思い出を君に
響樹自身が口にした事ではあるが、天気にも陽気にも恵まれた絶好の花見日和の中、時折微風が頬を撫でた。しかしそれが肌寒いという事はなく、温かな午後の日差しの中ではむしろ心地良く感じられる。
その風の影響か、桜の花びらが宙を舞う。数は多くないが、白身の強い花弁が枝から離れ、陽光指す青空へと風に乗って溶けていく。そよぎそうになる自身の長い髪をそっと押さえながら、吉乃はそんな光景に優しい視線を送っていた。
「綺麗だな」
「ええ。天気に恵まれて良かったです」
二人が共有した景色への素直な感想に、吉乃は響樹へと顔を向けて少し目を細めた。
綺麗で、そして可愛らしい。人目があってなお自制を忘れそうになるかと思う程だ。
そしてその人目である向かいを窺ってみると、海と優月はいつの間にか肩を寄せ合って座っており、先程までの響樹たちと同様に空と桜を見上げていた。
違うのはこちらが静なのに対してあちらが動な事。海は宙を舞う花びらを掴もうと手を伸ばしており、優月はそんな恋人を囃し立てながら応援している。
「楽しそうですね」
どこか眩しそうな吉乃の視線を追うと、ちょうど海が花びらを掴んだらしく、「取ったぞ!」と握りこぶしを優月に差し出したところ。優月の方は「よくやった」と海の手を掴んでぶんぶんと振っていた。
そして二人はそこで響樹たちの視線に気付き照れくさそうにはしたが、優月は満面の笑みで二人分の手をこちらに見せつけるように突き出した。因みに海は顔を伏せている。
「二人とも相変わらずだな」
「あちらも私たちに対して同じように思っていますよ」
少し眉尻を下げながら苦笑を浮かべた吉乃の言葉に対し――
「そうだそうだ」
「響樹だけには言われたくないぞ」
と、同意が返ってきて、吉乃は「だ、そうですよ?」と首を傾けながら楽しそうに笑った。
「……否定のしようも無いな」
軽く首を振ると、吉乃は口元を押さえてくすりと笑い、海と優月も愉快そうな笑い声をあげた。
「ほら、天羽君も桜取りなよ。吉乃にプレゼントしよ」
「俺がとった花びらたった今捨てといて、よくそんな事言えるなお前」
「大事なのは思い出でしょ? 海が取ってくれたって事が嬉しいんじゃん」
「お、おう」
友人はだいぶチョロいらしい。とはいえ優月もからかうような調子ではないので、ほぼ本心なのだろうとは思うが、それにしてもチョロい。しかし――
(俺もチョロいな)
隣の吉乃が一瞬期待に目を輝かせたのを見てしまった。単純な事だが、それで十分なのだ。
「ちょっと待ってくれ」
「響樹君? ……はい」
吉乃から桜の木へと移した視線で察してくれたらしく、「はい」の返事が少し弾んだ。表してくれた期待に応えたいと思う、そんな響樹の気持ちに応じてくれた訳ではないだろうが、ちょうど風が吹いた。今までよりも少し強い風は、吉乃が髪を押さえたにもかかわらず毛先を大きく揺らす。
その様子をじっくりと見たくはあったが、響樹は視線を動かさずに風に運ばれる花弁の内一つに狙いをつけ、手を伸ばした。
「取れた」
指先に挟んだ花びらを見せると、少し目を丸くした吉乃が頬を綻ばせ、優しい笑みを浮かべながら「流石響樹君ですね」と小さな拍手をくれた。
少しの気恥ずかしさもあったが、響樹自身僅かな頬の弛みを自覚している。何故なら、今回貰った「流石」は嬉しい言葉だ。吉乃の期待に応えられた事と、彼女が響樹を信頼してくれている事の証なのだから。
「おー」
「一発で取るかぁ」
向かいのカップルからの小さな賞賛の中、「ほら、吉乃さん」と手を差し出せば、「はい」と彼女の方は両手を控えめに差し出す。
「素敵な思い出をプレゼントしてくれてありがとうございます。一生大事にします」
「大袈裟だな」
「記憶力には自信がありますので」
ふふっと笑って響樹に上目遣いの視線を向ける吉乃にもう一度「ほら」と声をかけ、手のひらの上でそっと花びらを離した。のだが、先程は空気を読んでくれた風が、今度は読んでくれなかったらしい。
「あ」と、響樹と吉乃の声が重なり、視線も同じ方向で重なった。
ちょうど吉乃の手のひらに乗ったばかりの桜はシートの外へ運ばれ、もう目では追えない。
「もう一枚取るから――」
「いえ。思い出はもう、しっかりと貰いましたから」
動かしかけた響樹の右手にそっと自身の手のひらを重ね、吉乃は優しく微笑みながら小さく首を振った。
「だから次の思い出をまた来年、お願いできますか?」
「来年だけでいいのか?」
響樹の問いにぱちくりとまばたきを見せ、吉乃はふふっと笑う。
「では再来年も、その先も。ずっとプレゼントしてください」
「ああ、任せとけ」
大きく頷くと、吉乃がそのまま響樹へと体を寄せて肩を触れ合わせる。暖かな陽気の中、心身ともに温かさが加えられた。
「あれがほんとの相変わらずだな、優月」
「だね」
と聞こえた声に、眉尻を少し下げた吉乃と顔を見合わせた。
「見られているという意識が薄くなってしまいます。響樹君と一緒だと」
「俺の場合は吉乃さんと一緒だと、だけどな」
「お互いさまと言ったところでしょうか?」
「まあな。後はあいつらの前だと慣れもあるんだろうけど」
「でしょうね。流石に優月さんたち以外の前ではこうはなりませんから」
ちらりと向かいを窺ってみると、二人からは呆れを含みながらも見守るような視線を感じる。
「ただ、恥ずかしいのは慣れませんね。響樹君はその辺りは平気でしょうけど」
「俺を何だと思ってるんだ」
吉乃の魅力に引き寄せられるだけであって、響樹にだってちゃんと羞恥心は存在するのだ。
まあ、自身の行いを鑑みると否定しづらい部分でもあるので肩を竦めるにとどめたが、そんな響樹に対し吉乃はニコリと笑った。
「聞きたいですか?」
「……また今度な」
得意げな吉乃の顔で、何となく何を言われるか想像がついた。それだけで頬が緩みそうになるのだから、実際言われたら耐えられない。
「そうしておきます」
いたずらっぽい笑顔のおかげで、結局響樹は向かいの二人から顔を隠すはめになった。
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