別れを告げる覚悟

 草の日、仕事を早退して急いでグランゼルムに向かう。


 仕事を延期してからは街灯作りにいそしんでいたが、すぐに設置されるわけではないらしく、ランプほど急き立てられはしなかった。そのランプも、神呪を描ける人が5人に増えたので、わたしはほとんど手を出さなくなっている。


「みんな、防護服手に入ったのかなぁ」

「我々だけで十分だ」

「森林領所属の護衛はそれ程近付かないからね」


 目の前でわたしを拐われたことは2人にとって大失態だったようで、わたしが普段と違うことをしようとすると血相を変える。でも、できるだけわたしの行動を妨げないようにと思ってくれているのが伝わるので、わたしも軽はずみなことはしないようにしようと思える。


「ヒューベルトさんとリニュスさんはこれから交代で警護するの?」

「そうだ」

「じゃあ、明日も交代で警護だね。小屋があるからそこで寝られるよ」

「いや、森の中は危険だからな。明日は2人で付く」


 ヒューベルトさんの言葉に驚く。だって、今夜もあんまり寝られないのに、明日はそのまま護衛の仕事なんて、体を壊さないのだろうか。


「オレたちは慣れてるからね。じゃあ、オレは先に休むことにするよ」

「うん、ありがとう。お休みなさい」






 翌日は、4の鐘の前に食事を用意してもらって森へ出かけた。


「うわぁ、ここに来るの久しぶりー」

「防護服は小屋にそのままあるぞ」


 今日はヒューベルトさんの馬に乗せてもらって現地に直接集合した。コスティは既に到着していて、小屋で作業をしていたようだ。


「手首と足首は紐で縛って蜂が入らないようにね」


 網が付いた帽子をかぶり、手袋をした2人は、なんだか動きにくそうでもぞもぞしている。


「2の鐘までしかいられないんだろ?急ぐぞ」


 籠にいろいろな道具を入れて抱えると、コスティがさっさと小屋を出る。わたしはそのまま一緒に行くが、ヒューベルトさんとリニュスさんは少し距離を置いて待機するようだ。


「これに火を付けといてくれ」


 コスティに渡された草の束に火を付けて、それを消す。

 その間にコスティは、巣箱の上部をゴンゴンと叩いて蜂を下に移動させ、蓋をはがす。以前は打ち付けてある釘を取るのが大変そうだったが、もう慣れたようで、ヘラのようなものを間に挟んで器用にはがす。

 もくもくと煙を上げる草の束をコスティに渡すと、巣箱の上部から煙をこするように振りかける。


「蜜を取り上げちゃったら怒るんじゃない?」


 以前聞いた話だと、蜂が怒ってしまったら煙もあまり効果はないということだったと思う。せっせと集めた蜜を取り上げるのだ。当然怒って襲ってくるのではないかとドキドキする。


「いや、全部取るわけじゃないし、蜂は臆病だからな。静かに作業する分には攻撃はしてこない」


 そう言いながら、草の束を皮袋に突っ込んで、箱に縦に収めてある木枠を引き上げる。


「わぁー……!」


 引き上げられた枠を見て目を見開く。以前見た時には一部だけだったキラキラがほぼ全体に詰まっている。


「これ、全部ハチミツ?」

「ああ。周りのくすんだような薄い黄色い蓋のようなものが蜜蝋だ」

「え?蜜蝋も取れるの?」

「ああ。今年は採ってみようと思ってる」


 蜜蝋は蝋燭の中でも高級品だ。採れれば商品にしていなくたって高値で売れる。コスティはコスティでいろいろと商売を考えていたようだ。


「まぁ、ランプが普及すれば売れなくなるかもしれないけどな」

「あ……」


 たしかにそうだ。蜜蝋は臭くならない明かりとして需要が高い。明かりとしてランプが普及すれば蝋燭はその必要性を一気に下げる。


「……そうなるといいな」


 どう返事をしたらいいか分からず視線を彷徨わせるわたしに、フッと笑って言う。


 ……なんか、ちょっと見ない間にコスティがすごく成長した気がする。


 なんだか置いて行かれたようで少しおもしろくない。


「蜜をはずすぞ」


 ちょっと不貞腐れるわたしにかまわず、コスティはテキパキと作業を進める。


「ナイフ取ってくれ」


 ナイフを渡すと、大きな容器の上で、木枠に出来た巣をナイフで切り落とす。木枠だけだと思っていた真ん中の空いた空間には、実は糸が縦に数本張られていて、コスティが言うには、蜂はその糸に沿って巣を作るのだそうだ。


 枠に張っていた巣を全部容器に落としたら、木枠を戻して次の木枠を取り出す。同じように木枠から巣を落とす作業を繰り返して、1段分全部終えたら蓋を戻して重石を乗せた。


「じゃあ、小屋に移動するけど、お前その荷物持てるか?」


 コスティがハチミツを抱えながら、荷物が入った籠を顎で指す。2人で荷物を持って小屋に戻ると、ヒューベルトさんは当然のように付いてきたのだが、リニュスさんは今日も外担当らしい。蜂に怯えてないといいけど。


「この蜜蝋はあとで処理するから先にはずす」


 コスティが手に持っている巣の塊は断面がキラキラしていてとてもきれいだ。鈍い黄色の薄い層に挟まれた、濃い黄金色の透明な塊は、それだけで高級菓子として売れるんじゃないだろうかと思える。

 コスティが、その鈍い薄黄色の部分をそぎ落とすと、全面がキラキラの透明な黄金で、まるで大きな宝石みたいだ。


「この塊を一つ一つ確認してゴミを取ってくれ」


 コスティが別の容器に入れたキラキラの塊を手に取る。さすがはハチミツなだけあってベッタベタだ。そして、よく見てみると結構ゴミが入っている。


「ゴミを取ったらこっちに入れる」


 コスティが指した別の容器に入れて、また次の塊を手に取る。もともと、コスティもわたしもそれほどおしゃべりではないので、そのあとは黙々と作業を続けた。


「じゃあ、これを細かく砕いてくれ」


 ゴミを取って容器に入れた蜜の塊をゴリゴリと砕く。それほど力が必要なわけでもないが、とにかく細かい六角形の集まりなので、手間がかかってすぐに疲れてしまう。

 腕が痛くてしかめっ面で砕くわたしの横で、コスティが容器にザルを乗せる。


「これをザルに入れて濾すんだ」


 ヘロヘロのわたしに代わってゴリゴリ砕いた蜜を、ザルに少しずつ垂らす。砕いた部分が多いのですぐにザルがいっぱいになった。溢れないように、少しずつ少しずつザルに垂らす。


「これで鐘一つ分くらい待つ。こうやって濾す作業をあと2回やるんだ」

「じゃあ、出来上がるにはあと鐘3つ分必要?」

「いや、次に濾したら明日まで放置する。そのあと布で濾したらそれで完成だ」

「そっかぁ……じゃあ、出来立てを舐めることはできないね」

「これが濾し終わったら舐めていいぞ」

「ホント!?やったぁ!」


 採蜜作業は初めて参加したけど、わたしにとっては結構な重労働だ。蜂の巣箱が増えて5つになっていたが、これを定期的にやるとなると体力が必要だなと思う。


「こんなに大変なことやってるから、コスティは大きくなったんだねぇ。わたし、神呪を考えてる時って基本的に動かないからコスティとの差が開いちゃったのかな」

「……いや、そういう問題じゃないだろ……?」

「え?」

「……ハァ。なんでもない。オレが男って思われてないっていうより、お前の中で男女って区別がないんだろうな……」


 コスティがボソボソと何か言っているが、わざとなのか、小さくてよく聞こえなかい。聞き直そうとすると、小屋の端で作業を見ていたヒューベルトさんがドアに向かう。


「我々は外で見張っている。私は窓の外に立っているから何かあったらすぐに声をかけろ」

「あ……うん、分かった。ありがとう」


 これから、わたしがコスティに大事な話をしようと考えていることを察してくれているのだろう。ヒューベルトさんはいつもそういうことには敏感だなと感心してしまう。


 ……なんか、察しがいい部分が偏ってるんだけどね。


 作業が一段落したところで、それぞれ、その場にある空き箱に適当に腰掛ける。


「コスティ。……これは他の人にはまだ内緒なんだけどね」

「ああ」


 コスティがどんな反応するのか分からなくて、怖くて心臓がビクビクする。

 今朝宿を出るまで、言おうかどうしようか迷っていた。だが、一緒に作業をして覚悟を決めた。


 ……コスティには、誰よりも先に言わなきゃいけない。


 この森林領で、何もなかったわたしにハチミツという仕事をくれた。商売をしたり出店を出したりランプを作ったり、この森林領で得た全ては、コスティから始まっている。絶対に、裏切るような真似はしたくない。コスティに話すことで何か悪いことが起きてしまったら、それはもう全部受け止めようと覚悟する。


「わたしね、……森林領を出なきゃいけないの」


 わたしの内緒話に、コスティがハッと振り向いて息を飲む。


「わたし、ちょっと派手な神呪を作っちゃったでしょ?そのせいだと思うんだけど、去年の末に誘拐されたの」

「……誘拐!?」


 コスティが血相を変える。


「うん。幸いアーシュさんが気付いて一緒に捕まってくれたから一緒に逃げ出すことができたんだけど、お城の中で狙われたこともあって、森林領にいること自体が危ないみたいなの」

「………………」

「……ずっと一緒に、商売できなくなっちゃった」


 そんなことは、神呪師としてお城に呼ばれた時から覚悟をしていた。神呪師になればハチミツの仕事はそのうちできなくなる。けれど、こうやって自分の口で告げると、もうここからは本当に、後戻りできないんだと実感する。


「……ごめんね」


 ドクドクと煩く鳴っていた心臓はいつのまにか緊張を失い。今度はギュっと締め付けるような痛みを訴えてくる。


「………………泣くなよ」


 森林領を出る時は、お別れも言えなかった。

 ダンに心配かけたくなくて、大っぴらに泣くこともできなかった。


 ……ちゃんとお別れしたかったって思ったけど……。


 ちゃんとしてたって、お別れを口にするのはこんなにも辛い。こんな風に、これからも誰かと別れなければならないのだろうか。誰と出会ってどんなに仲良くなっても、いずれ別れなければならないのだろうか。


 ……こんなに辛い思いを、これから何度しなければならないんだろう。


 それを思うと辛くて苦しくて涙が溢れる。この先誰かと出会うのが、怖くなる。


「うん。…………ごめん」


 コスティが困っているようだが、涙が止まらない。立てた膝に顔を埋めて涙を隠す。


 ……今度は、自分の手で切り捨てなきゃいけない。


 お別れができなかったと思っていた穀倉領からの逃亡は、実は、自分から決別を告げなければならない辛さを軽減していたのだと知った。

 お別れしたいわけではないのに。わたし自身はここでこれまでと同じように過ごしたいのに。それが許されなくて、望んでもいないお別れを、自分から大切な人たちに告げなければならない。その決断を迫られる。


 ……こっちの方が、残酷だ。


 アンドレアス様が無理やり引きずって追い出してくれたら、わたしはアンドレアス様に怒って文句を言って、ただ、もう会えない辛さだけを、耐えれば良かった。でもきっとそれも甘えなのだろう。もしかしたらアーシュさん辺りは、そこまで見越しての今回の措置なのかもしれない。アーシュさんは今でも、わたしの家庭教師だ。


「…………お前は、神呪師になるんだな」

「…………うん」


 膝の上に顔を伏せたまま頷く。


「……こんな風に追われるのが嫌なら、知識と力を付けて追う側に回れって言われたの」


 商売とか料理とかいろいろ経験したけど、やっぱりわたしの強みは神呪だ。力を付けろと言われるならば、神呪が一番早いと思える。


「だからわたし、追う側に回ろうって決めたの。自由でいるために。こんな風に、望んでもいないお別れなんて、もうしなくてよくなるために」

「………………そうか。…………そうだな……」


 顔を上げたわたしにそう言って、コスティは目を閉じ、俯いて髪をかき上げる様にして両手で額を覆う。


「じゃあ、知識と力を付けたら、また戻って来いよ」


 手で覆われて陰になった視線を少し上げて、コスティが強く言う。


「……え?」

「森に住むのは難しいかもしれないけど、遊びにくらいなら来れるだろ?それくらい自由にできる立場に、頑張ってなれよ」


 コスティの言葉に目を見開く。


「……あ……そっ、か」


 ……そうだ。今回はこっそり出ていくわけじゃない。また、戻れるんだ。


 森林領では、突然のことだったので方々に迷惑をかけてしまった。さすがに、何もなかったかのように遊びに行くのは躊躇われる。だけど、今回はちゃんと準備をする時間が取れるのだ。ちゃんと迷惑をかけないように手配して出れば、また戻ることもできる。後は、わたし自身がその自由を手に入れられるかどうかだけだ。


「……そっか……そうだよね…………。分かった…………そうする。わたし、誰にも文句を言わせない、誰にも脅かされたりしないくらいの力と知識を手に入れることにする」


 具体的に何をすればいいのかとかはまだ分からないが、それを探ることも含めて準備をしよう。


「わたし、絶対またここに戻ってくるよ」


 立ち上がって窓の外を眺める。これで、たぶんもう、成人前に見るこの景色は見納めだ。だから、しっかり覚えておこう。絶対に、またここで、コスティとこうしておしゃべりしながら採蜜をするのだ。






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