坂城優の密室事件
神田檀
第1話
ホワイトボードに黒いマジックで「坂城」と記載の記入欄にゆっくりと円を書く。
小規模とはいえITの会社だというのに随分と杜撰な管理だなと思いながら席に着く。タイムカードすらないのだ。間違って隣の欄に円を書こうものなら自分は無断欠席となってしまう。
今着席した席だって自分の席というものは決まっていない。空いた席に腰掛けて自身のパソコンを持ち出して作業を始める。辺りを見回すと出来て間もない会社のせいか無機質な作業テーブルとパイプ椅子よりは幾らかマシという程度の椅子が並べられている殺風景な様子に自然と溜息が溢れた。気のせいだと信じたいが部屋全体が灰色がかって見えた。
まだ人もまばらで好みの席に着席出来たが、昨日提出する筈だった日報を記入しているだけの間にぽつぽつと人が集まってくる。皆一様に同じ作業をし、室内を見渡して空いた席に適当に腰掛ける様子を見ていると俺は何て詰まらない企業に就職してしまったのだろうと鬱然とした気分になった。
朝礼が始まり、昨日までの進捗状況と本日の目標を発表し、席に着く。一人黙々と作業を続けるのみでこれと行った変わった出来事も起こらず毎日が単調に過ぎていく。誰かに呼ばれれば返事をするし、何事か頼まれればそれを熟す。他には何もない。
生意気にも鬱々として気が進まないまま作業を進行していると数メートル先から「サカキ」、「サカキ」と二度声が上がった。立ち上がろうとした一足先にサカキはサカキでも「坂木雄一」の方が先に席を立ってマネージャーの方を見た。
すると、些か面倒臭そうに
「ああ、すまん。坂木、お前じゃないんだ。坂城優の方だ。『坂に城が建っている方の坂城』な」
「はい、すみません。何でしょうか」
慌てて立ち上がると椅子が思い切り引かれたせいですぐ後ろにあるテーブルに椅子のぶつかる音がしたが無視してマネージャーを見遣る。
「急で悪いんだが、新規のクライアントと面談をしてきてくれないか」
「はい、勿論です。出来ましたら待ち合わせ場所のマップ戴けると助かります」
内心では面倒に思っていたが断れる筈もなく、顔には出さずにデータを受け取り、慌てて支度をして席を立った。ホワイトボードに「十七時・品川・面談」と朝型に円を描いた記入欄の下に書き込んで通勤鞄を背負いこむ様にして辺りも見回さず一目散に室内から駆け出て行った。
外界の空気を吸えば、気持ちも良かったがやはり凍える様な寒さが身体を小さくさせた。
鞄からスマホを取り出すと充電が残り僅かだった。モバイルバッテリーを持ってくれば良かったと少し後悔した。
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