第1話 ひばりとサキュバス−A

「鏡よ鏡、この世で一番エッチな女の子を教えなさい」


 魔界六番街アスモデウス邸の一室で黒い髪の少女が魔法の鏡に向かって命令する。

 外には顔のある満月がいやらしい笑みを浮かべて夜空に浮かんでいた。

 鼻の下を伸ばした満月が少女の部屋を覗き見ようとしたことで入り込んだ月明かりが鏡を照らす。

 直後、鏡は眩い光を放ち始め、とある少女の顔を映し出した。

 


「これが……私の追い求めていたお方なのですね」


 鏡に映された茶髪の少女を黒髪の少女はうっとりとした表情で眺めていた。


 ✕ ✕ ✕


 舞台は変わって人間界、日本のある小さな街に一人の女子高生が暮らしていた。

 その少女の名は夜鷹よだかひばり。

 深奥高校に通う二年生の十六歳。

 そんな彼女の学校生活は遅刻から始まる。


「こんちわ〜」


 ひばりは怠そうにそう言って二限目の途中から教室に入ってきた。

 突然やってきたひばりに教師やクラスメイトは一瞬だけ反応するが、すぐにいつも通りの授業に戻り、誰もひばりの遅刻を咎めたり、彼女に挨拶をする者はいなかった。


「(誰も反応なしかよ。まあ、いいけどさ)」


 自分の席に着いたひばりはそう考えていると、隣に座る男子生徒が教師に隠れて携帯を弄っていることに気づき、ふとその画面を覗き見る。


『夜鷹さん、またまた朝帰りで遅刻してしまう』

『マ?』

『昨日、俺の兄貴の友達が夜の街で夜鷹を見たって言ってた。やっぱり夜鷹は噂通りビッチで間違いない』

『うはwww。だけど、夜鷹ちゃんならお金払ってでもヤらせて欲しいけどな。お前らならいくら払える? 俺は一万円』

『八千』

『五百』

『二万』


 男子生徒たちのチャットを見たひばりは思わず顔をしかめて窓の外に視線を逸らす。


「(誰があんたらとヤるかっての。いくらあたしがお金ないからって抱けると思ったら大間違いだ、この腐れ野郎共)」


 ひばりはクラスメイトたちから陰で『ビッチ』と呼ばれていた。

 髪を茶色に染め、いつも学校に遅刻していることから『夜鷹ひばりは毎晩男と夜遊びをしている』という噂が流れるようになった。


 しかし、実はひばりには、夜遊びどころか男性経験は一度もなかった。


 ひばりが遅刻しているのは夜勤のバイトをしているからであり、その理由も貧乏な家族の生活費と自分の学費を払うためだった。

 オシャレはそんな彼女にとって数少ない趣味の一つであり、異性を惹き付けるためではなく、自分の満足のためにしていることだった。


「(今日も夕方からバイトか。……今のうちに寝とこ)」


 春の気持ちいい日差しを浴びたひばりは机に突っ伏して眠りについた。


 ✕ ✕ ✕


 放課後、ひばりは駅前までの道のりを一人で歩いていた。


「(うずらは今頃家に帰ったかな? お姉ちゃんはまた無駄遣いしていないといいけど……)」


 バイト先に向かう途中の彼女は家族のことを思い浮かべていた。

 ビルと山の谷間に太陽が沈み始め、空が夕焼けでオレンジに染まっていく。

 ひばりが駅まで近道をするため、人通りの少ない路地裏を通ろうとした瞬間、


「ぎゃああああああっ! 助けてええええっ!」


 突然、悲鳴をあげながら、黒い髪の少女がひばりの方へと走ってきた。


「グルルルゥ! バウッ! バウッ!」


 少女は厳つい見た目の大型犬に追いかけられており、ひばりはただならぬ雰囲気を感じる。


「あっ! そこのお方! どうかこのわたくしをお助けください!」


 少女が涙目でひばりの背中に隠れた。


「ちょっ、離せっての! くっ、これだと動けない……ああっ、ったく!」


 覚悟を決めたひばりは襲いかかってくる犬にガンを飛ばす。


「犬公、それ以上こっちに来たらどうなるかわかってんだろうな?」


 犬がひばりに睨まれたことで震え上がる。

 怯えきった様子の犬は「きゃいん」と一声鳴くと、一目散に逃げていった。


「ふ〜。危なかった。あんたも大丈夫?」


 ひばりは背後にいる少女に向けて話しかける。

 しかし、少女はひばりの顔を見ると、ぷるぷると小刻みに身体を震わせ始める。

 その様子は恐怖に震えているというよりも、憧れの芸能人を前にして緊張しているというものに近かった。


「あっ、あっ、こんな偶然に会えてしまうなんて……」

「ん? あたしたち前に会ったっけ? えーっと、どちら様?」


 怪訝な表情で尋ねるひばりの右手を少女が両手で握りしめた。


「も、申し遅れました! わたくしはナイトメア・アスモデウス! あだ名はメアと申します! わたくしをあなたの弟子にしてください!」

「……………………はあ?」


 いきなりの申し出にひばりは素っ頓狂な声をあげた。

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