【閑話】大人たちの話し合い①
今回の会談には、アーシュという若者に加えてナリタカ様の筆頭従者も列席する。わざわざ主の元を離れて来るとは、アキの存在の異質さが伺える。
「私の手には負えんが、ナリタカがきちんと手を回すというのなら協力するぞ?」
「……手に負えないですか。仕方ありませんね」
そう言って、チラリと職人風の男に視線を投げる。
……あれが養父か。
中肉中背。茶色い髪に茶色い目。これといった特徴のない、どこにでもいそうなごく普通の男だ。これが、あのアキが全面的に信頼し、研究所でも屈指の実力を誇る神呪師だったという。
チラリと嫉妬心がよぎり、今更と内心で嘲笑う。
「どのみち、もうオレだけの手には負えんからな」
城内で攫われてしまったのだから、完全にこちらの手落ちだ。だが、たとえ城に出仕していなかったとしても、あの娘はいずれ誰かに目を付けられてしまう。
……神呪を抜きにしても、目立つ娘だからな。
そういうものだとして、手を打つしかない。
「それではベルナラザールしかございませんな」
筆頭従者が、初めから決まっていたことのように口にする。もともとそのつもりだったのだろう。形式的な話し合いの末、アキが火山領へ向かうということで話はすんなり通った。
……火山領、か。神呪師として精進するならばおもしろい場所ではあるだろうな。
「いつだ?」
養父の問いに、アンドレアス様がこちらに視線を向ける。
「アキさんは今、街灯の制作にかかっています。それができるまではいてもらいところです。なにせ我々には手に負えない物ですから」
「……あいつはそもそも神呪の捉え方が普通の神呪師と違う。例えあいつが街灯を作り上げたとしても、そう簡単に再現はできんだろう。技術を受け継ぐ時間が必要だと思うぞ」
悔しいが、養父の言う通りだ。
ただ光らせるだけの神呪でさえあれほど時間がかかったのだ。街灯の神呪など、できた物を譲ってもらったとしても、再現できるようになるまでどれだけかかるのか。ましてや、それをちゃんとした形に作り上げるなど、私を含めて、うちの開発室の面々だけでは不可能だ。
「ですが、隠し通すにしてもそれほど長くは無理でしょう?」
「そうだな……がんばって1年といったところか……」
「1年…………」
そもそも、まだ街灯は出来上がっていないのだ。アキがそれを作り上げて、更に我々がそれを習得するとなると、1年というのは微妙なところだ。光の神呪を教わることで、アキのやり方にはだいぶ耐性がついてきている。だが、それでも、ではそれを習得できるかというと、それはまた別問題だ。
「何なら、養父も城に来たらどうだ? その方が安全だろうし、神呪師として力を発揮してくれるのなら開発も進むだろう」
アンドレアス様の無神経な提案に少し苛立ちながら、養父を見やる。
「いや、オレは今神呪が描けねぇんだ」
「ああ。事故でケガをしたんだったか? まだ治らんのか」
「………………」
養父の言葉に絶句する。それは、神呪師としては致命的だ。
「あいつ、いろんな神呪を混ぜてやがったからな。どれが何に作用してるのかが解明できん」
……なぜ、平然としていられるのだ?
研究所にいたのであれば、神呪は半分生き甲斐のようなものなのではないのか。それ程の腕を失ってしまいつつあることが、怖くはないのか。
「それに、オレとあいつが一緒にいるのは危険だろうな」
「……一緒にいるのが危険なのか?」
「……そうですね。ダンさんを人質に取られたら、アキちゃんは何でも言うことを聞いてしまいそうだ」
「………………ハァ」
アーシュの言葉に深いため息を吐く。否定をしない辺り、考えすぎということでもないのだろう。あのアキを自由に操ることができればどれほどのことができるのか。考えただけでもうんざりする。
「あとな、あいつ、出店は続けると言い出すぞ」
「出店? だが、収入面ではランプの開発料があるんだ。必要ないだろう?」
「いや、金の問題じゃねぇ。たぶんそこは譲らねぇだろう」
「そういえば、最初に出仕を打診した時も随分と仕事に拘っていましたね」
「あれはあいつが自分で作った居場所だからな」
養父の言葉に納得する。この養父が神呪を失うことを恐れないことと、アキが神呪と関係ない仕事にあれほど執着することは、恐らく根本的なところで同じなのだろう。
……強いのだな。
それ程の才能がありながら、そこにしがみつくということもない。純粋に、生きていく力が強いのだろうと思う。
「……火山領に行くことは、街灯がきちんと完成するまでは言わなねぇ方がいいだろうな」
「荒れますか?」
「どうだろうな。ただ、今はオレが近くにいねぇからな。あまり混乱させたくはねぇな」
アーシュと養父の会話に引っかかる。私から見たアキは、かなり奇怪で間が抜けてはいるが、それほど冷静さを欠くように見えない。
「……混乱すると困るのですか?」
「あいつ、混乱すると一切の常識を取っ払って根本から思考を始めるからな。古くからの手順や常識が多い文官なんかが巻き込まれると、全てを破壊されて無から始めることになるぞ」
養父の言葉を聞いてゾッとする。なるほど。そうやって一から考え始めた末の、今回の神呪なわけか。
……たしかに、官僚の中であれをやられたら城中が大混乱だな。
「ああ、それから街灯に使う神呪に関しては、何日か前にそろそろできそうだと言っていたぞ」
「……は?」
養父の言葉にポカンとする。
……本当に、できるものなのか?
考えているとも言われていたし、絶対に作るとも言っていたが、それでも、本当にそんなものができるのかは半信半疑だった。
「まぁ、引き継ぎや今後の問題もあるだろうし、あいつができたと言っても他の奴に使えるようにするにはきちんと精査する必要があるだろうがな」
うちの開発室の面々では、アキが作ったものをそのまま再現するのはかなり厳しい。それを見越したような養父の発言にムッとする。自分で言うのは良いが、他人に言われるのは癪だ。
「分かりました。ではとりあえず半年で一旦区切りましょう」
「…………半年でできるものなのか?」
私の対抗心を見透かしたアンドレアス様が心配そうに言う。問題ない。やらせる。私が尻を叩けばマルック辺りが猪突猛進してくれることだろう。
「ええ。私も入りますから」
想像すると笑いが込み上げてくる。
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「……ハァ。とんでもない娘だな、あれは」
アキの任期の延長手続きを終えて一息つくと、ラウレンス様が項垂れながら呟いた。
……本当に、街灯と言えるものができていた。
まだ少し呆然としている。夢だったのではないかとさえ思ってしまう。それほど、信じ難いことなのだ。たった11歳の娘が、どうすればあのようなものを考え付くのか。
「…………世界が、変わるかもしれません」
……あの娘を、誰が、どう使うかで。
「……危険です」
口にしたくはない言葉だが、それでも見過ごすことはできない。
「街灯を一番望んでいたのはお前だろう? ラウレンス」
アンドレアス様が片方の眉だけ器用に上げながら呑気に聞いてくる。恐らく、神呪のことを全く知らない者ならばこの程度のものなのだろう。だが。
「……アンドレアス様。あの神呪は世界そのものを利用しているものなのです」
「らしいな」
「この世界自体に働きかけることができる神呪なのです」
「ああ」
「……ハァ。呑気な……」
真面目な顔で軽く頷き相槌を打つアンドレアス様の呑気さに苛立つ。
……それがどれだけ危険なことか、たぶんあの中で、私とアキだけしか分かっていない。
「アンドレアス様。あの娘はこの世界が成り立つ仕組みそのものに触れているのですよ」
「世界が成り立つ仕組み?」
「ええ。土があって水があって空気があって食べ物がある。我々人間が当然のように生きている、神人が生み出したというこの世界の仕組みです」
「……よく分らんな」
私が言い募るのにさすがに何か感じたようで、眉間にしわを寄せて聞いているが、なかなかピンとは来ないようだ。考えてみれば、自分が生まれる前から当たり前にあるものが当たり前じゃないかもしれないなんて、普通は考えたこともないだろう。私だって、そうだった。
「……アンドレアス様。水が何故飲めるのか、考えたことがありますか?」
「何故? 井戸から汲み上げてくるからだろう? それくらい知っているぞ」
アンドレアス様の言葉に軽く眩暈がする。
なるほど。たしかに王族ともなれば水とは初めから水差しに入っているものとしか思わない者もいるかもしれない。
「では、井戸をご覧になったことは?」
「あるぞ。以前、ペッレルヴォ師に森に置き去りにされたことがあるからな。幸い井戸の近くだったから自分でいろいろ触ってみて汲み上げた」
……置き去りって……何をやったんだ? というか、それであの方はなぜ、今も首と体が繋がっているのだ?
突っ込んで聞いてみたい言葉がいくつか散見されたが、今は止めておく。時間がない。汲み上げたというからには、領都にあるような動具ではなく手動で汲み上げるものだろう。森の中なら当然だろうが。
「……アンドレアス様は、目の前に水が汲み上がって来ない井戸があったらどうしますか?」
「は?」
何を聞かれているのか意味が分からないといった表情には完全に同意だ。井戸なんて、そこにあるもので、水を汲み上げるものだ。汲み上げてみて水が出なければ、使えない物として閉ざすなり他を探すなりするだろう。
「……井戸の中で見つけたらしいのですよ、手掛かりになる神呪を」
「……井戸の……中? で、見つけた?」
「ええ。井戸の中に入って」
どういう状況なのか分からないというように不可解そうな表情を浮かべていたアンドレアス様が、ポカンと口を開ける。
「入る? あの中に? ……どうやるんだ?」
「分かりません。ですが、4歳の時だと言っていました」
「4歳…………何をやってるんだ、あの娘は」
主に養父が面倒を見ていたと聞いていたが、それは相当大変なことだったのではないだろうか。目を離すと井戸の中に入ってしまう子どもなど、どうやって育てろと言うのだ。よく今まで生き永らえさせたものだと感心する。
「まぁ、そういう子どもで尚且つ神呪の才に溢れていたからこそ、あの神呪ができたのでしょうが」
「………………」
「あの娘は多くを知り過ぎています」
先を促すように、アンドレアス様が無言で軽く頷く。
「これから先も、何からどのようなヒントを得るか分かりません」
「……そうだろうな」
井戸に入ってしまうような娘だ。そういえば、官僚用のあの腕輪の神呪にも興味を示していた。
「……世界に干渉できるのは、王だけのはずですね」
ハッとアンドレアス様が息を飲む。
「いや……まさか」
「ですが、実際に今回作られた神呪は、世界を成り立たせている仕組みを利用しています」
「それはそうだが……元々あるものを利用しただけだろう?」
「今はそうです。ですが、あの娘の好奇心はこちらの予想と違う場所に行き着きます」
「………………」
「まだ11歳。これから何をやらかすか、想像もつかない……」
それは漠然とした不安だ。明確に何か証拠があるわけでもない。だが、分からないということ自体が不安なのだ。今まで当然あったものが、ある日なくなってしまうかもしれない。それは恐ろしい想像で、そしてそれ程荒唐無稽なことではないと、今回のことで分かってしまった。
「…………アキ自身は驚くほどに善良でお人好しだ」
「ええ。存じております」
純粋に、目の前の誰かの助けになればとせっせと動具を作っている。むしろ、少しくらい打算があってもおかしくないと訝しむ程に純粋だ。だからこそ、危険だと思える。
「……誰のために、か」
「はい」
アキが助けたいと思うその相手まで、純粋で善良だとは限らない。
「これまで特に問題がなかったのは、彼女が街中で庶民として暮らしてきたからでしょう」
それほど大それた悪事を働く者が、周囲にいなかったのだ。
「養父の存在も大きいですね。あの養父に全ての判断を委ね、神呪を隠すよう言われていたそうですから」
「……あれは元々森林領の者だな」
「ええ。ただ、父親と義母は殺害され、弟は処刑されているようですが」
「…………なんでそんなに複雑なんだ、あれの周りは」
アンドレアス様が頭を抱えて呻くように言う。
「………………どこまで隠せるものかな」
目を閉じて、じっと何か考えていたアンドレアス様が、ゆっくりと目を開けて呟く。
「あの2人を守り通すのは、うちでは無理だ。だが、他にどこでなら可能だ? そんな場所があるのか?」
「……守るのですか?」
森林領が危険を遠ざける手段としては、真逆の方法もあり得るはずだ。
「……たしかに危険な娘ではあるが、あれのもたらす物は、このシェルヴィステアにとって比類ない恩寵となる物だ。私には情のない選択などできん」
「………………」
この人の甘さはこれまでにも散々周囲に咎められている。だが、何度言われても、それで自分の首を絞めることになっても変わらないのだ。もう、そういう資質なのだと諦めるしかないだろう。そもそも、私がこのような立場にいること自体が、この人の甘さの産物なのだ。
「それにな、ちょっと見てみたいとは思わないか?」
「……何をでしょう?」
なんとなく、何を言いたいのか分かるが、敢えて知らんぷりをする。
「あれがこの先何をするのか」
「………………ハァ。全く、あなたという人は……」
怖いもの見たさとでも言うのだろうか。理解できなくはないが、私には関係のないことだと思考を切り捨てる。
半年で街灯を仕上げる。そうして、あの娘を火山領へ送り出す。残っているのはそれだけだ。
……それで、私の仕事が終わる。
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