私情まみれのお仕事 治安絡み編

赤川ココ

第1話

この人の頼み事は、大概知り合いの悩みだ。

 しかも、その知り合いは大概、名前が似ている所から繋がっていると言っても、過言ではないようだ。

 話を聞き終えたセイは、まずそう思った。

 珍しく、女と共に待ち合わせ場所に現れたカ・シュウレイは、話し終わった後出されたコーヒーに口をつけた。

「……まだまだ、修行が足りないよ、狼さん」

 難癖をつけられた大男は苦い顔だが、これでもましな味になった方だと、セイは知っている。

「挽きガラが入らないようになっただけ、ましですよ」

 何度これでは商売にならないと、ここに店を構えた両親に訴えたものの、別に構わないの一点張りだったのが、最近ようやく何か思うところがあったのか、真面目になってきた。

 その一つの原因が、恐らくはこのシュウレイと弟の来店だ。

 そして、時々その姉弟と共にやって来る、その大叔父の存在も大きいだろう。

 前向きになった夫婦にほっとはしたものの、それまで真面目に説得して来たセイとしては複雑な思いだ。

 ここを待ち合わせに指定したのもシュウレイで、今日は珍しく弟と同伴でない上に、女を連れていた。

 二人の関係性は、セイも分かっているが、驚きが隠せなかった。

「紹介、いる?」

「ええ。確認のために、お願いします」

 シュウレイと同じくらいの、小さな女だった。

 格闘系の隙の無さはないが、全く別な種類の隙が見受けられない。

 シュウレイよりも少しだけ童顔な、美少女めいたその女は、優美に笑って名乗った。

御藏みくらゆう、と名乗っています。初めまして、じゃないわよね?」

「……ええ。単に、この人と知り合いだったとは、思わなかっただけです」

 正直に答えた若者に、優と名乗った女は小さく笑った。

「この子の事も、その弟の事も、承知しているわ」

「なら、その、養い子にも?」

「会ったけど……」

 優は苦笑して答えた。

「私が様変わりし過ぎたのか、全く気付かなかったわ」

「……」

 それで勘が鋭いとは、聞いて呆れる。

 ついつい、正直にその想いを顔に出してしまった。

 それを見て、優は楽しげに笑う。

「さっき少し顔合わせしただけだけど、それで分からないなら、その利点は返上した方がいいわよね」

 シュウレイとも、先程対面したばかりだと言う。

「ちょっと、技術を要する話になっちゃって。その手の伝手を探してたら、れんが人を紹介してくれて……」

きょう兄さまから話が来て、初めてエンちゃん以外の、弟と妹の存在を知ったところよ」

 優は、カスミの長女で次子だ。

 今は亡きランと双子の姉妹といて産まれ、ヒスイの息子であるコウヒとの間に娘を儲け、戦乱の最中命を落とした……そう、周りでは認識されて居たのだが、この国に昔から住む狐とその弟子仲間はその生存を信じ、その二人が揃った頃にようやく、ある地で埋められて眠っていた女を見つけ出し、掘り出した。

 髪結いになって生計を立てながら、徐々に別な能力を開花させ、今では御蔵と言う家の元祖として、その家の当主を見守り続けている。

「技術を要すると言う事は、容姿を変える話になるんですか?」

「そうだよ。お前が承知してくれないと、別な見目のいい奴を、見繕わないといけないんだ」

「見目? 見目がいいって、どう言う見目の話で言ってるんですか? 話が見えないんですけど」

「だから、今から話すから。説明聞いてよ」

 話を聞いたら、その頼みを受けねばならない。

 セイは躊躇ったが、シユウレイの方は構わず話し出した。

「……奥田おくだ秀人しゅうと……また名前……」

「数年前偶然、名前を書いている場に居合わせて、つい声を掛けちゃったんだ」

 何故、そんな見も知らぬ男に、あっさりと声をかけるのだろう。

 呆れる若者に構わず、シユウレイは話を続ける。

「で、その後少しだけお付き合いして、趣味が合わなくて別れたの」

「……逆ナンして、お試しして、別れたのね。いい婚活ね」

「具合は良かったんだけど、ほら、感性が国ごとにも違うでしょ? 足舐めてって言ったら、引かれちゃった」

 何の話か分からず黙ったセイの前で、姉妹はほのぼのと会話している。

「小さい足じゃないからかと思って、ショックだったけど、そう言う引きじゃなかったみたい」

「ええ、違うわね。日本は、そういう風習なかったから。というより、今は大陸の方でも、その風習、無くなっていると聞いたわ」

「そうなんだよ。びっくりしちゃったよ。私が捕まってる間に、時代は変わっちゃったんだよね」

 話の節々で、昔の中華の国の風習の話だと気づいたが、若者は話を遮ることなく黙っている。

 何で自分が呼ばれたのは分からないが、どんどん話が逸れていくのを遮ってまで、話を進める気はなかった。

 このまま、世間話で別れる事になっても構わないと思いながら、セイはコーヒーを飲む。

「でね、そのシユウちゃんが、十年ほど前に結婚したんだ」

 が、そのすぐ後に話が進み、思わず顔を顰めてしまった。

 カウンター席で、ウルが心配そうに見ているから、誤解してくれる程度の変化なのだろう。

 だから構わずにコーヒーを飲みながら、シユウレイの話を聞く。

 すべてを話し終わり、答えを待つ女を前に、若者は言葉を探して切り出した。

「その頼みと、見目を変える話が、繋がるんですか?」

「見目を変えるんじゃなくて、そのまま、着色して欲しいの」

 なぜわざわざ、そんな面倒な事をする必要が?

 そんな疑問に、シユウレイは真顔で答えた。

「だって、今のままじゃあ、相手に気付かれもしないもん」

「気づかれないように、動く話じゃあ、ないんですか?」

 シュウレイの頼みは、その奥田秀一の妻子を、ある男の手から救い出す手伝いをして欲しい、という事だった。

 それならば、あまり目立たずに動くのがいいだろうに、シユウレイは真面目に首を振った。

 そして、とんでもない事を言い出したのだ。

「奥さんを手離しても構わないと思う程、そいつを篭絡して欲しいのっ」

「ロウラク?」

 何だ、それ?

 どこかで聞いた言葉だが、余りに関係ない話過ぎて思い出せない。

 そんなセイに、女二人は真面目に説明し、計画を話し出したのだった。


 その都市は、治安が悪い事で有名だ。

 春ごとに、変な人間が子供をつけ回すし、殺傷沙汰も多い。

「それは、住んでいたことがあるので、僕も知っているんです」

 速瀬はやせしんが、そう言った。

「ですが、どこまで物騒なのか、分からないので、その都市出身の方に、話を聞いて見たいと、この二人が……」

 あらまあというのが、岩切いわきり夫人の第一声だった。

「あんなところに、何の用があるの? こちら側の方が、何でも揃っているはずだけど?」

「はあ、そうなんですが……」

 曖昧に答えたのは、今年高校二年に上がった、古谷ふるや志門しもんだ。

 人の好さそうな少年は、困ったように顔を伏せつつも、その理由を言う気はない様だ。

 つまり、今回の話を岩切家のしずかには、知られたくないのだろう。

 まあ、あの都市に行くと言うのなら、まだ幼い少女を連れていては危険だ。

 子供の頃から小柄で大人しく見られる岩切夫人は、その事を良く知っていた。

「まあ、あの辺りに済む連中は、大体がこの都市や他の地で炙れた人ばかりだから。静を連れて行かないと決めたのは、正解かもしれないわね」

「そんなにひどいんですか?」

 金田かねだ健一けんいちが、顔を顰めて返す。

 この土地が平和過ぎて、麻痺してしまっている分、その差は信じられないだろう。

 自分だって、驚いた。

「こちらの習いごとに行っていた時、毎夜、住宅街を自警団が回ってくれているのを見て、驚いたわ」

 多くが、引退したご老体だったが、昔は腕を鳴らした男の人だった。

「それは、話に聞いてます。その自警団の人に、小母さんは助けてもらったんですよね」

 実の父親の暴行から。

 健一の言葉に、岩切夫人は苦笑して頷いた。

「丁度、都市境の道だったから、見とがめて下さったのよ」

「道?」

 志門と伸が、目を見開くのを見て、健一が苦い顔で聞いた話をする。

「習いごとの帰りに、住宅街の道中で、小学生の娘の胸倉攫んで、往復ビンタしている所を、偶々こっちの都市の自警団が目撃して、110番通報したんです」

 警察が来た時にはすでに、その二人はその場にいなかったが、足止めしていた自警団に導かれすぐにその姿を見つけた。

 警官が呼びかけると、二人は振り返った。

 愛想笑いしている男の後ろに隠れた少女の顔は血まみれで、鼻からはまだ血が流れていた。

「警官の問いに、男は帰りが遅いから殴ったと答えたんですけど、元はと言えば、親が決めた習いごとからの帰りでしょ? 鼻血を出させるほどの悪い事じゃない。だから、署に連行し、母親とそのご両親を呼んだ」

「父方は、祖父母共に、故人だったから」

 書類送検ですみ、大事には至らなかったが、母親と娘は祖父母と共に暮らし始め、すぐに離婚が成立した。

「あの時は、自警団の方が偶々気づいてくれたから、私は助かったけど。本当なら、こんな大事にされなかったはずよ」

 何故なら……。

「殴られている時に、その傍を自家用車が横切って行ったのよ。誰が乗っていたのかは知らないけど、止まりもせずにこちらを見たのかも分からないくらいにスムーズに、通り過ぎて行った。無関心なのか、関わりたくなかったのか。自分に都合の悪い事には、自分から関わらない、そんな都市柄なんでしょうね」

 未だに、父親の元に残った兄弟は、恨み言を言いに来るそうだ。

 お前が悪いのに、家族が崩壊したと。

「でも、祖父母も母も、そんな事はないと言ってくれたわ。私も、どうしてあんなに殴られなくちゃいけなかったのか、分からなかった。だって、習いごとに行く前に、ちゃんと遅くなる理由を置手紙にしたためて、出かけたはずなの」

 その日、クラスメートたちと共に、自分の家で委員会の活動の、清掃分担の表を作っていた。

 早めに作って習いごとに行くつもりが、まだ出かけていなかった兄弟たちに邪魔され、クラスメートも泣かされ、散々な状態で表をようやく書き上げて、五時ぎりぎりに習いごとに向かったのだ。

「ようやく習いごとを終えて、家路についたその道に、あの人待ち伏せしてたのよね」

 実の父親は、近づいてきた途端に、頬を張った。

 言い訳も何も聞かず、只殴り続ける父親に、娘は絶望した。

「母が警察に呼ばれた時、兄弟二人も一緒だったんだけど、その時のあの二人の顔を見て、どうしてこうなったのか、分かったわ」

 置手紙を、捨てられたのだ。

 自分の顔を見て、馬鹿にしたように笑う兄弟に、こいつらは敵だと、そう感じた。

 そして、そう感じたのは、祖父母も同じだったようだ。

 娘と孫娘だけ引き取り、男兄弟二人は、父親の元に残して離婚させた。

 年を重ねても、あの父親の心境も、男兄弟二人の気持ちも、全く分からない。

「分かる気も、ないけど」

 都市の話から、一家族の話になってしまった。

 首を傾げる志門に、岩切夫人は笑いながら言った。

「あの都市の話と、遠ざかっているわけでもないのよ。そう言う家族は、結構いるみたいなのよ。だからこそ、人の事情に、無関心なんでしょ」

 傷害事件の目撃も、見なかったことにする。

 それは、街中に行けば行くほど、その傾向にある。

松本まつもとさんのご夫人、知ってるでしょ?」

「ええ。時々、お漬物を頂きます」

「あの人も、元々はあの都市の出身なの」

 しかも、岩切夫人とは違い、成人するまでその地にいた。

 いや、縛りつけられていたと言ってもいい。

「そうだ、この機会に、久し振りに呼んでみようかしら。待ってて、電話してみる」

 同郷と言う理由だけではなく、松本夫人と岩切夫人は仲が良い。

 だが、どちらも結婚してからは、頻繁に会う事が出来ないのだ。

 言い訳が欲しかった岩切夫人に呼ばれ、松本夫人は喜んでやってきた。

 背丈も容姿も岩切夫人と似た雰囲気の女は、挨拶を済ませて事情を聞き、首を傾げた。

「……でも、こんな黒い不幸自慢みたいな話、あなた達の年代の子たちが聞いて、面白い?」

 不思議そうに問われ、志門は苦笑しつつも頷いた。

「あの都市の性質が分って、参考になると思うのです」

「だから、何の参考なんですか?」

 健一が尋ねても、古谷家の跡取りは曖昧に誤魔化す。

「性質、って言うのかな、あれ。意外に粘着質、って言うのは、個人の性格もあると思うけど……」

「思い通りにならないと、大きな声で牽制するか、手を上げる」

 岩切夫人が唸ると、松本夫人が例を上げる。

「ああ、戦後の男の典型よね」

「他の都市や、一人っ子だったら、また話は別かもしれないけど、男の中に女の子が一人いたら、必ずその女の子だけを、その鬱憤の対象にする」

「母親も、その対象になる事もあるけど」

 理由は、男の子供は成長したら自分より強くなる可能性が大で、復讐されたくないからだ。

 それ故、女の子供に全ての悪役を押し付け、その鬱憤までも押し付ける。

「まだ、子供だからってだけで、男女区別なく暴行する親の方が、素直よね」

「される方は、たまったものじゃないけど。あの辺りの人は、相手を見て、悪態や暴力をするから、質が悪いよね」

 頷く岩切夫人に頷き返し、松本夫人は続けた。

「親族に助けの手を差し伸べられて、岩切さんはひねくれないでここまで幸せになれた。もし、あの事件が明るみにならなかったら、私の時の二の舞になっていたかも」

 少しだけ岩切夫人よりも年上の松本夫人は、しみじみと言った。

「私の場合、母親がある時期を過ぎてから、娘を父親との間のシールドにし始めてから、家に居場所はなくなったの」

 中学生に、なるかならないかの頃からだ。

「それに確信が持てたのは、兄が県外に就職して、食卓の席が、父の隣に変わった時ね」

「へ?」

 父親は喫煙家で、隣でその煙と焼酎の匂いを嗅ぎ続ける羽目になった。

 長方形のテーブルの広い席に父と並んで座らされ、母は直角に当たる席に一人座る。

 その向かいが、弟だった。

 食後の喫煙の父親の横で、松本夫人は煙を吸いながら食事をした。

「咳込むと、わざとらしいと睨まれるし、最悪だったわ。その上……」

 いつからか、母の作る味噌汁を含めた料理の味が、濃い味になった。

「弁当も含めた、全部の料理が、塩っけ多かったり、卵焼きに何故か普通の濃い口しょうゆが、色が変わる位に混ぜられていたり……。このままじゃあ、病気になるんじゃないかって思ったわ」

 しかも、父親はそんな濃くなった料理を、これ見よがしに残すか、湯を注いで薄めていた。

 母に遠慮して、そのまま食している娘だけが、その悪影響を受けそうな、そんな状態だった。

「……」

 毒親が、増えている。

 少年たちが顔を引き攣らせるのを見て、夫人二人は苦笑した。

「親だけじゃないわよ。そんな家にいた男兄弟たちも、同じようになるの」

 松本夫人は、成人式を終えてからすぐに、松本家に嫁いだ。

 その半年後、両親が離婚した。

「きっかけは些細な言い合いだけど、今更な理由だったわね。私という壁がなくなったから、母が的になってたのよ。半年しか持たないなんて、どれだけ弱いのかって思ったものだわ」

 そして、その五年後。

 父親が、脳梗塞で倒れた。

「当時、六十手前で、定年前だったんだけど、急に進行して、入院した。左手足が自由に効かなくなったらしいんだけど……」

 兄はすでに結婚し、他所の地にいた。

 自分もその家を離れ、生活している。

 弟が一人、父親の介護をする事になったのだ。

「その頃、私も、ようやく授かった息子をお腹に身籠っていて、それでなくても、父のリハビリのためにも、あまり気にかけるわけにはいかないと思って、普通にしていたら……」

 男の介護を、女の身が出来るはずがなく、弟も任せろと言っていたから、大丈夫だろうと考えていたら、五か月後兄弟から、それぞれ電話があった。

 内容はどちらも同じで、声音も同じだった。

「そろそろ戻って来いって。子供も出来ないのに居座っていたら、そちらにも迷惑だろうって。妊娠していると言っても、信じてくれないのよ」

 冷静に、現実の話をしても、的外れな揚げ足を取る。

「手足が少し動かないだけで、寝たきりな訳じゃないのに、子供二人がかりで介護なんかしたら、本当に寝たきりになると言ったら、兄が声を引き攣らせて言うの。充分寝たきりだろって」

 耳を疑った。

 県内でも名高い高校に受かり、大企業に就職したはずの兄が、常識からかけ離れた主張を、平然と言い切った。

 もし、十年自分が実家に戻って父を介護するとしても、介護の後の将来を、兄弟は保証してくれないだろうと、試しに自分の事を優先にして言いかけたが、それは途中で遮られた。

「十年しか、面倒を見ない気かって。例えの話でしょうと言っても、その一点ばかりを強調して。これ、話し合い無理だって、そう思ったわ」

 うん、それは、無理だ。

 つい頷く少年たちに、松本夫人は弟の事も話す。

「限界だから、戻って来て手伝えと。限界ってどのくらいって訊いたら、死にたいくらいって。……言いそうになったわ、言っちゃいけない事を」

 ああ……と、少年たちは同情した。

 こういう手合いは、自分が何を言っても許されるが、相手が言う事には敏感に反応して、攻撃する。

 松本夫人は、それを知っていた。

 ここまでですっかり、疲れていた夫人だが、力の弱った男一人くらいなら、何とかなるかと考え直し、弟に言った。

「私が世話をするなら、こちらに引き取るか、私が家に戻って弟に家を出てもらうかになるけどって言ったら、何でって狼狽えた」

 こちらとしては当然の希望だった。

 まだ寝た切りとは言えないほどの病状の男一人なら、目を掛けながら家の事をし、生活するだけで済む。

 そんな病状の父の介護で、死にたいと言う程に根を上げるような甘い男は、邪魔でしかなかったのだ。

「二人なら、ご飯の準備だってそこまで苦じゃないし、住む人間が多い分、こちらの労力が増えるでしょ? だから、もし、私に戻れと言うなら、母親の元にでも行ってくれと言ったのよ」

 弟は元々、好き嫌いが激しい、甘やかされて育った男だ。

 住む家がないわけじゃないにもかかわらず、姉からすると当然の条件に、難色を示した。

 そして、言い出したのだ。

「両親の離婚も、父の病気も私のせいだから、介護するのはお前だって。子供産んでる暇なんか、ないだろうって。いい加減、わがままはやめて戻って来いって。父親もね、私に介護されたがっているって。赤の他人に介護されているのが、我慢できないって」

「へ?」

 健一がつい、間抜けな声を上げる。

 松本夫人も深く頷いた。

「おかしいでしょう? 弟は、それに答えて私に話を持って来てるの。赤の他人って、弟は言われてるのに、怒らなかったのかって思わず訊いたら、揚げ足捕るなって」

 親不孝と罵られても仕方ないと、もう、悪役を受け入れようと思った瞬間だった。

 姉からすると、家を出た身で当然の事を話したつもりだったが、全て我儘と一蹴されたのだ、何やっても何言ってもそうとしかとられないのに、戻るのも彼らを相手にするのも、馬鹿らしいと感じたのだ。

「……」

「もう、ほとほと呆れちゃって。仕方ないから、その会話全部録音しておいて、旦那とお舅様方にも、相談しました」

 松本氏が、どんな解決をしたのかは知らないが、それから父が亡くなるまで、兄弟とも父母とも関わる事はなかった。

「あちらの財産相続も放棄したし、母とも関わる気はないから、もう、絶縁したも同然。うちの家族だけ、あんな変なのかと思ってたけど、岩切さんの所も同じと聞いて驚いたわ」

 しかもある騒動で、あの都市全体の住民の殆んどが、そんな性格だと分かった。

 それは、ある動物を媒体にした伝染病が、その都市を中心に広がった時だ。

「発病した動物を飼っている辺りの人は、楽観し過ぎていたのよ。封鎖より先に、仕事がなくなる不安を、世間に訴えた」

 自分の有益を優先させて封鎖を遅らせ、結果県内全域にその病を蔓延させてしまった。

「本当に些細な事の間違いには目くじら立てて、指摘して馬鹿にするくせに、こういう重大な事を起こして置いて、責められたら仕方ないだろう、なってしまったものはと言うの。父親がここにもいるって思ったわ」

「まとめると、被害妄想が強く自己中な粘着質が多い、面倒くさい都市柄、ってところかしら」

 身も蓋もない。

「私自身も、そうならないように心掛けてはいるけど、一歩間違えればそうなりそうで」

 松本夫人が言うと、岩切夫人も神妙に頷いた。

「血筋って、偶にこう言う所で出てしまうものね。気を付けようとは思っているけど。私の所は、実の娘じゃない分、そう言う虐待じみた事をしそうな家族だから、余計に気になっちゃって」

「うちは、男の子が二人で、一人は事情があるから、その点も心配よね」

「あら、松本さんの所は、お母さんを守るって、言ってるんでしょ?」

 何やら、子供自慢が始まりそうな雰囲気になった。

 そろそろ、お暇しようと少年たちは目くばせし、岩切家を後にした。

「……で、どうして急に、あの都市の話に興味を持ったんですか?」

 不思議そうに伸が問う傍で、目を細めた健一が続けて言った。

「そろそろ教えてください。じゃないと……静に、チクりますよ」

 その脅しに屈した形で、志門は静かに答えた。

「……御蔵さんの所の元祖様が、若と手を組んで、何やら企んでいるそうなのです」

 その企みの舞台が、どうやらその問題の都市らしいと、古谷家の後継ぎは言った。


 この地を嫌って、出て行く人たちも多い。

 だが、住めば都、そんな心持の者も、いない事はないのだ。

 移り住んで好きになり、嫌われる土地柄ならば、中身ごと変えてやろうと意気込む若者も、最近は秘かに増えてきていると、みどりは思っている。

 緑も、その一人だからだ。

 と言っても、女子高校生の身では、意気込んでもそこまで大それたことは出来ない。

「早く、大人になりたい」

 水谷みずたに緑は、口癖になったセリフを、何気なく呟いた。

 それに答えるのは、同級生のひそかだ。

「後三年、辛抱しよう。成人したからって、何ができるって訳でもないけど、気は済むでしょ」

「そういう、気分の問題じゃないんだってば」

 宥め口調の友人に、そう反論する少女は、社会人か大学進学かの選択を迫られて、追い詰められている、現在高校三年生だった。

 母に似たのか小柄な少女は、学校内でも有名な美少女だが、一緒に帰る御藏密は羨ましがられることは、なかった。

 いや、初めて緑に会う者は、妬む視線を投げるが、少女の本性を知れば、おのずとそんな気持ちを捨て、同情の目を向けてくれる。

 いや、露骨に同情されるほどでもないのだと、密は主張したいが、まあ、隠す気のないあの性格を目の当たりにしては、見惚れるよりも驚き怯えて、固まるしかなくなるのは、仕方がない。

 それが分かるほど頻繁に、緑の目に余る事案が、周囲に転がっているというのも、問題視するべきことだろうと、密は思う。

 平均に近い背丈と、どちらかというと目立たない容姿の帰宅部の少女は、何故か一年の時から緑に懐かれ、現在まで友人と言う立場に収まっている。

 名前の通り、秘かに学校生活を送り、いずれは家を継ぐことになっていたと言うのに、今現在、友人のお蔭で目立ちまくりだ。

 そう心の中で嘆く間にも、その騒動が音を立てて近づいて来た。

 騒音がやかましい、原動付き自転車、つまり原付だ。

 今でも音で目立ちたいと思う輩がいて、近くで響くその音は顔を顰めるレベルなのだが、そんな事を露骨にしては、相手はそれを見とがめて絡んで来る。

 人の目は気にしない癖に、そう言う嫌そうな顔は見えると言う、都合のいい視界の輩だ。

 緑が睨んで絡まれない様、密は頻繁に話しかけて、原付が通り過ぎるのを見届けたのだが、その後姿を見送った二人は、思わず嫌そうに声を上げてしまった。

 二人の前を、杖にすがって歩くお婆さんが歩いていた。

 二人乗りで走る原付が、お婆さんの隣を通り過ぎる瞬間、後ろの奴が手提げ鞄をひったくった。

 その勢いで、お婆さんが道路に倒れ込む。

 原付は、二人の歓声を響かせながら走って行った。

「っ、大丈夫ですかっ」

 密が駆け寄り、老婆を抱き起す。

 一緒に駆け寄った緑は、目を据わらせて原付が走り去る後姿を見ていた。

「御藏、お婆さんは頼むよ。救急車と、警察もっ」

「う、うん」

 密の返事を聞く前に、少女は走り出していた。

 原付に追いつく勢いで。

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