草原領の端っこを進みます

 葦の生えた広い湖を左手に見ながら馬動車を進める。


「うわぁー、ひろーい!」


 右手には遥か先まで一面の草原が広がっており、グルグルの濁った空と、遠くでぼんやり融け合っている。


「草だねぇ~!」

「草だな」


 草原領と言うだけあって、一面が背丈の低い草で青々としている。


「森の中で生えてる草とは違うの?」


 森の中では、夏は草も盛大に伸びる。木に阻まれていない場所ではわたしの背丈くらいの草も珍しくはなかった。


「ああ。どっちかっていうと穀倉領の畦道なんかに生えてるような草だな」

「へぇ。そういえば、ああいう草ってあんまり背が高くはならないよね」


 穀倉領にも草原領にも木はあまり生えていない。そういえば、森林領で見た野生の獣なんかも、穀倉領にはいなかった。生えてる植物も動物も全然違っているのが不思議だ。


「どうして隣の領地なのに、こんなに違うの?」

「さぁな。領地の境目できっちり分かれてるから領主の何かがあるんだろうな」


 なるほど。アンドレアス様の立場のすごさが、今更ながらに実感させられる。


「こっち側にはあんまり人が住んでないんだね」


 森林領を出てすぐの宿場町は人が多く行き交い活気もあって、それはそのまま穀倉領の方へ続いているらしいが、草原領の方へは続いていなかった。


「草原領は穀倉領ほど豊かじゃねぇからな。行商なんかはどうしても穀倉領に向かう奴が多くなる」

「そういえば、お魚の行商さん、いたなぁ」


 しばらく湖の横を進むと、右側の草原には全く人が見えなくなってきた。


「草原領って何があるの?」

「以前はほとんどの領民が牧畜を行ってたがな。今は半分くらいは小麦を作ってるって話だ」

「牧畜?」

「ああ。牛とか羊だな」


 そう言われて右手を見るが、それっぽい姿は見えない。


「もう少し奥に入れば牛が見えてくるんじゃねぇか?」

「牛なの?」

「たしか、ジュダ湖辺りでは牛を飼ってたはずだ。火山領に近いところだと羊だったと思うが……」

「ダン殿はずいぶん詳しいのだな」


 馬動車のとなりを馬で進むマルヤーナさんが感心したように言う。


「王都の人間なら一般常識だな」


 ……説明が面倒くさいんだな。


 昔はわたしも、これくらいの知識は大人はみんな持ってるものだと思っていた。だが、わたしはもう12歳になったのだ。騙されない。あれはいちいち説明するのが面倒くさい時の定番の返しなのだ。


「……一般常識なのか……王都の者はすごいな…………」

「マルヤーナさん、違うから。説明するのが面倒くさいってだけだから」


 危うく王都の人間全てを尊敬しそうになっているマルヤーナさんの幻想を打ち砕く。ついでにダンの性格も把握してもらう。


「マルヤーナ殿。ダン殿は間違いなく優秀で、アキ殿を大切に育てている。だが、個人の資質として、恐ろしいほどのズボラなのだ。そして想像を絶するいい加減さだ。それはもう、研究所という公的機関に勤めていたとはとても信じられぬ程に」


 ヒューベルトさんが大真面目な顔で厳かに言う。


「……あいつ、自分が何言ってるか分かってねぇんだろうな」

「すごく真面目な顔してるからねぇ……」

「……念のために聞くが、ヒューベルト殿はダン殿と不仲なわけではないのだな?」


 マルヤーナさんも至極真面目な顔で聞いてくる。


 ……うん。ダンがこんなことで怒るような性格じゃなくて良かったよね。







 境光が落ちる前に滑り込んだ町で宿を取り、みんなで集まる。


「草原領の中を突っ切らないの?」

「ああ。草原領は危険だからな」

「危険なの?」


 それはわたしにとっては、だろうか。それとも一般論だろうか。


「フブヘルグって言葉に聞き覚えはあるか? お前と一緒に誘拐された時、アーシュさんが口にしたはずだが」

「ん……? 行き先を聞いた時、かな?」


 たしか、北がどうこうと言っていた気がする。


「ああ。フブヘルグはダルハヌールレグの南東に位置する町だ。小さい町で大した産業はないが、森林領と隣接してるから小麦なんかのやり取りで通る者が多い」

「船じゃないんだ?」

「ああ。森林領の主な輸送手段は船だが、穀倉領や草原領とは隣接してるからな。馬車を使った輸送も行われる」


 そういえば、そんなことをアーシュさんから教わった。


「フブヘルグもその中の一つだ。アーシュさんがその名を口にして相手が反応したということは、お前の誘拐には草原領が絡んでる可能性が高い」


 ダンの言葉を聞いてゾッとする。

 自分が行ったこともない、全く知らない土地の人が、いつの間にかわたしのことを知っていて、わたしを誘拐しようとしていたのだ。その目的が分からない。わたしのことを知らない人が、わたしに何をさせようとしているのか。


「……では、いっそジュダ湖から王都に抜けて、そこから火山領に向かう方が良かったのではないか?」


 マルヤーナさんが考えるようにして口を挟む。


「いや。王都はもっと危険だ。アキを見て思い出す奴がいねぇとも限らねぇし、そもそも王都の混乱がそのまま補佐領に及んでんのが現状だ。何が起こるか分からねぇし、何か起こった時に王都だとオレが動きづらい」

「なるほど。それでジュダ湖沿いのルートか……」

「ああ。そのうち草原領にも入るが端の方の小さな町ならまだ情報が届いてねぇだろうからな。なんとかなるだろう」


 ……大きくなったら王都に行くって話だったよね。


 ダンとそういう話をしたはずだ。王都が危険だというダンがそう言ったのだから、わたしが大きくなったころには危険がなくなっているか、わたしが危険に対応できるようになっているかのどちらかだろう。そして、現実を考えると前者である可能性は低い。あと2年もすればわたしもだいぶ成長しているだろうからと言っていた。ということは、わたしはあと2年で、自分で危険を潜り抜けられるように成長しなければならないとういことではないだろうか。


 ……え、無理じゃない?


 神呪の腕はともかく、戦う方の腕が上達している自分が想像できない。そこは他の方法を考えた方がいいかもしれない。


「大きい町はここを最後にしばらくなくなる。今日はしっかり休めよ」

「え? 明日からはどうなるの?」

「基本的に馬動車の中かテントで寝泊まりだ。境光と共に動き出す生活だな」

「あ、穀倉領から森林領に行った時みたいな感じ?」

「ああ。あの時は毎回宿に泊まったが、今回はあまり町を通らねぇからな。風呂や飯なんかが不便になるぞ」


 なるほど。宿に泊まれないというのはいろいろと不便そうだ。


「分かった。人目がない間に便利動具をどんどん開発しとけってことだね」

「なんでそうなるっ」


 ヒューベルトさんがすかさず横から突っ込んできて、ダンが頭を抱える。


 ……あれ、そういうことだよね? 






「浴槽が欲しいよねぇ」

「いらねぇ」

「アキ殿……今は旅路でここは何もない草原だ」


 ダンとヒューベルトさんが無関心そうに言うが、これは2人には分からないことだろう。


「ねぇ、マルヤーナさん、欲しいよねぇ」

「……まぁ、あれば使うが、なくても良いように訓練はしている」

「……訓練でどうにかなるものなの?」

「いや、まぁ……要するに慣れだな」


 マルヤーナさんがツイッと視線を逸らして言う。でも、要するに本当は欲しいということだろう。


「もう4日もお風呂に入ってないんだよ?」


 あの大きな町を出てから、本当に町がなかった。小さな町すらない。睡眠は大人3人が交代で見張り役をし、わたしと大人2人が荷台で寝ている状態で、食事は簡単なスープに固いパンだ。


「体は拭いてるだろうが」

「でも、なんかジメジメしてベタベタするんだよ」

「ああ、ジュダ湖があるからな。湿度が高いんだ。もう少し進むと乾燥してくるがな」


 空気が乾燥していれば、それほど不快ではなくなると言われるが、それまで我慢しなければならないのが辛い。


「……土、掘り返していいかなぁ」

「……土?」

「まぁ、元に戻すならいいぞ」


 さっき境光が落ちたので、急いでランプをありったけ灯して道の脇に馬動車を寄せた。今日はここでこのまま休むという。


 ……誰もいないんだもん。神呪を使っても大丈夫なはず。


 ジュダ湖から離れて2日も進むと、もう辺りには人の気配は全くなくなる。町どころか、すれ違う馬車さえなかった。


「ちゃんと戻せよ」

「はーい」


 馬動車から少し離れた地面に神呪を描く。


「何をするんだ?」

「穴を掘るんだよ」

「穴?」


 マルヤーナさんが興味津々で聞いてくる。ヒューベルトさんも、何も言わないが後ろから覗いている。


「そう。2人とも、その枠の外に出て。縁に土が溜まるからもっと離れた方がいいよ」


 そう言って、描いた神呪を作動させる。


 ザザザザザザザ……


 土が舞わないように注意しながら力を流すと、地面が生き物のようにうねり始める。


「……え、ええ!?  いや、なんだ? これ」

「土が……抉れてる?」


 うねりが大きくなって、そのまま枠の方に水紋のように向かっていく。真ん中に立っているわたしの周囲の神呪から、外側に描いた枠までの土がどんどん抉れて外に出ていく。


「うーん、これくらいでいいかな?」


 あまり深く掘らなくても、枠の外に出た土がその場で盛り上がって行くので、水を溜めるには十分だろう。


「ダンー、大きい布、使っていい?」

「ちゃんと洗えよ」

「はーい」


 マルヤーナさんとヒューベルトさんに手伝ってもらって、穴の上に広げる。


「……どうするんだ?」

「これを防水にして、この中に水を入れたらいいかなって」


 マルヤーナさんに答えながら神呪を描く。防水効果の神呪は少し複雑で描く範囲が広い。


「あー、でも、地下から土を通って水が出てきたらろ過が必要だよね」

「……まぁ、そのままでは泥水だろうな」

「うーん……ダンー。なんか、ろ過したいー」

「……もう一つ布を使ったらいいだろ」

「そっか。マルヤーナさんとヒューベルトさんに抑えててもらえばいいか」


 そうして、マルヤーナさんとヒューベルトさんに端をまとめて持ってもらった布に、地下から引き出した水を注いでいく。


「おー、キレイな水になったー」


 布でろ過された水がどんどん浴槽に溜まる。


「くっ……ヒュ、ヒューベルト殿……これは良い訓練になるな」

「……うむ。マルヤーナ殿は真面目なのだな」


 2人が持っている布にはすごい勢いで泥が溜まって行く。それを抱え続けているのだから相当重いはずだ。


「……1度、泥捨てる?」

「いや……いい……。もう少しの辛抱だ……くっ……」


 マルヤナーさんがなんだか歯を食いしばって肉体強化を行っているので、そのまま浴槽が満タンになるまで続けることにした。






「お風呂、沸いたねー」

「……まさか本当に作ってしまうとは…………」


 マルヤーナさんが、地面にぽっかりと空いた穴を呆然と見つめる。穴の中に並々と注がれた水は、もちろん神呪で暖めて適温になっている。


「壁がないから服のまま入るしかないけど、上がった時にすぐ乾かせば大丈夫だよね!」

「……すぐに乾くものなのか?」

「うん。暖かい風を起こせば結構すぐ乾くよ」

「へぇ。アキはすごいなぁ」


 マルヤーナさんにストレートに褒められて、少し照れる。最近は神呪師の中にいたせいもあって、神呪が使えることに驚く人が周囲にいなくなっていた。ましてや、こんな誰にでも使えそうな単純な神呪で感心する人などいなかったので、どう反応していいか分からなくなる。


「ええ~? ううん、簡単な神呪ばっかりだもん。誰でもできるよ」

「……アキ殿はとりあえず、自分と周囲の認識を常に確認した方が良いぞ」


 ヒューベルトさんが遠い目で呟いたのが聞こえてきたけど、今回はちゃんと認識は合ってると思う。


「だって、使ってる神呪は本当に基本的なものばっかりなんだよ」

「……うん。まぁ、今までこんなの見たことも聞いたこともないからね、アキはもっと気を付けた方がいいだろうね」


 マルヤーナさんとはほんの少しだけ認識が違っていたかもしれない。





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