変身ヒーローと異世界の魔物

謎の森と小さな出会い

 初めは、小さな光だった。

 瞳の中心に見えるその光は徐々に大きく広がっていく。

 生まれるときの記憶なんて誰も覚えているはずはないが、きっとこういうことなのだろうと、直感的に俺は思った。

 意識が目覚めると、風に乗って鼻先を土と草の匂いが掠める。

「あ……う……」

 口を開き手の感覚を確かめる。

 違和感はない。

 目を開くと飛び込んできたのは空に輝く太陽の光。

 木々の間から差し込んだ光がちょうど俺の顔を照らしていた。

「眩し……」

 手で遮りながら体を起こす。

 ようやく自分の置かれてる状況がわかってきた。

 空に比べると辺りは暗かった。

 いや、この辺りで明るいのは俺が倒れていたところだけだった。

 周囲は深い森に囲まれていた。

 一体どれほどの森なのか。

「ここは、一体……」

 どこなのか?

 ……というより、俺は……誰なんだ?

『よかった、意識が回復したのですね』

 ――!?

 不意に声が聞こえてきた。

 慌てて辺りを見回す。

 もちろん、誰もいない。

「なんだ? 誰の声? ――幻聴?」

 記憶はいまいちはっきりしないが、言葉は失っていなかったようだ。

『何を言っているのですか?』

「また聞こえた。誰だ! 俺に話しかけているのは!?」

『彰、冗談だとしたらあまり面白くはありませんよ』

 彰……俺のことをそう呼んだのか……?

 なぜだろう。その名前には思い当たるような気がする。

 俺は、彰という名前なのか。

『まさか、異次元砲の直撃を受けたショックで記憶が失われてしまったのですか?』

「異次元砲……その言葉にも聞き覚えはある」

『よかった。全てを失ったわけではなさそうですね』

「いや、勝手に安心されても困るんだが。それよりも、そろそろ姿を現してくれても良いんじゃないか?」

『……良いでしょう。まずはお互いのことを整理するべきだと思います』

「それは同意見だが、姿を見せる気はないんだな」

『まず、あなたの名前は?』

「彰、と呼んだな? あきら……大地、彰。そうだ。その名前はよく覚えている」

『年齢は?』

「20……いや、確か21歳だったはずだ」

『職業は?』

「職業? ……印刷関係? いや、違う。っていうか、就職してたっけ?」

『では、家族構成は?』

「今は、義理の妹の未来と二人暮らし――」

 未来。

 その名を思い出したとき、どうしてここへ来たのかも思い出した。

「そうだ! 俺は国連の連中が開発したとか言う新兵器で――」

 重要なことはそこじゃない。

 俺は思い出そうとする思考を振り切って立ち上がった。

「未来ー!!」

 森の奥へ向かって叫ぶ。

 しかし、声は森の作り出す闇に吸い込まれるばかりで、返っては来ない。

「未来は、どこにいるんだ!?」

『落ち着いてください。すでに私が周囲の索敵を終えています。しかし、センサーによる反応は皆無です。ここが地球上であればGPSを使って未来様の反応を探すことも可能ですが……』

「できないのか?」

『はい、ここは本当に異世界のようです。電波の一つも受信できません』

 落ち込むような感情がダイレクトに伝わってくる。

 さっきから俺に話しかける声の正体もはっきりしていた。

 俺の体は半分以上がナノマシンで構成されている。

 そして、そのナノマシンの一つ一つにはAIが組み込まれている。

 そのAIが俺の意識に直接話しかけているのだ。

 だから、誰かと言えば俺自身であり、そして俺自身ではない。

 ネムスギアというナノマシンのシステムであり、同時に俺自身もそのシステムの一部だった。

「どうする? ここで待っていた方が良いと思うか?」

『それは、あまりお勧めしたくありません。すでに索敵を終えていると伝えましたが、この森には野生の動物の反応がいくつもあります。どのような世界でどのような生物が存在するのかわからない以上、まずはこの世界のことを知る必要があると思います』

 ネムスギアのシステムにはもちろん地球上のあらゆるデータがプログラムされているが、異世界じゃそれは役には立たないか。

「……未来は、無事だろうか?」

『保証はできませんが、未来様には私たちでさえ解明することのできなかった超能力がありますから。いずれ未来様の方からテレポートしてくるかも知れませんよ』

 確かに、それはそうだと言える。

 あの、デモンとの最終決戦も未来がデモンのボスの居場所と基地を見つけてくれたのだ。

 未来が俺を見失うことはない。

 AIに言われたことできっとこの世界にいるような確信が持てた。

 ただの勘でしかないが。

 今はただできることをやるべきだろう。

「――で、俺はどっちへ行けばいいと思う?」

 辺りを見回しても同じような景色が広がるだけ。

 どっちがどっちやら。

『そうですね。それでは西の方へ向かいましょう。そちらの方が生物の反応が少ないので』

「いや、だからどっちが西なんだよ」

 太陽の動きと木々の生長の様子からAIには方角が計算できるらしい。

 俺はAIの指示に従って森の中を分け入ることにした。

 森の中は迷路のようだった。

 時折空の太陽を見てその動きからAIが現在地と過去のデータを照合してだいたいの場所を把握していく。

 つまり、俺が歩いた分だけはAIがマッピングしていると言うことだった。

 しかし、景色がまったく変わらないから俺の感覚的にはさっきから一歩も動いていないんじゃないかと錯覚を覚えるほどだった。

 普通の人間だったら、疲労とか以前の問題で心が折れて歩けなくなっているところだろうな。


 それからさらに一時間ほど歩き続ける。

 特に急いではいないが、かといってゆっくり歩いているわけでもない。

 木々を避けたり退かしながら進んでいるから速くはないだろうが、それでも最初にいたところから10キロは進んだんじゃないだろうか。

 未だに森を抜ける様子はない。

『周囲を警戒してください。生物の反応が一つ近づいてきます』

 AIが不意に警告してくる。

「野生動物か何かか?」

『答えかねます。ここがどのような世界かわからないので、この世界の生物に関するデータがありません』

「こういうところは妙に機械的だな。せめてどれくらいの大きさでどれくらいの速度で動いているとかくらいはセンサーでわかるだろう?」

『なら始めからそう聞いてください。大きさは人間の子供くらいです。速度は……動物だとすると少し遅いですね。どうやらあちらも周囲を警戒しているようです。辺りを見回しながら動いているから遅いようです』

「そうか。俺からの距離は?」

『二十メートル弱です』

 警戒していると言うことは、俺のことに気がついていない?

「今の風向きは?」

『風速はほとんどありませんよ。木々が多すぎてあまり風が抜けないような地形のようです』

「いや、微量でも吹いているなら教えてくれ」

『人間の感覚では難しいですが、私のセンサーでは向かい風を測定しています』

 ということは、こちらが風下だ。

 先に仕掛けるか。

 どんな生物でも、不意を突ければ何とかなるだろう。

 ま、やばい相手だったら変身すればいい。

 俺は背の低い木の陰に隠れながら、AIのセンサーに従って動物に近づく。

 後数メートルというところまで迫ると、ガサガサと木をかき分けるような音が聞こえてきた。

 これが本当に野生動物だとしたらあまりにお粗末じゃないか。

 こんなわかりやすく音を立てて歩いていたら外敵に簡単に見つかると思う。

 あるいは、森の中を堂々と歩けるほど強い生き物か、だ。

 左前方にちょうど良い大きさの幹がある。

 俺は音を立てないように素早く回り込み、音のある方を覗くと……。

「ヒック……ヒック……グス……」

 小さな女の子が服の袖で目の辺りを擦りながら歩いていた。

「おかあさーん。おとうさーん」

『……人間の女の子ですね』

「確認しなくても見ればわかる!」

「ヒッ! だ、誰!?」

 AIがあまりにも間の抜けたことをいうものだからつい声を張ってしまった。

 女の子は俺の方を見ながら木の枝を剣のように構えていた。

 ちょっと震えている。

 何者かよくわからないが、小さな女の子が泣いているんだ。これ以上警戒する必要はないだろう。

 無駄に怖がらせる意味もないし、かといって放っておくわけにもいかない。

 俺は木の幹からゆっくりと出て行った。

「あ、えーと。っていうか、今さらだけど声がわかる! 君も日本語わかるの?」

「え? にほんご? って何?」

 言葉が通じたことに気がついて、俺は思わず挨拶も自己紹介もすっ飛ばして思ったことを口にしていた。

「いや、俺の言葉はわかるよね? この言葉は俺の世界じゃ日本語って言うんだ。だから君も日本語を知っているのかなって」

「俺の世界? なんかよくわからないけど、世界に言葉は一つしかないでしょ。お兄さんそんなことも知らないの?」

 女の子からはすでに警戒心は感じられなかった。

 というよりも、何か残念なものでも見るような目を向けられている。

「取り敢えず。言葉がわかるなら自己紹介をしようか。俺は大地彰。年は21歳。君は?」

「……お兄さん。私のことも知らないの?」

「それって、どういう意味?」

 女の子とはじっと俺の目を見つめた。

 外見は小学四年生くらい。金髪のくせ毛を頭の後ろで一つの三つ編みにしている。

 服装は水色のワンピース。裾の辺りには細かい刺繍が縫われていて、肩の辺りが少しだけ膨らんでいてそこから白い袖があり、袖口の辺りにはレースがあしらってあった。

 よく見ればどこかのお嬢様のようだ。

 しかし、俺と同じように森をかき分けて歩いてきたのだろう。

 せっかくの服もあちこちが破れたりすり切れたりしていた。

 小さな足を覆う革のブーツも磨けば輝くようだが、今は泥にまみれてみる影もなかった。

「お兄さん。仕事は?」

「え? 仕事?」

『彰、世界を救うヒーローと言うのはやめた方が良いですよ。そもそもそれは職業ではありませんから』

 わかっているよ、と思ったが口にはしなかった。なぜか、負けた気がするから。

「えーと、今は無職、かな……」

「無職の人がどうしてこんなところにいるの?」

 ……あれ? なんだろう。

 少女のことを知るはずが、いつの間にか俺が詰問されている。

 ここは一度年上としてガツンと言うべきだろう。

「あのね。俺はもう自己紹介したんだから、話を進めるならまず君も名前を教えてくれても良いんじゃないか?」

「……よく知らない人に名前を言ったり付いていったらいけませんってお母さんが教えてくれたの。だから、教えたくない」

 さっき泣いていたのが嘘のようにキッと睨んできた。

 確かに、少女の言うことももっともだ。

 俺たちの世界だって、同じことを教えている。

 いや、妹にはもっときつく教えていたかも知れない。義理の妹である未来は兄というひいき目を差し引いても美少女だと思う。

 だから、未来には近づく男全てが敵だと教えていたような……。

『思考が脱線しています。協力が得られないのであれば、放っておけばいいのではありませんか? この子もそれを望んでいるようですし』

 実に冷静で合理的な判断だ。

 だが、そこがAIらしい。

 俺の体も半分は機械のようだが、望んでいなくても困ってる小さな子を見捨ててはいけない。

 人類全てを救う気はなくても、目の前の命が脅かされたら守ろうとする。

 それが、ネムスギアを使う戦士としての俺の矜持だ。

「俺のことを信用できないならそれでもいい。俺も君が何者であるかわからないから信用はできない。だけど、俺はこの森から出られなくて困ってる。君は、一人でこの森から出られるのかな?」

「……それは……」

 少女は目を逸らして俯いた。

「森を抜けるまで、俺を助けてくれないか? 見返りに、野生動物から君を守ってあげられる」

「野生動物? じゃあ、魔物からも私を守って!」

「ま、魔物?」

 一瞬だけ見せた哀願するような表情は、俺の言葉を聞いてすぐに曇ってしまった。

「魔物も知らないの? お兄さん、本当に大丈夫? そんなんで私を守ってくれるの?」

「魔物ってのがなんなのか知らないけど、それだけは約束する。俺は絶対に君を守る」

「……わかった。私の名前はエリーネ=クリームヒルト。このアイレーリス王国に土地を持つ貴族の娘だからね。よく覚えておいて。私に何かあったらお父さんとお母さんが許さないんだから。きっと、女王様が騎士を使って懲らしめちゃうんだからね」

 聞いたことのない国。

 そして、女王に騎士。

 これはいよいよもって現実として受け入れなければならない。

 ここは、間違いなく異世界だ。

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