長い一日 ~不審な衛兵

 レヴァダ・イェンナを出てリット・フィルガに向かい、わたしはアーシュさんのお部屋にお邪魔して鍋やらおたまやらの契約について話した。ペトラはカレルヴォおじさんのところへ行き、おじさんが実際に調理をして、軽く接客して、後片付けをするのを熱心に見ていた。


「じゃあ、門まで送るよ。また明日アンドレアス様に呼び出されると思うから、その時は今日打ち合わせた通りにね」

「うん」


 後の2の鐘を合図に宿を出て門を目指す。大通りを北に向かって歩いていると、時々大きな荷馬車が通る。だいたいは、北側から領都の中心に向かっているが、中にはお城の方に向かう馬車もあった。


「あっちに行くってことは、お城に行くのかな?」

「そうだと思うよ?」

「……でも、こんな時間に何の用かしら」


 ペトラが首を捻る。


「おかしいの?」

「だって、こんな時間に荷物を持って来られたって使用人の手は空いてないわよ。明日の分の食材とかかしら……?」

「あ、そうじゃない? ほら、葉っぱがはみ出してる」


 目の前を通り過ぎた荷馬車の荷台の端に、野菜の葉が挟まってひらひらとなびいている。幌が掛かっているところを見ると、光に弱い野菜でも乗せているのだろう。


「……変なとこで停まるわね」


 荷馬車は門を右に曲がって少し過ぎたところで停まった。男の人が降りて車輪の点検をし出す。車輪が壊れたのだろうか。馬車を回して少し戻り、門の横にピタリと付けて、本格的に停車の態勢だ。


「……アーシュさん、助けないの?」

「うーん……、僕、一応今回ナリタカ様の代わりで来てるからなぁ」


 ナリタカ様の代わりに車輪を直す作業はできないのだろうか。調理器具屋さんに入って価格調査はやってたけど。


「あまり関係ないことに首を突っ込んじゃいけないんだよ。護衛が大変でしょ?」


 なるほど。そう言われてみればたしかにそうだ。


「アーシュさん、今回は護衛連れてるんだね。いつもは一人で来てたでしょ?」

「うん。基本的に僕自身はただの従者で身軽だからね。今回はナリタカ様の代わりとして派遣されて来たから特別なんだ。いつも見張られてるのってなんだか肩が凝るね」

「そっかぁ……大変だね」

「プッ……、アキちゃんも同じでしょ? ヒューベルトとリニュスは一応、アキちゃんの護衛兼監視だからね?」


 しみじみ言うと、アーシュさんが吹き出した。


「あ、そうだね」


 うっかり忘れがちだが、あの二人はナリタカ様から付けられた護衛でもあり、監視でもあるのだ。


「……監視されてるの? あの人たちに?」


 ペトラが眉を顰めて視線だけで二人をちょっと振り返る。


「うん。わたし、小さい頃ダンに連れられて逃げ隠れしてたから、もう逃げられないように監視されてるの。でも、あんまりそんな感じしないから、忘れちゃうよね」

「……監視されてる割に、仲いいわよね」

「そうなんだよね。二人ともいろいろ手伝ってくれるし面倒見てくれるから忘れちゃうんだよね。この前熱出した時なんて、ヒューベルトさん、付きっきりで看病してくれてたからね」


 リニュスさんに聞いたところによると、額に乗せた氷のうが温む度にこまめに水を替えてくれ、時々口に、水を含ませた綿を当てて脱水症状を起こさないようにしてくれていたらしい。


「もう、お母さんって呼ぼうかと思っちゃうもん」

「………………」

「……ッブーーー!、ア、アキちゃん。それいいよ。是非呼んでやって!」


 呆れるペトラと反対側の隣ではアーシュさんが盛大に噴き出して爆笑している。アーシュさんがからかう相手ってナリタカ様だけじゃないんだなと分かった。


「じゃあ、アーシュさん、また明日ね」

「うん。ペトラさんも、今日は付き合ってくれてありがとう」

「い、いえっ。……こちらこそ、ごちそうしていただいて……ありがとうございました」


 ヒューベルトさんとリニュスさんが一歩前に出て、アーシュさんに敬礼する。


「二人ともくれぐれもアキちゃんをよろしくね。決して損ねることがないように」

「はっ」


 こうして見ると、アーシュさんがすごい人に見えるから不思議だ。


「アーシュさんて、時々偉い人みたいだよね」

「…………アキちゃん。それ、相手によっては誉め言葉って取ってくれないからね。気を付けて」

「はーい」


 手を振って見送てくれるアーシュさんと別れてお城への階段を上る。


「ペトラはどうだった? 勉強になった?」

「ええ、すごく勉強になったわ。お城だと、料理人は料理を作るだけなのよ。でも、町の料理人は自分でいろいろやるのね」

「ああ、まぁ、お店の規模にもよるけどね」

「あたし、今まで洗い場女中の仕事になんて興味がなかったの。だって、やってることは掃除と一緒でしょ?」


 なるほど。お皿をキレイにするのと、邸をキレイにするのが同じに見えるらしい。


「でも、料理人になるなら必要なことなのね。あたし、そっちもやらせてもらえないか、ハンナさんに頼んでみるわ!」


 ペトラは自分の将来のためにやるべきことを、次々と見つけている。きっと、町にいる時のわたしもあんな感じだったんだろうなと、微笑ましくなるのと同時に、羨ましいと思った。






 ペトラとおしゃべりしながら階段を上る。この山全体に神呪が施されているというのがとても衝撃的だ。だって、きっと何日もかかる。その間、神呪を途切れさせることなく、歪ませることなく描き続けるなんて、どう考えても無理だ。


 ……食事はおにぎりを片手で食べながらとしても……お手洗いはどうしようもないよね。


 大昔には、たしかに今と違う神呪が使われていたのだろうなと実感して、ちょっと感動する。


 階段を上がりきって少し行くと、木々の間から出てきた2人の衛兵とすれ違う。今まで訓練でもしていたのだろう、冬なのに顔も手足も砂と汗でひどく汚れている。


 ……あれ、汚れ落ちるのかな。


 汗と汚れが混じると、石けんを使ってゴシゴシしてもなかなか落ちない。あんなのがいっぱいあるなんて、洗濯女中は大変だなと思う。


 わたしが洗濯女中たちの仕事に使えそうな動具が何か作れないかと、ぼんやり衛兵を見送っていると、一人が上衣のポケットから何か取り出した拍子に、一緒に何かがキラリと落ちたのが見えた。


「あれ、落としましたよ?」


 衛兵たちは気付かなかったようで、そのまま階段の方に向かっている。


 仕方なく落としたものを拾うと、ボタンのようだ。透明っぽい黄色い石で作られていて、いかにも高そうだ。顔を上げると、衛兵たちは、今にも階段を降りて行こうとしている。

 

「ちょっと渡してくる」

「あ、アキちゃん」

「すみませーん、これ、落としましたよ?」


 声をあげながら駆け寄ると、2人が立ち止まって振り返った。


「ああ、すまないな。ありがとう」


 ……なんか、変にニヤニヤしててヤだな。


 思わず、ヒューベルトさんやリニュスさんと比べてしまう。衛兵の感じはアンドレアス様よりナリタカ様の方が良さそうだ。そういえば、文官も感じ悪かったなと思い出す。


 階段の横で待っている衛兵たちに近寄って、ボタンを渡す。


「ああ、ちょうど良かった」


 そう言うと、もう一人の衛兵が、ボタンを差し出すわたしの手首に腕輪状の動具をカチリとはめる。


「へ?」


 次の瞬間、衛兵の腕が伸びてきて、体が浮くのを感じた。


 …………え? 


 何が起こったのか分からず、とりあえず状況を確認しようと顔を上げて周囲を見渡すと、ヒューベルトさんとリニュスさんが血相を変えて駆け寄るのが見えた。


 ……え、何? 


 だが、その間に衛兵たちは、すぐ横にあった壁のドアを開ける。真っ暗だった内部は、男たちが足を踏み入れた途端、ぼんやりと薄暗い光が満ち、洞穴のような光景が目に飛び込んで来る。


 ……行き止まり……? 


 目をぱちくりした瞬間ドアが閉められる。そして、間髪入れずまた開けられたドアの外の光景に目を剥く。


 ………………え? 


 ドアの外には領都の街並みが広がっていた。視線だけで確認すると、たしかに、目の前には上に続く階段が立ちふさがっている。


 ……これ……アーシュさんが言ってた、官僚だけが通れる道だ!


 そこにちょうど、幌をかけた荷馬車が砂埃を巻き上げながら飛び込んできた。男たちは荷台から大きな袋を取り出してわたしに被せようとする。暴れようとしたが、屈強な男たちに手足と頭を押さえつけられて、呆気なく袋に入れられてしまう。


「ちょっ、と……出し、出して……!」


 何が何だか分からないうちに視界が真っ白になる。縛られたりはしていないが、狭くて身動きが取れない。そのまま体がバランスを失う。持ち上げられたのだとは思うが、自分がどういう体勢になっているのかもよく分からない。ガッと乱暴に掴んでくる腕がお腹と骨の間に食い込んで痛い。


「うぐっ!」

「おい、早くしろ!」


 痛いと思った次の瞬間には、一瞬の浮遊感の後、乱暴に地面に叩きつけられる。左頬と左肩と左腕が痛いが、狭くて身動きが取れず、かろうじて、前で組んだ腕をさすることしかできない。


「うー……!」

「早く出せ!」

「急げ!」


 自分自身が今、一体どうなっているのか分からない中、男たちの怒号が聞こえてきて、初めて恐怖が込み上げた。目を見開いて状況を確認しようとするが、袋に詰められていて、目の前には真っ白な袋の生地しか見えない。


「アキちゃん……!?」


 恐怖に体をこわばらせていると、遠からで微かに聞き慣れた声が耳に飛び込んできてハッとする。


「アーシュさん……?」


 土を蹴りあげる音や叫び声に紛れて、たしかに聞こえた声に縋る。


「……アーシュさん!」

「っつ……!」


 しばらくすると、すぐ横でドサッと重い音がして、微かに呻き声が漏れる。


「ア、アーシュ……さん?」


 ……なに? 誰? どうしたの!? 


 何があったのか、アーシュさんはどうなったのか。全く予想がつかない状況に焦れて、激しく鼓動する心臓が痛みを訴える。


 荷馬車はやがてガタガタと揺れ出し、木が軋む音が聞こえてくる。馬車が動き出したのだと分かってハッとするが、震える体は言うことを聞かず、身動きどころか声さえあげられない。


 ……どうしよう…………!


 このままでは、遠くに連れられて行ってしまう。何とか馬車を降りなければ。

 

 足の方が袋の口になっているのは分かるのだが、手は当然届かない。なんとか袋を破れないかと引っ張ったり爪を立てたりしてみるが、わたしの力程度では傷一つ付かない。その間にも、馬車の揺れはますますひどくなり、スピードが上がっているのが体感で分かる。

 ガタガタと激しく揺れる荷台で、袋に詰められて安定しない体があっちこっちに打ち付けられる。痛みと恐怖でギュッと目を瞑って、体を丸めて耐えるしかなかった。


 …………誰か……ダン!



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