窮屈な幸せ

 常夜灯の小さな灯りの下、吉乃が嬉しそうに頬を緩めた。


「布団がこんなに暖かい物だとは知りませんでした」

「そうだな、ほんとに」


 意図するところは心情的な意味ではなく、単純に物理的な話だろう。

 先ほどまでも密着していた訳だが、布団を被った状態では熱が逃げて行かず、二人の体温が混ざり合っていくような感覚を覚える。


「お互いに温め合っているようで、いいですね」

「ああ。いいな、これ。冬が楽しみになる」


 抱きしめ合って密着しながら、そっと二人で裸の足を触れ合わせる。少しくすぐったくて息を吐くと、吉乃も同じように小さな吐息を漏らす。

 そんな反応が気恥ずかしくて照れ隠しで笑みを向けると、吉乃も同様だったのか可愛らしいはにかみを浮かべてほんの少し前髪をいじった。


「窮屈じゃないか?」

「少し。でも、それが幸せなんですよ」

「そういうもんかね」

「そういうもんですね」


 同じく照れ隠しの響樹の問いに、言葉通りに優しい微笑みで自身の感じる幸せを表してくれていた吉乃がふふっと笑い、少し動いてこちらへと更に身を寄せた。


「響樹君こそ、重くありませんか?」

「まあちょっとは重いかな」


 腕枕というものを初めてしてみた訳だが、小顔な吉乃でも流石に少しは重い。

 先ほどの約束通り思っている事を素直に伝えた訳だが、吉乃はわざとらしい不満顔。


「重いんですね」

「だけどこれが幸せなんだよ」

「どこかで聞いたような台詞ですね」

「大切な人の受け売りだからな」

「もう、響樹君は」


 吉乃が呆れたようにふっと息を吐いて表情を崩し、響樹はそんな彼女の腰に手を当てもっと窮屈に、もっと重さを感じるように抱き寄せた。


 普段の就寝時と比べれば確かに窮屈ではあるし、腕や体に重みもかかっている。だというのに、吉乃の言葉通りだ。一人の時にはけっして感じられない感覚は幸せというほか無い。

 情けない姿を散々見せてしまった事もあって開き直ったせいか、吉乃のやわらかさと甘い香りがゼロ距離にあるのに心拍は多少速い程度で済んでいる。だからなのか、高揚が無い訳では無いのだが、心が落ち着いている。


「いい夢見られそうだよなあ」

「もう寝てしまうつもりですか?」

「流石にそれはもったいないな」

「ええ。それに、散々ドキドキさせられて目が冴えてしまっていますから。響樹君にももう少しお付き合いしてもらいますよ」

「ああ、もちろん」


 やわらかな笑みを浮かべた吉乃に頷いて言葉を返す。


「吉乃さんの寝顔見るまでは眠る訳にはいかないし」

「そう言えば、一緒に寝る時にはという話をしましたね」

「流石に写真は撮らないから安心してくれ」


 懐かしむように優しく目を細めた吉乃に、響樹もあの時の事を思い出し、少し発言に訂正を加えておく。


「その代わり全力で記憶に刻むけどな」

「先に寝る訳にはいかなくなりましたね」


 くすりと笑った吉乃がいたずらっぽい上目遣いを響樹に向ける。

 見せたくないという意思表示は本気ではなく、吉乃がじゃれ合いを求めている事が分かる。


「寝かしつけてやるから覚悟しとけ」

「こちらの台詞ですね」


 挑発的に言葉を返すと、やはりそれが正解だったようで吉乃はふふっと笑い目を細め、受けて立つと態度で示す。


 さてどうしようかと考えていると、先手を取った吉乃が響樹の頭に手を伸ばし優しく撫で始めた。布団に入る前にもしてもらっていた事だが、やはり非常に心地良い。

 高揚よりも幸福感が勝っている現在、吉乃の優しく丁寧な手つきと指使いが響樹の体を少しずつ、ほんの僅かずつ弛緩させていく。

 目の前の吉乃は誇らしげで、どうですか? とその目が語りかけてきていた。


(これずっとしてもらってたらマジで寝るな)


 それほどまでの気分の良さを感じながら、響樹も反撃とばかりに吉乃の髪に手を伸ばすのだが――


「今晩はずっと私を抱きしめてくれたまま、という約束でしたよね?」


 ニコリと笑った吉乃の言葉に手が止まる。


「私、響樹君が想いを言葉と行動で示してくれる事、とても好きですよ?」

「……ずるくないか?」


 響樹の右腕は吉乃の頭の下。左腕は彼女を抱きしめるのに使っている。約束を守ろうとすれば髪を撫でる事は不可能だ。


「作戦勝ちと言うんですよ」


 ふふっと笑った吉乃は止めていた手を再び動かし、またも響樹に幸福感と心地良さを与える。


「俺の負けでいいから一旦止めないか? このままだと本当に寝る」

「どうしましょうか?」


 またも楽しそうにふふっと笑った吉乃だが、言葉に反して段々と手の動きを緩やかにしていった。

 まだまだ吉乃と過ごす夜を楽しみたかった気持ちに嘘は無いのだが、与えてもらっていた幸せが一部無くなった事少しだけ喪失感も覚える。欲張りになったものだと、改めて思う。


「またしてあげますよ」

「……それはありがたいな」


 吉乃にはそんな心情も筒抜けで、二重に完敗である。


「代わりに、その時は響樹君からもお願いしますね」

「今すぐにでもできるけどな」

「今日はダメですよ。一晩中響樹君に抱きしめてもらうと決めていましたから」

「……了解。窮屈だって文句言うなよ、離さないからな」

「お願いしますね。あ、でも。腕も重いでしょうし、体勢が辛くなったら言ってください。負担に――」

「言ったろ? 重いのも幸せだって。俺の幸せを奪わないでくれよ」


 吉乃の言葉を遮って笑いかけると、彼女は目を丸くしてぱちくりとまばたきを見せ、顔を綻ばせた。


「分かりました。でも、私の事も、もっと窮屈幸せにしてくれますか?」

「ああ」


 今度は体を動かさなかった吉乃を更に抱き寄せ、腕の力を少しだけ増す。

 そんな響樹の腕の中、吉乃は心地良さそうな吐息を漏らした。

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