今何時ですか?

ぼんぞう

第1話

 あるビジネスマンの男性が一仕事終えて、車でハイウエイを夜通し走らせてきた。大きな商談を無事に済ませ、満足感で一杯だったためか、眠気も起こらず、快適なドライブだった。少し飛ばし過ぎたのは、機嫌が良かったからだけではなく、ワイフに、翌日の昼までには、帰れると約束してしまったためでもある。

 しかし彼は、軽率だったと少々後悔したものの、何とやらである。もう少しゆっくり街をブラつくぐらいの時間を作るべきだったか、と未練がましく思う気持ちを押さえ込むようにして、たまには早く帰ってワイフの喜ぶ顔を見るのも悪くないだろうと気分を差替えた。


 太陽が昇り、辺りが明るくなってくると、今まで体の外に追いやっていた眠気を感じ始めたので、少しばかり時間が早すぎたのもあったが、常日頃、慎重な彼は、自分の体調も気遣い、無理をするべきではないと判断し、仮眠をとることにした。


 ハイウエイから住宅地に伸びる道に入り、緑が多く、見渡しのいい公園の横にゆっくりと車を停止させた。サイドブレーキを引く音が、咳払いのように響いて、エンジン音が止むと、鳥達のさえずりが、聞こえだした。彼は車のウインドウを開け、その声を外気と一緒に取り込んだ。雲ひとつないウルトラマリン色の空が、いっそう彼の緊張をほぐし、彼の体は睡眠の準備を始めた。

 と、その時、車のウインドウ越しに突然、ジョギング姿の男が彼に「すみません、今、何時ですか」と息を弾ませながら、尋ねてきた。あまりに突然だったので一瞬取り乱しそうになったが、柔和な性格の持ち主は笑顔で「今丁度6時ですよ」と答えた。ジョギング姿の男は礼を言うと、走り去っていった。


 徐々に眩しくなってきた日の光を和らげるために、サングラスをし、彼は再び鳥の声に耳を傾けながら、眠気を引き戻そうと、大きく息をし、シートに寄りかかりながら、しばらくボーっと外の景色を眺めていた。そして、目を閉じゆっくりと眠りにつこうとしたその時、あろうことか、またもやそれを邪魔する声が、「すみませーん」今度は若い女性だった「今何時か教えてもらえません」彼は「あぁ」と声をもらし、時計をみやり、ようやく「今6時15分ですが」となんとか答えた。相手が女性ではなかったら別の態度だったろうことを思いながら、心の中で、この辺の連中は時計を持ち歩かない習性でもあるのかと毒づいていた。

 このままでは、うかうか、眠ることもできやしないと感じた彼は、対応策を考え始めた。そして、助手席に置いてあったブリーフケースからノートとペンを取り出し、そこに「今何時か分かりません」と書いて、それをノートから丁寧に引きちぎり車のドアに貼り付けた。これでよし!彼は今度こそ安心して眠ろうとした。


 そこへ今度は、杖をつきながらとぼとぼと老人が歩いてきた。朝のお散歩である。老人は毎朝こうして平穏な日々を神様に感謝しながら一日を始めるのが好きだった。老人は車の横を通り過ぎようとしたが、ドアに貼り付けられた紙が目に入ったので、近寄って、そこに書かれた文字を一読した。そして、ニコニコしながら車のシートにもたれて気持ち良さそうに眠りについたドライバーを起こして、親切にもこう告げた「今は6時半じゃよ」


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今何時ですか? ぼんぞう @hioki5963

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