第43話 彼女の証明

 本来であれば朝いつもよりも10分早く家を出るのは日直の日だけ。しかし、日直は明日だと言うのに昨日今日と同じように10分早く部屋を出た。


「待ちましたか?」

「今来たとこ」

「良かったです。おはようございます、天羽君」

「おはよう烏丸さん」


 その理由である吉乃は綺麗な髪を揺らして丁寧に腰を折り、「今日のお弁当です」と響樹の弁当箱を通学鞄から差し出した。


「ありがとう。悪いな」

「いえいえ。好きでやっている事なので」


 感謝を伝えながら受け取ると吉乃が楽しそうにふふっと笑う。響樹としても気分が高揚するのは、彼女の料理が今日も食べられるからだろうか。

 そんな弁当の包みに期待を込めながら一切の傾きも許さないように慎重に鞄にしまうと、様子を見ていた吉乃がくすりと笑い、「行きましょうか」と響樹を促した。


「おかずのリクエストがあれば受け付けますよ?」


 隣を歩く吉乃が可愛らしく小首を傾げて響樹を見上げるので考えてみるのだが――


「作ってもらえるだけでありがたいし、わざわざ手間をかけさせるのも悪い」

「張り合いがありませんね」


 吉乃は呆れたように息を吐いて口を少し尖らせて僅かに足を速めた。

 

 正直に言えば響樹もいくつかリクエストをしてみたい気持ちもある。吉乃の料理はそれほどに美味い。そしてリクエストをしたのならば彼女はこちらの期待以上の物を作ってきてくれるだろう。

 それだからリクエストができない。ただでさえも色々世話になっている現状、朝の支度も響樹よりも多いであろう女子の吉乃にこれ以上手間をかけさせる訳にはいかない。


(それに)


 この弁当作りはきっと長くて今週までだ。

 週末からは冬休みで弁当の必要はなく、年明けには響樹の腕も跡すら残らないくらいになるだろう。だから、精々あと数回。当たり前にしてしまっては辛すぎる。


「急がないと遅くなりますよ」

「ああ」


 振り返った吉乃に小走りで追いつき隣に並ぶと、彼女は満足そうに笑った。



「響樹」

「ん?」

「その弁当は例の人か?」

「……例の人って誰だ?」


 今日も吉乃の弁当を堪能し終えて満足していると、海がじっとこちらを見てきた。


「名前出していいなら出すけどな」

「やめてくれ」

「最初から認めとけよ」


 苦笑の海に降参の意を示すと、彼は勝ち誇ったように笑う。


「響樹が作ったんじゃないのは見ればわかるしな。で、誰が作ってくれそうかって言えば一人しかいない」

「……他にもいるかもしれないだろ」

「いるのか」

「いねえよ」

「だろ? 響樹に興味持ってる女子もいるみたいだけど、現状はな」


 海につられて教室のドア付近に目をやると、臙脂のネクタイをした他のクラスの女子が三人。

 そして響樹と目が合うと三人で顔を合わせながら何やら言って去って行った。


「人気者だねえ、響樹君」

「珍獣扱いだろ」

「カッコイイと思われてるんだろ」


 昨日の今日という事で朝から見物客が多い。前日のように不正云々というような声が聞こえないのはマシなのだが、今日は今のように女子が二、三人で見に来る事が多いような気がしている。

 吉乃ほどの記憶力が無いので正確な事は言えないが、どうも一度来た者が友人を連れてまた来るといった印象で、それはそれでどうも居心地が良くないと言うか落ち着かない。


「目に力があるって言ってたもんな」

「……お前なあ」


 昨日吉乃に言われた言葉を思い出し、その時の彼女の表情がはっきりと頭に浮かび、一瞬で血の巡りが早くなったような感覚に襲われる。

 誤魔化すように睨んでみても海はどこ吹く風で、だから反撃をしてやろうと決意した。


「そう言えば来週はクリスマスだな」

「……何だその唐突な話題転換は」

「そう言えば俺の友達がクリスマスに好きな女子と過ごすらしいんだけど」


 流れを察したのか海の瞳に警戒の色が見える。


「へー。まあ、プライバシーもあるし他人の話はやめとこう」

「お前の事だから続けてもいいんだよな?」

「……お互い痛み分けでどうだ?」

「今一方的に俺が痛くないか?」


 下手に出た海に苦笑してみせたが、実際ここから先は響樹としても触れても面白くない事な上、吉乃と過ごす自分にも刺さってきそうな気がしたので「仕方ないな」と矛を下げる事にした。


「また今度話すわ。流石に教室じゃな」

「別に無理に話してくれなくてもいいぞ」


 少し神妙な様子を見せた海だったが、最後にはニヤリと笑った。


「いや、お前の話も聞きたいからな。フェアトレードで俺の話もしないと」

「俺は別に……」

「俺が話すんだからお前も話せよ?」

「どこがフェアなんだよ、強制じゃねえか。大体俺には話す事なんて――」

「無いのか?」

「……無い」


 一瞬言葉に詰まりながらも応じてみれば、海は「じゃあ週末な」と言ってふっと笑った。



「待ちましたよ?」


 久しぶりに訪れた静かな図書室、その奥にある更に静かな、静謐な空間。お手本のような姿勢で椅子に座っている吉乃が、優しい笑みを湛えながら僅かに首を傾げてそう言った。

 吉乃の前に勉強道具は広がっておらず、言葉の通り響樹を待っていてくれたのだろう。しかし、言葉の通りそのままではない事もわかる。


「二週間ちょっとか。待たせて悪い」

「本当ですよ」

 

 響樹が椅子に腰を下ろすと、吉乃はそう言ってわざとらしく頬を膨らませた。

 試験一週間前から試験一週間後までプラス少し。それが響樹が吉乃を待たせた期間。

 そして「待ちましたよ?」の言葉は、この時間を楽しみにしていたのが響樹だけでない事を吉乃が証明してくれた言葉。


「何か埋め合わせでもする」

「言いましたね?」


 いまだ口を尖らせたままの吉乃に提案をしてみると、彼女が少し口角を上げる。


「ああ」

「それでは、してほしい事を考えておきます」


 顔を見ると、吉乃はどこか誇らしげに笑っていた。

 以前はそんな事を言えなかった吉乃の変化。彼女自身がそれを自覚して響樹に教えてくれるその表情が眩しくて嬉しくて、響樹は「ああ」とだけ応じて置いた鞄を覗き込むようにしながら勉強道具を取り出した。


 そうしなければ、弛んだ頬を見せてしまうだろうから。

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