第53話 彼女の望む物と事

 テーブルの上に置いたツリーを、吉乃はソファーから降りてずっと眺めている。

 響樹はソファーに座ったままなので吉乃の表情は見えないが、時折首の角度を変えて眺めたり指を伸ばしてみたりと、見えなくても想像するのは容易だった。


(恥ずかしい)


 誰かにちゃんとした贈り物をするなど初めての経験で、喜んでもらえたのはいいのだがその表現がこうも続くと嬉しさとは別の感情も芽生える。

 暖かな室内ではお返しにマフラーを巻く事もできず、背中からでも嬉しさが伝わってくる吉乃を制する事もできず、響樹の羞恥はしばらく続いた。そして――


「ありがとうございます、天羽君」

「……どういたしまして」

「照れていますね?」


 喜びの表情で振り返った吉乃が一瞬でからかいの顔へと変わる。


「照れてない」

「そうですか?」


 くすりと笑った吉乃は上機嫌な様子で響樹の隣に腰掛けるのだが、ついついワンピースの裾を抑える仕草に目が行ってしまう。こればかりは反射に近いと諦めて即座に視線を逸らしたところ、幸いにも吉乃に気付かれた様子は無い。


「初めてのクリスマスプレゼントがこんなに素敵で、贅沢を覚えてしまいました」

「初めての……」


 これまでクリスマスパーティーをした事が無かった響樹と吉乃だが、響樹の方はプレゼント自体は小学生までは毎年貰っていた。留守番をして夜を明かすといつの間にか枕元に置かれていて、寂しくもあったが嬉しくもあった。

 今吉乃は満たされたように笑っているが、彼女には今までそんな経験さえなかったのかと、拳に力が入る。しかし――


「すみません。誤解を誘うような言い方をしてしまって。パーティーの件もそうですけど、多分天羽君が考えているような事とは違うんです」

「違う?」


 優しく笑いながら小さく首を振った吉乃は、少し表情を引き締めた後でもう一度「すみません」と頭を下げた。


「確かにクリスマスパーティーはした事がありませんしクリスマスプレゼントをもらった事もありません。でも、小学校三年生までの十二月二十四日はちゃんと両親と過ごしましたし、プレゼントも両親それぞれから貰っていました」

「……どういう事だ?」

「どういう事でしょう?」


 響樹が首を捻ると、吉乃もそれに合わせたように小さく首を傾げてみせた。

 確かにクリスマスパーティーをした事が無いと耳にした時、吉乃から聞いていた話と違うという印象ではあった。そしてやはり彼女は当日家族で過ごしていたと言う。


「……もしかしてとは思うけど、昨日何歳だった?」

「十五歳です」


 両立させ得るケースに思い当たったので尋ねてみると、やはり響樹の想像は正解だったようで吉乃は嬉しそうな笑みを浮かべた。


「……今日は?」

「十六歳です」

「言えよそういう事は! 先に」

「嫌です」


 満面の笑みで、本当に綺麗な笑顔で、しかし吉乃は響樹の呆れを一蹴する。

 そして今度は子どものように口を尖らせた。


「だって、先に誕生日だと伝えたら天羽君は純粋にクリスマスパーティーをしに来てはくれませんでしたよね?」

「それは……そうかもしれないけど」

「ほら。ケーキだって、ブッシュ・ド・ノエルではなくて誕生日ケーキとしても用のなせる普通のホールケーキを買って来ようと思いませんでしたか? プレゼントだってこのツリーを選んでくれましたか?」


 想像をしてみたが否定はしきれない。誕生日だと聞いていたのなら、完全にクリスマス一色にはしなかったのではないかと思う。

 そうして口を噤んだ響樹に吉乃は勝ち誇ったような笑みを見せ、「だから言いませんでした」と優しく口にした。


「でも、誤解をさせるような言い方をしてご心配をかけた事はすみませんでした。天羽君の――」

「おめでとう」

「え」


 痛みを堪えるかのような表情を見せて頭を下げかけた吉乃に、それをさせたくなくて言葉をかけた。

 背中ごと傾けかけた姿勢を途中で止め、吉乃は丸くした目でぱちくりとまばたきを見せる。


「誕生日おめでとう。ちゃんとクリスマスパーティーしたんだから、このくらい構わないだろ?」

「……はい。ありがとうございます、天羽君」


 丸くしていた目を細め、先ほどとは違う感情を込めてくれたのだろう、吉乃は丁寧に頭を下げ、美しく艶めいた髪を揺らした。


「何か欲しい物あるか? 今日は買って来られないけど、また今度」

「おめでとうだけだと言いませんでしたか?」

「そうは言ってない。覚えてるだろ?」

「はい。一言一句」


 目を細めた吉乃がくすりと笑うので、「そこまでは覚えとかなくていい」と口にすれば「忘れるのは無理です」とまたも一蹴される。


「まあとにかく、普段世話になってるんだから、誕生日プレゼントくらい贈らせてくれ」

「……わかりました。こうなった天羽君は引いてくれそうにありませんから、ありがたく頂戴します」


 諦観を含んでいるであろう少し困ったような笑顔に「何がいい?」と尋ねれば、吉乃は「そうですね」と考えるそぶりを見せた。

 以前とは違う。今の吉乃ならば自分の欲しい物を考える事を苦にしないだろう。

 そしてやはり、吉乃は真剣に考えている様子を見せる。普段緩やかで綺麗なアーチを描く眉が根元の方に寄せられ、目元はスッと細められている。勉強中ですら見た事がほとんどない中々に珍しい彼女の顔。そして――


「あ」


 何かを思いついたかのように小さな声を上げた吉乃は、隣に座る響樹へと顔を向けた。

 上目遣いで響樹を見たかと思えば次の瞬間には目を伏せ、もう一度響樹を見上げる。そんな仕草を繰り返し、頬を朱に染めながら指先をもじもじとさせている吉乃。

 何やら考えは浮かんだようなのだが、それがどうも言いづらい事であろうと流石の響樹も察したので、急かす事なく彼女の反応を待っていると、ゆっくりと色も形もいい唇が開かれた。


「花を、いただいてもいいでしょうか?」

「……花?」


 潤みを帯びた瞳をまっすぐに響樹へと向け、吉乃は赤い顔を僅かに傾ける。

 どんな物を口にするのだろうと思っていた響樹は、一瞬理解が遅れた。


「ええ、花です。ダメでしょうか?」

「別にダメじゃないけど……」


 花の値段など知りはしないが、所謂花束だとしてもそれほど値が張るとは思えなかった。高価な物もあるのだろうが吉乃が響樹にそれをねだるとは思えなかったので、恐らく安く済む物をと気遣ってくれたのではないか。


「遠慮しなくてもいいぞ。何度も言ってるけどだいぶ世話になってるんだし」

「……遠慮なんてしていません」


 しかし響樹の言葉に吉乃の表情が一瞬で変わる。

 細められた目は胡乱げに響樹を眺めているし、口も尖っている上にため息までつかれた。


「でも、花はやめておきます。別の物を何か考えておきますので、別の機会にお伝えします。その時には改めてよろしくお願いします」

「いや悪い。ちゃんと花にするから」


 吉乃が懸命に考えているのは見ればわかった。それなのに彼女の口にした物を遠慮だと思い込んで否定してしまった訳で、吉乃の不満は当然の事だ。

 しかも吉乃は今までこうやって自身の欲しい物を真剣に考える機会などほとんどなかっただろうに。


「悪かった」

「……天羽君は勘違いをしています。私は花自体が欲しかった訳ではありませんから、それについては安心してください」


 もう一度謝罪を口にして響樹が頭を下げると、しばらくの間頬を膨らませていた吉乃が不満顔を解いてふっと笑んだ。


「……どういう事だ?」

「天羽君はわからなくて構いません。今はまだ、ですけど」

「いや、教えてくれよ」

「嫌です」


 吉乃は優しい笑みを浮かべながらも響樹の頼みを即却下し、「でも」と小悪魔の顔を覗かせる。


「少し傷付きましたので、天羽君にはプレゼントとは別でしてもらいたい事ができてしまいました」

「……できる限り応えるから言ってくれ」


 吉乃の言っている事は先ほどからよくわからないが、傷付いたとの言葉を冗談で言っている事はわかる。それでも、彼女の望みを否定するような事を言った事実は変えられない。

 今吉乃は楽しそうに笑っている。響樹をからかうつもりのようではあるが、きっとそんな時間も彼女とであればいい思い出になるのだろうと思えた。


「歌を、バースデイソングを歌ってもらえますか? 英会話教室仕込みの、しっかりとした英語で」

「……所謂あれの事だよな?」

「恐らくそれの事だと思います」


 ニコリと笑った吉乃が僅かに首を傾ける。暗に逃がしませんよと言われている気がしてならない。

 正直なところ高校生にもなってあの歌を真面目に――しかも一対一で――歌うのには多大な抵抗があるのだが、吉乃の表情の通りであれば逃げられないし、逃げる訳にもいかない。


「……了解」

「ありがとうございます」


 この笑顔がずるい。からかいもあるのだろうが、響樹の歌に期待を向ける可愛らしい笑みが背中を押してくる。

 そして「ではお願いします」と小さな拍手をされ、終わりのタイミングで「どうぞ」と声がかかる。とても弾んだ声が。


「Happy Birthday to you」


 隣に座る吉乃ではなく正面を向いたままで響樹は歌うのだが、吉乃の方は響樹から視線を逸らさない。

 恥ずかしくて堪らないのだが何とかそれを我慢して歌い続け、しかし三度目の「Happy birthday」に差し掛かったところで気付く。


「Dear……からす――」

「はいダメです。やり直しです」

「……なんでだよ?」


 遮った吉乃に不満の表情を見せたのだが、彼女は楽しそうに笑う。


「しっかりとした英語でとお願いしましたよね? バースデイソングですよ?」

「……わかったよ。ちゃんと聞いとけよ!」

「はい、それはもうしっかり」


 その言葉に込められた真意に気付き、どうとでもなれとヤケクソぎみに声を上げれば、そんな響樹に対して吉乃は本当に楽しそうに目を細めた。


 そしてもう一度歌い始め、やはり三度目の「Happy birthday」がやって来る。


「Dear 吉乃……さん。Happy Birthday to you」


 少しつっかえはしたが吉乃からのダメ出しは無く、そのまま歌いきって「どうだ」と彼女と目を合わせた。

 楽しげな笑顔の浮かべられた赤い頬は少し弛んでいて、響樹と目が合って少しの間堪えるように震えていた唇が解け、可愛らしいはにかみが現れた。


「ありがとうございます」


 そう言って少し長めに頭を下げた吉乃は、ゆっくりと顔を上げた。

 優しい笑みを湛えたまだ朱が差したままの顔で、吉乃はもう一度「ありがとうございます」と告げ、更に言葉を続けた。


「響樹君」と。

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