結婚しないでね
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結婚しないでね
きっと社会に出たなら、こんなふうにはいられない。それでも、という祈りが私の中にはずっとあって、それはあなたも同じだったと思う。ふたりが望む未来をふたりで諦めて、ふたりで祈っていた。
倫理の授業で少しだけ触れた同性愛について。先生の言った「未だに偏見があるけど…」の「けど」から先の言葉は信用しきれなかった。多くの目からの偏見に、私たちはたくさん苦しむことになるんだろう。そして、「けど」から先の希望の言葉たちはその目と懸命に戦い続けなればならず、しばらくは私たちを救う暇さえないんだろう。
眠れない夜は何度もあった。どうしても手に入れられない素晴らしい将来のことを考えていたからだ。 あなたと私はお互いの親への挨拶を済ませて、祝福されて、婚姻届を出して、式の準備を始めて、誰を呼ぼうかなんて話して、来たる結婚式の前日には、ベッドの中でふと目が合ってしまって、そんな微かな幸福にささやかに笑い合う……。
いつもそこまで考えて、その幸せな未来図と、それが決して私の手には入らないという苦しさと悔しさに涙が出た。いつも涙が枯れぬまま、悲しみのまま眠った。
ある日、あなたは私に、昨日きみと結婚する夢を見たよ、と言った。幸せそうに微笑んで、そう言い終わるや否やすぐに泣いてしまった。あなたも私と同じ絶望を抱えていたのだと分かって私も泣いた。ふたりでいくら泣いてもまだ悲しみは消えなかった。疲れはてて残ったものは、悲しみと、鼻の赤さと、悠々とした諦観だった。
その後も私たちは変わらず過ごしたが、私の内側ですらない、どこかで起こった大きな力が、あなたと私との関係を静かに変えていくのを感じた。それを止める術も理由もどこにもないような気がして、漠然と、ただ漠然と、もうすぐ終わるんだろうなと思った。無言の采配がそこにはあった。そうならなけらばならないというような、運命めいたものがあった。
そのような緩やかな切迫に、私はついに彼女に別れを告げた。
止める術も理由もないとか、それが運命だとか、そういった言葉で誤魔化そうとしていただけなのかもしれない。彼女と離れてしばらく、最近そう考えるようになった。
きっと私はただ、彼女と生きていくのが嫌になってしまっただけなのだ。私が運命と呼んだものは、差別とか、偏見とか、そういったものに屈して、そしてそれに抗うことも面倒で、億劫で、逃げたくなってしまった私自身の心だ。
私はあなたと一緒にいることを苦しみたくなかったし、私といることであなたが苦しむ姿も見たくなかった。そしてそんなとき、現実から目を背けずにあなたを守ることなど自分にはできないことも分かっていた。希望の言葉たちに代わって戦うことが怖かった。ひとりでふたりの未来を勝手に捨ててしまったこと、本当にごめんなさい。
あの日、私に何ができた?幸せな夢を見たと泣いた彼女に、私は何を言えたんだろう。
あの日の帰り道、私は彼女に、「誰とも結婚しないでね」と、そんなことしか言えなかった。あぁ、今思えばなんてどうしようもない言葉なんだろう。これが、私たちが別れることになってしまった決定的な言葉ではなかったか。
そしてそれは、私の弱さから生まれてしまったのに違いない。私があのとき言うべきだったのは、こんな言葉では決してない。
…ここまで考えてもまだ、私は、やはりこうするしかなかったのだと思うことがある。だってきっと、私が彼女と同じ身体をもって生まれてこなければ、こんなことにはならなかったはずだから。
彼女には本当に申し訳ないことをしていると思う。私の心の弱いせいで、突然別れを告げて、他の誰より大切な彼女を傷付け、悲しませるまでになってしまったのに。でも、こうして自分を許してあげなければ、私はあなたとの未来をとても諦められそうにない。
あの日、結婚しないでねって言ったら、当たり前じゃんって笑ってくれたけど。
あのとき、本当は、私と結婚してくださいって言いたかった。
結婚しないでね 1 @whale-comet
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