神呪師の仕事
「………………」
沈黙が広がる。
ゴクンと喉を鳴らす音がしたから、ヒューベルトさんも驚いたのだろう。
「……急にどうした?」
ダンが眉を顰めて聞いてくる。まぁ、当然の疑問だろう。あれだけダンにべったりだったのだ。
「わたしね、ダンもいないのに、全然知らない土地に1人で行くなんて絶対無理だって思ったの」
「……ああ」
「だけど、コスティと話して分かったの。わたしが1人なのは、最初だけなんだよ」
「………………」
例えばヒューベルトさんやリニュスさんが一緒に来てくれなかったとしても。森林領に来た時だって、1人ではなかったが、逆に言えばダンしかいなかった。
「今、わたしの周りにはいろんな人がいるでしょう? 最初はダンしかいなかったけど、今は助けてくれる人や相談に乗ってくれる人や守ってくれる人がいる」
そう言ってヒューベルトさんを見ると、ダンもチラリと視線を向ける。
「それにね、生活を始めてしまえば、そこは知らない土地じゃないんだよ。初めて見るものばっかりの新しい土地で、わたしが住む場所なんだよ」
今のわたしは森の中の生活も知ってるし、グランゼルムも知ってるし、領都にも行くし、それにお城だって知ってる。穀倉領にいた時には、領都の職人街と農家しか知らなかったのだ。
「全然知らない土地だった森林領のことを、わたしは今は穀倉領よりも知ってる。きっと、生活するってそういうことなんだよ」
一度も移動しない人だって、生まれてきた時には知らない土地だ。そこで生活するうちに、知っている場所になっていく。
「わたしは火山領に行って、新しい生活を始める。そうしてそこが、知ってる土地になるんだよ」
火山領がどんなところで、どんな人たちがいるのか、今の時点では分からない。でも、アンドレアス様やアーシュさんが、それ程ひどい場所にわたしを押し込めるとは思えない。だから、怖がる必要なんてない。どんな場所なのか、どんな人がいるのか、自分の目で確かめたら、そこから自分で築いて行けばいい。
……出会うのが怖いなんて、怯えて閉じこもらなくてもいい。
また火山領から別の土地に行くことになったとしても、わたしがそこで築き上げたものを勝手に放り出しさえしなければ、それは失うものではなくて、わたしが帰れる場所になる。この森林領みたいに。
「わたしが、火山領がどんな場所で、どんな人たちがいるのか分かるまで、ダンは近くで待機しててね」
今度はできるだけ自分1人でやってみよう。何かあったらダンがいてくれると思えば何にでもチャレンジできる。そうやって1人でできることを増やしていくのだ。
「あと、こっちに戻っても通信機はいつでも話せるようにしといてね」
どうしても相談したいことがあればすぐに相談すればいい。わたしが助けてと言えば、ダンは絶対に何とかしてくれる。離れていたって、指示をくれて、助けを手配してくれる。
……だって、ダンはわたしの保護者だからね!
「……仕方ねぇな」
ダンが苦笑しながら頭をポンポンする。
視界の端に、ヒューベルトさんが「急にこれほどの成長を……」とか言いながらそっと目元を拭うのが目に入ったが、たぶんここでお母さんと呼ぶと怒るだろうから見なかったことにした。
「そういえば、ダンは森林領に用があったんでしょ? なんだったの?」
「ああ、オレは元々森林領の出身だからな」
「ええっ!?」
初めて聞く話に驚く。だが、よく考えてみたら、わたしは自分が生まれる前のダンのことはほとんど知らないのだ。
「成人する前までしかいなかったがな。家族と上手くいかなくて、家を飛び出してふらふらしてたとこを仕事でやって来ていたヘルブラントさんに拾われたんだ」
サラリと言う感じからして、別に隠しているわけではなかったようだ。
「拾われて王都に付いてったはいいが、それまで神呪なんて気にも留めてなかったからな。勉強はかなり大変だったな」
そう言って懐かしそうに目を細める。
「え……、成人する前って……何歳くらい?」
神呪師になるのは難しい。神呪師の家に生まれて、生まれた時からその環境に接していても、挫折してしまう人が多いと聞く。だが、ダンは研究所でもかなり腕の良い神呪師だったはずだ。
「ホントに成人する前だったからな。14歳だな」
「14歳!?」
14歳から神呪の勉強を始めて、神呪師になれる人なんて本当にいるのかというレベルの話だ。
「始めた時は周りは小さな子どもばかりだったからな。最初はからかわれたりもしたが、何年が経つ頃には神呪師の中では結構上の立場になってたな」
ダンは何でもないことのように言うが、これは大変なことだ。王族がダンを引き抜こうと考えるのは当然で、もしかしたらわたしを連れていなくても、ダンは王族に追われて逃げ回る生活をしていたかもしれない。
「……それで、戸籍のことを知ったの?」
あの旅に出た時、ダンは24歳だったはずだ。神呪師の勉強を始めて10年。きっと、そろそろ王宮の仕事をという話しになっていたのだろう。
「……ああ」
そう言って、ダンがヒューベルトさんに席をはずすように頼む。
戸籍という言葉で、ダンの声に苦いものが混じる。ヒューベルトさんはナリタカ様の直属ではないとはいえ、その扱いはそれに準じるもののはずだ。それでも聞かれてはいけないのだろうか。
「…………戸籍を扱う神呪師はな、人の命を扱うんだ」
「…………命?」
僅かに視線を落としてポツリと落とされるそれは、これまで耳にすることのなかった神呪師の秘密の仕事だ。
「……戸籍の登録には神呪が必要なんだ。神呪師が戸籍を登録して初めて、人は動具を扱えるようになる」
以前、どうして動物が神呪に触れても作動しないのかと疑問に思ったことがあった。すっかり忘れていたが、あれは戸籍に繋がることだったのだ。そして、それは無戸籍の彼らにも繋がっていた。
「動具に描く神呪はこの世界の外側にある力を引き込み利用するための言わば手順書のようなものだ」
「うん」
「その手順書を動かすための呼び水の役割を果たすのが人間自身の中にある神力で、戸籍と言われるものは神力を体の外に出し入れできるようにするための神呪なんだ」
「……人に、神呪を描くってこと?」
「ああ」
だが、自分の体を思い返してみても、体に神呪が描かれているところなんて見たことがない。
「人体に直接神呪具で描くわけじゃねぇ。名前が分かっていて、王がそいつを認識していれば王宮で神呪を施せるんだ」
「……だから、お父さんとお母さんは王宮に仕事に行っていたの?」
だが、それだけならば特にダンが逃げたくなるような仕事とは思えない。
「…………ダンは、何が嫌だったの?」
「……元来、戸籍の登録は世界を調整するためのものなんだ」
「世界?」
「ああ。どの領でどれくらいの神力の動きがあるかで世界のバランスが変わる。それを調整しているのが王であり領主だ」
世界の調整をするのが王の役目。それを支えるのが領主の役目。それは創世の物語でも聞くことで、勉強した時にも習った。
「王はバランスを調整するために、人の神力を消すこともできる」
「……消す?」
消すというのは、文字通り消失させることなのだろうか。だが、それは教わったことと噛み合わない。
「……王様は、神呪が使えないんでしょう?」
王になる可能性がある人は、その可能性がなくなるまで神呪には触れないのだと教わった。
「厳密には、使えないんじゃなく使わないだけだ。教わらないから描けねぇ。別に、王が動具を使っても何かが起こるわけでもねぇ。普通に動具が作動するだけだ」
「……それは、王様が使えるのに使わないように決められてるだけっていうこと?」
「ああ。初めの何代かまでは王が自ら戸籍の調整を行っていたらしい。それを、できなくした」
「王様が勝手なことをしないように?」
「だろうな」
それは、当然の措置に思える。王様1人の意思で自由に神力を消したりできてしまっては、人の社会が混乱に陥ってしまう。
「その代わり、戸籍を扱う人間を別に用意した」
「それが戸籍を扱う神呪師?」
「ああ。元々、神呪は王と補佐領主のみしか使えなかったものだ。それを他の人間にも使えるようにした」
「え……じゃあ、神呪師って元々は戸籍を扱うために作られた職業なの?」
「そうだ。それが何百年かの間に研究が進められて広く使われるようになった」
知らなかった。お城で勉強していたときも、領の成り立ちや歴史については学んできたが、創世直後の頃の話は習わなかった。
「ダンはどうしてそれを知ってるの?」
「戸籍を扱っている神呪師の一人が病気になってな、オレがその分を引き継ぐという話しがあったんだ。その引継ぎの中で聞いた」
なるほど。きっとそんな風に、王とかその周囲の極限られた人間しか知らされない歴史や知識が他にもあるんだろうなと思う。
「人間に神呪を施す技は、本来王にのみ与えられた技術で、今は戸籍を司る神呪師にのみ利用が許可される。王がその神呪師に何かするらしい」
「……何かって?」
「さぁな。オレは結局引き受けなかったから、何をすればそれが使えるようになるのかは分からねぇ」
……じゃあ、わたしがどんなに頑張っても、無戸籍の人に戸籍を与えることはできなかったんだ。
彼らが完全に騙され、利用されていただけだったという事実まで判明して胸が痛む。彼らの命は、いったい何のために消えたのか。
「神呪は本来、世界を調整するためにあるものだ」
ダンが続ける。それは、わたしが想像していた神呪師の仕事とはかけはなれた話だ。
「だから、戸籍を扱う神呪師は当然、人の神力を失わせる神呪も使える」
「……神力がなくなったら、どうなるの?」
無戸籍の人たちは、動具が使えなかったけれど、神力がないわけではないだろう。神力がなくなるということが、どういうことなのか分からない。
「……神力がないと、この世界では存在できない」
……存在?
死んでしまうとか、そういう言葉ではなく、存在できないという言葉を選んだところに疑問が沸き起こる。
「神力がなくなると、全てのものは消えてしまうんだ。文字通り、霧散して後には何も残らねぇ」
「…………え?」
何も残らないという状況が想像できない。
「事故やなんかで亡くなったりしたら、遺体が残るだろう?」
「うん……」
人が亡くなったらお葬式を出す。お別れの儀式を行って、あとはその遺体を箱に入れて墓標の隣に安置する
「だが、その遺体は1年ほどしか持たねぇ。1年ほどで体の中にあった神力が徐々になくなっていくんだ。その後には何も残らねぇ」
「何も…………」
遺体が安置されて名前が刻まれることは知っているが、その後どうなるのかまでは、わたしは知らない。
「遺体がなくなった棺はそのまま燃やされる。もしかしたら、担当の役人なら遺体がなくなっていることに気づく者がいるかもしれねぇな」
「……神力を……消すって……」
ダンの説明に、思考が停止する。
「……神力がないと人はこの世界で生きて行けねぇ。それを利用した仕事がある」
「……それを、……利用?」
「罪人の処刑だ」
考えることを拒否する頭に。それでも両親のことが浮かぶ。
「普通の処刑は物理的な力で命を奪うものだがな」
あの、緑灰色の目を思い出す。
「王族やその家族、あとは訳があって直接死に至らしめることが憚られる場合に取られる手段だ」
ダンが、一度軽く目を閉じ、深呼吸して目を開ける。
「……その人間を、世界の摂理から切り離すんだ」
ダンの言葉に息を飲み、目を見開く。
……世界から、切り離される。
存在を世界に認めて欲しいと、お腹を撫でながら愛し気に言うアリーサ先生を思い出す。
「直接手を命を奪うわけではない、処刑だ」
世界から切り離されて、だんだんと死に向かう。それはたしかに、緩やかな処刑だろう。
「お父さんも、お母さんも……、その仕事をしていたの?」
「戸籍の登録と違って、切り離しに関しては直接触れる必要があるからな。その仕事がある時は補佐領に出向いて行ってた」
知っている。2人とも、時々研究と言って出かけていた。それが戸籍の仕事のためだったのなら、2人とも、その仕事を行っていたはずだ。
「まぁ、あくまで相手は罪人で、しかも仕事自体は神呪を施すことだけだがな」
「……神呪の、仕事…………」
それでも、その行為の結果について、考えが及ばないはずがない。
「…………ハァ。お前が神呪を使うのが好きなのは誰でも分ってた。一目瞭然だったからな」
ダンが頭をガシガシ掻きながらため息を吐く。
「そのまま神呪師として成長していたら、お前は必ず戸籍の仕事に就かされる。ヘルブラントさんもだが、特にミナさんが随分悩んでたよ」
たしかに、そんな仕事、したくない。人を死に至らしめる仕事なんて、誰だってやりたくはないだろう。わたしの両親は、わたしが思っていた以上に大変な葛藤を抱えて仕事をしていたのだろう。そして、わたしが思っていた以上に、わたしのことを考えてくれていたらしい。
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