第6話 公爵令嬢、シルヴィア・セプテンバーの話・5



「デカい声だなぁ~」


 ふわりと身体が持ち上げられていた。先程久しぶりに聞いたハリーの声が、私の耳元で聞こえている。私の手首を掴んでいた手が、目の前でぽろりと下に落ちて行く。

「え」


「ぎゃあああああ!!」


 初老の男が叫び声をあげた。ちらりと見えてしまったのは、手首から下を切り落とされた彼の腕だ。

「見たら駄目だ」

 ハリーの手の平が、私の目を覆った。息が荒くなってくる。混乱の極みだ。私を襲おうとしたのか誘拐しようとしたのかわからないが、その初老の男が、手首を切り落とされた。切り落としたのはハリーだ。足音はもう一人分聞こえる。聞こえてくるのは、先ほどの美人の声だった。初老の男は、まだ叫んでいる。地面でのた打ち回る音が聞こえてくる。ハリーが私の為に人を傷つけた。元には戻せない傷だ。私の為に。私のせいで。


「いやッ!」


「人を平気で斬るような俺に抱っこされてるのは嫌かもしれないけど、今は我慢しろ!」

「ち、違うの! そうじゃなくて……」


 その時、ずっと叫んでいた男が、ハリーに向かって怒鳴り出した。


「許さんぞ青二才! 誰の許可を得て、私の手を斬ッ、斬り落したのだ! 私がシャギー男爵と知っての狼藉か!」


「…………クソが」


 ハリーが舌打ちをした。ガラの悪い態度に、男が怯むのがわかった。


「あらあら。もっと痛め付けないと、自分の立ち位置がわからないみたいねぇ?」

「うぐッ、うぐあああああ!」


 あの美人の騎士が、男の傷口を踏みつけているようだ。目を覆われていて見る事ができないのが歯がゆい。でも、見てしまったら、トラウマが残ってしまうかもしれない。これでいいのか。


「貴族としての立場でものを言っているのであれば、てめぇが襲おうとしていた少女は、公爵令嬢だ。後に、刑罰が決定すると思うが、まあ、死罪になるだろうな。だが、そんな事は関係ない」

「関係……ない?」

「貴様が触れた女は、俺の婚約者だ。この国は、婚約者の貞操を守る為だったら、相手を殺してもいい法律がある。知ってたか?」

「う……うう……」

「まあ、こいつが公爵令嬢ってのは、知ってたんだろ? それでいて、襲おうとしていたわけだ。貴様には、ここ数年で起きている、貴族令嬢達への暴行・誘拐容疑がかけられている。今頃、貴様の家は、怒り狂った王立騎士団によって家宅捜査されているだろうな。貴様一人の死罪では済まないぞ。シャギー家の財は全て没収になるだろう」


「あら。こいつ、失神しちゃったわ」


「縛って王立騎士団に引き渡しておけ。後は頼んだ。俺は、こいつの機嫌をとるのでこれから忙しい」

「了解。団長にも陛下にも、ちゃーんと説明しておくわよん」



 今日の警備の仕事を離脱して、ハリーは私をオクトーバー家の別邸に連れて行ってくれた。移動の馬車の中では、互いに無言を貫いた。ただ、二人とも不機嫌そうな顔をしているのに、私はハリーの膝の上だ。合流した侍女が、微笑ましそうにこちらを見てくるのが、不愉快極まりない。


 オクトーバー家の別邸は、王立学園に隣接した土地に建っていた。大きな建物と、広い庭。木々の中を散歩していくと、小さな庭園があるそうだ。建物の前の広い庭には、白いブランコがあった。小さな子供が遊べるような、砂場もある。


「暇になったら遊んでやるって約束しただろ? お前をここに呼ぶために、整備してる途中だったんだよ」

「…………私、もう五歳の子供じゃないんだけど?」

「は? 五歳じゃないけど、まだ十歳だろ?」

「もう十歳なの!」

「ああ? なんだよ、じゃあ、ブランコも必要なかったのか?」

「…………必要、だけど」

「なんだって?」

「ブランコ! 乗る! って言ってんの!」

「……ぶは!」

 ゲラゲラ笑いだしたハリーの向う脛を蹴り上げて、私はブランコへ走った。痛みで悶絶しているハリーを盗み見る。わざと大げさに痛がっているだけだ。

 一緒に遊ぶ約束を守ろうとしてくれた。あの男爵に向かって、私を婚約者だと言ってくれた。なにより、私を助けに来てくれた。

「でも……浮気したし、ガキなんて面倒って……」

 ブランコに腰掛ける。足を離すと、不安定に揺れ出した。まるで、私の心のようだ。


「相変わらずのクソガキっぷりだな、お前」


 ハリーは、私の正面にまわり、跪いた。縄を持つ手を上から握られてしまったので、私は逃げる事もできない。真っ直ぐに見上げてくる瞳が、今までみた事がないくらい真剣で、胸がドキリとする。


「……五年も経ったのよ。私はどこへ出しても恥ずかしくない淑女になったの」

「自分で言うのか」

「それに、サファイアの君って呼ばれてるんだから! 私を狙ってる男性なんて、たくさんいるのよ?」

「ふは! サファイアの君って!」

「本当だもん! 何度も嫌な目にあってきたんだから!」

 涙が滲む。邪な感情を受けるには、私はまだ、本当に子供だった。欲を孕んだ目で見つめられる度に、鳥肌をたて、父のつけてくれた護衛に何度も助けられた。

「…………何か、された?」

 ハリーは眉尻をさげて、私を心配そうに見つめている。とうとう、ぼろりと涙が零れてしまった。

「何かされるような私ではないわ」

「さっき、あのじーさんに手首掴まれてただろうが。ああいうのが、何かされたって事なんだ」

「一人になったのは、初めてだもん。あんな事も、初めて……」

「俺に憎まれ口を聞いて勝手に飛び出すからだ。クソガキ」

 伸びてきた腕が私を攫い、ハリーの胸に抱き締められていた。五年前よりもずっと逞しくなった首に縋る。

「怖かった! ハリー!」

 わんわんと泣きだした私を、ハリーは優しく抱き締めてくれた。ブランコに腰掛けて、私を腕に抱いたまま、ゆらゆらと漕いでくれる。淑女教育の先生にこんな姿を見られたら卒倒されてしまう。それでも、離れたくなかった。


「そういえば、お前、なんで俺にいきなり喧嘩売って逃げたしたわけ?」


「貴方が浮気したからでしょ!」

「は? 俺が? 浮気って何だよ。女なんか嫌いだっつうの」

「さっきの、美人騎士に、ベッドで慰めてもらうって。それに、一緒にお風呂に入ったとか……」

「…………あいつ男だから。女言葉使ってるけど、もう結婚してるし。俺をからかってるだけなんだよ。浮気とか言うのやめろ。俺は被害者だ」

「男の人…………? 本当に?」

「嘘をついてどうする」

 勘違いだった。嬉しくなって、ハリーの胸に頬擦りする。だが、もう一つ、気になる事があったのだ。


「じゃあ、ガキの面倒見たくないって言葉は? 生意気なガキの顔なんて見たくないって」

「は?」


 いまだに、名前も呼んでくれないハリーだ。ハリーが『ガキ』と言ったら、私の事しかない。私の事を面倒に思っていて、顔も見たくないんだったら、婚約など成立しない。


「真っ平御免って言ってたわ」


「ああ、王子の事だろ? お前の一つ年下の王子がな、俺に剣の稽古をつけてもらいたいとかで、指名を受けてんだよ。ガキに剣を教えるなんて無理。なんか一緒にいる殿下の婚約者も、何かを期待してるような目で見てくるし。あの空気、耐えられないんだよな」

「王子殿下が、ガキ……」

「あとな、言っとくけど、お前は、『ガキ』じゃないからな。『クソガキ』か『悪がき』だろ? 自分をその辺の普通の子供と同じだと思ったら、大間違いだからな」


「…………じゃあ……私に、会いたかった?」


「そうじゃなければ、ブランコなんて設置しないっつうの」


 ハリーは、ちゃんと私を婚約者だと思ってくれていた。私が遊びに来る時の為に、わざわざ別邸を整備してくれていた。ぼろぼろとまだ涙が止まらないまま、顔をあげる。拗ねたような顔で、ハリーは私を見詰めてくれていた。もう二十歳なのに、十五歳のあの頃と、ちっとも中身は変わっていないのだ。


「私の事、好き?」


「クソガキ」


「答えになってない! でもいいわ。婚約破棄なんか、やっぱりしてあげないから」


 チュっと頬にキスをすると、ハリーは私の目にキスを返してくれた。涙を拭うように、舌が動く。何度も、何度も、繰り返される。やがて、唇に柔らかなものが触れた。目を開ける。ハリーが私に口付けをしてくれている。


「お前さ、五年前、俺の初めてを奪ったんだから。責任とれよな。勝手に婚約破棄とか言うんじゃないぞ」

「ん……ッ……ふ」


 子供にするには、少し大人っぽいキスをした後、ハリーは私をまた抱き締めてくれた。もう帰りたくない。ずっと一緒にいたい。今夜は、久しぶりに会えたから、一緒に眠りたい。駄々を捏ねて散々困らせた私に、ハリーは最終的にはブチ切れた。


「クソガキは、おませな事を言ってないで、迎えの馬車に乗って帰れ! とっとと歯磨きして寝ろ!」





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