第28話 冬の足音

 今日も図書室で過ごす時間が終わり、あとは土曜を残すのみとなった。十一月半ば、吉乃と放課後の勉強会を始めて二週間目も終わりに近付いている。

 勉強会はほぼ毎回同じ時間に終わるため、響樹が校門の外で吉乃を待つ時刻も大体同じ。しかし以前よりも日の落ちるのが少し早くなった事と、少しだけ肌寒さを増した空気が冬の近い事を否応なく教えてくれた。


「待ちましたか?」

「今来たとこだよ」

「良かったです」


 もはや定番となったやり取りを終えて満足そうに笑った吉乃が、やはりいつも通り「帰りましょうか」と促すので、響樹もいつもと同じく「ああ」とだけ返して彼女の横に並んだ。


「コート着始めたんだな」

「ええ、少し早いかと思いましたけど、予報の気温が低めだったので」


 僅かに照れたような表情を覗かせた吉乃が必要も無いだろうにコートの襟元を正した。

 灰色の学校指定コートの丈は吉乃の短めのスカートの裾よりも少し上ほどまで。


 コート購入の案内が配布されたのは響樹の引っ越しと前後した頃だっただろうか。海が「コート買う奴あんまいないぞ」と言っていたので響樹は購入しなかった。

 荷物になる、価格、そしてシンプルなデザインで可愛く(格好良く)ない、などが理由らしい。


 案内に印刷されていたモデルは男女ともに所謂学生らしい学生の雰囲気――もちろん敢えてだろうが――で、シンプルなコートと相まって確かに地味であか抜けない印象を受けた。

 しかし吉乃が着るとどうだろう。シンプルイズベストという言葉が頭に浮かぶ、長い黒髪と恐ろしいまでに整った顔、そしてそこに浮かぶ淑やかな笑み、それら全てが合わさってとても品の良い印象を受ける。

 来年のモデルには吉乃を使えば売り上げが増えるのではないかと思うのだが、そうしたらしたで、実際に購入して着用した学生が落胆に肩を落とす未来も見えた。


「今くらいの気温ならまだ要らなかった気もしますけど、脱いでも荷物になりますから」

「まあ、着てても暑くないならいいんじゃないか? 体冷やすよりはマシだろ」

「ええ、そうですね」


 そう言って響樹は少し視線を落としてみるのだが吉乃の足の方は今まで通り、紺のハイソックスより上は空気に触れている状態。

 女子はそろそろタイツを身につける者もいたような記憶があり、コートを着始めた吉乃はそうしないのだろうか、寒くないのだろうかと疑問に思う。


「疑問にお答えしましょうか?」

「……何の疑問だ?」

「足は寒くないのかな? という疑問です」


 視線の向きでバレたのだろう。いたずらっぽい笑みを浮かべて覗き込んでくる吉乃から、響樹は顔を背けた。今回に限ってはやましい感情は介在していないのだが、見ていた事実は変えようがないので気まずい。


「悪い」

「私は気にしていませんよ。天羽君は心配してくれた訳ですので」


 くすりと笑った吉乃がそう言ってくれて気持ちは楽になるのだが、今度は女子としての危機感の問題で心配になる。そういった視線は多く向けられるだろうに、大丈夫だろうかと。


「実は意外に寒くないんですよ。流石に十二月に入る頃には対策をするつもりでいますけど」

「そんなもんなのか」

「そんなもんです」


 ふふっと笑った吉乃は姿勢を戻しそのまま歩みを進めた。


「まあ十二月はもっと寒くなるしな」

「それはそうですよ。雪だって降りますし」

「勘弁してほしい」


 そんな会話から始まり、一人暮らしの冬支度へと話題が移っていき、吉乃からありがたいレクチャーを受けていると、いつの間にか彼女の家まで辿り着いてしまう。


「っと、それじゃあまた明日、よろしく頼む」

「ええ、お待ちしています。いつも送っていただきありがとうございます」

「別に、したくてしてる事だから」


 丁寧に腰を折った後で優しく微笑む吉乃に対して肩を竦めながら返すと、彼女は少し驚いた様子を見せてから僅かに嬉しそうな色を覗かせた。


「散歩代わりで意外といい効果が出てる」


 吉乃本人も歩く事がリフレッシュになるとは言っていたし、実際に夕食前に少し歩く事が響樹の生活に好影響を及ぼしているのは間違いない。夕食後の集中力も増すし、寝つきも良くなっている気がする。

 吉乃を送らない日曜日などは自発的に歩いたほどだ。


 そして、これは吉乃本人には言えないが、彼女とこうやって過ごす時間は楽しい。

 内容は勉強についてだったり生活の知恵についてだったりと、一般的に言う楽しい会話ではないのかもしれないが、吉乃とこうやって言葉を交わす事は日々の刺激になっている。


「散歩代わりなら家の近くを歩いたらいいのではありませんか?」


 くすりと笑って口元を押さえた吉乃が少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべ、響樹に上目遣いの視線を送ってくる。


「俺は合理的なのが好きなんだ。知り合いの女子をついでに送れるならそっちの方がいいだろ?」

「それは確かに合理的ですね」


 吉乃は可愛らしく少しだけ首を傾け、僅かに目を細めてふふっと笑う。

 今更な会話だと思う。心配だから送らせてくれというニュアンスの事は既に伝えてあるのだから、こんなやり取りをする必要など無い。

 意地を張って言い合うのが一番の理由なのだろうが、それ以外の理由もあるのだと、流石に自覚している。


「だろ?」

「ええ」


 響樹がわざとらしく肩を竦めてみせると、吉乃はおかしそうに口元を手で押さえた。


「さて、そろそろ帰る。それじゃあな」

「はい。お気を付けて、おやすみなさい」

「ああ、ありがとう」


 こうして短い別れの挨拶を終え、吉乃がマンションのオートロックをくぐったのを見届けてから帰宅するのが響樹の日課になりつつある。

 今日もそうで、ガラス戸の向こうの吉乃から綺麗なお辞儀を送られて響樹は踵を返した。


(冬休みはどうするかな)


 そんな事を考え、それが一ヶ月以上も先であると気付いて苦笑が漏れた。

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