わたしの選択
「ほら。この前採蜜した分」
次の火の日に出店に行くと、コスティが壺に入ったハチミツをくれた。両手で抱えるくらいの大きい壺に2つ分だ。壺1つですら、わたしには抱えられない。
「え、こんなに採れるものなの!?」
「ああ。巣箱1段分だとこれくらいだな」
「……蜂さん、すごいね」
「ああ。頑張ってもらってる。まぁ、その代わり冬には巣箱が冷えないようにしたり飢えないように砂糖水を与えたりしてるけどな」
「持ちつ持たれつだよね」
養蜂の仕事って、本当にすごいと思う。ミツバチと人間が対等なのだ。冬は巣箱が冷えないような動具を使ったりはしたけど、基本的にはそんなものは必要なくて、巣箱の上から布を覆って冷たい空気が入りにくいようにすれば良いし、蜜をもらう分、ちゃんとこちらも餌をあげる。
「……蜂は自分で自由に選べるんだね」
蜂は匂いに敏感で、提供された巣箱が気に入らなければその巣箱には入らない。人間側の方で、ちゃんと蜂に気に入ってもらえるような工夫が必要なのだ。
「フフッ。わたしも力と知識を手に入れたら、蜂みたいになれるかな」
わたしに気に入ってもらえるようにと誰かが工夫することを想像すると、なんだかおかしくなる。
優雅にカップを傾けながら命令する、マリアンヌ様な自分を想像して思わず笑ってしまう。
……だって、それって、わたしがマリアンヌ様みたいになるってことでしょ?
「ププッ、アハハ。マリアンヌ様なわたし、似合わなーい」
「プッ」
わたしの言葉に斜め後ろにいたリニュスさんが吹き出す。振り返るとヒューベルトさんも肩を震わせているから、やっぱり似合わないのだろう。
「うん。マリアンヌ様じゃないな。マリアンヌ様は女王蜂だよね。わたしは普通の蜂でいいかな」
「…………普通?」
コスティがなんだか白い目を向けて来る。
「お前、一度自分のことちゃんと把握した方がいいぞ」
把握してるから普通の蜂なんだけどね。だって、似合わないよね? マリアンヌ様なわたし。
「うーん、全部買い占めると納品分がなくなっちゃうよねぇ」
あと数日で、このまえ採蜜した分で作った木の実のハチミツ漬けが出来上がる。なんだか、自分が採蜜したものは特別な気がして売るのが惜しくなってしまう。
「買い占めてどうするんだ……?」
ヒューベルトさんが不可解というように首を傾げてくる。
「だって、自分で作ったんだよ? 特別なんだよ。しかも、日持ちするんだよ? 数ヶ月とか、頑張れば向こう1年くらい平気なんだよ?」
「部屋がハチミツばかりになって片付かんだろう!」
ヒューベルトさんが相変わらずお母さんみたいなことを言う。この特別感が分からないのだろうか。
「だって、採蜜大変だったんだよ。大変な思いをしてできたものなんだよ? 特別だな~ってなるじゃない」
「いくら特別でも置く場所がなければどうにもならん、すぐに売れ!」
ヒューベルトさんに怒られるけど、ここは譲る訳にはいかない。なにせ約束したのだ。
「木の実のハチミツ漬けはしょうがないとしても、残りのハチミツは全部ハチミツ飴にして持ってく」
「それも納品分があるだろうが! そもそも、そんなに飴ばかりあってどうする!」
……でも、ハチミツ飴の納品ってほとんど開発室なんだよね。
なくても別に困らないんじゃない? とか思ってしまう。
「だってこれ、定期的に売らなきゎいけないんだよ。火山領にだって森林領に向かう行商はいるでしょ? あっちですぐにハチミツが手に入るとは限らないし……」
「……森林領に向かう行商に売って何になるのだ? ここではコスティが売っているだろう」
「そのコスティと約束したんだよ。お互いのマークのハチミツ飴を見かけたら、元気にしてるんだなって分るでしょ?」
旅先で、そう簡単にハチミツが手に入るとは思えない。作れるだけ作っておいて、小出しにして何とかコスティの目に触れればと考えているのだ。
「……む……仕方ないな。せめて納品分はちゃんと納品しろよ」
ため息を吐くヒューベルトさんに、部屋の外でリニュスさんが苦笑するのが開けっ放しのドアから垣間見えた。
「あ、それとヒューベルトさん。ちょっとダンと話したいんだけど、都の日に戻って家に泊まる許可を取ってくれる?」
「以前と同じような日程か?」
「そうそう。都の日に家に帰って火の日の出店をやって戻ってくるの」
この10日間すごく考えた。
アンドレアス様に言われたことや、クリストフさんに聞いた話。そして、同じ目線で考えてくれたコスティの言葉。
でも結局出た結論は、やっぱり知らない土地に1人で行く覚悟はまだできないということだった。だから、まずダンと話そうと思う。わたしが、誰の影響も受けない素の状態で自分の本音に向き合えるのは、ダンと話している時だ。まずダンと話してから、他の人にも伝えようと思う。
「それでね、今回はいろいろ話したいから家に泊まりたいんだよね」
わたしの警護の都合を考えれば、明るい間は家にいるとしても、夜や境光が落ちている時は町中の宿にいた方がいい。以前もそうしたし、ちゃんと理解はしている。ただ、今回はもしかしたら長くなるかもしれないので、許されるものならば家に泊まりたい。
「……分かった」
軽い口調で言ったつもりだが、重い話をするだろうと察したようで、茶化されることもなかった。たぶん、もうヒューベルトさんが思ってるほど重苦しい気持ちではなくなっているのだけれどと、思わず苦笑する。ヒューベルトさんはわたしの心の部分をすごく大事にしてくれている。
……ヒューベルトさんの仕事は、本当はただの監視兼護衛なのにね。
「ただいまー」
久しぶりに家に戻ったら、お昼前なのにダンがいた。
「あれ? 今日はお休み?」
「ああ。昨日からだな」
「あ、じゃあ、買い出しは明日なんだね」
灰出が終わって炭を領都に出荷したら、その後次の口炊きまで3日間お休みが入る。お城に住んでいてすっかりサイクルが分からなくなっていたが、ちょうど良かった。
「今日はねぇ、境光がない中ランプだけで馬を走らせられるかって実験しながら来たんだよ」
ついさっきまで、境光が落ちていた。そんな真っ暗な中、ヒューベルトさんとリニュスさんはランプを引っ提げて馬を走らせてきたのだ。いつもよりゆっくりめで時間はかかったが、風で火が消える心配もなく、照らす範囲も火のランプより広いので、ランプがあれば馬での移動も可能だということが分かった。まぁ、2人の馬が優秀で、怯えながらも2人の指示にちゃんと従うことができたからこそなのだが。
「明日もお昼時は境光が出てるよね、きっと。問題は朝だなぁ」
境光が落ちていると町に行くのが難しいので、出店の準備が遅れたりできなかったりする。境光が落ちた時ほどクレープの売れ行きは良くなるので、できれば朝は境光があって、昼くらいに落ちて夕方に戻るというのが理想だ。ちなみに、出店の途中で境光が落ちてそのまま夜まで戻らなければ、そのままグランゼルムの宿に泊まることになる。普通に泊まるより安く宿を提供してもらえるとはいえ、この出費は結構痛い。
「コスティにランプを3つくらい渡せればいいんだけどなぁ」
「分かったから、とりあえず荷物片づけろ」
「はーい。あ、いいよ、ヒューベルトさん。自分で持つ」
いつものように荷物を持って2階に上がろうとするヒューベルトさんを止める。
「自分の荷物くらい自分で面倒見れないとね」
最近すっかり甘えていたが、わたしは元々上流階級の人間ではないのだ。自分の荷物を誰かにお願いする生活をそろそろ改めなければ。
……火山領に行くのはもう決定なはずだしね。
いろいろ気遣ってはくれているが、わたしの火山領行はきっと決定事項で、覆ることはないのだと思う。王族からの提案というのはそういうものだ。
荷物を片付けて、ついでに部屋も片付けて階下へ降りる。
「ダン、お昼ご飯はどうするの?」
「今から作る」
「じゃあ、わたし作るよ。ちょうど木の実のハチミツ漬けあるし」
納品する分はちゃんと分けた上で、自分の分をいくつか持って来ている。
「ああ、この前採蜜してきたやつか?」
「そう。あの後コスティが仕上げしてくれたの。コスティ、今年から蜜蝋も作り始めたんだよ。そっちも見たかったなぁ」
「へぇ。販路はあんのか?」
ダンが感心したように頷きながらサラリと問いかけてくる。
「…………は、販路……」
持っていた野菜をボトリと落とす。
「ああ。あいつ、ハチミツだってお前が来るまでは苦戦してただろ?」
「そ、そうだ。どうするんだろ……」
「……お前、今はあんまり出歩けねぇからなぁ。あいつが自分で何とかするしかねぇだろうな」
……あ、でも、これからはそれが普通になるんだ。
「……そうだね。明日、それも話してみる」
わたしが必要なくなるようで胸が痛む。でも、仕方がない。わたしはいなくなる人間なのだ。これ以上、余計な手出しはしない方がいいのだろう。
……わたしの居場所がなくなってくな……。
必死で築いてきたものが呆気なく崩れていくようで、言いようのない胸の痛みと脱力感に見舞われる。絶対に失われる心配のない居場所は相変わらずダンだけで、でも、それがあるだけでも幸運なんだと自分に言い聞かせる。
……それでも、たとえ居場所がなくなったとしても、また遊びにくればきっと彼らはわたしを受け入れてくれる。そんな関係になれるように、これから出発までがんばろう。
「じゃあ、ちょっとお水汲んでくるね」
今日のメニューはお魚の煮込みだ。塩や香草と一緒にトマトとオリーブ油と木の実のハチミツ漬けをほんのちょっと入れてグツグツ煮込む。以前リアドさんがお魚メニューを教えてくれたので、味付けをアレンジして作ってみた。ハチミツが味に深みを出していて、更に砕いた木の実の触感がアクセントになる。我ながら上出来だ。
「……お前、まだ新メニュー開発やってるのか?」
初めて作った料理に、ダンが驚いたようだ。今はお昼だから味見程度で出した。ダンの受けもいいので夕飯のメインのおかずにしても大丈夫だろう。
「うん。元々お料理は結構好きだしね。リアドさんて火山領の人で、わたしが知らない料理をいっぱい知ってるからおもしろいんだよ」
「へぇ。けど、これは火山領の料理じゃねぇだろ?」
さすがはダンだ。火山領の料理も知っていたらしい。
「うん。アレンジしたの。もしかしたら、火山領に行った時に役に立つかも知れないでしょ? 向こうの人が知らない料理だもん」
「…………ああ、そうだな」
ダンが苦笑する。でも、知らない土地でわたしができることは限られているのだ。準備できるものは何でも準備しておいた方がいいと思う。
「……ダン」
「ん?」
「わたしね、火山領に行くよ」
「ああ」
この話はダンも知っていたはずなので、特に不審な様子もなく頷く。いくらダンでも、王族の決定には逆らえないのだろう。
「ダンも一緒に行ってくれる?」
「当たり前だ」
ダンが、本当にそれが当然だと言うように、サラリと答える。
……当然だ。だって、ダンなら絶対そうする。
ダンは、わたしの保護者なのだ。それは、これからも絶対に変わらない。そう、知ってる。
「うん。それでね。火山領に着いたらさ、たぶん最初は生活を整えたりするでしょ?」
アンドレアス様やナリタカ様がわたしの滞在先を用意してくれると言う。それでも、着いてすぐ新しい生活はできない。火山領は、森林領とは季節が違のだ。いろいろと買い揃えたり、生活習慣自体に慣れる必要がある。
「だからね、火山領に着いたら1ヶ月くらいは仕事とかせずに、ただ生活するだけにしたいってナリタカ様にお願いしようと思ってるの」
「まぁ、どれくらいの期間にするかは行ってから考える方がいいだろうがな」
ダンが軽く頷く。ランプの開発料が入って来ているはずなので、お金の問題はないはずだ。
「うん。それでね、その1ヶ月が無事に過ぎたらね、」
火山領は遠い。きっとたどり着くのに1ヶ月くらいかかる。だから。
「ダンは、この家に戻っていいよ」
合計で2ヶ月。それで、わたしは親離れしよう。
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