏡月は、一同が集まって騒然としている部屋を伺った。
電話を受ける前に出した酒と豪華料理の効果で、先程の意味不明な混乱は落ち着いているが、まだ油断はできない。
警察関係者が、アルコールを入れずに邸からの報告待ちをしているのは分かるが、他の客もそれに集中する様子が見受けられない。
嬉々として酒瓶を傾けているのはカスミと娘二人で、意外にも和気藹々と親子の会話をしている。
「ほう、つまり、お前は身重の時に、旦那と過ごした村を何者かに襲われ、連れ攫われていたのか」
「そうなんだよう。あの時の子が無事に生まれていたら、きっと、弾丸のような子だったと思うんだあ」
「当たって砕けそうな子供に、育てる予定だったの?」
和気藹々な空気だが、話題が穏やかではない。
そのカスミの婿に当たる男たちは、同じ立場同志で集っているが、いつでも動けるようにとの考えで食べ物をつまみ、ソフトドリンクを口にしている。
「こらこら、折角の料理を、そんなついでの様につまむのは、失礼だぞ」
そういうエンは、適度に料理をとりわけ、雅と共に食し酒も適度に飲んでいるが、二人に関して言うと、蟒蛇、だ。
酔っぱらって眠ることを期待するのは、無駄だった。
次の報告は、探し物を見つけた後、起こされていればセイが、連絡してくるだろう。
その報告を待つ間、鏡月はそっとその部屋を離れ、キッチンのテーブルに据えられた椅子に座っていることにした。
賑やか過ぎて、余計に人の匂いが濃く感じる。
早く撤収して欲しいもんだと、鏡月が内心嘆いていると、客間の方から電話の受信音が響いた。
「はいはい、セキレイ……っ」
シュウレイがほろ酔いの声で答えたが、その声は不自然に途切れた。
「ち、ちょっと、もうちょっと、声、抑えてよお……え? 蓮? 来てないよ? そっちにいるんでしょ?」
取り乱した男の声は、鏡月の予想した通りの内容を告げていた。
「ええっ、いなくなったっ? 何でっ? 後で、連れて行くって言ったじゃんっ。ちゃんと、お札を使ってでも、引き留めといてよっ」
「……無茶言うなっ。それだと、オレにまで、影響が出るだろうがっ」
「暇だって言ってたから、手伝いで縛りつけたのにっ。逃げるなんて、酷いよ蓮」
酒が入っているせいか、泣き言をいうシュウレイに、優は呆れているようだ。
「……うむ、八十点、と言う所だな」
カスミの呟きに、鏡月はつい嫌々ながらも同意していた。
セキレイは、近くまで来たついでに、シュウレイの憂いごとを解決してもらおうと、姉をこちらに寄こした。
だから意外に近場で、蓮は待機していた状況だった。
電話連絡で増谷家に向かった若者は、今迄父親に、それを気づかせなかったのだが……。
「戻るまで気づかせなければ、満点だったのにな。残念賞だ」
これで、セキレイまで動き始めてしまうようだと、もっと評価が下がる。
後は運次第の仕儀、だった。
「あ、おはようございます」
「ああ、久し振りだな」
中学二年生になった忍は、未だバイトさせるのも規約がある年齢だ。
だから、知り合いの手伝いの小遣い稼ぎ、という体で時々、学校帰りに雑用をこなしている。
出世払いでいいと勝は言っているのだが、忍本人の気が済まないようで、どうも、中学卒業後はこの会社で働く気のようだ。
将来楽しみな少年が入るのはいいのだが、時期が早すぎると凌も勝も心配している。
年齢的には働けるが、もう少し学習するのも大切だと思うのだ。
凌が、ばったりこの少年と会えたのは偶然ではない、単にこの時間を見計らった男が、やって来ただけだ。
大柄ながら、整った顔立ちが笑みを浮かべ、切り出した。
「これから予定がないなら、夕飯でも一緒にどうだ?」
「え、やった……と、いいたいんですけど、凌さん……」
夕食がてら、説得してみようと考えていた男に、忍は顔を曇らせた。
「今日は、僕よりも、社長を気遣ってあげて下さい」
「ん?」
どういう事だと眉を寄せる凌に、少年は声を潜めた。
「……さっきから、社長が顔を顰めて、唸ってるんです」
「? 腹でも下したか? 珍しい」
「さっきまでは、元気に社員さん達を、怒鳴りつけてたんですけど」
「急に来る痛みもあるからな。一応、医者に行くよう言ってみよう」
それも違うような、と首を傾げる忍との会話を切り上げて別れ、凌は事務所の中に入った。
帰り支度をしている事務員に挨拶をしながら奥に入り、社長室のドアをノックすると、生返事が返った。
「オレだ、入るぞ」
返事を待たずに中に入っても、松本
「おう、お疲れさん」
「いや、今から仕事なんだが。どうした? 何か問題ごとか?」
そう切り出した男の声で、社長はようやく顔を上げた。
凌を見返すその顔は、心なしかぼんやりとしている。
「いや、お前からすると、些細な問題だ。それより……こっちの方が、問題と言えば問題だろう」
その表情に心配になったものの、何とか顔を改めて切り出した社長が出した資料を見て、凌も気分を変えた。
「……増谷か。ようやくあの都市にも、幅を利かせる気になったんだな?」
「オレたちは、こっちで手が一杯だ。あの都市はあの都市で、動き始めたんだ。その報告だな」
「
森岡家は元々、あの地の名士だから、その名自体が目立ち、マスコミも飛びつきやすかったお蔭で、悪い物をいっぺんに根こそぎ引き抜くことが出来た。
増谷家は一代で大きくなった家だ。
事情も分かり辛く、周辺も噂にならぬように、固く口を閉ざす風習は、その地全体どころか、どの国でも言える事なのだが、妙な話はちらほら聞こえて来る家であるにもかかわらず、何故かマスコミに目を付けられている気配がない。
怪談紛いの噂もあると言うのに、その手の話も話題にはならない家だった。
難儀な家もあったものだと、話を聞いた時凌は思っただけだったが、その難儀な家を、どうにかする動きが、あの土地であったらしい。
警察が動く、という。
「へえ、そんな大っぴらなムラが、見つかったのか?」
「ああ。非合法の薬を使っている疑いが、浮上しているそうだ」
「ほう」
説明を聞きながら、凌はひやりとして資料を読んだ。
「ああ、心配ないぞ。カ家の薬じゃない」
勝がそう言うのを聞き流しながら、資料の中で凌もそれを確認する。
だが……。
「媚薬紛いの薬、か。これは、セキレイの所の薬の、海賊版という奴じゃないのか?」
「まあ、その疑いは、あるな。原料が、相当ヤバイ薬だから、カ社長も、一緒にされたくないだろうが」
セキレイの作る薬は、植物由来の物が多い。
僅かな成分を会社の秘伝の方法で取り出し、精製している。
取り出す植物が、全国でもすぐに取れるような草や花で、どんな研究をしてもそれらから成分をうまく取り出す事が出来ていない中、セキレイの会社だけがそれを成し遂げた事で、話題を呼んでいる。
「世間では、不老不死の薬も、作り上げられるんじゃないかと、冗談交じりに話題になっているが、セキレイはその前に作り上げたい薬があるとか、言っていたな」
突っ込んで尋ねたらはぐらかされたが、出来上がったらまた話題に上るだろう。
増谷家で買い込まれた媚薬は、名ばかりの代物らしい。
「弱い奴は、一口で欲に溺れ、我慢が利かなくなるらしい。心身が強い奴は程々で覚めるが、心身が弱い奴は、なし崩しに壊れて死に至る。強い奴でも、何度も服用している内に麻薬効果で依存し、いずれは死に至る。どう転んでも、人体に悪影響な薬だ」
「ふうん、玉に腰っ、と比べると、随分劣るな」
「真顔で、その名を言うな」
銀髪の美貌の男が、真顔で言う品の名前は、媚薬の名だ。
サラっと言われてしまうと、本来ならば違和感がないのだが、朴念仁と名高い男の事を知る勝が聞くと、違和感しか湧かない。
「カ家に飛び火する可能性がないなら、問題はないんだな?」
「そういう事だ。あの家の悶着が解決すれば、うちももう少しあの土地に、踏み込めるだろう」
今でも少しずつ進出しているのだが、あの辺りを牛耳る大家や会社に、人脈が余り作れていない。
裏から手を回しても、あの辺りの古参や実力者がねじ伏せて来るからだったのだが、どうやら、その数件が増谷の件で根こそぎ引っこ抜かれる気配がある。
その後の、再びどこかから湧いて来る実力者が出て来る前に、こちらが牛耳る必要があった。
「これから空くであろう土地の購入と、販売。建築とその周辺の工事も、速やかに行えるように、今から動く手はずを整える事にする」
にやりと笑う社長を見つめ、凌は不思議に思った。
「そんな大仕事を前に、何をあんなに悩んでいたんだ?」
本人も言ったように、大掛かりな仕事で、悩みどころもある問題だ。
だが、これとは違う事で、悩んでいたと言う。
真っすぐな問いに、社長は小さく唸った。
「いや、これは、個人の問題だ。というより、個人的な相談を受けた」
正しくは、知り合いの間で話が持ち上がり、相談という形でこちらに来たが、これはこれで、勝にとっても重要な問題だった。
「唸る程、難しい問題なのか? 一体、どんな難題だ?」
気楽に尋ねる凌より小柄だが、横は一回り大きい男は、躊躇いながら切り出した。
「外装は目立たなない、立派な建物を建てたいと、依頼があった」
「? そうか。安く見積もられたのか?」
「いや……」
いくらかかってもいい、そう言われたと聞き、男は更に首をひねった。
大盤振る舞いされたのなら、それ相応の豪邸を作ればいいと、そう考える男に、社長は苦笑して続けた。
「出来れば、一目に触れない場所に、ひっそりと、それでいて立派な建物を建てて欲しいと。用途を聞いて、それなら内装を立派にしなければならないとは思うんだが、作っている内に、不審に思われそうで」
出来れば、ある個人の目を盗んで、完成させたいのだと、相談されたと言う。
ますます意味不明になった話に、凌は天井を仰ぐ。
全く話が見えない。
取りあえず、順を追って話を聞いて見る事にした。
「まず、誰からの依頼だ?」
「古谷家と、その他、だ」
「ん?」
その他?
思わず怪訝な顔をした男に、社長は付け足した。
「言い出したのは古谷家で、それに賛同した数家の依頼、だ」
費用は、各家から出すと言われていると言う。
ある個人に見つからないような、目立たない外装の建物を作り、内側を限りなく豪華に飾る……そんな話に、凌は思わず不安を口にした。
「まさか、とうとう、あの子の銅像を作って崇める気じゃ、ないだろうなっ?」
勝が目を丸くした。
何故かすぐに目を輝かせ、手を打つ。
「ああ、その方がいいな。精巧な銅像を作れば、あの方も壊そうなどとは、思わないだろう」
「ちょっと待て。銅像じゃないなら、何をその建物に据える気だったっ?」
つい声が荒くなった。
社長の言うあの方、というのが自分の大事な子供の事だと知っているだけに、その子供が、必要以上に崇められるのを嫌がっているのを知っているだけに、厳しい物言いになるのは、仕方がない。
勢いよく問う男に、勝は豪快に笑いながらそれを見せた。
「さっき、高野から贈られて来た物だ」
見せられた携帯電話の画面には、珍しい格好で整えられた若者が映っていた。
目を見張った凌に構わず、社長がしみじみと言う。
「実物を見れなかったのは残念だが、これを引き伸ばして額縁に飾らない手は、ないだろう? それとも、このお姿を手本に、やはり銅像を作ってもらおうか」
「……」
沈黙が走った。
その沈黙がやけに不自然で、勝は画面を覗きこんでいる男の顔を伺った。
珍しいほどに驚愕している、凌がいた。
「……ど、どうした?」
思わずそう問う社長にも反応せず、凌が何か呟く。
「き……? いや、色が、違う?」
「ん? 何のことだ、どうした?」
「ん、何がだ?」
更に問われて我に返った男は、勝を見返して問い返した。
「何がだじゃない、どうした、ぼんやりとして。お前らしくないぞ」
「いや、何でもないぞ。中々器量よしだな、母親に似たのか」
いつもの調子の戻った凌は、気楽に笑って再び自分の子供の画像を見下ろす。
「なるほど、これは、拝みたいと思っても仕方ないな」
取り繕うように付け加えてから、社長に苦言をする。
「だが、新たに箱モノを作って飾る程、大袈裟な事をするのは、違うんじゃないのか? あの子は、こういう事は望んでないはずだ」
「だから、見つからないように作って、拝める場を作りたいと、願ってるんだろうが。いわば、どこぞの隠れ何とかと、同じだ」
「実際にある物を、引き合いに出すな。土地を特定されるだろうが」
ぼかしている所を暴露する勝を窘め、凌は咳払いした。
「兎に角、その話はもう少し待て。何なら、あの子に言い含めて、何かお前たちが満足する催しを、考えさせるから」
父親とは言え、そこまで発言力はないが、社長の気持ちも分かり、あの子供の気持ちも察している男の、折半論だ。
苦しい宥め方だったのだが、意外にも社長はその話に乗った。
「本当か? 出来れば、年末年始や盆に出向けず、殆ど尊顔出来ない連中にも、お顔を拝見できる催しを考えて貰ってくれ」
そこまで、深刻な話だったのかと、呆れるような頼み方だ。
そこまで思われているのかと嬉しい反面、それが血を分けた子供に対するものだと言う思いが、凌を複雑な感情に浸らせる。
結局、話が偏った方向に進んだまま、社長との会談を終わらせ、凌は夜勤に入ったのだが、先程見た画像を思い出し、複雑な感情を蘇らせてしまった。
道路の配管工事に加わった男は、力任せに土を掘りかえしながら、思わず心境を口走った。
「何で、血の繋がりがないはずの、あいつと、似て見えるんだっ?」
色違いでなければ、あの若者が写っていると、そう思いそうになった。
それ程に、あの子供と、昔別れたまま再会していない弟子の一人は、うり二つだった。
蓮は、今現在、物凄く気になっている事があった。
相手はてきぱきと動き始め、今は集中している。
黙ったまま、相手の作業を見守っていたのだが、廊下に出て例の絵画を凝視した後、作業に入っていたセイは小さく溜息を吐いて、細めた目を黙ってついて来る若者に向けた。
「何か、私が悪いことしたか?」
「いや? 何でだ?」
「傍にいるのが、嫌そうだ」
思わず目を見開いた蓮は、即否定した。
「嫌じゃねえよ。ただ、ちと、イラっとしてるだけだ」
「何で?」
「……」
不機嫌を、的外れに察したセイを見つめ、蓮は素直に尋ねた。
「お前、さっきのおっさんを、本気で誑し込む気で、乗り込んだんだろう?」
「……」
目を瞬きながら、いつもの数百倍増しの白い肌となっている若者は頷いた。
「ただ身ぎれいにしただけで、先に侵入したミヤに勝てるとも思わなかったけど」
だからこそ、早々に雅を外に放り出したのだと続けてから、セイは白状した。
「誑し込むと言うか、一応こっちで足止めをしている間に、探し物をしようと思ってたんだ」
薬で動けない、と言う言い分はシュウレイには痛い言い訳で、文句の出ようもない。
その説明に対し、蓮の最初の疑問は、違うところにあった。
「身ぎれいにしただけ? 顔に塗ってるのも、その一貫か?」
「白粉を塗ろうとしたら、優さんに止められた。これだけで充分だとか何とか、分からない事を言われたんだけど、本当にこれで良かったのか、あの男に訊く間もなかったな」
そりゃあ、眠ってしまったのなら、相手にそんな確認できないだろう。
だから、蓮がその心配に答えた。
「……肌に映えて、その紅が更に際立たせてる。ミヤを軽く出し抜いてるぞ」
「……言い過ぎじゃないか?」
精一杯の誉め言葉は、一言で叩き落された。
眉を寄せても、全く障害にならない程の完璧な美貌にただ一つ、濃い目の紅が唇を彩っていて、普段はない筈の色気をかき立てていた。
これは、蓮だけではなく、あの場にいた男達も同じ意見だと思うのだが、当の本人が信じない。
真剣に容姿を褒めても、喜ぶどころか疑われてしまう。
「……だから、言わなかったんだっ」
言っても無駄だと、そう分かっているから、それでも言いたくて何とか軽口を考えつつも、どうしてこんな回りくどい事をしなくてはいけないのかと、ついつい苛立っていた蓮は、全ての思いをその数少ない言葉の中に込めて、吐き捨てた。
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