【閑話】大人たちの話し合い②

「君、僕のことはどれくらい覚えてる?」

「たしか……アーシュと呼ばれていて……王族の名代だと……」


 男に聞かれて、横たわったまま答える。あの時、雪の中を神呪師の少女とこの男を守りながら逃げるうちに、けがを負って気を失ってしまった。正直、目を開けた時に自分が生きているとは思わなかった。


「うん。そうだね。じゃあ、君を助けたはいいんだけど、君には罪状がたくさんあり過ぎて処刑は免れないという話になったんだけど、このことは?」

「……分かっている」


 目を覚ました場所は医療設備のある地下の牢獄だった。治療している間医者や薬剤師は一切口を利かなかったが、状況を察するには十分な時間だった。お陰でその後の事情聴取にも、何の感慨もなく淡々と応じることができた。オレは死ぬ人間だ。オレが話すことで奴らに、爪のかけら程の何かでも残せれば、それで満足だ。


「うん。ところで、君の名前はリクハルトで間違いないかな?」

「ああ」


 王族の名代が、森林領で無戸籍で生きていた自分にいったい何の用事があるというのか。全く理解できない。 


「そうか。おめでとう。君は運を拾えたんだよ」

「……運?」

「そう。君があの時アキちゃんに優しくしてなかったら、有り得ないことだったね」


 ……アキ。


 それは、あの神呪師の少女の名前だ。


「あのお陰で君のこれからの命運は僕に一任してもらえることになったんだ」

「………………」

「つまり、君は僕に上手く取り入れば、この先も生きていくことができるかもしれない」


 できるかもしれないということは、できないかもしれないということだ。相変わらず、自分の命はフラフラと軽いのだなと自嘲する。


「あ、そうそう。君は処刑されたことになってるからね。旧友に会いにいったりすることはできないよ?」

「友など……」


 友と呼べる者などいない。境遇を共にして、傷を舐め合う同類がいるだけだ。誰かがつまづいて遅れても、誰も立ち止まったりしない。


「そう? ならいいけど」


 アーシュは特に気にした風もなく軽く流して話を続ける。


「では、君がこの先生存していくための条件を提示するよ。まず第一は、怪我を治すこと。これが最も優先順位が高いことだと思って」


 ……なるほど。お優しいことだな。


 あの少女が心を許すわけだと納得する。


「同時進行で、君にはまず勉強をしてもらう」

「……勉強?」


 仕事の中には上流階級の邸への潜入などもあった。そのために必要な教養はある程度身に付けている。


「そう。まずは官僚採用試験に合格するための勉強」

「……官僚?」

「恐らくこの先必要になるからね」


 さっきから全く話が読めない。ニッコリと笑うこの男は、オレにいったい何をさせようとしているのか。


「あとは穀倉領の生活に関しても、ある程度知識を付けといてもらおうかな」

「穀倉領?」


 ……ここは穀倉領なのか。


 事情聴取が終わった後、目隠しをされて数日間かけて移動させられた。間にケガの治療の続きが行われていたが、そもそも死ぬ覚悟はできていたので何も気にしていなかった。


「うん。庶民として馴染んでいる必要があるからね。逗留先は職人階級の家にしといたよ。この後はケガの治療もそちらでやってね。もう命の危険はなさそうだから、1人暮らしでもなんとかなるでしょ」

「………………」


 処刑上に運ばれて殺されるのも、ケガがもとで死ぬのも大差ない。どの道死ぬだけだ。そう思っていたので、これから先のことなど気にもしていなかった。


「で、たぶん1週間もすれば動けるようになるだろうから、1週間後から働く先を用意してる。ボロルマ工房っていう金属加工の職人だよ」

「……職人?」


 さっきは官僚がどうこう言っていたはずだ。今度は職人という。全く状況が掴めない。


「そ。それで、金属加工を一通り習得したら、すぐにアキちゃんを追ってもらう」


 ……やはり鍵となるのはあの少女か。


 動具を使わないでも生活できることを知っていて、オレより年下なのにオレよりずっと幅広い知恵や知識と柔軟な思考を持った少女だ。神呪師としての腕も優れていると聞いた。


 ……全てを持っている少女。


 もうとっくに諦めたことだが、それでも自分との境遇の差を思うと、見ないよう、動かないよう蓋をして重石を乗せた心の奥が、疼く気がする。


「あの子も不憫な子でね」

「……不憫?」

「ずっと逃げ隠れしながら生きて来たんだ。素性がバレそうになると逃げるように住居を移し、また隠れて暮らすっていう感じでね」


 アーシュの同情を引くような言葉に、ジリジリするような苛立ちと焦燥を覚える。


 ……だから同情して優しくしろとでも? 甘いことだな。


「誰かと仲良くなっても全て話すことはできず、頼れる相手は養父しかいなくて。明日、自分がどこでどうしているのか、成人したらどうなるのか。何の見通しもつかない中で、それでも必死に前向きに生きてきた子なんだよ」


 アーシュの言葉に眉を顰める。その養父に何かあったらどうするつもりだったのだろうか。住む場所を転々としていたのならば、頼れる者など他にいないのではないか。


「そうやって綱渡りをするように生きてきた子が、今度森林領を出ることになってね」

「……どこに?」

「………………」


 質問には答えずに、アーシュがニッコリと笑う。まだ信用を得ていないオレには言えないということか。相変わらず、あの少女は危険に晒されているらしい。


「あの子にはもう、養父と逃げ隠れしながら平和に生きていく道は残っていないんだ」


 逃げ隠れしているのに平和に生きるという言葉の矛盾に、あの少女が抱えているものの大きさが透けて見える。


「君のその命はあの子に助けられた命だ」

「……助けられた?」

「うん。君が倒れた時、僕は放っとこうかとも思ったんだけどね、連れて帰ってもどうせ処刑だし。ただ、あの子の教育上、あの環境であれ以上人の生死に直接触れさせたくはなかったからね。とりあえず命を拾うことにした」


 アーシュが言っているのは恐らくヨルクとアーロのことだろう。

 少女の怯え、動揺した様子を思い出す。恐らく、衝撃的な状況で人が死ぬ場面に行き会ったことが、過去にあったのだろう。直接死体を見たわけでもないのにひどく取り乱していた。何が起こったか、想像することができるような過去があったということだ。


「まぁ、そもそも、アキちゃんがあれだけの神呪師でなければ君を助けることはできなかったわけだけどね。そのまま処刑しても良かったんだけど、ちょっとアキちゃんの教育の役に立ってもらおうと思ったんだよ」


 ……オレの何があの少女の教育の役に立つのか? 


「人の命運を握るっていう経験をさせようとしていてね」

「……オレの命、か」

「そ。処刑されたはずの人が生きているって周囲にバレてしまったら、君のことはそのまま処刑することになってる」

「………………」


 命を与えておいて、それを他の誰かの動き次第で一方的に消すと言う。軽い口調でサラリと告げられる内容の残酷さに言葉を失う。この男は優しいのではなく合理的なだけだ。


「協力してくれるなら、君には戸籍を与えることにするよ」

「戸籍……?」


 弾かれた様に顔を上げる。心臓が大きく脈打ち、しばし瞬きすら忘れてアーシュを見詰める。


「……くれるのか?」

「うん。ただし、所在は王都だけどね。君は王都から流れてきたという設定だ。それで多少の不自然さは補えるだろう」

「王都の……戸籍…………」

「結構手間暇かかってるからね。君には存分に活躍してもらわないと」


 アーシュの言葉にハッとする。


 ……そうだ。そんなに簡単なはずはない。


 これまでに、何度戸籍を手に入れようと画策してきたことか。城や上流階級の邸に潜入する度に、密かに調べてきた。だが、国でも上位に位置する神呪師だけが行えるという以外、どこを探しても見つけることができなかったのだ。


「……オレは…………具体的に、何をすればいいんだ?」


 不覚にも、声が震えた。


 戸籍を手に入れることで、オレは人として普通の生活を送ることができるようになるのだろうか。飼い主が別の人間になるというだけなのかもしれない。それでも。


 ……獣ではなく、人間として最低限の生活ができる。


 水場で水を汲み上げる。手洗いで用を足す。寒い時に火を熾す。そういう、誰でもが当たり前のように行う、行えると信じている、最低限の生活を思う。寒い夜に暖炉に火を入れることができず、みんなで震えながら固まって夢のようなその生活を語り合い、そして、手に出来ないまま何人も消えていった。どれほどの希望と絶望を繰り返してきたか。その、渇望してやまなかったものが、手に入るかもしれない。


「うん。穀倉領で金属工房の技術を身に付けたらね、修行に行くという形でアキちゃんの元に向かって欲しいんだ。そこでアキちゃんと合流して、そのままアキちゃんの護衛業務についてもらう」

「それは……どれくらいを目途に技術を身に付ければいいんだ?」

「そうだねぇ、1年はかけて欲しくないかな」


 アーシュの言葉に息を飲む。普通、職人が技術を身に付けるためには数年を要するだろう。


 ……無茶だ。


「……職人でなければならないのか?」

「うん。最初はただの職人の子どもとして神呪師の手伝いからスタートするからね。ただの職人の子に護衛が付いているのは不自然だろう?」


 なるほど。あの少女は、やはり今度も隠れた生活になるのか。そして周囲の者は、そうと悟られない形で護衛しなければならないということだろう。


「ちょっと、今の護衛が少しあの子に傾倒し過ぎているからね。君には死ぬ気で頑張ってもらいたいんだよね」


 さりげなく付け足された言葉に、ある程度事情を察する。


 ……人を惹きつける少女だった。


 オレはまた、ただの捨て駒なのだろう。大事な手下が護衛対象に肩入れし過ぎた結果、万が一、主よりも護衛対象を優先させるようなことがあってはならない。オレはそれを回避するための予備要因なのだと思う。


 ……だが、オレの命はあの少女の言動にかかっている。


 せっかく与えて貰える命と戸籍だ。今度こそ、大切にしてみてもいいだろうか。






------------------------------------------


「街灯ができたぞ」


 少し遅れてやってきたアンドレアス様が誇らし気に胸を張る。

 補佐領の神呪開発室は、どうしても王都の研究所には劣る。森林領は火山領に次いで神呪の研究が盛んだが、それでも、半年で出来上がるかは五分五分だとアーシュからは聞いていた。


「4ヶ月ですか。随分早かったですね」

「ああ。あのラウレンスが率先して動いていたからな。本当におもしろい娘だぞ、アキは」


 アーシュに答えながらも何かを思い出すようにくっくと笑う。後ろについて来ていた神呪師の苦虫を噛んだような顔で、何となく察せられた。


 ……そういえば、ヒューベルトもすぐにあの娘に遣われるようになっていたな。


 隣で額を押さえてため息を吐く養父を見る。


 ナリタカ様のあの執着から見ても、何かしら人を惹きつけるような資質を持っているのかもしれない。生まれつき、そういう特性を備えた人間は稀にいる。


 ……上手く使えれば、たしかに有用かもしれないな。


 アーシュの見る目はたしかだ。アキという娘が神呪師だと知らなかったにも関わらず、店に入れようとしていた。神呪以外にも使い道があるのなら、消してしまうよりは取り込んだ方が良いだろう。


「そういえば、アキちゃんには、ダンさんは神呪師として働く気はないという風に説明しましたよ」

「ああ。それで構わねぇ」

「……アキちゃん、ちょっとショックを受けてましたよ?」

「まぁ、仕方ねぇな。今は炭やきの仕事してるし、ちょうど良かったな」


 養父がサラリと答える。ちょっとやそっとで娘との絆が切れることがないことを確信しているのだろう。

 アーシュが、あの娘の攻略にはこのダンという養父が鍵になると言っていたのを思い出す。


「では、具体的な話をせねばなりませんな」


 私の言葉に、養父が振り向く。一見凡庸に見えるその無関心そうな目の奥に、鋭い光が見え隠れする。


 ……なるほど。手強そうだ。


「火山領までの護衛にはヒューベルトを付けます、が、リニュスは先に火山領に向かわせます」

「先に?」

「ええ。アキちゃんが着いた時に受け入れる地盤を作っておきます。一斉に大勢が引っ越してくると不自然でしょう?」

「まぁ、そうだな。だが、護衛が一人か……なら、いっそ、護衛はなしでオレと2人の方が動きやすいな」


 ダンが腕を組みながら考え込むように言う。この男は、城に入って僅か4ヶ月で目を付けられたくだんの娘を7年も隠していたという。その間に穀倉領から森林領まで移動し、痕跡は見事に消していた。恐らく、火山領へ行く道程も何か用意しているのだろう。


「いや、目の届かないところで連れ去られたりしても厄介だ。護衛が必要ならうちから出そう」


 アンドレアス様が名乗り出る。火山領へ行ってもアキとの繋がりが切れないようにという腹積もりだろうが、随分あからさまだ。自領で匿うことはできないのにその恩恵は手にしたいらしい。


「……ダン殿はベルナラザールへは同行しない方が良いでしょうな」


 私の言葉に一同がパッと振り向く。


「…………オーラフ様。……それはアキちゃんが納得しません」


 アーシュが苦虫を潰したように言う。


「そこは説得するしかあるまい? トゥルムツェルグでもシェルヴィステアでも、アキは養父と2人でいると認識されている。まずはそこから切るのが一番でしょう」

「…………無理だ」


 アンドレアス様が苦々しく首を振る。


「あれは社交的に見えて実は警戒心が強い。今でさえ養父と離されてから不安定な様子と聞く。ましてや他領で新しい生活を始めるのに、養父と引き離されてはどうなるか分からん」

「……そうですね。アキさんの思考は読めないところがあるので、いたずらに不安にさせるのは良くないかと」


 相手はたかだか庶民の小娘だ。命令して引き離すのは、本来赤子の手をひねる程度のことなはず。


 ……領主と開発室長の2人して庇うほど、内部に食い込んでいるわけですか。


「なるほど。ダン殿はどうお考えですかな?」

「……まぁ、まず1人で向かわせるようなことはねぇな」


 ため息を吐きながらもはっきりと断言する。


「オレはあいつの保護者だ。あいつがどこに住んで何をするのか、きちんと見届ける責任がある。あいつが自分からオレの元を離れない限りは、オレの手元に置くつもりだ」


 サラリとした口調だが、恐らく、ここで意に反する答えが出されたらすぐに娘を連れて雲隠れするつもりだろう。難しい相手だ。


「……オーラフ。一応、オレから説得はしてみよう。だが、無理強いはしない。賢い娘だからな。自分で判断させて大丈夫だろう」

「なるほど。仕方がありませんね」


 ……ここで強制するよりは、自然に任せた方が後々禍根も残らない、か。


 立場のある大人がこれだけ言うのだ。相当に手強い娘なのだろう。機嫌を損ねる役どころは森林領に任せて、ナリタカ様に接触させるのはもう少し大人になってからの方が良いかもしれない。


「では、街灯の方はいつから出しますか?」

「最低でも向こう1年は控えてもらいたい」

「そうですね。時期が重なればそれだけ身元が知れる危険が増すでしょう」


 ダンの言葉に頷く。


「うちとしても、ある程度猶予が欲しいです。1日にそういくつも作れるものではありませんから」


 開発室長の男が言う。神呪を描ける者自体がまだまだ少ない上、例の娘に比べると圧倒的に遅いらしい。つくづく規格外な娘のようだ。


「……再来年の春以降だろうな」

「そうですね。雪解けを待って……というのが現実的なところでしょうか」


 アンドレアス様の言葉にアーシュが同意する。


「1年半……か」

「足りますか?」

「まぁ、あいつなら何とかするだろ」


 街灯を設置し始めるまでに、娘には「火山領の神呪師」という立場を確立してもらわなければならない。


「まぁ、そうですね。アキちゃんですからね。……むしろ急ぎ過ぎないように注意が必要かもしれませんね」


 アーシュが苦笑する。


 私自身は直接アキという娘と話したことはない。だが、周囲の者の話を聞いているとまるで嵐の話でもしているのかと思うことがある。排除するのではなく取り込む方向で行くのならば、ナリタカ様の方にも教育が必要だと思える。


 ……嵐を御する教育…………私にも指南書が欲しいな。


 いずれ来るであろう嵐を思い、思わず遠い目をしてしまった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る