第15話 友情の定義とは

「中間試験終わってからここでバイト始めたんだ。週二回くらいだけど」

「そうだったんですね。まさか花村さんがいらっしゃるとは思わなくて、少し驚きました」


 響樹からは見えないが、聞こえる口調から判断すればきっと今の吉乃は穏やかな笑みを湛えた猫被りモードに入っている事だろう。


 ドリンクをテーブルの上に置いた優月は入り口側に座っていた吉乃と会話を始めてしまった。元々の二人の関係がどうなのか知らないが、同じクラスな以上当然面識はあるはずだ。

 吉乃は普段猫を被っているので誰かと不仲である事は無いだろうし、優月に関してもそういった事を想像しづらい性格をしていると思う。結果として場さえあれば会話をする事もあるだろうと判断できた。それが今なのは響樹からすれば勘弁してほしいところなのだが。


「こっちもだよー。来るの知ってたらクーポン渡したんだけどなー。って言ってもバイトしてるの隠してるからあれなんだけど」

「校則でアルバイトは禁止されていないと記憶していますが?」

「そうなんだけどさー。ほら、バイト先に友達とか来ると恥ずかしいでしょ?」

「そういうものでしょうか」


 少し不思議そうな吉乃の声を聞きながら、それなら知人のいる部屋からさっさと戻ったらどうかと響樹は思うのだが、一度見られてしまえばその後は気にならないのだろうか。


「まあねー。もうちょっと慣れたら言ってもいいんだけど、まだ初心者だから。からかわれたりすると恥ずかしいし」


 なるほどと思った。吉乃ならばからかう事など無いだろうと優月が考えるのは当然の事だ。バイトをしているのが響樹ならば吉乃はからかう気がするが。


「ところでそっちの人は? 顔隠してるって事は私の知ってる人でしょ?」


 意外に鋭い。優月の視線が吉乃に釘付けになっている間にフードメニューで顔を隠した響樹は、優月の声が自分の方に向いた事に気付き少しだけ体を震わせた。


「ええと……」


 吉乃が少しだけ困ったような声を発した。見えはしないが、穏やかな笑みを浮かべながらも少しだけ下がった形の良い眉が容易に想像できる。

 せっかく初めてカラオケに来たのだから、できればそういった記憶を残してほしくない。響樹は諦めて顔の前からメニューを外した。


「天羽君……これはまた意外なところが」


 それはそうだろう。吉乃は二組で響樹は三組と別々なうえ、二クラス合同授業でも体育祭の偶数奇数での組分けでも被らないのだ。

 その上片方はこれ以上ないほどの高嶺の花である烏丸吉乃。あの日の雨が無ければ話す事さえも無かったような二人に接点など考え付かないのは当然の事で、優月が心底意外そうに目を丸くしているのも当然の事。


「天羽君」


 対して吉乃は気遣わしげな視線を響樹へと送ってきていた。少し辛そうに見えるのは、きっと響樹が今回の事を知られたくないとわかっているからだろう。


(自分だって困るくせにな)


 むしろ吉乃の方が人気と知名度の分、響樹よりも困る事が多いはずだ。

 今回カラオケに誘ったのは響樹だ。だからこの事で妙な噂が広まって吉乃を困らせる訳にはいかない。


「花村さん。できれば誰にも言わないでくれると助かる」

「え、ああ、うん。言ってほしくないなら黙ってるけど……聞いていいかな、二人って付き合ってるの?」

「違う。そういうんじゃない、何て言うか……」


 おずおずと尋ねてきた優月を前に、「友人」だとそう言えたら良かったのだろうか。吉乃の顔を見られなかったのは何故だろう。

 連絡先を交換して二人でカラオケに来て、それだけ見れば友人と言って差し支えないはずなのに、何故だかその言葉が正しくないように思えた。優月が言うような恋愛感情などではないのだが、かと言って友情かと言われるとそれもどこか違う気がする。


 友情の定義とは何だろう。海とは互いに友人であると確認した事は無いが、間違いなく友人だと思っている。ならば吉乃はどうだろう、海と同じような友人だと言えるのだろうか。しかしやはり、そうとは思えなかった。


「花村さん」


 考えがまとまらない響樹の耳に届いたのは穏やかな口調。つられて顔を向ければそこには穏やかな笑顔。学校で誰もが知る烏丸吉乃の姿。


「天羽君とは少しご縁がありまして。お話の中でカラオケについての話題が出た際に私が『行った事が無い』と口にしたものですから、天羽君が連れて来てくださったんです」

「そう、なんだ」


 言葉では納得を示しながらも表情はどこか釈然としない様子の優月だったが、吉乃が「ええ」と穏やかに微笑みながら頷くと「わかった」と大きく頷いてみせた。その顔には人懐っこそうな笑顔が浮かんでいた。


「誰にも言わないから安心していいよ」

「ありがとうございます」

「助かるよ」

「その代わり」


 頭を下げた吉乃と響樹にニヤリと笑い、優月は人差し指を立ててみせた。


「今度話聞かせてね」

「え」

「じゃあ私そろそろ戻らないと怒られちゃうから。じゃあ楽しんでってね」

「ありがとうございます、花村さん。また学校で」

「うん。またねー」


 吉乃が濡羽色の髪を揺らすとほぼ同時に優月はひらひらと手を振り、愉快げに響樹に視線を向けてから退室していった。


 まるで嵐が去ったかのような室内に残された響樹と吉乃は揃って入口のドアを見つめ、その後で目が合った。

 なんとなくお互いに苦笑を見せ合い、優月が運んで来たドリンクを一口含んだ。


「悪い。まさか知り合いがいるとは思わなかった」


 そもそも知り合いに会わないためにここを選んだというのに、結果論ではあるが本末転倒もいいところである。

 響樹が長いため息の後に続けた言葉に、吉乃はほんの少し眉尻を下げ、口元を押さえながらくすりと笑った。


「こればかりは仕方ありませんよ。でも、花村さんで良かったですよ。彼女は約束を破るような人ではないですから」

「その辺はあんま心配してないな」


 口を滑らせそうな感はあるのだが、少なくとも自発的に約束を破るような事はしないはずだ。

 優月とは一度しか会っていないので直接の信頼という訳ではないが、口止めされた事を吹聴するような人間ならば海が仲良くしているはずが無いのだから。


「そう言うという事は、天羽君は花村さんとは親しいんですか?」

「一回だけしか会った事ないけど、海と仲いいみたいだから悪い人じゃないのはわかる」

「例のですね」

「ああ」


 ニコリと笑いながら海の苗字を強調する吉乃が面白かったが、一応笑いは堪えておいた。

 しかし結局吉乃にはバレたようでじろりと視線を向けられてしまったので、響樹はごまかしも兼ねて吉乃へと尋ね返す。


「烏丸さんの方は、花村さんと仲いいのか?」

「悪くはないと思いますけど、花村さんは誰に対してもああいった風ですから」

「まあ確かに、俺にも初対面であんな感じだったな」


 吉乃の苦笑に響樹も合わせて苦笑で返すと、彼女がふっと小さく息を吐いた。


「誰とでも裏表なく話せて、いつも楽しそうで。本当に、凄い方だと思います」


 言葉に嘘は無いが、顔に張りついたのは穏やかな微笑み。


「それについては同意だけど、凄い凄くないで言えば今俺の目の前にいるのも相当凄い化け物なんだけどな」


 花村優月が持っているものは烏丸吉乃にとっては手に入らないものなのかもしれない。だが、吉乃には吉乃の凄い事がある。響樹はそれを知っている。


「天羽君……」


 切れ長ぎみの大きな目が見開かれて丸くなり、ぱちくりとまばたきを一回。そして吉乃は僅かに目を細め、ほんの少し眉尻を下げた。


「化け物は酷くありませんか?」

「じゃあ怪物で」

「同じです」

「まあいいだろ、どっちでも。さっさと曲入れようか」

「どっちでもいい、ではなく、どちらでもダメです」


 少し頬を膨らませながらも、吉乃は響樹にマイクを差し出した。

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