春です。出店、再開します

「ヒューベルトさん、早く早く!」

「寝坊したのはアキ殿ではないか」

「もうっ、リニュスさんも起こしてくれれば良かったのに!」

「アキちゃん最近疲れてたから、もう少し寝かせてやろうって止められたんだよ」


 リニュスさんの発言になんだか納得する。


「……ヒューベルトお母さん」

「誰が母か!」

「クククッ」


 ヒューベルトさんの馬に乗せてもらってグランゼルムに急ぐ。今日は4月2日の火の日で、久しぶりに出店の手伝いに行くのだ。


「あ! 靴、履き替え忘れた!」

「戻ると間に合わん。舌を噛むぞ」


 ヒューベルトさんに言われて慌てて口を閉じる。

 服は職人用の服を着たのだが、靴をブーツに履き替えるのを忘れてきた。


 ……避難所で布の靴なんて履いてたらすぐに擦り切れちゃうなぁ。


 お城では、外は木々に囲まれていても、それぞれの建物の間には石畳が敷かれているし、外を移動すること自体が少ない。それに比べて避難所は舗装もされていないし、土の上をバタバタと行ったり来たりするのだ。底に革が貼ってあるとはいえ、薄っぺらい布の靴だと一気に摩耗してしまう。


 アリーサ先生は出産が迫っているため、仕事の延長はせずに3月末で離任した。礼儀作法の指導がなくなるのも多少は困るのだが、何といっても生活の中であれこれ注意してくれる人がいなくなったのが痛い。

 ヒューベルトさんがいくらお母さんでも、そこはやぱり男の人で、しかも庶民ではない。気を配る場所が微妙に違うので、自分で気付かなければこういうことになる。


「1日くらい持つだろう」


 ……持つ、持たないのレベルの話じゃないんだよ。


 ヒューベルトさんの感覚だと、摩耗してしまったらすぐに買い直せばいいのだろうが、わたしのような庶民は、キレイに装飾された布の靴などそう使うものではない。街灯がいつできて、いつ庶民に戻るか分からないのに無駄に買い替えたくはないのだ。


「どっちにしても、今日はもうしょうがないよ」


 口を尖らせて無言で文句を言うわたしに、リニュスさんが宥めるように苦笑する。


 ……コスティが変に思わなければいいんだけど。






「コスティ! 久しぶり!」

「ん? ああ。ひさしぶり」


 相変わらず冷めた表情で片手を上げてくるコスティを見上げてポカンとする。


「…………お、」

「ん?」

「大きく……なったね」


 以前は同じくらいだった目線が急に斜めになっている。


「そうか? ……そうだな」


 一旦否定しかけたくせに、わたしを見下ろして納得されるとちょっと引っかかる。別に、わたしだって成長してないわけじゃないのに。


「……今日はブーツじゃないから、その分だもん」

「ふぅん……」


 大して興味なさそうな生返事を返して、コスティは早速出店の準備に取り掛かる。


「あ、コスティ。ちょっと新メニューがあるから食べてみて! で、大丈夫そうなら早速少し売り出してみたいんだけど」

「へぇ。新メニューなんて考えてる時間あったのか?」

「うん。さすがに日中は仕事があったけど、夕食の後にちょっと時間があったから少しずついろいろ試してみてたの」


 ペトラとの楽しい時間を思い出すと、まだ胸が痛む。でも、思い出さないようにするより、こうして思い出して、あの楽しい時間があったからこそ今があるんだって思えるようにしたい。辛い思いを辛いままにして置いてけぼりにしたくない。


 ……こうして人に見せることで、どこかでペトラと繋がるかもしれないし。


 今のわたしにできることなんてほとんどないけど、それでも、もしペトラが困っていたら連絡が欲しいと思う。あの時みたいに2人で知恵を出し合って協力して、解決できることだってあるかもしれない。そのためにも、ペトラと考えたメニューはできるだけ商品化して売り出していきたいと思っている。わたしはここにいるんだって、ペトラに伝わるといい。






「おや、久しぶりの開店だねぇ。もう春だね」

「うん。アヌさん、久しぶり! 今年もよろしくお願いします。あ、これ、新メニューだよ。良ければ食べてみて感想を聞かせて欲しいんだけど」

「おやおや。これは嬉しいねぇ。それにしてもアキちゃん、ちょっと見ない間に随分女の子らしくなったねぇ」

「えっ!? ホント!? ありがとう!」

「いやぁ、ホントホント。こうして見るとアキちゃんもちゃんと女の子だったんだねぇ」

「ヤロさん、そんなこと言うと新メニューあげないよ」

「おっとっと。これは余計な事言っちゃったかな?」


 冬の間も出店を出していたみなさんが、久しぶりの出店に挨拶に来てくれた。ちょうど良いので試作品を食べてもらう。


「ん、いいねぇ。こういう、ちょっと腹にたまるものがあると男の客も集めやすいんだよな」

「そうねぇ。どうしても男性客は肉ってのが定番になっちゃってるからねぇ。こうやって別のメニューにも流れてくれるようになるといいかもねぇ」

「ここで生地だけ売ってさ、オレんとこの肉包んで食うと旨いぜって売り出すのもいいんじゃねぇか?」

「ああ! それはいいねぇ。それだったらさ、うちの果物も同じようにできるんじゃないかい!?」

「それ、実現したらすごく楽しそうだね! お祭りみたいにそういう特別な日を作ると、それ以外の日の売上げにも繋がりそう!」


 開店前の店主たち数人とそんな風にあれやこれやと盛り上がる。


 ……たっのしーいっ!


 敵だとかスパイだとか、ややこしくて暗い裏側なんて考えなくても良くて、ただ、みんなが良くなることだけ考えていられるこの時間って、なんて貴重なんだろう。


 新メニューの売り出しや定着期間も欲しいので、その話はまた来週様子を見て話そうということにして、みんなそれぞれの出店に戻っていった。そうして、みんなが忙しく準備を続けるのを見ていると、その中にいる自分がとても何気なくて穏やかで、それでいて、ほんの少し遠いような錯覚を覚える。いつまで続けられるのか分からないこの日常の一瞬一瞬を切り取って、宝箱にでも入れていられたらいいのにと思う。


「コスティ。町の生活って、こんなに楽しくて幸せなんだね」

「……は?」

「もっともっとみんなが楽しくて幸せになれたらいいね」

「……なんだよ、急に」

「ううん。何でもない」


 大人になったら、きっと神呪の仕事で手いっぱいで、出店なんてやる時間もなくなっちゃうんだろうなと思う。それならせめて、出店を出しているこの時間やこの人たちが、もっともっと楽しくて幸せになれるような何かを考えて行きたいなと思う。そうしたら、きっとわたしも、この中に混じっているような気になれるだろう。


「……ただ、官僚って、そういうことなんだろうなって思って」

「………………」


 コスティは、役人や官僚にはなりたくないと言う。その気持ちも分かるし、わたし自身も選べるものなら町の中にいたい。でも、選べないのならば仕方ない。結局、目指すところは同じだ。同じでいたいと思う。






 新メニューは好評だった。

 ペトラと考えていた時より、少し辛めの味付けにしたのは、町中では体を使う仕事の人が多く、塩分を取りたい人が多いんだなと分かったらだ。

 やっぱり試食してもらうって大事だなと思う。女の子2人ではさすがに男性の好みは読めない。そして何より、ヒューベルトさんとリニュスさんは揃って甘党だったことが発覚した。そういえば、ペッレルヴォ様の勉強会で出るおやつを楽しみにしていたのを思い出す。ダンはそれほど甘いものを食べていなかったのだから、あの時に気付いてしかるべきだったと、少し悔しい。


「ハチミツの方はどうなってる?」

「3月に送ってもらっといた分で木の実の方は揃ってる。ただ、開発室の方でハチミツ飴の需要が高いんだよ。傷むわけでもないから、あればあるだけ欲しいって言われてるんだけど……分蜂はどう?」


 街灯を作るに当たって、更に需要は増える気がする。みんなの気合もすごいから、ハチミツ飴で応援になるのならちゃんと用意してあげたい。


「1つは増やせた。今月中には追加で採蜜できると思う」

「あ、じゃあ、それはハチミツ飴に回したいな」


 ……マティルダさんの目が血走ってたから、今ある分はこっそりマティルダさんに売っちゃおう。


 ラウレンス様が買い置きしてくれている分もあるのだが、油断するとサウリさんにごっそり取られてしまうので注意が必要だ。サウリさんって何気に大胆だと思う。


「コスティってすごいねぇ」

「は?」

「だって、ハチミツを増やさなきゃってなったら、すぐ分蜂できちゃうんだもん」

「……まぁ、蜂の状態にもよるけどな。たまたま上手くいってるだけで」

「うん。だからこそ、ちゃんと結果を出せてるのってすごいことだと思うよ」

「……お前、なんか変わったな」

「え? そう? あ、礼儀作法の成果かな。家庭教師の先生はいなくなっちゃったけど、代わりにヒューベルトさんのうるささが倍増してるんだよね」

「……たしかに、堅苦しいよな」


 3つ先の出店でピシッと背筋を伸ばしてカクカクとした動きで肉の串焼きを受け取るヒューベルトさんを見てコスティが頷く。


「うん。前は部屋の中で勉強する時とかは、ヒューベルトさんは外にいたから家庭教師の先生だけだったんだけど、最近部屋の中も見張るようになったんだよ。で、ついでに背筋がとか注意してくるの」

「……部屋の中でまで護衛……?」


 コスティが眉を顰めて振り返る。


「うん。あんまり広い部屋でもないから、何かあっても戦えないんじゃないかと思うんだけどね」

「……それって……、」

「あ! アキちゃーん!」

「あ! エルノさんだ!」


 コスティが何か言いかけたところで、エルノさんが駆け寄ってきた。手にはお土産のリッキ・グランゼルム新メニューがキラリと光る。


「エルノさん、久しぶりー」

「ホントに久しぶりだなぁ。アキちゃん、なんかすごくかわいくなったね」

「おおー。それ、最近よく言われるなぁ」

「まぁ、以前がちょっとあれだったしね」


 ……エルノさんて一言余計なことが多いよね。


「ところでさ、お城の料理ってどう? やっぱりうちの料理とかとは違う?」

「うん。まず素材が違うよね。なんか知らない葉っぱとかがいっぱい食糧庫に並んでた」


 エルノさんは宮廷料理に興味津々だ。そういえば、エルノさんはいずれはお城の料理人になりたいと言っていた。


「いや、でも、アキちゃん元々詳しくないよね」

「まぁ、そうだけどね。あと、やっぱり新メニューの開発が大変そうだったよ。料理長の方は、たまには町中で食って刺激を受けたいって言ってた」

「えっ!? 町中の料理が参考になるんだ!?」


 わたしの言葉にエルノさんが目をキラキラ輝かせる。


「そういえば、わたしがお世話になってるペッレルヴォ邸の料理人は、元々は町の食事処で料理長をやってたんだって聞いたよ」

「えっ!? すごい! それ、大出世だよ!」

「でも、ペッレルヴォ様はあんまり固いもの食べれないからって、いろいろは作らせてもらえないみたい。あと、ハンナは料理人兼家政婦でもあるから新しいメニューとか考える暇はなさそうだけど」

「あー……、そっかぁ。そうだよなぁ。まぁ、どこでも簡単にはいかないよなぁ」

「でも、食材はホントに豊富だったよ。味噌も、料理長に教えたら次の週には届いてたし」

「お、その環境いいなぁ」


 おしゃべりしながら、お互いの新メニューを食べ合う。相変わらず、リッキ・グランゼルムの料理は手が込んでいて美味しい。


「アスパラの皮をこれだけきちんと剥いちゃうところが、家庭料理とは違うよね」

「うん。手がかかってるよ。しかし、アキちゃんの料理は相変わらず奇抜な組み合わせでくるなぁ」

「それ、わたしとお友達の渾身の作なんだよ。でも、ハンナが助言してくれなかったらちょっと商品にはできなかったと思う」

「えっ!? アキちゃん、友達いるの!?」


 …………エルノさん……。


「うん。同じ年頃の使用人だったの。もういなくなっちゃったんだけど……」

「そっか。まぁ、人生いろいろあるよな……。でも、一時期でもお城に勤めたことがあるってのは充分強みになるからさ。きっと頑張ってるだろうね、その子も」


 ちょっとしんみりしてしまったわたしに、エルノさんが明るく言う。


「うん。上級使用人になりたいんだって言ってたの。しっかり者のがんばり屋さんだから、絶対なれると思うんだ」

「それならお城勤めはいい後押しになるね」

「うん」


 せめて、お城に勤めていたことが、ペトラにとって良い形になるといいなと思う。

 それにしても、エルノさんっていつもホントに前向きだ。わたしも見習おう。





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