長い一日 ~事情
「おい、薪を組め」
黒い目の男に言われて、手が空いている男が暖炉の中に薪を組み上げる。男が下がると黒い目の男が動具で火を付けて暖炉が燃えるのを確認する。火を付けた後は、黒目の男はもう興味を失くしたように暖炉から離れる。実際に火を大きくするのは他の人の仕事のようだ。
「この小屋は鍵がかかるんだろう? ならばこの縄は必要ないはずだ。はずしてくれ」
「………………」
アーシュさんの言葉に、黒い目の男が振り返る。
「このままではこの娘が危険だ。用があるのならば心身の状態には気を配った方がいいんじゃないか?」
「……そうだな」
そう言いながら、黒い目の男がアーシュさんの襟元を探り、通信機を取り出す。
「……おい、窓を塞いで来い」
周囲の男たちに指示を出しながら、でも視線はアーシュさんに固定したまま通信機を暖炉に放り込む。
部屋が徐々に温まるのを感じながら、暖炉の火がパチパチと音を立てて薪を覆っていく様子を見つめる。
「アキちゃん、大丈夫?」
アーシュさんが気づかわし気に聞いてくるが、小刻みに震えながら暖炉の前に座り込んだわたしは、顔が強張っていて上手く表情が作れない。微かに頷いて見せたが、アーシュさんに伝わっただろうか。でも、今はそれ以上の行動が取れなかった。
「いや、無理しなくていいよ。僕の言葉にちゃんと反応できるだけで十分」
じっと火を見つめて震えるわたしの反応を確認して、アーシュさんが立ち上がる。
「先に彼女の縄だけでも解いてくれ。僕さえ縛っておけば構わないだろう?」
「フン。まぁ、いいだろう。娘、お前がおかしな真似をすればこの男が死ぬ。分かっているな」
男の言葉にヒュッと息を飲むが、体が動かない。
背を向けたまま、無言で微かに頷くと、縄が切られ、後ろに回されていた腕がダラリと横に落ちる。
「アキちゃん、体に異変はない? 痛いところは?」
しばらく縛られていたので腕が動かしにくく感じるが、肩を動かすとそれにつられたように肘も曲がり、ゆっくりとだが、腕全体を動かすことができた。
体が自由に動けるようになったことで、少し落ち着きを取り戻してきた。
ゆっくりと息を吐く。
体の震えはまだ治まらないが、振り向くことはできるようになった。
ギシギシと軋むように後ろを振り返ったところで、窓の外から板を打ち付けるガンガンガンという音が聞こえてきて、ビクッとする。
「…………釘?」
「………………?」
ポツリと呟いたわたしの言葉に、黒い目の男がチラリと視線を向ける。
これだけ積もった雪の中で放置された釘は、だいたい錆びている。あれだけ音がするほどむやみに打ち付ければ折れてしまうのではないかと思うが、その様子はない。男たちが釘を持ち歩いていたとは考えにくいので、この小屋は日常的に使われている小屋なのだろうなと思う。
やがて音が止んで、薄汚れた男たちが震えながら戻ってきた。なんとなく、暖炉の前を空ける。火を見ていると落ち着くので前にいただけで、寒いわけではないのだ。
「うぅー……、寒いっ。外から板打ち付けてきましたよ」
暖炉の前で前かがみに手を擦り合わせている。上着もブーツも濡れているようで、上着を急いで脱いでいるが、ブーツの方はは脱ぐわけにもいかないのか、寒いだろうに、暖炉に片足ずつ当てながらもそのままだ。
「見張りは中が二人で外が一人だ。しっかり見張ってろ」
そう言うと、黒目の男はドアから出て行った。
「クソッ、オレ達にばかり仕事押し付けやがって!」
「お前は外だ」
「えっ!?」
「鐘一つで交代だ」
「……分かったよ」
外に出る男が鍵を受け取って外に出る。鍵がガチャガチャ音を立てているので、動具ではないのだろう。
改めて室内を見回すと、ガランとしていて何もない。暖炉の横に薪が積んであるが、テーブルも椅子も絨毯もない。
ドアは、外へ続くドアが一つと、その反対側に一つあって、そのすぐ横の壁際に調理場がある。恐らく、隣は寝室なのだろう。
「……アーシュさん……縄…………」
「ああ、そうだね。約束だっただろう? 解いてくれ」
アーシュさんの言葉に、二人は少し躊躇うように視線を交わす。
「……おかしな真似はするなよ」
「少なくとも、事情が分からないうちは何もできないよ。ここを出たって町までたどり着く間に境光が落ちて身動きが取れなくなるだろう?」
「………………」
やがて、一人の男がアーシュさんの縄をナイフで切る。外の当番を決める時もこの人が決めていたので、この人がリーダーなのかと思う。灰色の髪に緑灰色の瞳が、不思議と上品に見える。無精ひげを生やして、髪もボサボサで薄汚れているが、綺麗に身形を整えたら、官僚として王族の後ろに控えていても違和感はないかもしれないとさえ思える。
「さて、じゃあ僕らはここで何をしていたらいいのかな?」
「……その娘には神呪を描いてもらう。あんたは大人しくしていろ」
「…………神呪?」
意外な答えに驚いて、緑灰の瞳を見上げる。
「……その話はまた後だ。隅にでも座ってろ」
緑灰の人は、これで会話は終わりだと言うように壁際を顎で指し、隣室へ続くドアにもたれ掛かる。外に出るドアにはもう一人の男の人が寄りかかって目を閉じていた。
「おいで、アキちゃん。座ろう。疲れたでしょ?」
「アーシュさん……」
「うん。大丈夫だからね」
何が大丈夫だとかは言わないけれど、アーシュさんが大丈夫だと言うのだから、大丈夫だろうと思える。全面的に寄りかかろうというわけじゃないけれど、少なくとも、わたしはここに一人ではなく、しかも一緒にいるのが、信頼しているアーシュさんという大人だということが、なによりも心強かった。
「……アーシュさん、どうして馬車に乗ってたの?」
「ああ、君たちと別れた後ね、大通りに入るところで大きな荷馬車が横転しちゃったんだよ。結構大量の荷物が巻き散らかされて足止めされちゃっててね。なんか門がバタバタ騒がしいから何となく見たら、アキちゃんに袋が被せられるところでさ、ホント、びっくりしたよ」
「そっか……、じゃあ、横転しちゃった荷馬車には悪いけど、そのおかげなんだね」
アーシュさんの声はいつも通りで緊張感も見られないし、表情も全く平静だ。そんないつも通りのアーシュさんといつもの調子で話していると、だいぶ落ち着いてきて、震えが徐々に治まる。
「……ペトラ、びっくりしただろうな」
「そうだね。ところで、どうやってあの2人を振り切ったの? 覚えてる?」
あの2人というのはヒューベルトさんとリニュスさんのことだろう。きっと、あの2人が今一番焦っているだろうなと思う。でも、引き離されたのは階段の上だ。馬車がどこに行ったかを調べるところから始めるのだとしたら、まだまだ助けには来ないだろう。
「うん。あの人がね、ポケットから何かを落としたの。そのまま気付かないで階段の方に行っちゃったから、渡そうと思って追いかけたんだよ。そしたら、あ、これ。この動具をはめられてね、ドアに入って、出て来たらもう階段の下だったの」
「ああ、衛兵の服着てるから疑わなかったんだね。護衛失格だな……」
「え?」
最後の方の声が小さ過ぎて聞き取れなかったが、アーシュさんは何でもないと首を振る。
「それにしても、その動具……」
そう言って、アーシュさんがじっと見つめる。
「アキちゃん。この神呪の部分、何か変わったところとか不審なところとかある? 例えば素人っぽいとか」
アーシュさんに言われて、改めて腕輪の神呪を見つめる。
「ううん。どこもおかしくないよ? 線の太さも自然だから、これ描いた人はこの神呪を描くのにすごく慣れてる人だと思うよ」
「そうか…………」
そう言って、しばらく何かを考え込んでいたアーシュさんが、顔を上げて見張りの2人の様子を伺う。
「君たちは、なぜこの子が神呪が描けるって知ってるんだい?」
「………………」
アーシュさんの問いかけに、外へのドアの前にいた男の人が目を開いてもう一人の方を伺う。
「…………城の奴に聞いた」
緑灰色の目の人がぶっきら棒に呟く。ちゃんと答えたことを意外に感じる。
「ふぅん。じゃあさ、あの黒い目の彼は? 彼はこの子が狙っていた子だと疑ってもいなかった。僕というイレギュラーな存在までいるんだ。何かあったのかと疑うのが普通だと思うんだけど?」
アーシュさんの言葉にハッとする。たしかに、あの黒い目の男の人は、お城でわたしが落とし物を渡した中にいなかった。どうしてわたしが神呪師だと分かるのだろうか。
「………………」
「……直接見たことがあるんだね? 彼は」
黙り込む2人の男にアーシュさんが問いかける。問いかけているようだが、きっと確信しているのだろう。
「……え?」
わたしの方は、思いがけないアーシュさんの言葉に目をぱちくりさせる。
……会ったこと、ある? どこで?
「アキちゃんの方は見ていないのかもしれない。向こうが物陰とかから一方的に見ていたりね」
首を傾げるわたしにアーシュさんが説明するが、それにしても心当たりがない。
「……わたし、お城にいてもそんなにウロチョロはしてないんだよ?」
しかも、わたしの周囲にはヒューベルトさんやリニュスさん以外にも結構人がいた。
厨房には使用人が何人もいるし、本邸ではそもそもあちこちに衛兵がいる。物陰から覗くなんておかしな行動をする人がいれば、目立つはずだ。ペッレルヴォ邸の中に不審者がいれば、それこそヒューベルトさんがすぐに捕まえるだろう。
「うん。だからね、お城以外だよ」
「……お城以外?」
だが、どう見ても上流階級の服を着た人に、そんな怪しい行為をとられる場面が想像できない。あんな人が町中にいたら、お城にいるより目立つだろう。
「キュトラ邸」
「あ…………!」
そう言われて納得する。たしかに、あの邸には上流階級の人がたくさんいたし、怪しい行動をする人がいても、それが家人や使用人ならば、少なくともわざわざわたしに知らせたりはしないだろう。
「……でもどうして……エルンスト様が……?」
あの時わたしは、なんだかエルンスト様を怒らせてしまったが、呆れて無視されるならばともかく、わざわざ誘拐なんてされるような心当たりはない。エルンスト様のお邸で見られただけで、エルンスト様が無関係なんてことが、あるのだろうか。
「……少なくとも、オレたちが生きていくためには必要なことなんだ」
それまで黙っていた、外へのドアに寄りかかる男が声をあげる。
……薄い青い瞳。
茶金の髪に青の目を持つ男もまた、身綺麗にすればそれなりの見目になるだろうと思われた。
……なんか、カラフルな人たちだ。
色そのものというよりは雰囲気で、そう感じる。その辺の町中に、こんなに整った顔立ちの者はそんなにゴロゴロはいない。
全体的に見て、上流階級には美しい者が多いように思うが、庶民はそれほど感じない。なんというか、華やかさが違うのだ。この2人には、庶民にはない華やかさを感じる。上流階級の社交場に放り出されても、違和感なく溶け込んでしまうだろう。
「ヨルク!」
「生けていくのに……?」
緑灰の男が咎めるように呼び掛けるが、その言葉は聞き捨てられなかった。
「生きていくのに必要な神呪があるの?」
「………………」
「そうだ。あんたはすげぇ神呪師だって聞いた。あんたみたいな天才にしかできないことだってな」
……わたしができること?
人の生き死にに関わるような神呪の技術など、わたしは持っていない。
「……わたしに、何をさせたいの?」
「………………」
「…………無戸籍、か?」
「…………!」
アーシュさんの言葉に、俯いて唇を噛んでいた緑灰の男がハッと顔を上げる。
「無戸籍……?」
初めて聞く言葉だ。
わたしが疑問に思っているのを察しているだろうに、男たちはどちらも、説明してくれる様子はない。ただ、わたしの言葉に、苦いような痛みを我慢するような顔をして目を逸らす様子から、あまり良い言葉ではないのだなということが分かった。
「生まれた時に、戸籍に登録してもらえなかった者たちのことだよ。不義の子だったり、生まれた時に何か問題があったり……理由は様々だけどね。僕も初めて会った」
「……戸籍に登録されなかった?」
「そう。普通は親がするものだけどね」
改めて、二人の男たちを見る。二人とも20歳をいくつか越えたくらいに見える。
「…………オレたちはな、親にも領主にもこの世界にも、存在すら認めてもらえない者たちなんだよ……!」
薄青の目に暗い影を落として、男が吐き捨てるように言った。
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