サイボーグ分裂
金浦 樹
サイボーグ分裂
「人間!やめてえ!」
『やめた!』
部屋には、脳が浮かび、肉体が余った。
最近のあたしはサークルの原稿の締め切りのことやら、今季のアニメのことやら、家帰って寝たいってことやらで頭の中はいっぱいで、それ以外のことに脳のリソースを割くなんて面倒だった。服だって基本的にパーカーにジーパン、という適当な服装で過ごしていた。
ついに人間の生活が面倒になったあたしは、人間の身体を捨てて脳だけになって好きな生活を送れる、「ニンゲンヤメール」を導入して人間をやめた。
『余った肉体、どうしようかな……』
聞き慣れない電子音声が部屋に響く。壁を背にぐったりしている元の自分の身体を見る。
この「ニンゲンヤメール」で余った肉体は、特に要望がなければ基本的にはリサイクル処理されるそうだ。まあたしかにもう必要なくなったのだから、せめてもの社会貢献されればとは思うが……なんか複雑な気持ちだ。
でもあたしはどうせだったら自分の代わりに情報収集とか、人間の生活とかしてくれるものがほしい。創作するにあたって、他の創作物から刺激を得ることもできるが、人間の実体験、っていうのも得難い刺激だとは思う。だからあたしはオプションも購入することにした。
脳になってから数週間。サークルでの原稿と合わせて趣味で小説を培養槽の中で書いていると、聞き慣れたような声が聞こえた。
「ただいま戻りました、マスター」
『おかえり!』
人間だった頃のあたしと同じ顔、声、姿の女性が立っていた。「ニンゲンヤメール」の追加オプションとは、余った肉体に人工知能を埋め込むオプションである。
「それでは、本日の出来事を同期いたします」
人間の姿をしてるあたしは専用のケーブルを頭の後ろに接続して、脳のあたしが入ってる培養槽とつなげて、同期作業を開始した。
同期しているデータから思いついたアイデアを元に次々と文字を打っていく。思いついたアイデアに夢中になって、そのことだけで頭の中をいっぱいにできて、あたしは今最高の生活を送っている。
『あれっ、それどうしたの?』
ある日、帰ってきたあたしの髪には、桜の花を形どったヘアピンがついていた。
もちろん、あたしの物じゃないし、ヘアピンをつけるようにも指示していない。
「クラスの方からいただきまして」
帰ってきたあたしは、いつものように平坦な調子で返す。
『そうなの!?』
驚いた調子の電子音声が出る。なんかあべこべだ。
「詳細は今すぐ同期いたしますので、ご確認を」
『待って』
同期作業に入ろうとしているのを止めて、言った。
『今度からさ、君の口から聞かせてくれないかな?』
正直、まあ非効率的、だと思う。というか、そうだ。
でも、一日の出来事を、ただの作業としてあたしに伝達するんじゃなくて、彼女の口から話してもらいたい。
人工知能相手に変かもしれないけど、彼女が一日の出来事に対してどう感じたのか、彼女なりの説明で聞かせてもらったほうがいいと思ったのだ。なんとなく。
「……」
少し驚いてるように見えた。でも彼女には表情がないから勝手にそう見えたに過ぎないけれど。
「マスターが、ご希望とあれば」
平坦な調子で彼女は返してきた。
それから、彼女が学校やバイトに行ってる間は、あたしはいろんな作品を書き続けて、いろんな作品を見て、そして帰ってきた彼女から今日あった出来事を聞く、という生活が続いた。
彼女から聞く一日の出来事は、始めは淡々と出来事の羅列をしているだけで、それ以上のことも話し合おうともしなかった。しかし、徐々に出来事に加えて質問や思ったことを伝えてくれるようになった。ある日は大学でできた友人の誘いに乗って複数人でカラオケに行ってにぎやかで楽しかったかもしれないだとか。また、ある日はバイト先の後輩から本を借りて、それが読んでみるとおもしろかったとか。「マスターも読んでみませんか?」と言われたが、苦手なジャンルだった。
一日の出来事を話す彼女の顔には表情がついてくるようになって、髪ものばしているようだ。そのことを指摘したら、少し顔が赤くなったような気がする。
そんな日々を何年か過ごしていると、
「マスター、
紹介したい方がいます」
そう言って、彼女は男の人を連れてきた。
眼鏡をかけた、まあしっかりしてそうな好青年ってかんじの人だった。
彼女はちょっと気恥ずかしそうにしてた。でもそれでいてどこか嬉しそうで幸せそうだった。
彼女とその連れられた男性、彼女の彼氏、と夜までいろんな話をした。
『いい人だったね、紹介してくれてありがとう』
本当にそう思った。だって、彼氏を連れてきてあたしにわざわざ紹介する必要なんてないんだから。
それに相手も最初はさすがに驚いてたけど、その後は普通に接してくれた。
「マスター……」
『あたしのことは気にしないでよ!細かいことは明日にしよ!』
明るく言ったつもりだったが、優しい彼女はベッドに入ってからも不安げな表情であたしを見ていた。
その夜、静かな培養槽の中で思い返していた。彼女が生まれ、彼女と話をしていた日々を。
いつかは、こういう日が来るんじゃないかとは最近思っていた。気づいてはいたんだ、少しは。
髪型も服装も読む本も少しずつ変わっていってて、あたしが好きじゃないものも好きになっていた。
彼女はもう、あたしの代わりなんかじゃない。
それに、なんか嬉しくもあった。こういう話、あたしは嫌いじゃないから。
……でも、正直、ほんの少し、培養槽の中が深海のように感じた。
(……そうだ、これを書けばいい。何事も血肉にしてこそだ。
タイトルは――)
彼女が結婚してから数年経った。ありがたいことにあたしは文章を書く仕事をもらえている。部屋にはあたしの入ってる培養槽だけ。
原稿を書いていると、液晶に入電の知らせが表示される。
『もしもしー?』
「新しいの、読みましたよ!その感想言いたくて……」
電話口からは聞き慣れた声が聞こえた。
『メールでもよかったのに~』
「いえ、私がお話したかったので」
彼女がこの部屋を出ていってからも、彼女とは定期的に連絡を取り合っている。新刊や記事に載せてもらったりすると、必ず彼女が電話をくれる。そして、お互い近況を伝えあったりしている。
『次もおもしろいの書くからね!』
「楽しみにしてます!」
電話口からは軽やかな声。午後の暖かい日差しが培養槽の中に満ちている。
サイボーグ分裂 金浦 樹 @1tuza_kanagawa
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