ダンの結婚
ダンとヴィルヘルミナさんの結婚式は、森の中の家で軽いお披露目を兼ねた食事会という形で行うことになった。
最初は、グランゼルムのどこかを貸し切って盛大にやろうと思ったのだが、知らない人がいっぱいいると、元々静かな性格な上に耳が悪いヴィルヘルミナさんは疲れてしまうのだ。
「じゃあ、その代わり衣装はかわいくしようね!」
「……ありがとう。でもアキちゃん。わたしはもう28よ? あんまりかわいいのはちょっと……」
「あ、そうか。うーん……、じゃあ、ちょっと大人っぽいドレスとかいいかもね」
「ドレスのことは、わたしはよく分からないわ」
ヴィルヘルミナさんが少し困った顔で小首を傾げる。ヴィルヘルミナさんも以前は領都に住んで綺麗に身形を整えていたそうなのだが、なんと言ってももう10年以上前の話だ。10代後半だったヴィルヘルミナさんが、20代後半の人の花嫁衣裳なんて気にしていたはずがない。
「うーん……じゃあ、ちょっと遠いけど、領都まで服を仕立てに行こうか」
「え? 領都まで?」
「うん。ヘルッタさんなら相談に乗ってくれると思うんだよね」
適齢期ではない人の結婚式の衣装なんて、普通に頼んでも売っていないと思う。だが、ヘルッタさんはちょっと変わった人だ。むしろ喜んで協力してくれるのではないか。
「でも……高いでしょう?」
「大丈夫だよ。アンドレアス様がランプをいっぱい買ってくれてるから、お金ならあるよ」
ちょうど、旅の準備をするためにアーシュさんに小切手を出してもらっていたのだ。
「でも、それはアキちゃんのお金でしょう?」
「うん。でもわたし、ダンのお嫁さんには綺麗な恰好して結婚式を挙げて欲しいの。そしたら、こんな素敵な人にならダンを譲っちゃおうって思えるでしょ?」
「あ……」
わたしの言葉に、ヴィルヘルミナさんがハッとしたように顔を上げる。
「でもこれはわたしの我儘だからね、わたしがお金を出すのは当然だし、ヴィルヘルミナさんに着て欲しいの」
そう言った途端、ヴィルヘルミナさんにギュッと抱きしめられた。初めて会った時は、ヴィルヘルミナさんの胸のあたりまでしかなかったわたしの身長は、今は肩に額を埋められるくらいになっていた。
「ありがとう。……衣装、アキちゃんにお任せするわね」
「うん。ありがとう」
「ううん。…………気付かなくてごめんなさい。アキちゃんがいつでも戻って来られるように、部屋はちゃんと掃除しておくわね」
「…………うん」
別にヴィルヘルミナさんを泣かせようと思ったわけではなかったので、その鼻声に釣られて何となくわたしも涙ぐんでしまう。そのあと抱き合った体を離すのが、お互いちょっと恥ずかしかった。
9月最初の鋼の日、結婚式には、領都の炭屋さんとコスティ、それに、トピアスさんとアルヴィンさん、リッキ・グランゼルムの料理長のトゥーレさんとエルノさん、出店仲間からはアヌさんとヤロさんも呼んだ。わたしのお別れ会も兼ねているためだ。
そして今日は、ヒューベルトさんとマルヤーナさんにも席に着いてもらっている。座ると警護しづらいと言われたのだが、晴れの席で物々しく護衛なんてされたら庶民は引いてしまう。家の前の広いスペースで行うことで妥協してもらった。
ちょっと素敵なテーブルクロスがかかった大きめのテーブルを出して、そこで食事会をする。料理は並べているのだが、上に布をかぶせているのでどんな料理かはまだ見えない。
「ハァ。お城かぁ……いいなぁ……」
テーブルクロスをいじりながら、エルノさんが言う。
「お前はアキがいなくても自分でメニュー開発できるようにならねぇと、城の料理人になんて到底なれねぇぞ」
「えっ!? 城って……料理長、どうしてオレの夢知ってるんですか!?」
「城の料理人が夢かぁ、やっぱリッキ・グランゼルムの料理人は目指すところが違うなぁ」
「ヤロさんって、食事処持ってるんだっけ?」
「ああ。オレんとこは大衆食堂だな。味は平凡だが値段と量には自信あるぜ」
コスティ以外の人たちには、わたしは本格的にお城での仕事が始まるから、忙しくてハチミツの仕事はできなくなると言ってある。12歳なら十分あり得る話だ。
「それにしても、アキさんは試験には落ちたんですよね?」
トピアスさんがキラリと目を光らせて鋭く突っ込んでくる。
「うん。でも、わたし問答の試験がすごく良かったみたいなの。だから、ペッレルヴォ様の研究を手伝いながら勉強してるんだ」
これは嘘じゃない。試験の結果の詳細は本来教えられないらしいのだが、ペッレルヴォ様から直接聞いたのだ。
「……さすがアキさんですね。合格していないのに気に入られて出仕が決まるなんて……そんなこともあるんですね」
アルヴィンさんが感心したように言う。言われてみれば、たしかにわたしは合格していないのに神呪師として出仕していたのだ。
……ホントに。そんなこと、普通ないよね。
改めて、自分の人生はおかしいのじゃないかという気がしてくる。もちろん、おかしいのはわたしじゃなくて周囲の大人だ。
「……ハァ。ホント。わたしの人生、周りの大人に振り回され過ぎてる気がする……」
「は……?」
「いや、それはさすがに自覚なさ過ぎだろ!?」
「……今のは……冗談、ですよね?」
「……相変わらず、斜め上だよな……」
思わず遠い目をしてため息を吐いたが、周囲からはなんだか頓珍漢な言葉が返って来た。アルヴィンさんの声まで入っていたのが大いに心外だ。
「準備ができたぞ」
みんなで席についてワイワイしゃべっていると、クリストフさんが家から出てきた。新郎新婦はこれから登場だ。
ヴィルヘルミナさんの着付けの手伝いは、アヌさんが名乗り出てくれた。息子しかいなくて、こんな風に娘を着飾らせるのが夢だったのだと言っていた。
「じゃあ、新郎新婦のご登場だよ!」
アヌさんが出てきて、ドアを開けながら大声で言う。
「おお~!」
「待ってました!」
野次が飛ぶ中、先にダンが出てきて、ヴィルヘルミナさんの手を取り、ヴィルヘルミナさんが高いヒールの靴で歩きにくそうにするのを支える。
……ああ、もうあの手はヴィルヘルミナさんのものなんだな。
わたしが構ってもらえなくなるわけじゃない。わたしが助けが必要な時は、必ず手を伸ばしてくれる。そう分かっていても、喪失感で胸に穴が開くような感覚を覚える。
「……おい」
ゆっくりと歩いてくる2人をじっと見つめながら、みんなの盛大な拍手に合わせて一緒に手を叩いていると、コスティに小さく呼びかけられた。
「え? なに?」
「目。拭いとけよ」
そう言って、テーブルの下でこっそりハンカチを渡してくる。
「え?」
「……涙。こぼれる」
コスティに言われて目を瞬いた途端、涙が一粒零れ落ちた。
「急げ。見られたくないだろ」
「……ありがと」
そう言って、急いで涙を拭く。ドレスで歩く姿をたくさん見せようと、家から離れたところにテーブルを設置しておいて良かった。涙を拭いても赤い目元はごまかせないだろうが、そこは感動したことにしておこうと思う。コスティが教えてくれなければ自分が泣きそうになっていることにも気付かなかった。危なかった。
急いで涙を拭って、笑顔を乗せる。お城で教育されたので、やろうと思えばすぐに笑顔が作れるくらいにはなっていた。
……礼儀作法って、大人になるためには必須科目かもね。
「あのドレス、素敵ねぇ~」
アヌさんが席に着きながら言う。
「アヌさん、お疲れ様。そうでしょ? あのドレス、最高でしょ?」
結婚式では花嫁な真っ白でふんわりしたレースがヒラヒラついたドレスを着るのが普通だが、今回、ヘルッタさんがヴィルヘルミナさんに用意したドレスは、深い赤と白のドレスだった。
下に、縦の細かなヒダがたくさん入った足首までの長いドレスを着、上から赤いダバードをかぶって、胸のすぐ下で幅の広いリボンで止めている。
「あの赤い布、ものすごく薄くて軽い生地でさ、近くで見ると裾に細かい模様がびっしり入ってるんだよ。パッと見分からないけど実は豪華ってとこがさ、なんだかいかにも上流っぽいんだよねぇ」
そうなのだ。庶民は、豪華と言えばいかにもキラキラと派手なものを用意するのだが、上流階級の人は違う。お城で最初のお茶会の時にフレーチェ様が着ていたドレスがまさにこんな感じで、遠目に見るとシンプルなのに近くで見るとそれは豪華で華やかなのだ。
ちなみに、マリアンヌ様のドレスは遠目にも近目にも、素晴らしく上品で、それでありながら物凄く豪奢だ。さすが王族。というか、マリアンヌ様の他にあれを着こなせる人っているのだろうかと疑問に思う。
「わたし、マリアンヌ様の侍女をされてる方に礼儀作法を教わってるんだけどね、その方が最初のお茶会の時に着て来られたのがあんな感じだったの。色は違うけど」
「へぇ~」
ダンに手を引かれたヴィルヘルミナさんが、少し足元を気にするように、ゆっくりゆっくり歩いてくる。レースもないし、ふんわり広がっているわけでもないスカートだが、ヒダが多いので一歩一歩足を動かす度にさらさらと揺れ動いて目を引く。
「あの白いドレスはヘルッタさんっていう服飾店の店員さんの案なんだよ。ヴィルヘルミナさんが、あんまりふわふわかわいい感じは避けたいって言ったら、じゃあ、ストンと下に落ちる感じにしましょうって。でも、ヒダを作って布を多く使ってるから、風が吹いたりしたらすごくなびいてきれいなんだって。あ、あんな感じ!」
アヌさんと話していると、ちょうど風が吹いてきて、ヴィルヘルミナさんのドレスの裾を拾う。ヘルッタさんが言ったように、スカートの裾の部分がさらさらと踊るように風になびいて揺れる。
「はぁ~ぁ、なるほどねぇ。しっかし、あれだけの布を使うとなるとお高いんだろうねぇ」
アヌさんには苦笑を返すだけに留めた。たしかに、かなりの値段がしたのだ。そもそも、布自体が薄手でサラッとした触り心地の高級布なので、細かいヒダをふんだんに使ったデザインだとあの白いドレスだけで普通の布の3倍以上の値段になった。
「じゃあ、あれは大事に取っておいて、今度はアキちゃんが使うのかねぇ」
「え?」
思いがけない言葉に目をぱちくりする。
「だって、ヴィルヘルミナさんはアキちゃんのお母さんになるわけだろ? 婚礼衣装といえば母親から娘に受け継ぐもんじゃないか」
「え……そうなの?」
知らなかった。では、もしかしてヴィルヘルミナさんもお母さんの衣装を受け継いでいたりしたんだろうか。
「いや、ヴィルヘルミナは何も受け継いでいないから、そういう感覚はないだろう。だが、アキが着るというのなら喜んで譲ると思う」
もしかしたら余計なことをしたかもしれないと思っていたので、クリストフさんの言葉にホッとする。
「でも、ダンはわたしのお父さんじゃないからなぁ」
「似たようなもんじゃないか」
「まぁ、ダンさんにとっては間違いなく娘だろうな」
「うーん……そうなのかな?」
「まぁ、アキちゃんも子どもを育ててみれば分るさ」
アハハとアヌさんが笑うが、ダンはいつもわたしのお父さんを気にしている。ダンにとってはやっぱり、わたしはお父さんの子どもで、それを預かっているという感覚じゃないかと思う。だからこそ、途中でその責任を投げ出したりしない。
話をしていると、ダンとヴィルヘルミナさんがテーブルの前にたどり着いた。みんな、一層の拍手で迎える。
「みなさん、本日はオレたちのために集まっていただいてありがとうございます」
ダンが珍しくちょっと丁寧な口調で言い、2人で軽くお辞儀をする。
「今日のお料理はほとんどアキちゃんが考えてくれたものなんです。一緒に作りながらちょっと摘まみ食いさせてもらったんですけど、とっても美味しいんですよ。みなさんも是非召し上がってください」
ヴィルヘルミナさんのおっとりした口調は相変わらずだが、今日はお化粧をしているせいもあってか、笑顔がとてもキラキラしている。
……やっぱり、ドレス作って良かったな。
ヴィルヘルミナさんは、優しくて穏やかで、とても綺麗だ。
わたしは、小さな木の箱を持って前に進み出た。
「おめでとう。ダン、ヴィルヘルミナさん。わたし、これからお仕事で忙しくなっちゃってダンの面倒見れなくなっちゃうでしょ? ヴィルヘルミナさん1人にお願いするのは心苦しいんだけど、ダンのこと、よろしくね」
「誰が誰の面倒見てたんだ?」
「あと、これ。わたしからのお祝い」
クスクス笑うヴィルヘルミナさんの隣で突っ込むダンは無視する。頭を掴まれないように敢えてヴィルヘルミナさんの方から歩み寄って、木箱を開けて渡す。
「……え?」
「これね、わたしが一番好きな色なの。ヴィルヘルミナさん、かがんで。付けてあげる」
ヴィルヘルミナさんには、ガラス細工のネックレスを贈った。本当は宝石にしようかと思ったのだが、あまり高価なものは使いづらいだろうし、強盗とかに狙われても困るので止めた。その代わり、薄い青から濃い青までのいろいろな色のガラスを組み合わせたお花みたいな形の、普段から使えるものにした。これも、ヘルッタさんと相談したものだ。
驚くヴィルヘルミナさんに少しかがんでもらって、ネックレスを付ける。
「うん。ヴィルヘルミナさん、とっても綺麗。……わたし、ダンが結婚する相手がヴィルヘルミナさんで良かったよ」
「アキちゃん…………」
目を見開いてわたしを見詰め、言葉を詰まらせるヴィルヘルミナさんの頬に涙が流れた。それを見て、ちゃんと言えて良かったと心から思った。
「ごめんね、これからわたしが新しい環境で落ち着くまでダンに来てもらうから寂しくなっちゃうだろうけど」
「…………ううん」
「ダン、口うるさいから、帰って来るまでは猶予期間だと思って気楽に過ごしてね」
「……そうね。ふふ、そうするわ」
「誰が口うるさいんだ誰がっ! お前がいつもいらんことばっかりするからだろうがっ!」
口うるさいダンは放っといて、ヴィルヘルミナさんとクスクス笑い合う。
「じゃあ、お料理をお披露目しよう!」
そう言って後ろを振り向くと、コスティ以外の全員がもらい泣きしていたようで、みんなでハンカチや袖で赤い目を拭う中、1人普通に座っているコスティがなんだかとても浮いていて笑ってしまった。
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